食卓はまどか カーヴェとアルハイゼンはそれぞれを構成する基本要素は似通っているにも関わらず、その出力としての性格や気質は鏡に映したように真逆だ。それは食事においても同様だった。
「アルハイゼン! 食べている時くらい本をしまえ!」
年上のルームメイトが大きなスプーンを持って風スライムのように怒っている。ティナリのこの例えをアルハイゼンは口に出したことはないものの、的を得ているとひそかに思っていた。
アルハイゼンが食事中に本を読んでいることなんていつものことだというのに、よくも飽きずに言い続けられるものだ。それはカーヴェの行き過ぎた思いやりについて長年皮肉を言い続けている自分にも言えたことだが。
「…………」
小言を気にせず本を持ったまま食事を摂ろうとして手が止まる。テーブルの上に並んでいるのは獣肉のビリヤニ、雨林サラダ、それからミントビーンスープが並んでいた。
「片手で食べられない料理を出されたからってそう睨むなよ! 仕方ないだろ、昼に会ったティナリとコレイが獣肉にツルツル豆やザイトゥン桃をガンダルヴァ村から持ってきてくれたんだから」
「それでも他に作れるものはあっただろう」
カーヴェから家賃は受け取っているものの、一般的なスメールの住居に比べれば大幅に低い金額を設定している。代わりに、家事についてはカーヴェの負担が大きくなるように二人で分担していた。特に食事についてはアルハイゼンが作るとメニューの幅が狭く、見た目も美しくないからとカーヴェが作ることが多くなった。大抵は文句を言いつつもアルハイゼンの要望に沿って片手でも食べやすい食事が出てくることが多い。だからこうして明らかに片手で食べにくいメニューになる日はカーヴェに話したいことがある時だとか、直前にアルハイゼンが言った皮肉をカーヴェが引きずっているかのどちらかだった。日中、カーヴェはティナリ達に会っていて、アルハイゼンは家で本を読んでいた。本日まともに話すのはこの夕食の席が初めてである以上、前者である可能性が高いと言えた。
「……いただきます」
ため息をひとつこぼして用意されたカトラリーを手に取った。不満はあるが用意されてしまった食事を食べないわけにはいかない。祖母はいつも食事を綺麗に食べるひとだったから。
「あ、ああ……味は保証するぞ。たくさん食べてくれ」
返事もしないままビリヤニを口に運ぶ。米の中に混ざる獣肉は味が染みて柔らかく、アルハイゼンの好みではあった。アルハイゼンの祖母は何かと効率を求めたがる学者らしくなく、食事は時間をかけて楽しむひとだった。小さな頃のアルハイゼンは「よく噛んで食べなさい」と教えられて育った。その影響か成長しきったアルハイゼンも成人男子としては食べるのに時間がかかる方だ。アルハイゼンと食事を共にするような相手などそう多くもなく、再会して共に暮らすようになったカーヴェに指摘されるまでは自覚もなかったことではあったけれど。
カチャカチャとカトラリーと食器が当たる音だけが部屋に響いた。何か話したいことでもあるのかと思ったがカーヴェは黙って食事をしている。また何かつまらないことに心を砕いているのだろう。読書をすることもできないアルハイゼンは目の前の男の様子を観察することにした。
少なくともビリヤニは休みなく口へと運ばれているため食欲は十分にあるようだった。食が進まないような悩みを抱えているわけではないらしい。
カーヴェは平均的なスメール人男性に比べると繊細なつくりをしている顔立ちに似合わず、クリームやチーズだのと濃厚な味わいのものを好むところがある。魚よりも肉を使った料理の方が頻繁に作られているし、ビリヤニに入った獣肉も味付けが濃い。仕事の関係で自らも木材などを運んだりする関係で肉体労働も多いせいか、外見からは想像できないほどよく食べる。しかし辛いものや熱すぎるものなど、刺激的なものはあまり好きではないらしい。
それから、カーヴェもアルハイゼンとは別の理由で食事に時間がかかる男だった。腹に入れば同じだというのに素材や盛り付けの良さを語り、テーブルをともにした相手と喋りながら食べるのも食事の喜びだと語っていた。
カーヴェは決して早く食べられないわけでもない。アルハイゼンは何度かカーヴェが建設で指揮を取っている現場の近くを通ったことがあった。ちょうど昼時だったのか、カーヴェは腕の太さが二倍近く差のある仕事仲間らしい男達に挟まれて昼食を取っていた。炒めた米にフライドチキンが山盛りにテーブルに並べられている。カーヴェは周りに負けじと吸い込むような早さで食べていった。美しくもない、ただ午後の肉体労働に備えるためのエネルギーと塩分の塊でしかないそれらを!
教令院にいた時代からカーヴェのぺちゃくちゃと喋りながら食べている姿しか見たことがないアルハイゼンは、あんまりにも驚いて本人に聞いてみたことがあった。食事はコミュニケーションの要素を多分に含むのだと主張する男は、単にシチュエーションに合わせただけだと言った。仕事が詰まっていて昼食に時間をかけられる状況ではなかったし、一人だけのんびり食べていては現場に馴染めないから、と。アルハイゼンの優秀な頭脳には、その時の獣みたいに貪り食う姿がやけに焼き付いてしまっていた。それから、締切前のカーヴェも同じように荒っぽい食べ方をするのだと気付いてからは、その時期にはあえて食事しているところを見に行くことさえあった。要するに、普段は罪悪感や高すぎるプライドによって抑えられている彼の本能的な部分が垣間見えるのが気に入ったのだ。
「……わざわざ俺が本を読めないような食事を作っておきながら何も話さないつもりか?」
そんなことを考えながらアルハイゼンがカーヴェを見ている間、カーヴェもまたアルハイゼンにじっと視線を向けていた。
「き、気付いていたのか」
「それだけわかりやすく見られればな」
アルハイゼンは自らの振る舞いを棚に上げて応える。カーヴェには見られていた自覚がないらしく好都合だった。もごもごと何やら言いにくそうにしている。
「……酒場で聞いたんだ。その、……食事に……その人のベッドでの性質が見られるって」
あまりにもくだらない理由だった。カーヴェとアルハイゼンは恋人同士で、性行為だって慣れたものだ。ベッドの中の様子など何度も見ているはずなのに。
しかし一度その俗説を聞いてしまえば、自然と先程までカーヴェを観察しながら考えていたことを頭が反芻しようとしてしまう。同時にカーヴェが再び口を開いた。
「ああ、そんな目で見るなよ! 僕だってたしかに最初はくだらないと思ったさ。でも君は確かに食事に対して関心こそ薄いが、与えられたらいくらでも食べるだろう。僕が何度も求めたって君は受け入れてくれるし、たまに気を遣って回数を減らすと物足りない顔をしているからな。あとは淡白なものよりも濃厚な味付けが好きなところとか、ゆっくりするのが好きなのも……うん、関連があると思うし」
最後の方は何を思い出しているのかほんのりと顔を赤く染めてさえいる。
カーヴェとアルハイゼンは表面的なところは鏡に映したように真逆だが、本質的なところに共通点がある。それはベッドの中でも同様らしい。世の中に性の不一致で不仲となる恋人達がいる中で、こうして嗜好に大きなズレが無いことは幸運なことだろう。理性では理解できている。だが、人間というのはままならないものだ。性行為自体は何も恥ずべき行為ではないけれど、その嗜好をつまびらかにされればアルハイゼンだってめったに稼働しない羞恥心も顔を出すというものだ。
「カーヴェ」
「ん? どうした、アルハイゼン」
「君の言う通り俺は淡白なものよりも刺激がある味付けが好きだ。だからしばらくは香辛料をたくさん入れて刺激的な料理にすることにするよ。たまには汁気のある状態で作ってもいいだろう。その方が最後まで温かいまま楽しめるからな」
「な、……どうしてそんなことを! 僕が辛くて熱いものが苦手だと知っているだろう!」
「……ふん」
ヘッドホンの遮音機能をオンにして再び食事の続きに戻る。アルハイゼンはこだわりこそ持たないが、何も食事そのものは嫌いではないのだから。