類が司の背中をかいてあげるだけの話「類、孫の手を持ってないか?」
少し困ったように眉を寄せた司くんが、ソファーの隣に座った僕に問いかけてくる。今日は、先日購入したショーのDVDの鑑賞会として、司くんを僕の部屋に招いていた。終演近くなって司くんがモゾモゾと身体を動かしていたけれど、そういう事だったのか。
「僕の部屋にはないけれど⋯⋯探せばもしかしたら父さんと母さんの部屋にはあるかもしれないね。」
「む⋯⋯⋯そこまでしてもらうのは悪いな。悪いが背中をかいてくれないか?」
身体を少しねじりながら背中をこちらに向けた司くんが申し訳なさそうに言う。少し下がった眉毛が可愛くて、片想い中の恋心は些細な表情の変化にもきゅんと締め付けられる。お易い御用だとシャツの上から司くんが指定した部位をかいたが、どうにも効果が今ひとつのようだ。
「む⋯⋯。もう少し強くできるか? 」
「こうかい?」
「うーん⋯⋯すまない類⋯⋯直接かいて欲しい。」
ズボンからシャツの裾を出しながら、中に手を入れるよう誘導してくる。背中をかくだけとはいえ、好きな人の服の中に手を入れるという背徳的なシチュエーションに心臓が跳ねた。
(大丈夫⋯⋯。背中をかくだけ。別にやましい事はしていない。)
シャツの一部をズボンから出して作られた隙間から手を差し込もうとするが、隙間が狭いせいで、上の方まで手を伸ばしづらい。司くんがかいて欲しいと指定しているのは、肩甲骨に近い背中の上部だ。
「司くん、あの⋯⋯もう少しシャツをズボンから出してくれるかい?」
「ああ、こうか?」
もう少し、と言ったのにも関わらず司くんはほとんど全てズボンからシャツを引き抜いた。それだけではなく、背中のシャツを少したくしあげて僕が手を入れやすいようにしてくれている。ありがたいけれど、チラチラ見える白い肌が非常に目に毒だ。ズボンの上に少しだけはみ出した濃いグレーの布地を見て、「今日はシンプルだな」なんて思った。いつも着替えの時に横目で見ているので、彼が持っている柄は一通り覚えてしまったなんて口が裂けても言えない。
「ありがとう。い、いれるね⋯⋯」
「あぁ!」
緊張のあまり別の行為をしているかのような言い回しになってしまう僕に、司くんからは何とも快活な返答。本当にそういうシチュエーションになっても同じテンションなんだろうか。ちょっと無知な感じでそれはそれでいいな⋯⋯。
ムクムクと膨らむ煩悩を、脳内で野菜達を思い浮かべて気を紛らわしながらシャツに手を差し込む。
「っ⋯⋯。」
「え!?ごめん、くすぐったかった?」
「いや、類の手が冷たくて⋯⋯びっくりしただけだ。」
背中に手が触れた途端、びくりと身体を小さく揺らした司くんに、思わず過剰に反応してしまい声が裏がえる。彼自身も予期せぬ身体の動作だったのだろう。きまり悪そうに俯いている。目前に晒される項のなんと眩しいことか。頑張れ僕、トマトの中身⋯⋯緑色でえれえれした部分を思い出すんだ。
気分が下がる光景を思い浮かべて自分を律しながら、なんとか司くんが痒いと言っている部位にたどり着き、軽く爪を立てて指を動かす。昨日爪を切っておいてよかった。司くんの肌を傷つけたくはない。
「あ、類⋯⋯もうちょっと右⋯⋯。」
「こ、ここ⋯⋯?」
「そう⋯⋯もうちょっと強く⋯⋯。」
背中に意識を集中させながら喋っているせいか、どこかうつろな声で話す司くんに、高まった鼓動はついに16ビートを刻み始める。無心、無心だ。ピーマンの中身を思い出せ。特にあの種が集合した、人によっては別の意味でゾワゾワする部分だ。
忌まわしき野菜達を想像して対抗するも、思春期の煩悩の前には勝てないのか、目の前の色っぽい司くんに意識がいってしまう。このままだと、脳内を侵食し始めている至らぬ妄想を見ないフリできずに動揺が態度に出るかもしれない。こんな状況でいやらしい事を考えているなんてバレたら司くんに嫌われてしまう。さり気なくアプローチして振り向いて貰えたら告白しようと思っていたのに、その前に人として嫌われてしまったら元も子もない。
早くこの時間が終わるように指先に力を込めて小刻みに動かすと。司くんは天を仰ぐように少しだけ顔を上にあげた。
「あ、そこだ⋯⋯あー⋯⋯気持ちいい⋯⋯」
頭を動かしたことでふわりと届く微かなシャンプーの匂い、どこか恍惚とした声色、気の抜けたような口調。想像力豊かな恋する男子高生の脳を破壊するには充分な材料だと思った。
その後のことはあまりよく思い出せない。ただ唯一覚えているのは、その夜の夢に司くんが出てきたこと、そして翌朝のパンツを自分で洗う羽目になったことだ。