幸福論者と運命論者柔らかな、しかし眩く感じる光が目蓋を撫でる感触で目を覚ました。現状を把握しようと寝起きで覚醒し切らない頭を働かせる。ボンヤリと霞んでいた景色の輪郭は次第に確かなものになり、見慣れた天井で規則正しく回るシーリングファンに「あぁ」と都々丸はようやく合点がいった。非番の都々丸は退屈だと駄々を捏ねるロンから呼び出され、暇つぶしに付き合う内にどうやら寝てしまったようだ。まだ窓の外が明るい所を見るに、日が暮れるほど惰眠を貪った訳ではなさそうだなと安堵する。
キョロ、と首だけを動かして隣を見れば、そこには都々丸同様に眠りに落ちたのだろうロンがいた。都々丸とは真逆の位置で仰向けに眠るロンの頭は案外近い位置にあり、その整った顔に一瞬だけドキリと胸が鳴る。さすがはあの捜査一課の女傑、雨宮を「ゆけめん」だとノックアウトしただけはあるな、なんて。その時のことを思い返しながら都々丸は独り笑いを噛み殺した。
「……死んでる?」
「寝てる」
「はは、やっぱり起きてた」
「今起きたんだよ。おはよう、と言うには時間が遅すぎるかい?」
「午後の三時は間違いなく『おはよう』ではないな」
暫く眠るロンの横顔を眺めていた都々丸は、ふと思い立って声を掛けてみる。そんな都々丸の声には、数秒と待たずに返事があった。目を閉じていたままのロンはゆるりと目蓋を持ち上げると、少しだけ首を傾けてクスクスと笑みを溢す都々丸を見遣る。その目は未だ完全には開き切っておらず眠たそうだ。今しがた起きたと言うロンの言葉は嘘ではないのだろう。寝起きで伏し目がちな瞳には何とも言えない色気が滲んでおり、また都々丸の胸がドキリと高鳴る。これでは心臓がいくつあっても足りなさそうだ。
「……フフッ」
「……何笑ってるんだよ」
「そう構えるなよ、トトが思ってるような悪いことじゃないさ」
「じゃあ何だよ」
「いや?僕はね、トト。あまり形のない不確かなものは信じていないんだ」
「へ?あぁ、超能力や夜蛇神様の時もそんなこと言ってたな」
「あぁ。でも今は少しだけ、そういった類のものを信じてみるのもいいかなと思ってね」
「何だよ、藪から棒に。何か心境の変化でもあったのか?」
「理由は君だよ」
怠惰の床の心地よさは中々どうして離れ難く、二人は寝そべったままの姿勢で会話を続ける。不意にロンの口から漏れ出た笑い声に、都々丸はジトリと訝しむような視線を向けた。それは普段ピュアだのマヌケだのと揶揄われているが故の条件反射のようなものであり、対するロンは都々丸の思考を読み取ったかのように弁明の言葉を並べる。次いで紡がれた突拍子のない発言は、何かに付けてロンが口にしている事実だった。ロンは事件関係者たちが非科学的な存在の関与を疑う度に鼻で笑っている男だ。その性分は改めて言われなくとも既に分かり切っている。何を今更、と都々丸が片眉を上げて困惑していれば、その認識を撤回するロンの言葉に都々丸は驚きでギョッと目を見開いた。その理由が自分だと告げられれば尚更だ。
「ロン、本当にどうしちゃったんだ…?あっ、何か変な物でも食べたとか…」
「さっき君がお昼に作ってくれた焦げついた炒飯のことかい?」
「めちゃくちゃ失礼だなお前」
「冗談さ、あれはあれで美味しかったよ。まぁ、少し聞いてくれ。目が覚めて隣に君がいるのを見た時、これが『幸せ』かと思ったんだ」
「幸せ…?」
「あぁ、目には見えないものだろう?幸せの象徴と言ったら白い鳩や四葉のクローバーが一般的だけど、いまいちピンと来なくてね。だが、今ようやく理解できたよ」
──僕にとっての幸せは、たぶん君の形をしているんだろうね。
そう言って都々丸を見つめるロンの瞳には、確かに幸福の色が滲んでいた。
「ロン…」
「……待て、何も言わないでくれ。我ながら少しクサいことを言ったなと思うよ」
「ッ、はは!何だそれ、自分で言ったくせに?」
「あぁ、らしくないこと言う程度にはまだ脳が寝てるみたいだ」
「はいはい、そう言うことにしといてやるよ」
唐突に告げられた愛に溢れた台詞にポカンと惚けていれば、自分の台詞に少し照れたロンが都々丸の言葉を先に制する。そんなロンの珍しい姿に次第に都々丸の頬は緩み、ついには堪え切れずにフハ、と笑みが溢れてしまった。幸せの象徴とは、随分とまた栄誉ある称号を貰ったものだ。一方のロンも初めこそ何か言いたげにしていたが、楽しそうに、そして幸せそうに笑い転げる都々丸につられて目を細める。
柔らかな日差しに彩られた蜂蜜色の午後、そこには形を持った二つの幸せが転がっていた。
(目には見えないもの、か…)
一頻り笑い終えた都々丸は呼吸を整えると、ロンの言葉を脳内で反芻する。
歳も生まれた場所も違う。歩幅も足跡の数も全く違う。ほんの僅かに、数秒何かが違っていれば出会うことはなかっただろう。けれどこうして交わった道で、二人は今も離れることなく隣を歩いている。共にした時間はまだ決して長いとは言えない。それでも、時には理性をも凌駕する人間の行動指針の最たる心が、もう決めてしまったのだ。
この男の隣がいい、と。
これは理屈じゃない、恐らくBLUE最高峰の名探偵にだって解き明かせない。二人を引き合わせた、そんな最大級の謎の正体。
きっとそれは『幸福』と同じく目には見えないものだ。
そんな存在を、果たして非科学的な存在など二百パーセントあり得ないと宣った男は信じてくれるだろうか?数々の哲学者たちもこぞって理論を並べては、それは確かに在るものなのだと述べてきたが、生憎都々丸にそんな頭脳は備わっていない。だからこそ力技でも自信を持って証明してやるには、どうしたってコツコツと地道に日々を積み重ねていくしかないのだ。
「まぁ、一生添い遂げれば証明にはなるか…」
「──?何の話だい?」
「何でもない、ただの独り言。けど、最後にはロンにも意味が分かると思うよ」
ロンと張り合えるレベルのクサいことを考えてしまい、都々丸は「人のことは言えないな」と思わず苦笑を漏らす。唐突な都々丸の脈絡のない独り言に、今度はロンが訝しげな視線を向ける番だった。一生を隣で添い遂げる覚悟でいる、そんな胸中など露ほども知らないロンに都々丸は緩く首を振りフッと笑いかける。
それから目の前で目を瞬かせる、形を持った『運命』に向けて、まだ見えない先の未来で彼が口にするのだろう言葉を予言するのだった。
「その時には『やっぱり君がそうだった』って、笑ってよ」