これは愛の物語 ふわふわで、温かくて、柔らかな腹。そこに身体を預けると心が落ち着くような気がして、ローは大好きだった。今日も今日とて、この腹に身を預けて昼間から甲板で眠る。穏やかな風の音を聞きながらそっと目を閉じていった、その時。
「キャプテーン、ちょっと良いですか?」
声に誘われ、微睡み始めていたローの意識が覚醒していく。ふわりと大きな欠伸と共に目から滑り落ちた雫をやんわり拭いながら、声の主へと視線を向けた。
「……なんだ」
頭頂部に乗る丸く愛らしいマスコットを揺らしながら走ってやって来たのはペンギンだ。少し視線をずらすと、その後ろからシャチもついてきている。二人は乱れた呼吸を整えると互いに顔を見合わせ、そしてどこか言いづらそうに口を開いた。
「や。気のせいかもしれないんですけど」
「良い。言ってみろ」
「艦内を歩いてた時、シャチがエンジン付近で変な音を聞いたらしいです」
「変な音?」
「はい。『ガリ』って何かを引っ掻くような音が微かに」
「一応中に入って見てはみたんですけど、視覚的な異常は特に無かったです」
そんな報告を受け、ローは口元に手を添えるなり黙り込む。場に流れるどこか重く静かな時間に、シャチは自分が言ったことでローを困らせてしまったと焦り、わたわた手をばたつかせながら「忘れてください」と言った。
「きっと聞き間違いだ! キャプテンごめん!」
「……いや、ベポ。ベポ、起きろ」
「んん……ふわあ……おはよう。どうしたの、キャプテン?」
「ここから一番近い島は?」
眠っていたふわふわの腹を揺すって起こし、ローはこの先の針路について尋ねる。ベポは胸元から海図を取り出すと三人の目の前に広げ、指で示しながら伝えた。
「えっと、ここが目指していた島で……これより近い島となると、あそこに見えてる島だね」
「造船所はあるか?」
「多分あると思う。大きめの港町だから」
四人の視線の先には、ぽつりと浮かぶ島が一つ。ここからだと三十分以内には到着するだろう。たとえ造船所が無くとも船を休め、隅々まで点検や整備をすることが出来れば良い。
「ペンギン、シャチ。全員に伝えろ。進路変更、ここから先に見えている南南東の島に緊急上陸だ」
「アイアイ、キャプテン」
「えっ!? で、でもあの島には寄らないって朝の会議で決めましたし、」
「ポーラータングの点検と整備を第一優先にする」
「おれの報告のせいですか? 聞き間違いだったら、」
「良いじゃねェか」
「え?」
「点検してみて、こいつに何の異常も無かったなら良い。それが一番だ」
「キャプテン……」
シャチはグッと唇を噛み締めた。たった一人のクルーの細やかな不安や疑問でも聞き流すことなく受け入れ、対処してくれる。それがハートの海賊団船長、トラファルガー・ローという男。誰よりも優しくて温かい、愛に満ちた人物。こんな彼だからこそクルー達は心から慕い、どこまでも永遠についていきたいと思う。
「なにより、ポーラータングはおれ達のもう一人の仲間だ。最後の地までおれ達を運ぶんだから、いつまでも元気でいてくれなきゃ困る」
鮮やかな黄色の船体を撫でるローの手は優しく、まるで宝が沢山詰まった宝箱に触れるようで。ペンギン、シャチ、ベポの三人は互いに顔を見合わせると深く頷いた。海賊団として海に出たあの日からずっと一緒なのだ。この船はローにとって友達であり、仲間であり、帰る家でもある。どんなに辛く苦しいことがあっても、挫けそうになっても、仲間達と共にポーラータング号が待っていてくれると思えば頑張れた。コラソンから与えられた愛と命をポーラータング号と仲間達へ繋ぎ、紡ぎながら生きていく。それはこれからも変わることはない。
「思えば、こいつとも随分長い付き合いになったよなあ」
「スワロー島から一緒だもんね」
「キャプテンに【ポーラータング号】だなんてカッケー名前までつけてもらって、羨ましい奴だよ」
「そういえば最初は違う名前が付いてたんだっけ?」
「そうそう。【花マル無敵号】な」
「何度聞いてもだっせえな!」
遠く離れたもう一つの故郷にいる友達がつけた名前を思い出し、四人は声を上げて笑った。
「で、キャプテンはなんでこの船の名前をポーラータング号にしたんですか?」
ペンギンからの疑問に、ローはあの日のことを思い出す。
小さな窓から覗く鮮やかな青と、色とりどりの魚の群れ。もう二度と見ることが無いと思っていた海中に広がる美しい世界に溶け込み、生きることが出来る喜び。
「こいつに乗って初めて海を潜った時、魚達は驚くこともなく一緒に泳いでいた。きっとあいつらにはこいつが少し大きい魚にでも見えてたんだろう。鮮やかな黄色の魚は熱帯魚に多い。で、おれ達もこいつも北の極寒港育ち」
「へえ。だから【極地の熱帯魚】なんですね」
「ああ。……それに、」
「?」
「こいつが【花マル】で【無敵】なのは、わざわざ名前にしなくてもよくわかってる」
「あははっ! 確かに!」
「岩盤を割ることも出来るもんな!」
ポーラータング号は今日も海を泳ぐ。ハートの海賊団の一員として、この世界の果てにたどり着くまで。
「お前も、お前達も、愛してるぜ」
「キャプテーン♡」
三人からの喜びの声を身体いっぱいに受けたローは、黄色の船体に触れながらそっと目を閉じた。
(……もう、どこにも、ない……)
沢山の愛が自身の手から滑り落ちていく絶望を感じながら、ローの意識は暗い海の中へと沈んでいった。
【了】