任意幽閉ジャラリ、と首についた枷を見る。オレはいつでもそれを外すことが出来る。けれど、ただ家主が帰って来るまでの昼下がりをアイツの香りで満たされた部屋で享受する。季節はもうすぐ高校二年になるんだなって言うくらいの冬。先輩たちは送り出して、でもたまに遊びに来るみたいな、そのくらい。
「桜木、流川あんた達はテスト期間部活練習禁止ね」
先輩のマネージャーから告げられた死刑宣告にも近いそれは、夏のオレたちの過ちを浮き彫りにさせる。バスケができねーなんて、考えることも無かったけれど、赤点のテストたちが義務教育の終わりを突き付ける。
「そんな! アヤコさん、もう赤点なんて取らないっすよ!」
うるせーどあほうは、そうやって抗議していた。オレも不服だけれど視線だけでそれに同意をする。すると、新キャプテンとなったオレ等赤点軍団の一員である宮城先輩が喝の如く叱咤を浴びせてくる。
「これからの湘北の在り方はお前たちにかかってんだ、だから安定してテストが解けるって分かったら次のテスト期間には自主練くらいは許してやるから」
「なんでリョーちんは抜いてんだよ!」
「オレはもう赤点は取らないからだ」
「はぁ?」
会話の経緯を追っていけば、赤木キャプテンが「キャプテンとして恥ずかしくないように兼受験勉強代わり」として特別講習をしてくれていたという。それならオレ達もそれに参加してれば前みたいに何とかなったんじゃねえかなって思うけれど時すでに遅し。二人まとめてテストが終わるまで基礎体力トレーニングはいいけど夜が訪れるまでの練習は禁止だと。そんでも授業中眠るのは止めらんねえし、勉強を教えてくれそうな人は思いつかなかった。先輩に頼るってガラでもねえし、一年の内容を分かりやすく教えてくれる先輩も居ねえ。もしかしたら聞けば答えてくれるかもしれないが、そうすんのもすげー怠い。昼休みに屋上で横たわっていたら、近くに誰かの気配を感じる。眠りを妨げられて面倒だと思ったけれど、気配が知っているソレだったからゆっくりと見開く。案の定、鮮烈な赤がそこにあった。
「ルカワ」
「……こっちは寝てんだけど」
「起きてるじゃねえか、つーかテストの話なんだけどよ」
静かにその言葉を聞けば、どうやらコイツにも同じような悩みがあったようで。つるんでる仲間も赤点ばっかで、教え教えられの関係になく、宮城キャプテンの練習時間は奪いたくなく、三井先輩は頼りなくて、赤木元キャプテンや木暮先輩に縋るのも格好悪いと。
「だから、オレ等で集中してベンキョーすりゃ、すぐ終わるだろ。リハビリも終わったからそんくらい協力しろよ」
全日本ジュニアの合宿もない、本当になにもない空白の時間。取り上げられたバスケを埋めてくれる何かもないオレは癪ではあるが頷いた。半分はリハビリが本当に終わったのか確かめる為、もう半分は最近感じるコイツに対する妙な気持ちの整理。オレは、桜木に対してよく分かんねえ気持ちを抱えている。辿って行けばそれがいつから、なんて分からない。ただ、自発的に言葉を投げて返事を待ったのはコイツくらいなもんだっていうのが、オレの中の一つのボーダーライン。
「どこ、ファミレス?」
「場所決めてねえな、学校は締まっちまうんだろ」
「だからテスト期間って言うんだろ」
桜木は指折りテスト期間が終わるまでの日々を数えていた。多分だけれど、その期間ずっとファミレスに行ったらどんくらい金がかかるのかなとか思ってんだろうな。オレも流石に小遣いでやりくりするのは難しいと思った。かといって親に言うと珍しいって馬鹿にされっから頼りたくねえ。
「じゃあ、オレんち来るか」
迷っていた候補の中に、思いがけない投石が波紋を広げる。ビックリしすぎて上体を起こして目覚めてしまったくらいだ。
「オメーんち?」
「そう、一人暮らし」
「……へえ」
理由は敢えて聞かなかった。聞かれたくねえことなのかなって思ったし、もしその思いを昇華出来ているとしても、深掘りする程に傷付けたいワケでもないからだ。
「じゃ、オジャマシマス」
「茶とかはねえからコンビニで買えよ」
「期待してねー」
なんだか、そんな流れで桜木の家にお邪魔することになった。夜の前に帰ろうと思っていたけれど「夕飯食ってく?」とだけ去り際に聞かれたから頷いておいた。特に家に連絡もせずに、きっと理由なんて事後承諾で良いはずだから。家族への信用とかじゃないけど、オレが生まれてからずっとこうだってのは、きっと知られているだろうなっていう根拠のない自信に動かされた。それから放課後なんてもんはあっという間に来て、先にホームルームが終わったオレのクラスから桜木の居るクラスに向かう。すると、丁度そっちも解散の運びになったようで桜木の傍によく居るヤツが声を掛けてきた。
「流川だ、どうした?」
「桜木呼んで」
「用事か? 珍しいな、おーい花道!」
なんだ洋平、という声にそちらを見ればどあほうの間抜け面。オレとテスト勉強するなんて忘れていたような表情に、なんだかイラっとした。覚えておけよ、テメーが提案してきたことだろ。
「帰るぞ」
簡潔に用件だけを告げれば周囲がざわつく、変な事は言っていない筈なのになんだこの反応は、と思い桜木の方を見れば、取り巻きが「夢が叶って良かったじゃねえか」と持て囃し、当人は「これはノーカン!」と叫んでいた。
「なに、夢って」
早く帰りてーから先を促せば、洋平って言われてた奴が「あいつな、好きな子と登下校するのが夢だったからなぁ。相手が流川だってこと揶揄われてんだ、まあ男のロマンってヤツを分かってくれ」と肩を叩かれた。正直、そういうの、よく分かんねえけど、ちょっと嫌がる桜木の顔が見れんのは気持ちいいなと思った。オレを待たせていることに気付いた桜木は一頻り周囲に叫び散らかした後に大人しく駐輪場までついてきた。そのままチャリを引きながら桜木の家まで向かう。
「バスケしてーな」
「身体動かさねえ日が来るとは思わなかった」
「ずっとバスケしてんだもんな、オメー」
「ん」
気が付いたらボール触ってたし、上手くなることは当たり前で、自分を追い詰めていく事で余分を削ぎ落して生きてきた。疲れたら眠って、そんでまたボールと向き合った。こんなに長くバスケ禁止令を出されるとは赤点とはかくも恐ろしき。
「オレも今は、テメーと同じ気分」
桜木は言葉を飾らない。人を馬鹿にする時も褒める時も、自分の気持ちに対しても真っ直ぐだ。オレも別に言葉は選ばない。選ぶほどに浮かばないし、それでいいと思っている。
「オメーが下手だと、チームが弱くなる」
だからこれも純粋にそう思って放った言葉だ。反論が来るだろうな思ったので煩さを避けようと心構えをしていたら、存外それは桜木に響いたようで。
「うん、だからさ、早く元に戻って、元を越えて、オレは強くなんねえと」
そんな自己暗示のような沈んだ顔を見せる。桜木は脆いワケじゃねえ、でも、しっかりと現実を知っている。現実をみてしまう自分を知っている。テンサイとか、そういうのは誇張だと思うけれどコイツなりの虚勢だと思うと途端にオレの中の奇妙な気持ちが溢れる。オメーはそんなこと言わなくても頑張ってる。なんて、言いかけてやめた。調子に乗らせたいワケじゃない、それでもしっかりと認めていることを伝えたかった。
「来年。優勝すりゃいいじゃん、全国」
すると輝かしい笑顔で「そうだな!」と笑う口許が、目に焼き付く。ああ、雑念だ。息が詰まる。そのまま、なんとなく桜木の顔を見ていた。ぼんやりと、好きな子と登下校をしたいらしい、という情報を頭ン中で思い出して。この微笑みを忌憚なく向けられる存在が将来出来るんだろうなって感じると服をむしゃくしゃに握りしめたくなる。
「茶、買うからコンビニどこ」
自分の詰まる息を振り払うように、訊ねれば「こっち」とオレの家の最寄りと同じ系列のコンビニエンスストアに案内される。七時に開いて、二十三時に閉まるその店は、同じ名前のクセにオレの家の近くとは品揃えがちょっと違っていて探し物に戸惑った。
「スポドリと茶欲しいんだけど」
「ここ、それバラバラに置いてある。茶はおかずコーナーの近くで、スポドリはお菓子の方」
「分かった」
ドリンクは全部同じ箇所に置いてあるもんだと思っていたから、妙な分け方に混乱する。つーか、桜木は場所を暗記してんのかな。それくらいに通っているのだろうと思うと見る目も変わる。よく、アイツが来る場所。そう思うと、変化を許容できるのはなんでだろうか、首を傾げるけれど、答えは出ないのが、擽られている気分だ。吐き出したら、きっと汚い色をしている。オレが飲み物を買っている間に桜木もなんか買い物をしたらしく、二人でまた店を出る。
「あのさ」
「なんだよ、ルカワ」
「好きな子と登下校したら、今みたいなこともしたいの」
ポカンとした表情を浮かべた後に、顔を朱に染めて、大きな体躯に見合わない程に小さな声で桜木は呟く。
「……考えたこと、ねえ」
「へえ」
「つーか、なんでキツネがそれ知ってんだ! 馬鹿にすんなよ!」
バカにする意図は一切ない。ジッと目を見て、頷けば「分かりゃいいんだよ」と自己完結しやがる。夢って、描けねえものなんだろうか。やりたいことって羅列していけばハッキリすんじゃないの。でもオレも桜木に対する気持ちは明文化出来ていないから、きっと似たところにその感情の終着点はあるのだろう。
「狭ェけど文句言うなよ」
ひとつのアパートの前に辿り着くと、桜木は予防線のように今更な言葉を並べる。別に部屋の大きさなんてどうでも良い。チャリ止めて、鍵を開けて「どーぞ」と導かれた名札に桜木と書かれた部屋は玄関の段差も殆どない。間違えて土足で入りそうになって慌てて靴を脱いで並べた。
「なんか、そういうの見ると育ちが良いって感じするな」
「普通だろ」
「他人の家に行く時はオレも気にするけど、オレのツレ達はバラバラにするから帰る時に違うヤツの靴履いてる時もある」
「ただのバカだろ」
別に桜木の周りを批判するつもりはないが、なまじ自分の足がデカいばかりに履き間違えに関しては嘘だろと思ってしまう。
「ぬ、まあバカだが……オメーもバカじゃん」
「オレは寝てるだけ」
「じゃあマヌケだ」
「うるせー、起きてて出来ねえより良いだろうが」
厳密にいえば、別に起きてても勉強は出来る気がしないが、分かれば分かる。それだけ。だが、桜木はなんか言い負かされてしまったのか、グッと押し黙ってしまった。部屋の奥まで案内されると平たいテーブルの傍に荷物を降ろしていたので、真似て横に鞄を置いた。
「茶、冷やす?」
「茶は飲む、スポドリ冷やしたい」
「冷蔵庫入れっから貸せ」
そう言えば、他人の家にお世話になるのは赤木元キャプテンの家ぶりだ。なんのめぐり合わせでコイツの家に来ることになったのだろうと考えなおしてみると、二人ともバスケしかみてねえ馬鹿だった、というおもしれー確率で胸中だけで笑った。ウチにある家族用の冷蔵庫とは全然大きさの違う、本当に一人の為だけの冷蔵庫にスポドリが収まる。なんとなくぼうっとその光景を見ていた、思ったよりも食材が詰まっていて生活感を覚えてしまったのが、ゾクゾクした。此処に、住んでいる、桜木が、一人で。するとこの部屋の見方も変わって来る。適当に部屋の隅にまとめられた布団は、今朝まで桜木が寝ていた証で。夜な夜な、此処でアイツ、独りぼっちなんだ。人に囲まれた、華やかなアイツしか知らないからこそ、ポツンとこの世の中に残された桜木を思うと胸が気持ち悪くなる。その背に声を掛けても、きっと罵声しか返って来ない存在が、オレなんだ。だが、そんな纏わりつくような嫌気は勉強で吹っ飛んだ。復習なんて、あんまりしたことねえけど、教科書のノンブルに丸が付けられていてテスト範囲だけ辛うじて分かった。だから二人で分担して暗記の問題は一問一答。記述問題は首を捻りながらドリルから似た問題を探して一緒に解いた。驚くほどに全然分からなくて、二人で問題文に文句とか言ったけど、根性だけで刷り込み学習をしていく。外が夕暮れになって行く頃合いに、桜木が「一旦休憩!」と立ち上がる。オレも、もう文字なんか見たくねえ、バスケだけしてえ、と思いつつ畳の上に横になる。部屋干ししてある桜木の服が見えて、下着の柄まで派手なヤツとか、そんな事を思ったんだと思う。するとキッチンの方から包丁の規則正しい音が聞こえてきて、それを子守歌に眠りについた。なんだか、とてもいい夢が見れそうな気がした。