努力と応援 もしかしたら居るのではないかと思って覗いた図書館の奥の調査スペースにやはりスグリは居た。机に大量の本を置き、さながら砦のようになったその隙間から、頭を掻きむしる小さな手と後頭部で結え飛び出した髪の毛が見えた。表情こそ本に隠されて見えなかったが、きっといつも通りに苦しい顔をしているのだろう。
林間学校から帰ってきてから、格好も雰囲気も全てが変わった彼は、彼の同級生であるアカマツを下し、ネリネを下した。しかし、それは彼自身の体や心を削り犠牲にした代償にしか見えなかった。なぜそうまで焦って、無理をするのか、自分にはわからなかった。
ふと視線を下にやると、椅子の横で蜜リンゴの手持ちがまた小さな体でぴょんぴょんと跳ねていた。頭から出た緑色の棒のような部分を時折揺らし、スグリは足元なんて見てもいないのに、その目は主人のことだけを見ていて、きっと彼らの生き物としての勘からすればこちらの存在にも気付いているはずなのに、一顧だにともされなかった。
最初は、自分と同じく主人を心配しているのだろうと、手持ちに心配をさせるスグリに対する義憤に自分の感情をも重ねて混ぜ込み、やるせない思いを抱いたりしていた。しかし、その回数が増えると、もしかしたら違ったのかもしれない、と思い始めた。
自分は、ドラゴンを専門にしている。かの蜜リンゴの系統はたまたま育てたことは無かったが、これまでの総合的な経験から、なんとなく、その波長も理解できるようになってきていた。
彼は、応援しているのだ。心配していないと言うつもりはない。しかし、彼は、主人を応援し、共に強くなりたがっていた。
彼らは学園のチャンピオンになりたいのだろうか。チャンピオンになって部長になっても、自分の感覚からすれば特に良いことは無い。ただ、林間学校前の精神性の延長線上に今もスグリがあるならば、きっとチャンピオンになることは自信になるだろうし、現実的に将来とか社会とか就職とか、そう言ったことを考えても、良いことなのかもしれなかった。かの蜜リンゴの手持ちは、主人の目的が何か知っているのだろうか。
自分にはできない一心不乱の努力を見せつけられるのは、本心から心配であったが、それと同時に、羨望あるいは嫉妬、羨ましくて、眩しくて、心配しているという理由――それももちろん本心であるが――を使って引き摺り下ろして自分と同じにしてやりたいという汚い願望も自分の中に存在した。
だから、それは、一時そんな自分の醜い気持ちと、勝手に一緒にしてしまった蜜リンゴに対する贖罪でもあった。
「チャンピオンのカキツバタさんが科学部に来るなんて! 我が科学部の合金研究に協力、いや、共同研究をしてもらえるということですか⁈」
「いや、そいつはまたいつかってことで。今日は、新しいわざマシンの開発を相談したくてねぃ」
ではまずそのわざを見せていただければ、と科学部員は自信のある顔で言った。話を聞きつけ、機器の裏側やらどこかからぞろぞろと部員が集まってくる。空のディスクを既に持ってきている者もいる。
「いやー、それが、まだわざになっていねぇのよ」
「わざになっていない? 新わざということですか? だとしても通常、仮に名前が付いていなくても既にわざという扱いにはなると思うのですが」
「そういうわけでもなくてねぃ……」
スグリをえこ贔屓していると思われるわけにはいかないので、ドラゴン専門のオイラの独自研究の一環で、とはっきり前置きしてから、手持ち本人がわざと認識してすらいない行動を、わざに昇格させてみたいのだ、と語った。事例の詳細を語る間、チラチラと椅子を見ても最後まで椅子を勧めて貰えず、興味津々の部員たちに囲まれての立ち話となったのは、科学部に来てしまった以上仕方のないことだ。
自分はその「わざ」の性質と行動様式の一般化、つまり、他の手持ちが覚える場合、体が違う彼らは同じ動作はできないから、共通すべき特徴は何なのかを分析し、何がそのわざの本質となるかを研究した。研究という名目もあり、堂々とスグリと蜜リンゴの様子を見に行って、観察した。いつも通りに休んだらどうか等と声を掛けるとスグリはうざがったが、蜜リンゴの研究をさせてくれと言った途端に態度が軟化した。射抜くような目がこちらを捉え、その代わりにカキツバタの手持ちも見せて、と言うので、それも快諾した。こんなところに籠って対策に悩んでもらうより、ドームの気持ちの良い空気の下でのんびりと手持ちを見せられるならば、これほどありがたいことはないと思った。そもそもいずれ彼が自分に勝ってくれることが前提なのだから。実際には、のんびりサンドウィッチを食べながら手持ちを見せて、とは行かず、ギラついた目の彼に質問を浴びせ続けられこちらがぐったりしてしまったが。
「ついに新チャンピオン誕生かぁ! おめでとさん」
どんな相手でも捕まえられる究極のボールを渡しながら、そう言って祝福したのに、彼は予想に反して大して嬉しそうではなかった。
「こいつはオイラ特製のわざマシン! お前さんの手持ち見て研究してたやつだぜぃ。ぜひ使ってみてくれぃ」
しかし、そのわざマシンのことは、目を見開いて受け取ってくれて、そこに少しだけかつてのキラキラした表情が垣間見えて、作って良かったと心底思ったのだ。その場で早速使われた蜜リンゴが、ハッとしたような顔をして、それを「わざ」として認識したとわかった。おそらく大丈夫だろうと思っていたが、研究の成功は嬉しかった。
久しぶりに、自分は努力をした。努力も悪くないかもしれないと少しだけ思ったし、これで新たなチャンピオンを祝い、自信を持ったスグリがかつてのように戻ってくれれば、めでたしめでたしだと思った。
蜜リンゴが、わざを使う。そして、予想もしていなかったことだが、進化して。
しかしきっと喜び満足してくれると思ったスグリは、これでもっと強くなれる、と、暗い目のまま呟いたのだ。