幸せな庭机の上に広げっぱなしのお菓子をゼイユの弟が美味しそうに食べる。食べ放題だから部室に来たら遠慮せずに食えよ、なんて声を掛けると、キラキラとしていた瞳を更に輝かせる。しかしすぐその瞳を少しだけ惑わせて、けれども喜びを秘めたまま、でもカキツバタ先輩のものなんじゃ、と心配そうに言う彼に、良いってことよ、と笑いかける。オイラどんどん新しいの買っちまうからねぃ、食べてもらわないと消費が追いつかないのよ、などと適当なことを言って、箱からもう一掴み押し付ける。ありがとうございます、と言う彼の、その笑顔。
後輩の面倒を見るのは元々好きだった。右も左もわからない後輩に色々親切に案内して、案内しながら自分のテリトリーに引き込んで、そのまま楽しく一緒に過ごすのだ。親切に対して邪険を返す人間は少ないし、ましてや、それが実質チャンピオンである学園最強の四天王相手となれば、それなりの敬意と配慮も勝手に付いてきて、楽しくないことなんて滅多に起こらなかった。もちろん、細々とした、主に自分のウッカリや怠惰に起因した面倒ごとはあったにはあったが、どちらかというと面倒を被っていたのは後輩達の方だったし、困っている後輩達は申し訳なくも、そこもかわいいものだった。
最初はおずおずと、自分の見ている前でだけ、しかも断りを入れてからお菓子を食べていたスグリも、何度も勝手に食べていいぜぃと繰り返しているうちに、勝手に食べてくれるようになっていた。つい先程まで楽しそうに勝負をしていたスグリが、顔を火照らせたままに部室に戻ってきて、椅子に腰掛け、ためらいなくお菓子の封を開けながら、どの技がカッコよかっただとか、こうするといいのかもだとかをアカマツや他の部員達と話す光景は、自分に強い満足感をもたらした。
もし、自分の世界、自分でデザインした庭の水入れに綺麗な小鳥が留まって、餌箱をつつき、小鳥同士が仲良くなって、さらに自分にも懐いてくれるとしたら、それを嬉しく思い、幸せにならない人間がいるだろうか。
だから、いつもテーブルの上にはお菓子をたくさん置いておいたし、減ったそれを補充することすら楽しく、幸せだった。
そんな日々は、他ならぬ小鳥自身が暴れることで壊れてしまった。小鳥は暴れ、そんな小鳥のいる庭に他の鳥も寄り付かなくなってくる。
小鳥に対して腹が立った。思い通りにならない小鳥に苛立った。自分にとって、部活は「自分の」庭、小鳥は「自分の」小鳥だった。自分の庭を壊す小鳥。他の鳥を追い出す小鳥。綺麗な羽を泥に塗れさせ勝手にぼろぼろになる小鳥。
そんなことは許さないと、小鳥を叱りつけようとしたところ、小鳥は反撃をしてきた。小鳥にとっても庭は「自分の」庭だった。小鳥にとって、自分は庭の管理人でも小鳥の飼い主でもなく、ただ居着いた古い鳥の一羽にすぎないのかもしれなかった。
お菓子はそれでも減っていた。
一度、他の部員が食べているのを見て、スグリが食べて減ったわけではなかったのかと、自分でも驚くくらいに落胆した。しかしその後、自分の前で、仕事をしろと罵りながらも、スグリが自然な動作でお菓子を頬張るのを見たその瞬間、心があまりに満たされてしまった。それだけでも、確かに幸せを感じてしまったのだ。
スグリに対する愛憎は、本人不在の一方的な思いのまま募っていった。ただし、それは構造的には最初から変わっていなかった。スグリはお菓子を食べてくれるが、こちらのために食べているわけではなく、ただ、食べたいから食べているだけだった。今もなお食べてくれるのも、スグリにとってそれが特別な意味を持っているわけではないことを暗に示していた。ずっと居心地の良かった部活の居心地が悪くなってしまったと苛立ったところで、スグリにとっては、おそらくずっとという程の思い出があるわけでもなく、一方で壊してやろうなんて悪意があるわけでもなく、彼からすれば、ただ強くなろうとしているだけにすぎず、そしてそれは学校の方針とも、少なくとも建前上は合致していた。自分の思い通りの部活に戻そうとするには力あるいは大義名分がもう少しだけ足りず、そのもどかしさと、それでも自分の思い通りにスグリが手元に居続ける所有感に頭の中が乱れていった。
柄でもなく、あの時の幸せを取り戻すために奔走した。
その結果として味わった、庭が残って小鳥がいなくなってしまったことによる、どうしようもない寂しさに無力感、自分に対する失望は、心に深く穴を開けた。
小鳥にとって、ここが「自分の」庭ではなくなってしまった。形式上、言葉の上では確かにそれを望んだはずなのに、それは自分の望みとは全く形が異なっていた。この庭は小鳥の帰る庭であってほしかった。小鳥は自分のものであってほしかった。
この気持ちを一生引きずるのかもだなんて考えてから、感傷に浸る自らにもう一度失望した。心の底で、こんなことがあったのだから、もう2、3年留年してしまおうかと、それすら怠惰の理由にしようとする自分を自覚し、呆れたからだ。
勢いのあった若い小鳥はその羽が傷ついたままいなくなり、古い鳥が怠惰に居座るその庭は、果たして誰かを幸せにする庭なのか、自信はなかった。
お菓子は減らなかった。
以前食べていた部員に、食べないかと言うと、彼は遠慮がちに一つだけ取った。
だからこそ、小鳥が戻ってきてくれたときの喜びは、筆舌に尽くし難いものだった。小鳥が元気になったことも嬉しかったが、単純に小鳥が戻ってくれて、自分自身が嬉しかった。自分の近くに彼がいる、この時間が再び訪れた、ただそのことが。
本当は満足しなければいけない。
鳥たちが思い思いにさえずりながらお菓子を啄み、そして巣立っていく、皆の庭に。
庭も小鳥も、決して自分のものではないのだから。
スグリはお菓子を食べていた。
テーブルの上のゴミには自分が置いたお菓子の包装もあれば、知らない包装もあった。部室に遅れてやってきたこちらに気づいたスグリは、知らないお菓子の箱からお菓子を一つ取り出した。
「カキツバタも、あげる」
受け取ると、スグリは吹き出すように笑った。
「そんなにお菓子さ欲しかった? ふふ、すごい笑顔」
カキツバタも勝手に食べていいからな、と続ける彼の前で早速もう一個お菓子を取る。スグリの中にいつか自分と同じ気持ちが芽生えないかと願いながら。