【Sleeping Beauty of Blood】
冗談めいた音程で吐露された本音はしかし、実の所酷く辟易していた。
「意識障害…?」
食堂での邂逅に今朝の澄野は幾らか安堵の表情を浮かべて、良い医者でも見つけたと言いたげだった。千手観音の有難いブレックファストに肖り作業めいた咀嚼を繰り返しながらの単刀直入。
「ああ、どうもそうみたいなんだ。お前なら何か良い薬でも知ってると思って」
「意識障害に効く薬は無いしキミの場合心療内科の方面だろう。先ずは問診からだね…といっても今の状況なら誰だって病の一つや二つ抱えたくもなるだろうけど」
百日の防衛戦に加えての連続殺人、犯人は未だ行方不明、対策を講じる術もない。齢十七に課せるにはあまりにも酷なシチュエーションばかり。過去から戻ったと謂う澄野も精神は強く持てど躰は正直だった。面影はふむ、と顎をさすりここ数日の記憶を手繰る。傍目にはさして変わりないように見えるが全く気にならなかったと言えば嘘になる。覚えがあるのだ。少人数の班に分かれて熟す学園生活。数日前に澄野と組んだ九十九兄妹がたった数刻の間に二つの異なる場所で澄野を見かけたと騒いでいたのだ。当の本人が其れを全く覚えていなかったと言うのも聞いている。件の話題を今一度澄野に振ってみたが結果は同じだった。
「確かに数時間の記憶が曖昧になってるみたいだね。殺人鬼の行方も判らない今、キミをそのままにしておくのは危険だ」
「だろうな…正直お前しか頼れない」
「随分と参ってるね。私の職業をお忘れかい?」
「イカれた殺人衝動を持ってるイカれた殺し屋だ」
「お殺凄い、意識障害は完治かな」
「茶化さないでくれ」
皿のソースまでをパンの欠片で拭って片付け、与太も程々に本題へ入る。
「意識が混濁するきっかけは言わずもがなだろうけど、実際その症状が発症する前に気になったりした事は?」
澄野は逡巡の為に刹那黙し、其れから。
「………居眠り」
「居眠り?」
何処か確信めいた音程を訝しむ。
「今馬と過子に詰められたあの日…そうだ、オレは工作技術室に一人でいたんだけど急に眠たくなって、うたた寝…みたいな。でも結局寝てなかったんだろ、あいつらは丁度その時オレとすれ違ってるらしいし…」
「なるほど…夢遊病などの睡眠障害も視野に入れておこうか」
思いつく症例を述べつつ何故か面影は妙なざわつきを覚えていた。腑を逆撫ででもされたような違和感は殺し屋の勘とも謂える。だが否定をする為の根拠はなく、一先ずは患者の証言を訊くに留めた。
食堂には其の後も数人の出入りがあったが最低限の会話があるのみで活気はなく、面影が漸く診断を下した頃には余人の気配はすっかり消えていた。澄野は幾らか瞼が落ちて睡魔に浚われているようだ。
「さて、随分と長丁場になってしまったね…取り敢えずは睡眠障害の線と見て眠りの質を上げる薬を見繕うよ。後で部屋に届けてあげるからキミは二度寝でもしてくるといい」
「悪いな、助かる…」
「カワイイ眠り姫からのお願いとあらばお安い御用さ」
立ち上がりふらつく爪先を見送る。其の足音を聞きながら面影はもう一度腹の据わりの悪さを覚えた。職業柄他人の音には敏感である。幾日注視していれば若干名の全校生徒の足音は容易く把握出来る。だが今澄野からしている跫音はまるで他人の、あろうことか女性の足運びに酷く似ていた。
自室に向かう足取りは軽(かろ)く。横顔は上機嫌。日光を忘れた廊下(暗がり)を歩く眦は血の様な紅を映して。
「眠り姫ったら、ふふ…まったく言い当て妙な王子様ね」