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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    ツルの恩返し 中美鶴が鍜冶屋敷にやってきて三週間ほど経ったある日の昼過ぎ。普段は殆ど鍛冶場にはいかない美鶴だったが、その日ばかりはどうも様子が気になった。鍛冶場から怒鳴り声が聞こえるのだ。それも鷹山のものではない。美鶴は干していた布団を取り込んで縁側に置くと、早足で鍛冶場へ向かった。

    美鶴が鍛冶場の中を覗くと、鷹山の他に中年の男が二人腰を下ろしていた。一人は沢に落ちたかのように汗で全身がびしょ濡れで、大きく開けた額及び頭頂は顔が写りそうなほど照り輝いている。だらしなく垂れ下がった贅肉は言葉を発する度にぶるぶると揺れている。もう一人はその男の付き人だろうか。小柄でやせ細っており、サイズの合わない四角いメガネは何度直してもずり落ちている。困り顔をしながら右手に持った団扇で男を扇ぎ、左手に持ったハンカチで男の汗を拭っている。美鶴は前者に見覚えがあった。男は評論家で鑑定士の蓮橋馳二(はすはし はせじ)だった。蓮橋は若い頃は美男鑑定士として骨董品鑑定番組にレギュラー出演し、業界で有名な存在だった。しかし四十を過ぎる頃から美男とは程遠い見た目になっていき、今ではヤラセ鑑定だのパパ活疑惑だので黒い噂が絶えない。三大ハラスメントの大量製造機で、テレビ局からも有名人達からも煙たがられている。そんな人物が何故ここにいるのか、美鶴はさらに気になって中を覗き続けた。

    「ま、全くッ、どうなってるんだ!町から距離はそんなに遠くないと言っていただろう!」
    蓮橋が息を切らしながら付き人の男を怒鳴りつけた。その拍子にまた汗がどっと吹き出る。付き人の男は懐からもう一枚ハンカチを取り出し、蓮橋の汗を拭いながら弱々しく口を開いた。
    「距離はそれほど無いんですが、少々標高が高いのと車の通れる道が無いので仕方ないと言うか…」
    「それを先に言えッ!」
    蓮橋は拳を振り回してさらに付き人の男を怒鳴りつけた。付き人の男は困り顔をしながらも慣れた手つきで汗を拭き続けた。
    「ええ、ですがしかし、距離を言えと言ったのは旦那様で…」
    「そのぐらい察しないか!この役立たずめ!!」

    一方鷹山は蓮橋が来ているのに目もくれず鍛冶場の奥で道具の手入れをしていた。挨拶どころか目も合わせようとしない鷹山に怒りを覚えた蓮橋は、今度は鷹山に向かって怒鳴り始めた。
    「おい!客が来ているというのに挨拶もしないとはどういうことだね!?」
    「………何の用だ。」
    鷹山は視線も動かさず手も止めないまま低い声で答えた。美鶴はそれだけで鷹山が苛立っていることに気付いた。鷹山は無愛想だが他人をそんな風に無碍にしたりはしない。
    「何の用だって?私がこんな辺鄙なところにやってきたのは他でもない!君の作ったとかいう包丁、肉を少し切っただけなのに欠けてしまったんだが、一体どういうことなんだ!」

    美鶴は全てを理解した。多方蓮橋は自分が評論家・鑑定士として格が落ちてきたことを悟って、今業界で特に評価されているの若手刀工の過ちをでっち上げ、指摘することで再び地位を得ようという安易な考えでやって来たのだろう。しかし美鶴は思った。鷹山の包丁がそう簡単に欠けるわけがない。鷹山の実力を知っている人間なら当然分かることだ。美鶴は呆れ返って眉間に皺を寄せた。
    しかし、それまで苛立ちと呆れに満ちていた鷹山の表情が変わった。視線をしかと蓮橋に向け、片手を突き出した。
    「見せろ。」
    「何をだね?」
    「包丁。」
    鷹山は自分を過大評価することも過小評価することもない。故にたとえ自分の作ったものに確信を持っていても指摘されたならそれをしかと見定め、認めれば改める。美鶴は鷹山に非は無いと分かっていながらも、自分にも相手にも誠実な鷹山の姿に胸を打たれ、引き続き様子を見ることにした。しかし蓮橋は、そんな鷹山を嘲弄し肩を竦めた。

    「あんなもの、使い物にならなくなったからもう捨てたよ。」

    鷹山の顔が微かに強ばった。美鶴は鷹山の表情の変化に気付き目を見張った。しかし気付かない蓮橋はさらに続ける。
    「最年少の刀工だかなんだか知らないが、若造が調子に乗るなよ!あんな不良品を世に出すような弟子を一人前と認めるなど、陸鳶翔も随分落ちぶれたものだな!」
    その瞬間鷹山の眉がぴくりと動いた。
    「……なんだと…?」
    鍛冶場の空気が明らかに変わったことを察知した美鶴はすぐさま二人の間に割って入った。
    「これはこれは蓮橋先生!こんなところでお会いできるなんて、光栄でございます。」
    「なんだ?今私は忙しいんだ!」
    「評論家で鑑定士の蓮橋先生でいらっしゃいますよね?先生のお仕事、いつも興味深く拝見させて頂いております。」
    そう言って美鶴はにこりと笑った。それは鷹山に向けるものとは違ってよそ行きの作り笑顔だったが、蓮橋を虜にするには十分だった。蓮橋は美鶴の美しい顔を見るなり少したじろいだ。
    「き、君はなんだね?」
    「こちらの鍜冶屋敷の使用人でございます。私、芸術品や骨董品に少々興味がありまして、先生のこともよく存じ上げております。」
    美鶴がそう言うと蓮橋は少し機嫌を持ち直した様子で眉を動かした。
    「ふ、ふん!少しは礼儀の分かるやつがいるじゃないか!」
    「先程耳に入ってしまったのですが、こちらの陸鷹山が打った包丁が不良品であったとか…」
    「そ、そうだ!肉もろくに切れん包丁なんぞ作りおって!」

    「お言葉ですが先生、私が思うにそんなことは有り得ません。」
    「は?」

    当然美鶴が謝罪してくると思っていた蓮橋はその発言に顔を強ばらせた。付き人の男も目を丸くした。鷹山も美鶴がそんなことを言うとは思っておらず、少し驚いた様子だった。
    「陸鷹山の処女作である一振は実に見事でした。刃渡り二十五寸と打刀にしては少々長くも反りはやや浅く、刃文は美しい波を思わせる互の目で切先は一文字返り。刃だけでなく柄も素晴らしかった。木種は梓、糸巻きでなく革巻きというのが、柄に彫られた鷹とよく合っていてとても印象的でした。世に出た当時は業界で凄まじい注目を集めて、名のある鑑定士や評論家、居合いの名手に絶賛されていました。先生もよくご存知でしょう?」
    美鶴の語りようにその場にいた他の三人は唖然とした。特に鷹山は美鶴が自分の刀をそこまで見ていたとは知りもしなかった。ただ鍛冶場の礼儀を少し知っているだけの全くの素人だと思っていた。美鶴は驚く三人をよそに話を続けた。
    「そんな彼が打った包丁が肉を切っただけで欠けるなど有り得ません。もし本当に欠けてしまったのだとしたら、その包丁を扱った料理人の問題でしょう。」
    その言葉は蓮橋の地雷を踏み抜いた。蓮橋は美鶴を指差しながら声を荒あげた。
    「黙って聞いていれば…口を慎みたまえ!この私を侮辱する気か!」
    「なんと!料理をなさったのは先生ご自身でございましたか!それは失礼致しました。肉を切っただけで、それも陸鷹山の包丁を欠けさせるなど、余程の料理下手か人ならざる怪力の持ち主かと…。とても先生にそのような腕力がおありのようには見えませんし、まさか先生ともあろうお方が包丁の使い方もご存知でないとはつゆ知らず…」
    美鶴はわざとらしく驚いて見せた。蓮橋への煽りこうかはばつぐんだ蓮橋は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
    「いい加減にしろ!使用人の分際で偉そうに、恥を知れ!!不良品の包丁の件も含め、使用人の無礼も世間に公表させてもらうぞ!!」
    「私の無礼はともかく、包丁の件は承知致しかねます。実際に欠けた包丁を我々が見たわけでもございませんし…」
    「私を疑う気か!?この若造共が、調子に乗るのも大概にしろ!!」
    「調子に乗ってなどおりません。ただ純粋に有り得ないと申し上げているのです。」
    「ほう…!なら有り得ないという証拠でもあるんだろうな…!?」

    「ええ。…もしご理解頂けないようなら、今ここで陸鷹山の包丁で私の腕を切り落として見せても構いませんよ。」

    その言葉に美鶴以外の三人は驚愕した。
    美鶴は近くにあった出荷前の包丁を一つ手に取り、容赦なく刃を腕に押し当てた。白い腕の腹に一筋の鮮やかな赤い線ができた。

    「なっ…!?」

    「人間の腕ならそこらの肉より強度はあるでしょう。もし私の腕を切り落としたあとに包丁が欠けていなければ、包丁の問題ではないとご理解頂けますでしょうか?」

    「何を言ってるんだ君は!?私を馬鹿にして面白いか!?」

    「私は本気です。陸鷹山の名誉に比べれば私の腕の一本など安いものです。…さあ、私は構いませんがどうされますか?」

    美鶴はさらに刃を内側に切りすすめた。みるみるうちに赤が増えていく。しかし美鶴の表情は酷く落ち着いていて、苦痛のひとつも滲んでいない。それどころか、いつも台所で胡瓜や茄子を切るかのように、今にも本当に腕を切断してしまいそうだった。美鶴の強い視線を真っ直ぐ向けられて、蓮橋は言葉を失い立ち尽くした。そして暫くしてから拳を強く握ると、鍛冶場の戸にバンと打ち付けた。
    「っ…狂っている…!!貴様はとても正気とは思えん!!話にならん!!帰る!!」
    蓮橋はそう言って勢いよく踵を返し足早に外へ出ていった。付き人の男はまだ唖然として立ち尽くしていたが、蓮橋の怒鳴り声を聞いて逃げるように鍛冶場を後にした。

    男たちの気配が遠のいていくと、美鶴はふぅと息をついた。蓮橋にそんな影響力は無いため、何を言われようと気にすることもないが、鷹山を馬鹿にされてつい頭に血が昇ってしまった。
    包丁についた赤を拭き取ると、美鶴は未だ驚いた顔で立ち尽くしている鷹山に言った。
    「大切な包丁を勝手に使ってしまってごめんなさい。こちらは僕が買い取りますね。」
    美鶴はいつもの花のような笑顔を鷹山に向けた。そんな美鶴を見て、鷹山は感じたことの無いやるせない気持ちになった。
    「…そんなこと、しなくてもいい。」
    鷹山はすぐに頭に巻いていた手ぬぐいを取って美鶴の傷付いた腕に巻き始めた。
    「ようちゃん!手ぬぐいが汚れてしまいますよ!」
    美鶴は驚いて手ぬぐいを取ろうとした。鷹山は美鶴の抵抗を軽くいなして手ぬぐいを巻き続けた。

    「手ぬぐいなんかいくらでもある。お前の腕はこの二本だけだろう。」

    鷹山がそう言うと、美鶴は驚いたように鷹山を見つめた。そして抵抗をやめ、鷹山の手に視線を落とした。

    「……ようちゃんはやっぱり、優しいですね。」

    そう言いながら頬を赤らめて微笑む美鶴を見て、鷹山は胸の辺りがきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
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    ue_no_yuka

    DONE奥原氏物語 前編

    ようみつシリーズ番外編。花雫家の先祖の話。平安末期過去編。皆さんの理解の程度と需要によっては書きますと言いましたが、現時点で唯一の読者まつおさんが是非読みたいと言ってくださったので書きました。いらない人は読まなくていいです。
    月と鶺鴒 いつか罰が当たるだろう。そう思いながら少女は生きていた。

    四人兄弟の三番目に生まれ、兄のように家を守る必要も無く、姉のように十で厄介払いのように嫁に出されることもなく、末の子のように食い扶持を減らすために川に捨てられることもなかった。ただ農民の子らしく農業に勤しみ、家族の団欒で適当に笑って過ごしていればそれでよかった。あとは、薪を拾いに山に行ったついでに、水を汲みに井戸に行ったついでに、洗濯を干したついでに、その辺の地面にその辺に落ちていた木の棒で絵が描ければそれで満足だった。自分だけこんなに楽に生きていて、いつか罰が当たるだろう。そう思いながら少女は生きていた。

    少女が十二の頃、大飢饉が起こり家族は皆死に絶えたが、少女一人だけが生き長らえた。しかし、やがて僅かな食べ物もつき、追い打ちをかけるように大寒波がやってきた。ここまで生き残り、飢えに苦しんだ時間が単楽的なこの人生への罰だったのだ。だがそれももういいだろう。少女はそう思い、冬の冷たい川に身を投げた。
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