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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    拾弐

    スズメの千声ツルの一声 上 薄らと瞼を開けると、そこは薄暗い水の中だった。地面見えず、空も見えない。ただ濁流の中で押し流されるような感覚だけ。手を伸ばしても何も掴めない。

    さむい……くらい……いたいよ……
    …たすけて……かあさん…

    濁流の中から光が差し込んだ。光の方へ手を伸ばす。そのまま辺りは光に包まれた。光の中に微かに人影があった。それはこちらを向いて微笑んでいるようだった。

    『ようちゃん』

    ……だれ?

    『ようちゃん、ずっと一緒ですよ』

    ずっといっしょ…?ほんと…?

    人影はこちらに向かって手を差し出した。その手を掴もうと伸ばした手は空を切った。気付けばそこは何も見えない真っ暗な闇の中だった。辺りを見渡しても何も無い。見えるのは一振の刀を握った己の手だけだった。その時、どこからともなく声がした。

    『かわいそうな吾子よ、私が守ってあげよう。』

    誰だ…?

    『こちらへおいで。嫌なことなんて全部忘れてしまえばよい。』

    ……嫌だ。

    『何故。辛いことなど捨ておけばよいのだ。覚えている必要などない。さあこちらへ。』

    …俺は忘れない。もう二度と。そう、あいつと約束した。

    『かわいそうな吾子よ、私は待っている。私は何があろうと、お前を拒まない。』

    気付けば刀を握っていたはずの両手を無数の手が掴んでいて、両手だけでなく身体全体に無数の手が絡みついていた。力強く掴まれていて、振りほどこうとしてもほどけない。手はそのまま闇の中へ引きずり込もうとしているようだった。

    っ…!やめろ…!!離せ…!!!
    俺はもう、忘れたくない……!!!




    「はっ…!?」
    鷹山は自分の寝床で目を覚ました。微かに息が上がっていて、冷や汗が垂れている。どうやら悪夢に魘されていたようだった。しかし、どんな夢を見ていたのかは全くもって思い出せなかった。鷹山は縁側の障子に目をやった。寝る時は板戸をしているので外の様子は見えないが、微かに鳥の囀りが聞こえるので、きっと朝だろうと鷹山は思った。
    「ん…ようちゃん…」
    腕の中で動く気配がした。薄茶色の柔らかい髪が鷹山の鼻をくすぐった。
    「…悪い、起こしたか?」
    「…いえ、丁度起きたところです…」
    鷹山が尋ねると、美鶴は寝起きの顔でにこりと笑って言った。鷹山はまだ眠そうににこにこしている美鶴を抱き寄せて、その髪に顔をうずめた。そうしていると先程見ていた悪夢の不安が和らいでいった。
    「…身体は平気か…?」
    「はい…今日はなんとか…」
    「…すまん。」
    「えへへ、最初はほんとに朝身体動かせなくて驚きましたけど、もうようちゃんのスーパー絶倫にも慣れましたよ…」
    「……すまん…」
    鷹山は美鶴の腰を労わるようにさすった。


    本日は大晦日。この里には県内有数の大きな寺や神社があるため、正月前後は祭りの時のような賑わいを見せる。里に住む人々も例外なく大きな寺神社に詣でるが、元旦の朝には大体地区ごとに近くにある小さい神社に集まってお参りをし、厄祓いをしたり、餅やみかん、酒などを分け合ったりする。
    美鶴はクリスマスで二十三日から二十八日までフィンランドに一時帰国していた。美鶴の帰国後から昨日までに二人は屋敷の大掃除をし、里でもろもろの買い出しや挨拶回りを済ませた。鍛治屋敷は鷹山達が寝食する母屋、刀を打つ鍛冶場、風呂場以外にも周辺に幾つか建物がある。研ぎ師が打ち上がった刀を研ぐ研ぎ場、鍔や兜金などその他の金属部分を作る鍛冶場、柄や鞘などの拵を作る工場、屋敷の裏にある小さな神社。昔、まだ鷹山の師が見習いだった頃は鍛治屋敷にはそれぞれの工程を担う職人が住んでいて、複数人で協力して一振の刀を作っていたのだという。本来日本刀というのは一人で作るものではなく、刀身だけでも最低二人以上で作るのが常識である。そのため、母屋以外にも掃除する場所が多く、正月が終わるまでに掃除が済めば良いと考えていた鷹山だったが、美鶴の有能さたるや。予定していた三分の一以下の時間で全ての場所の掃除が終了したのだった。


    「今日は昼まで用事はないから、ゆっくり起きればいい。」
    「そうですね…」
    美鶴がそう言って鷹山の胸に頬を擦り寄せた瞬間、美鶴の胃袋が元気よく不満を訴えた。美鶴は失礼しましたと言って恥ずかしそうに布団に顔をうずめた。鷹山は小さく笑って言った。
    「何か作る。お前は寝ていろ。」
    鷹山がそう言うと美鶴は勢いよく顔を上げた。その目はきらきらと輝いて鷹山を見つめていた。
    「えぇ〜!ようちゃんの手料理ですか〜!あーー幸せ。生きててよかった。」
    「大袈裟だ…」
    生の喜びに浸っている美鶴に呆れた様子で鷹山が布団から出ようと身体を起こした瞬間、鷹山の部屋の襖が勢いよく開け放たれた。
    「鷹山!帰ったぞ!」
    その人物は満面の笑みで仁王立ちしていたが、鷹山と美鶴の姿を見ると目を見開いて暫く硬直し、静かに襖を閉めた。
    「お楽しみ中大変失礼しましたァ…」
    未だ唖然とする美鶴に対し、鷹山は素早く起き上がって服を着ると、襖を開けてその人物を呼び止めた。
    「っ…師匠!!」
    「えっ!?」



    鷹山と美鶴は急いで布団から出て、服を着て最低限身だしなみを整えた。鷹山は居間の囲炉裏を暖め、美鶴は台所でお茶を用意した。三人で囲炉裏を囲んで座ると、美鶴が淹れたお茶を飲み、茶菓子を食べながらその人物、鷹山の刀の師である陸 鳶翔(くが えんしょう)は、美鶴の顔をまじまじと眺めた。切れ長な瞳に一重瞼、きりりとした細い眉、髪は短く白髪が良い具合に混ざって綺麗な灰色に見える。齢八十を超えているが、言動の若々しさから実年齢より随分若く見える。
    「いや、まさか、美鶴が男だったとはな!」
    笑いながら言う鳶翔に、美鶴もあははと気まずそうに笑った。鷹山は少し驚きつつ呆れたように言った。
    「師匠、女だと思ってたのか。」
    「いやだってなんかふわふわしてたし、自分のこと私って言ってたし…」
    「昔はぽっちゃりしてたので…あと日本語もまだおぼつかず…ってそれより!!ようちゃん!?」
    美鶴は取り乱した様子で手をあわあわと動かした。
    「?なんだ」
    「い、一体どうなっているんですか!?確かお師匠さんは四年前に…!!」
    美鶴の問いに鷹山は明後日の方向を見ながら呆れた表情で答えた。
    「ああ、四年前に何も言わずいきなり姿を消した。だから俺は死んだものと扱っていた。」
    「えぇえ!?!?」
    驚き慌てる美鶴。鳶翔は入れ歯ではない綺麗に揃った歯を見せて笑った。
    「あっはっは!まあ刀工は辞めたしなぁ!死んだようなもんだな!」
    「じゃあ飯は無くていいな。」
    「鷹山もしかして怒ってる?」
    鷹山の辛辣なツッコミに鳶翔はボケたつもりで鷹山の顔を覗き込んだが、鷹山は顔に影を落とし、眉間に皺を寄せて黙り込み、鳶翔を睨みつけた。
    「うわ〜!こりゃマジギレだァ!美鶴たすけてェ!」
    鳶翔はそう言って美鶴の背後に回った。
    「えっ」
    「美鶴、その人そこで押さえてろ。」
    動揺する美鶴を余所に、鷹山は袖を捲し上げて拳を握りしめた。
    「ええっ」
    「え〜ん美鶴ゥ」
    「いい歳して泣き真似するな。気色悪い。」
    美鶴の肩を掴んで隠れようとする鳶翔。立ち上がって鳶翔に向かっていく珍しく口の悪い鷹山。そんな師弟に挟まれて困り果てる美鶴。
    「あ、あのっ、お二人とも喧嘩は…!」
    仲裁しようと美鶴が言ったその時、限界を迎えた美鶴の腹の虫の雄叫びが居間に響き渡った。束の間の沈黙。背後で笑い転げる鳶翔。そっぽを向いて笑いを堪える鷹山。そして、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めて小さく震える美鶴。



    「だから師匠がいなくなってから入った依頼を断るのに苦労したんだ。先方に連絡を取ってみるから再依頼が来た場合はちゃんとやってくれ。…おい、話聞いてるのか。」
    珍しく饒舌な鷹山の話も右から左。鳶翔は魚の佃煮と白ご飯を頬張り、味噌汁を啜って満足気に息をついた。
    「はぁ〜!美鶴のご飯美味いな〜!美鶴、いい嫁さんになったな!」
    鳶翔はそう言って美鶴の頭を撫でた。美鶴は嬉しそうに微笑んだ。
    「お口に合ったようで良かったです。おかわりありますから遠慮なさらず召し上がって下さい。」
    「よっしゃあ!いいなぁ鷹山、俺もこんな嫁が欲しかったなぁ」
    全く自分の話を聞かないどころか美鶴に甘える鳶翔を睨みつけながら、鷹山は味噌汁を啜った。

    食事が終わると鳶翔は、疲れた様子で囲炉裏のそばに横になった。若く見えるとはいえかなりの老体なので、雪の中山道を登ってくるのは堪えたのだろう。鷹山が後片付けをしている間に、美鶴は鷹山の部屋の隣の座敷に布団を敷いて行火を入れ、鳶翔に声をかけた。
    「お師匠さんのお部屋はようちゃんに言われていつもお掃除してたので綺麗ですよ!お布団も干してあるので、ゆっくりなさって下さい。」
    「美鶴」
    余計なことを言うなとばかりに鷹山は美鶴を見たが、美鶴はお構い無しのにこにこ顔で鳶翔の身体を起こした。
    「その前にお風呂に入られますか?」
    「おお!そうだなぁ」
    「では沸かしてきますので、少々お待ち下さいね。」
    「ありがとうよ。」
    美鶴はにこりと微笑んで、風呂場へ向かって行った。鳶翔は囲炉裏の縁に置いていた筒状の茶碗に微かに残ったお茶を煽った。再び茶碗を囲炉裏の縁置こうとすると、洗い物をしていた鷹山がやってきて手を差し出した。鳶翔はありがとうよと言って鷹山に茶碗を渡した。茶碗を洗った鷹山は洗い物を終えて、手ぬぐいで手を拭きながら囲炉裏の側へやってきた。鷹山は無言で鳶翔の隣に胡坐して、水で冷えた手を温めるように囲炉裏に手をかざした。暫く居間に沈黙が流れ、囲炉裏の中で炭の割れる音だけが響いていた。
    「鷹山、心配かけたな。」
    そう言って鳶翔は鷹山の頭を撫でた。鷹山は黙り込んだまま、囲炉裏の中で明々と燃える炭を見ていた。


    鳶翔が風呂からあがって居間に行くと、鷹山がきっちりとした紺色の袴を履いていて、興奮した美鶴に写真を撮られているところだった。鳶翔は手ぬぐいで髪を無造作に掻き回しながら言った。
    「鷹山、袴なんか履いてめかしこんでどうした。」
    美鶴は緩んだ顔のまま鳶翔の方を向いて言った。
    「あ、お師匠さん!お風呂の湯加減どうでしたか?熱くありませんでした?ところで、袴姿のようちゃん世界一かっこいいですよね…!!僕今死んでも生涯に一遍の悔いなしです。」
    「おう!風呂は気持ち良かったぜ!」
    興奮状態の美鶴を難なく受け流して鳶翔は答えた。鷹山はため息をついて、もうおしまいだと美鶴の携帯を取り上げた。美鶴はしゅんとして携帯を受け取った。鷹山はそんな美鶴を横目で見ながら鳶翔に言った。
    「今日はこれから里に降りる。」
    その瞬間、鷹山の言葉に、鳶翔の顔が微かに強ばった。
    「……花雫の家に行くのか?」
    「ああ。」
    「……そうか…」
    「昼過ぎからの予定だったが、さっきあちらから電話があった。婆さんが早く来いと言ってると。」
    鳶翔は暫く黙り込んでいたが、何か思い付いたように顔を上げた。そして、まだしゅんとしている美鶴の方を見て言った。
    「美鶴、お前もついて行けば良いんじゃないか?」
    「えっ、僕が?」
    美鶴は驚いたように自分を指さした。
    「だって鷹山の嫁になんなら、花雫と連中とも親戚になるわけだし、挨拶した方がいいだろ!」
    「えっ…と」
    困惑する美鶴を見て鷹山がすかさず口を開いた。
    「おい、師匠。」
    「いいじゃねぇか男同士だって。このご時世でそんなの気にしてる方が阿呆らしい。」
    鳶翔は鼻で笑いながら言った。しかし鷹山は、そうかもしれんがと言いつつ、どこか不安げだった。
    「…師匠も知ってるだろ。婆さんが…」
    鷹山は下を向いて眉をひそめ、言葉を濁した。美鶴はそんな鷹山に違和感を覚えた。
    「…?」
    「いいから二人で行ってこい、鷹山。…じゃなけれりゃお前がいない間に俺が、美鶴にあんなことやこんなことを〜…」
    鳶翔はさり気なく美鶴の腰に手をまわした。
    「えっ、お師匠さん!?」
    鷹山は驚く美鶴を自分の方に引き寄せ、鳶翔を睨みつけた。鳶翔はからからと笑いながら自室へ入っていった。鳶翔の部屋の襖が閉まるのを見て、鷹山はため息をついた。そして美鶴に向き直った。
    「お前も袴を着なければいけないな。俺が高校生の時のものなら丁度いいか?」
    「えっ、あ、はい!恐らく。」
    鷹山は自室の箪笥から紙に包まれた淡い色の袴を引っ張り出した。紙を開いて取り出し、美鶴の身体に合わせて頷いて、美鶴に手渡した。
    「自分で着られるか?」
    「はい!問題ありません。」
    美鶴はにこりと微笑んだが、鷹山は未だ暗い表情のまま俯いていた。
    「…ようちゃん?」
    美鶴が鷹山の顔を覗き込むと、鷹山は美鶴を見つめ返して言った。
    「……すまない。あちらではなるべく目立たないようにしろ。いいな。」
    「?…はい」
    鷹山は自室へ戻っていき、箪笥から出した他の袴や着物を片付け始めた。美鶴はそんな鷹山の後ろ姿を見ながら、どこか釈然としない気持ちでいた。
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