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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    弐拾

    トビがタカを生む 中 辺りに響く蝉の声。風に吹かれてざわめく木々。頭上でリンと鳴る風鈴の音。はしゃぐ子供達の声。縁側に腰を下ろした男に、女は盆に乗った冷たい麦茶を差し出し微笑んだ。
    「あなた、麦茶はいかが?」
    男はありがとうと言って麦茶の入ったグラスを受け取ると一口飲んで、中庭で遊び回る子供達を眺めながら女に尋ねた。
    「なあ、俺はお前を幸せにしてやれてるか?」
    ざあと音を立てて風が吹き、風鈴がチリンと鳴った。女は目を閉じて微笑んだ。
    「ええもちろん。あなたと娘達のおかげでとても幸せだわ。」
    「そうか…」
    男は中庭に視線を向けたまま麦茶をまた一口飲んだ。
    「あなたは…?あなたは今、幸せ?」
    女は男に尋ねた。しかし男は何も言わずに、ただ子供達を見ていた。
    「…そうよね。あなたはいつも私を見てはいなかった。あなたはいつも、あの人しか…」
    男は女を見なかった。ただ黙って、女ではないどこかを見ていた。


    玄関の呼び鈴が鳴って、花雫雲雀はゆっくりと目を開けた。大晦日にやってきていた親戚一同は皆、元旦の夕方にはそれぞれの家に帰っていった。夕依の家族も今日は父方の実家に行っていて、広い花雫の屋敷には雲雀しかいなかった。雲雀は立ち上がって玄関に向かった。玄関を開けるとそこには古い知人の男が立っていた。男は右手を顔の横に上げて、ニッと笑って言った。
    「よォ、雲雀。清鳳の葬式以来だな。」
    「…鳶蔵さん」
    「その名前ダサいから嫌なんだよ。鳶翔って呼んでくれっていつも言ってるだろ?」
    鳶翔はそう言って恥ずかしそうに頭をかいた。
    「…急にどうなさったの?」
    不審げに言う雲雀をよそに、鳶翔は座って履物を脱いで上がり込んだ。
    「なんだよ、友達なのに用がなきゃ来ちゃいけねえってのか?線香くらい上げさせてくれや。」
    雲雀はまるで我が家かのように勝手に入っていく鳶翔の後ろ姿を見つめながら玄関の戸を閉めた。


    あなたは一度も私を見たことはなかった。出会った時から、最期の瞬間まで、あなたが見ていたのはいつも、この男だけ。





    仏壇の前に座って鳶翔は線香を一本手に取ると、半分に折ってその辺に置いてあったライターで火をつけた。
    「あ?線香二本使えって?蝋燭に火つけろケチって?ばぁかお前にはこれで充分じゃ!」
    右上の壁に飾られた清鳳の遺影に悪態をつきながら、鳶翔は香炉の真ん中に線香をブスッと刺し、鈴(りん)を鳴らして手を合わせた。拝み終わると鳶翔は再び清鳳の遺影を見ながら言った。
    「おい聞けよ清鳳。あの鷹山に恋人ができたんだぜ?美人で料理上手で気立てのいい子。まあ男なんだけどな。」
    鳶翔はカカカと笑った後、真剣な顔つきになって言った。
    「あいつらには絶対失敗はさせねえよ。……俺らみたいにはな。」


    拝み終わって居間に行くと、雲雀がお茶と茶菓子を用意していた。鳶翔は茶菓子を見るなりスキップで机に駆け寄りどかっと座った。雲雀は着物を押さえてゆっくり静かに座ると、鳶翔にどうぞ召し上がれと言った。鳶翔は早速茶菓子に手をつけた。
    「ん〜うめぇ!やっぱ七五三田屋の和菓子は最高だぜ!」
    「…千弦さんが東京から持ってきてくれたの。」
    「千弦…はどれかわからんが清鳳の妹んとこの子だよな!ありがてぇ…」
    雲雀はお茶を一口飲んで目を閉じたまま、茶菓子を頬張る鳶翔に尋ねた。
    「…それで、本当はなんの用かしら。」
    鳶翔は菓子をお茶で流し込んで言った。
    「だから久々に友達に会いに来ただけだってーの。」
    「……」
    雲雀は納得しない様子で黙り込んでいた。鳶翔はそんな雲雀を見ながら机に肘をついて、また一口茶菓子を齧って言った。
    「まあ、お前がどうしても理由が欲しいってんならいいぜ。」
    鳶翔は雲雀の目を真っ直ぐ見て、真剣な面持ちで言った。
    「鷹山を次期当主の座から退けろ。あいつには陸流を継がせるからな。あいつに刀工の才があるのはお前も分かってんだろ。」
    雲雀はまた一口お茶を飲んで言った。
    「認めません。鷹山には年内に当主になってもらいます。」
    鳶翔は両手を顔の横に持ってきて呆れたように言った。
    「おい雲雀、あいつが人の上に立てる人間に見えるか?俺ぁ燕匁の旦那の方がよっぽど向いてると思うけどな。」
    その言葉に雲雀は鳶翔の方を見て眉をひそめて言った。
    「あの人は花雫の血を引いていません。言語道断です。」
    鳶翔はそんな雲雀を見て暫く沈黙した後、おもむろに口を開いた。
    「……なぁ、前から思ってたんだが、なんで花雫ってのはそこまで血に拘るんだ?」
    「それは我が家が五百年前から続く名家だからです。」
    はっきりと言い切る雲雀に、鳶翔は不敵な笑みを浮かべて言った。
    「ほんとにそれだけか?実はもっと昔から続いていたりするんじゃないのか?例えば平安時代とか……」
    「……何が仰りたいんですの…?」
    二人の間の空気が張り詰めたその瞬間、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。雲雀はその音を無視して鳶翔を睨み続けていた。
    「おら、なんか来たぞ。行ってこいよ。」
    鳶翔に言われ、雲雀は目を逸らすとすっと立ち上がって玄関の方へ向かっていった。雲雀が見えなくなると鳶翔はすぐ立ち上がって居間を出た。


    雲雀が玄関の戸を開けると、郵便配達員の男が立っていた。
    「お届けモノです。」
    男はニコッと笑って郵便物を差し出した。
    「ご苦労さまです。」
    雲雀は郵便物を受け取ってサインしようとしたが、宛先を見るとこの家の人間ではなかった。雲雀は不思議そうに見つめる配達員に荷物を返して言った。
    「こちらのお荷物、うち宛てではないみたい。」
    「えっ!…すみません、間違えたみたいです!」
    男は雲雀から荷物を受け取ると、少々お待ち下さいと言って車に戻っていくと、荷台から荷物を探し始めた。
    「すみません、確かにここ宛の荷物があったはずナンですが…」
    男はどうやら新人のようだった。雲雀は白い息をはいて手を摩った。男は寒い中すみませんと申し訳なさそうに頭を下げながら慌ただしく荷台を漁っていた。

    居間を出た鳶翔はとある場所に向かっていた。鳶翔は昔、頻繁に花雫家を訪れていたため、その広い家の部屋の配置などは大体把握していた。鳶翔は廊下を渡り、広間をぬけ、一本の薄暗い廊下にやってきた。そこは大晦日に花雫一族が揃って入っていったあの奥の間に続く廊下だった。廊下の突き当たりは昼間だというのに暗くてよく見えなかった。鳶翔は懐中電灯を取り出し、小さく深呼吸して廊下を進んでいった。奥の間の扉に辿り着き、戸を開けようとすると、案の定しっかり施錠されていた。鳶翔は懐中電灯を口で咥えると、袂から針金を二本取り出して鍵穴に差し込んだ。扉が開き中に入ると真っ暗な部屋にひとりでに灯りがついた。鳶翔は驚いて周りを見たが、そこには誰もいなかった。鳶翔はごくりと唾を飲み、入口が閉まらないよう敷居に物を置いて、ゆっくりと部屋の中に入っていった。奥の間は心做しか空気が薄く、鳶翔は自分の息が上がっていることに気付いた。どうやら長居はできないらしい。更に中に進んでいくと中央に祭壇があり、家紋の入った大きな垂れ幕が三つ垂れ下がっていた。一つはこの花雫家の家紋。そしてあとの二つは鎌倉時代に滅びたとされる奥原氏の家紋とその仲間の武士の家紋だった。鳶翔は確信を得たように目を細め、さらに祭壇に近付いた。祭壇の真ん中には一振の刀が刀掛けに置いてあった。柄はあるが鞘は無く、刀身が剥き出しの状態だった。反りが浅く、刃文は真っ直ぐで、錆刃こぼれひとつない美しい刀だった。
    「こいつを破壊すればきっと…」
    鳶翔は懐から槌と平刀を取り出して、刀に手を伸ばした。鳶翔の指先が刀の柄に触れた。その瞬間、全身にぶわっと痺れるような感覚が走り、指先から血が心臓に押し戻されていくような圧を感じた。鳶翔が一思いに柄を握ると、頭の中に無数の声が流れ込んできた。頭が無造作に振り回されているかのように痛み、無数の声はやがて一つになっていった。

    我が吾子の安寧を奪おうと言うのか、穢れた人間どもめ。


    声は強く鳶翔の頭の中で鳴り響いた。鳶翔は思わず後ろに倒れ込んだ。頭が激しく痛み、目眩がした。おぼつかない視界でもう一度目の前を見ると、刀掛けから刀が無くなっていた。
    「!?」
    鳶翔が目を疑ったその瞬間、背中に焼けるような痛みが走った。
    「うっ…!!」
    鳶翔は呻き声をあげて倒れ込んだ。背後を見ると、着物に真っ赤な返り血を浴びた女が、その刀を持って立っていた。その虚ろな目は鳶翔の方を向いているようで鳶翔を見てはいなかった。
    「…雲雀…」
    雲雀は表情ひとつ変えず、刀を振り上げると大きく振り下ろした。


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