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    ue_no_yuka

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    弐拾玖

    窮鳥懐に入れば猟師も殺さず 上 まだ日の登る前、鍛治屋敷の二階でアリョールは目を覚ました。寛久のいびきに妨げられることなく、久々にゆっくりと寝られたアリョールは身体を起こし、両手を上げて伸びをした。布団を出て服を着、部屋の襖を開けて廊下に出ると、下階から朝ごはんのいい匂いが漂ってきた。匂いに引き寄せられながら階段を降り台所に行くと、美鶴が台所の薪ストーブの上にかけた鍋をかましていた。アリョールはあたりを見回して、ロシア語で言った。
    「鷹山は?」
    美鶴はアリョールに気付くとロシア語で返した。
    「おはようございます。ようちゃんは今日はおひとりで外出されてますよ。」
    美鶴の言葉にアリョールは少し驚いたように言った。
    「早すぎだろ。まだ五時にもなってないぞ。飯は?」
    「ようちゃんはお弁当持っていかれました。僕はこれからですよ。今朝は昨日のお餅の余りと、有り合わせですがボルシチを作ってみました。お口に合えば良いのですが…」
    ボルシチと聞いて、アリョールはおもちゃを前にした猫のように目をキラつかせて鍋に駆け寄った。鍋を覗き込むとじっくり煮込まれたお肉と野菜の良い香りがして、アリョールは思わずよだれを啜った。そして、ハッとして首を横に振り、美鶴を横目で睨めつけながら言った。
    「お前、作れない料理とかあんのか。」
    「さあどうでしょう。世界各国のメジャーな料理や調理方法は大体頭に入れていますから、大抵のものは作れると思いますよ。」
    そう言って美鶴はスープをひとすくいして味をみると、よしと言って鍋をストーブから移した。アリョールはそんな美鶴を見て鼻を鳴らして言った。
    「ふん、別に料理ができりゃいいってもんじゃねえと思うけどな。」
    美鶴はそんなアリョールの態度を意に介さない様子で、具を器によそいながら言った。
    「そうですね。確かに僕はようちゃんのように刀を作ったり、アリョールのように気配を消したりは出来ません。しかし、全ての基本は衣食住…」
    美鶴が言い終わる前にアリョールは鼻で笑って言った。
    「お前刀作れねえのかよ。俺は作れるけどな。」
    アリョールの言葉に美鶴は少し驚いた表情で尋ねた。
    「そうなんですか?」
    アリョールは再び美鶴を睨みつけて言った。
    「鳶翔が言ってただろ。俺は鉄を操りし者・ミトロフ族だぞ。…だから、お前なんかよりずっと鷹山に合ってる。」
    美鶴は一瞬言葉に詰まった。アリョールが言った最後の言葉に、美鶴はずっと胸の内にあった疑惑を確かめずには居られなかった。
    「……あの、ずっと気になっていたんですが、アリョールって、ようちゃんのことが好きなんですか?」
    アリョールは美鶴の問いかけに、美鶴の目を真っ直ぐ強く睨みつけて、眉間の皺を濃くして言った。
    「……そうだよ。だからお前が気に食わねぇ。鷹山はお前みたいなやつのどこが良いってんだ。」
    アリョールは犬歯を見せて威嚇するように強く美鶴を睨みつけた。その声色には確かに嫉妬と嫌悪が滲んでいた。美鶴はごくりと唾を飲んで、落ち着いた表情でアリョールの目を真っ直ぐ見つめ返した。



    鷹山は慎重に車を走らせながら、山道を抜けて里に降りてきた。雪が解けて凍った道も滑るが、降ったばかりのサラサラの雪の上も驚くほど滑る。朝が早いため車もほとんどなく、後ろに迷惑がかかることはないので、鷹山は軽トラのギアを三に落としてゆっくり走った。里の中を走りながら、鷹山は様々なことを思い出していた。

    母校の小中学校高校の校舎の近くを通り、及川商店の前を通った。鷹山は寛久との馴れ初めを思い出した。寛久と出会ったのは四歳の時だった。鷹山は四歳から里の武道館で剣道を習い始めた。丁度同じ時期に同じ武道館の柔道場で柔道を習い始めた寛久とは、歳が同じなのもあって仲良くなった。その後小学校に上がり、鷹山は幼稚園や保育園に行っていなかったため、小学校では周りが知り合い同士の中一人ぼっちになってしまうと思われたが、偶然同じクラスで寛久に会って、それから中学、高校と同じ学校に通った。寛久は鷹山以外にも友達が多く、面倒見のいい愛すべき馬鹿だった。鷹山がどんなに無口で愛想が良くなくても、寛久はいつも鷹山を気にかけて、よく話しかけてくれた。両親も美鶴も鳶翔さえもいなくなってしまった時、自分が荒れずにいられたのは間違いなく寛久のおかげだと、鷹山は思い返して笑みをこぼした。
    商店街を通って祭り広場を通った。中学の時から参加し始めた夜叉剣舞。鷹山は、最初は自分が踊りなんてと思い断ったが、再従兄弟や従叔父達が参加していたこともあり、親戚一同特にごり押しされて嫌々参加することになった。夜叉剣舞のリーダーや長老の男達は皆鷹山を可愛がって、稽古の後におやつを出してくれたり、宴会で美味しい酒や料理を食べさせてくれた。鷹山はそんな彼らを鍛治屋敷に次ぐ第二の家庭のように感じていた。
    映画館の横を通り、博物館の前を通ると、まだ朝も早いのに人がいて雪かきをしていた。鷹山は駐車場に車を停めて、雪かきをしている人物に声をかけた。
    「おはようございます、館長。」
    館長と呼ばれた壮年の男は、鷹山を見るなり驚いた表情で、曇った四角い眼鏡をウィンドブレーカーの袖で拭いて言った。
    「おお、鷹山くん!おはようさん。こんな朝早ぐになんじょしたの?」
    「少し里の中をドライブしでだんです。雪かぎ手伝います。」
    「なんたら助かる〜!」
    館長は鷹山の言葉に嬉しそうにふわりと笑った。鷹山は博物館の裏口の職員用自転車置き場に行って、そこの端に立てかけてある雪かきシャベルを手に取って、正面玄関に戻った。鷹山は高校生の頃この博物館でアルバイトをしていた。鳶翔に人並みに働いてみろと言われてバイト先を探すも、鷹山のマイペースと愛想の無さではなかなか見つからず、諦めかけていた時に鷹山は日本刀展をやっていたこの博物館に立ち寄った。そして他の来館者に刀について説明していたところを見られ、館長に声をかけられたのだった。館長は物腰柔らかで親切な人で、働きながら鷹山に里や県の歴史について分かりやすく教えてくれた。バイトが無い時でも自由に来て博物館の学習スペースを使っていいと言われ、鷹山は一人で静かに本を読んだり勉強したい時は、図書館ではなく博物館に来ていた。雪かきが終わる頃にはすっかり朝日が登っていた。館長にお礼を言われながら、鷹山は再び車を出した。
    市役所前の喫茶店の前を通った。鷹山は昔祖父母にそこに連れてきてもらっていた頃のことを思い出した。祖父母は二人とも幼い頃から許嫁同士だったらしく、仲が悪くはなさそうだったが、二人ともどこか線を引いているような関係だった。そんな二人が初孫の鷹山に接する時はいつも二人揃って、幸せそうな祖父母の顔をしているのが鷹山は幼心に嬉しかった。
    鳶翔と美鶴と初詣に行った大きな寺にやってきた。実はその寺は花雫家の少し遠い分家が代々住職をやっていて、鷹山はその寺の住職の息子と小学校から高校まで一緒に剣道をやっていた。僧侶の癖に女好きで、酒とタバコが何より好きな生臭坊主だった。寛久ほど親しかったわけではないが、共に戦った戦友というのは、親友とはまた違った絆で結ばれているものだ。鷹山が境内に行くと、早速生臭坊主が出現した。坊主は鷹山を認識するなりつかつかと速足でやってきて言った。
    「おめ二日に来てたべ?なんで俺に挨拶せんのじゃこら。」
    狐目で細い眉、全体的に細い身体で中背の坊主は首を傾けながら顎を突き出して言った。
    「そんな義理はない。」
    鷹山は冷たく言い放った。坊主は人差し指で鷹山の胸を小突きながら言った。
    「そういう問題じゃねぇ。…てかよ、こないだ一緒にいた色白の長身美人、あれ誰?もしかして中学ん時来てた人?なんで言わねんだよぉ俺中学ん時暫くあの人で抜いてたくらいタイプなんだけど!あ、もしかしておめえのコレだった?すまんすまん笑 謝るからあの人の連絡先だけ教えてくれ!」
    鷹山は調子の良さそうに小指を立てたりして、矢継ぎ早に喋る坊主を嫌悪と軽蔑で睨みつけて、無言で背を向けて歩きだした。
    「おい花雫!花雫鷹山!話はまだ終わってねぇぞ!」
    立ち去ろうとする鷹山を坊主はそう呼んだ。鷹山の本名は陸鷹山ではなく花雫鷹山である。しかし、両親の記憶を失って花雫家との関係に疑問を持つようになった鷹山は、花雫ではなく刀工としての名前である陸を名乗るようになった。ちなみに鷹山という名前は鳶翔がつけたもので、鷹山自身はとても気に入っている。鷹山は引き留めようとする坊主を無視して速足で歩き続けた。
    「お前とこれ以上話すことは無い。」
    坊主は鷹山の後をしつこく着いてきながら言った。
    「あれ、お前もう花雫って呼ぶなって言わねんだな?昔あんなに嫌がってたのに。」
    鷹山は坊主の言葉に一瞬立ち止まった。大切な記憶を失い、自分が何者なのか分からなくなった鷹山はずっと、自分は花雫家の鷹山ではなく、刀工・陸鷹山なのだと自分に言い聞かせてきた。しかし今回鳶翔から花雫家基奧原氏の話を聞いたことで、その気持ちが揺らいでいたのだった。鷹山は眉間に皺を寄せ、目を瞑ってため息をつくと、再び速足で歩き始めた。
    「…帰る。」
    「待て待て待て待てマテマティカ」
    坊主は鷹山の肩を掴んで言った。
    「寺に来てんのに仏さん拝まんで帰るなんて、無礼にも程があるんじゃねぇの。」
    「……」
    鷹山は暫く沈黙した後、不機嫌な顔のまま坊主に向き直った。坊主は狐目を吊り上げてニヤリと笑った。鷹山は坊主と共に寺の本堂に行くと、坊主があげる経を聞きながら手を合わせた。どうしても馬の合わない最低で最悪な生臭坊主だが、こうして経をあげている姿を見ると立派な僧侶だった。昔から何かにつけて鷹山をからかって楽しんでいたが、道場や部活での厳しい稽古を共に乗り越え、切磋琢磨しあった坊主は、なんだかんだ憎めないやつだった。祈祷を終えて、美鶴の連絡先をしつこく聞き出そうとする坊主を追い払いながら、鷹山は寺を後にした。


    里の中を車で走っていると、今まで忘れていた思い出がそこら中に散らばっていた。部活終わりに先輩後輩と一緒に行ったコンビニ、寛久に引っ張られて行ってクラスメイト達とフードコートで豪遊したショッピングモールや、店員がドケチでUFOキャッチャーが全台激ムズだったゲームセンター、帰り道にあったコーラを買おうとすると必ずおしるこが出てくる自販機、夕依やはとこ達と一緒にザリガニを取りに行ってはとこがパンツを流された川、鳶翔に連れられて白鳥や鴨にパンの耳をやりにいった湖。鷹山は今までずっと胸の中にどこか孤独感を抱えて生きてきたが、こうやって記憶を辿る中で、本当は沢山の人に支えられて生きてきたのだと実感した。そして失った記憶の中にも、両親や美鶴とこの里で作った思い出が沢山あるのだと思うと、里にある全てがかけがえのない大切なものに思えた。


    鷹山は初詣で美鶴と鳶翔と共に行ったあの神社へやってきた。以前美鶴と一緒に眺めたその境内からの景色は、ただ山に囲まれた真っ白い里が広がっているだけだった。しかし今一度思い出を振り返って見てみると、その景色は今まで見た中で一番美しく見えて、胸の奥がじわりと温かくなった。あの時隣で美鶴はどんな思いでこの景色を眺めていたのだろう。そして、最期にこの景色を見た月衡はどんな思いだったのだろう。きっとこの里を、里で共にすごした大切な人達との記憶を愛おしく思っていたに違いない。鷹山は近くにあったベンチに腰を下ろして、美鶴が詰めてくれた弁当を開けた。鷹山の好きなずんだ餅ときな粉餅、何もかかっていない餅といくら、きんぴらごぼうとほうれん草のおひたし、たくあんが添えてあって、耐熱容器の蓋を開けるとふわりと湯気が立って、生姜と鮭の入ったお雑煮が入っていた。一緒に入っていたメモには綺麗な字で、何もかかっていない餅といくらをお雑煮に入れて食べるように書いてあった。鷹山はメモを丁寧に畳みコートのポケットに仕舞うと、メモの通り餅といくらを入れて汁を飲んだ。昨晩食べたお雑煮の汁に生姜がきいていて体を芯から温めた。鮭は箸で掴むとほろりと崩れ、口に運ぶと出汁が染み込んでいて美味だった。

    鷹山は弁当を食べながら美鶴のことを考えた。昨晩美鶴はただ優しく鷹山を抱きしめたあと、いつもの笑顔で、今日はもう休みましょうと言って二階の自室へ行ってしまった。今朝も至って普通の様子で弁当を詰めていた。祭りの時酔って弱気な鷹山にあれだけ言った美鶴が、雲雀の前で毅然として啖呵を切ってみせた美鶴が、あんなにもあっさりと鷹山が当主になることを受け入れてしまうなんて、鷹山は想像もしていなかった。美鶴の言葉通り鷹山の大切なものを守るために自分は身を引くということなのだろうか。鷹山は俯いて耐熱容器の中で揺れ動くいくらを見つめた。花雫家を無視して美鶴と生きるか、花雫家の闇を解くために美鶴とは離れて生きるか。鳶翔の話を聞いてから、昨晩美鶴に言われてから、いくら考えても鷹山の中に答えは一つしかなかった。鷹山は餅が喉に詰まらないように注意しながら弁当を一気に食べて雑煮の汁を飲み干すと、もう一度境内から里を見渡して大きく深呼吸した。冷たい空気が鼻からツンと身体の中を突き抜けて、口から白い息になって出てきた。鷹山は神社に手を合わせたあと、ある場所へ向かって車を走らせた。

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