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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    参拾

    窮鳥懐に入れば猟師も殺さず 中 時間は遡って朝五時頃、鍛治屋敷ではアリョールと美鶴が無言で睨み合っていた。アリョールは真っ直ぐ自分を見つめ返す美鶴を見て、苛立ったように強く舌打ちをして目を背けて言った。
    「っ…どう考えたって納得できねえ…!!こんな……!!」
    アリョールは強く拳を握りしめた。美鶴はアリョールが殴りかかってくるのかと思い、小さく後退りして身構えた。すると、アリョールは外まで響き渡るほど大きな声で言い放った。
    「憧れの刀工・陸鷹山が、こんな女みたいな顔の女々しい男の尻に敷かれてるなんて…!!」
    アリョールの声が屋敷中にこだまし、束の間沈黙が流れた。
    「………え?」
    美鶴は呆気に取られて目を丸くした。アリョールは握った右拳を顔の前に持ってくると、苦しげな表情で語り始めた。
    「俺は一族の中でもかなりできる方だった…!少なくとも兄貴の次には、狩りも舞踏も刀作りも…!でも中国の金持ちが鷹山の刀を落札して、展覧会にその刀を展示して初めて鷹山の刀を見た時、俺は一目惚れしたんだ!あの洗練された美しさ!力強さ!あれは天賦の才だ!あれを十八で、しかも一人で打ったなんてありえねえ!そんな刀工を一目見ようとはるばるシベリアからやってきたってのに……こんな、女みたいな男に激甘な腑抜け野郎だったなんて…!!」
    「……腑抜け野郎?」
    アリョールの言葉に美鶴の目の下がピクリと動いた。問い返した美鶴をアリョールはギンと睨んで言った。
    「ああそうだよ!!鷹山はきっと男の中の男で、強くてかっこいい、誰にも靡かない孤高な男だと思っていた俺の純粋な憧れは弄ばれたんだ…!!」
    その瞬間、アリョールは美鶴から何かを感じ取って野生動物の防衛本能のように素早く背後に飛んだ。美人は怒ると怖いとはよく言ったもので、美鶴は今までの表情からは想像もできないような、恐ろしい形相をしていた。
    「陸鷹山を腑抜けと言ったこと、取り消して下さい。」
    美鶴の声は低く真っ直ぐ響いた。
    「ああ!?」
    警戒した様子で美鶴を睨むアリョールに、美鶴はもう一度低い声で言った。
    「取り消して。」
    美鶴は瞳孔を開いて力強くアリョールを睨みつけた。アリョールは背筋に悪寒が走ったように身震いして言った。
    「っ…取り消せばいいんだろ…!」
    その言葉を聞いて美鶴は暫くアリョールを睨みつけたあと、目を瞑って大きく息を吐いて俯いた。そして顔を上げると、いつもの穏やかなにこにこ顔がそこにあった。
    「さ、ご飯にしましょう。」
    美鶴はそう言ってアリョールにボルシチの入った器を差し出した。アリョールは警戒しながら美鶴から器を取ると、薪ストーブのそばに腰を下ろした美鶴とは離れた台所の隅で食べ始めた。しかし、食べ始めるとあまりの美味しさに思わず表情が緩んでいた。美鶴はそんなアリョールを見て小さく笑った。アリョールは美鶴がこちらを見ていることに気付くと、シャーと威嚇をしつつボルシチを頬張りしっかり二杯おかわりまでした。


    午前中の間、アリョールは家事をする美鶴を常に離れたところで観察していた。美鶴はそんなアリョールが、母親のことが気になって仕方ない子供のようだと思った。昼食後、美鶴が台所の掃除をしている時、アリョールは昨晩鷹山が元に戻した囲炉裏の灰を再び盛り上げながら、美鶴に尋ねた。
    「なぁ、鷹山どこ行ったんだ?」
    アリョールの質問に美鶴は暫く沈黙していたが、酒瓶を入れる戸棚を拭く手を止めないまま言った。
    「どこでしょう。僕も知りません。」
    アリョールはその返事に、ジトリと美鶴を睨めつけて言った。
    「うそだ。本当は知ってるだろ。」
    美鶴は一瞬手を止めたが、ふっと笑って作業を続けながら尋ねた。
    「…野生の勘ですか?」
    「そうだ。」
    美鶴は棚を拭き終わって酒瓶を戻しながら、おもむろに口を開いた。
    「ようちゃんはもしかしたら、もう帰ってこないかもしれません。」
    アリョールは驚いて目を見開いて尋ねた。
    「!?…なんでだ?」
    美鶴は棚の戸を閉めると一呼吸して言った。
    「陸鷹山は、花雫鷹山になるつもりでしょう。僕がそうしてくださいと頼みましたから。」
    「………は?」
    アリョールが手に持っていた灰均しが、囲炉裏の中の灰山に落ちて床に灰が飛び散った。美鶴はああと言って、こぼうきとチリトリと雑巾を持ってアリョールのところへ行くと、床に広がった灰を片付けながら続けた。
    「ようちゃんが当主になって詠削を自分のものにすれば、雲雀さんに警戒されることなく破壊できるでしょう。これが最も安全で確実な方法だと、僕達は判断したまでです。」
    美鶴の言葉にアリョールは勢いよく立ち上がって言った。
    「何言ってやがる…!?当主になれば、刀作りは満足にできなくなるどころか、男のお前には手の届かない存在になるんだぞ…!?」
    驚きと焦りを顕にするアリョールをよそに、美鶴ははきとった灰をくずかごに捨てながら目を伏せて言った。
    「ようちゃんならきっと大丈夫ですよ。今ほど毎日は出来ないかもしれませんが、刀作りはちゃんと続けられます。あんなに刀に愛し愛された人はそういませんから。」
    そう言って美鶴は小さく微笑んだ。アリョールはそんな美鶴を見つめて言った。
    「……お前はそれでいいのかよ?」
    「ええ、ようちゃんの大切なものを守ることができるのなら、それで……」
    目を細めて頷く美鶴に、アリョールは拳を握りしめて言った。
    「お前分かってないだろ。」
    「…?」
    不思議そうな表情でアリョールを見る美鶴に、アリョールは力強い眼差しで言った。
    「お前だって、鷹山の大切なもんだろうが…!!」
    アリョールの言葉に美鶴は驚いたように目を見開き、再び俯くと憂いを帯びた表情で言った。
    「そう…だったら嬉しいですね…。でも、ようちゃんには他にも大切なものが沢山あります。僕だけのために他の全部を見捨てろなんて、そんなのおかしいじゃないですか。優しいあの人にそんな酷な選択はさせられません。」
    アリョールは立ち尽くしたまま、変わらず美鶴を強く見つめて言った。
    「お前と離れることだって、あいつにとっては酷な選択だろ。そんな簡単なことがなんで分からねえんだよ。」
    「別に今生の別れってわけじゃありません。確かに今までのように一緒に暮らすことはできなくなりますが、ちゃんと呪いが解ければようちゃんが僕を忘れることももうなくなるわけですし、ある程度近くで支えることはできます……それに僕だってまだ、ちゃんと覚悟ができているわけじゃありません。だから時間をかけて受け入れていくしかないんです。ようちゃんと離れる覚悟を…」
    その時、美鶴の言葉を遮るようにアリョールは言った。
    「お前に必要なのはそんな覚悟じゃねえ!!」
    突然の大声に驚く美鶴の胸ぐらを掴んで、アリョールは再び声を荒あげて言った。
    「あいつがお前に身を引けと望んだのか?!あいつが、鷹山が望んだのはそんなことじゃないだろ!!あいつはお前にそばにいて欲しいと言ったはずだ!!…お前に必要なのはあいつと一緒にいる覚悟だ!!お互い苦しい時こそ取り繕ってないで本当の望みを言えよ!!それが一緒に生きるってことだろうが!!」
    美鶴は目を見開いてアリョールを見た。アリョールの目元は心做しか赤くなっていて、息を切らしながら美鶴の胸ぐらを掴んでいた手を離した。美鶴は力無く床に座り込んで、目を見開いたまま俯いた。そして、絞り出すような声で言った。
    「…っ…僕は……ずっとようちゃんのすぐ隣にいたいです。」
    項垂れたまま呟いた美鶴を見下ろしながら、アリョールは息を整えて言った。
    「…そうだろ。」
    美鶴は拳をぎゅっと握りしめて言った。
    「一生、僕が愛を込めて作った料理を目の前で美味しそうに食べて欲しいし…僕が愛を込めて洗濯した服を着て欲しいし、僕が愛を込めて適温に沸かしたお風呂に入って日常の幸せを感じて欲しい。」
    「そ……なんかキモイな…」
    「キスするのはもちろん僕だけ、できれば触れるのも僕だけで、性的に好感を持つのも僕だけ…」
    「あー!!あー!!うるせぇそんなの知るか!!」
    美鶴の言葉にアリョールは両耳を塞いで、上を向いて目を瞑り叫んだ。美鶴は暫く目を瞑って再び目を開き、何か決意したような表情をすると、勢いよく立ち上がって早足で玄関へ向かった。玄関脇にかけてあるコートとマフラーを取って素早く着込むと車の鍵を持った。美鶴のあまりの身支度の素早さに、呆気に取られているアリョールを振り返って美鶴は言った。
    「アリョール、ありがとうございます。僕ちょっと出かけてきます…!」
    美鶴はそう言って屋敷を出ていった。
    「おい待て俺も行く!」
    アリョールはハッとして慌てて上着を着ると美鶴を追いかけた。



    花雫家の屋敷、静まり返った部屋の中、雲雀が粘土をこねるペタペタという音だけが響いていた。そんな雲雀の背後に正座した鷹山は、少し緊張しながら、自分の言った言葉に対する雲雀の反応をうかがっていた。
    「…そう、ついに当主になる覚悟ができたのね。」
    そう言って雲雀は粘土をこね続けた。鷹山は真剣な顔で再び口を開いた。
    「…だが条件がある。」
    「何かしら。」
    雲雀は手をとめないまま尋ねた。鷹山は目を閉じて小さく息を吐き、再び目を開けて言った。
    「奥の間と、そこに何があるのかを見せて欲しい。」
    鷹山の答えに雲雀は少し驚いたように眉を上げた。
    「あら、それだけ?当主になればいくらでも行けるところよ?」
    「あそこは入ったことがあるはずなのに何があるのかよく知らない。いずれ俺の財となるなら、どういうものなのか先に知っておきたい。」
    鷹山はそう言って唾を飲んで雲雀の背中を見つめた。雲雀は暫く粘土をこね続けたあと手を止め、粘土に濡れた布を被せた。傍らに置いてあるぬるま湯の入った桶で手を洗って、布でお湯を拭き取ると、すっと立ち上がって鷹山に向き直った。
    「……来なさい。」
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