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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    師匠過去編1

    もしかしたら先に参拾弐から先の方読んだ方がいいかも。知らんけど。参拾壱の内容覚えてる自信あったらこっち先に読んでも大丈夫かな。どっちにしろ、この師匠過去編は読まなくても本編には特に影響無いはずです。

    鳶と鳳凰 大東亜戦争終戦からはや十三年。戦後の復興は凄まじく、平和国憲法が制定され、商工業の発展も目覚ましい。そのせいだろうか、夏が年々暑くなっているように感じるのは、我が国がまさに活気づかんとしているからかもしれない。それでも東京よりはこの里の方がいくらか涼しい。制服の下で背筋を伝う汗もさほど煩わしくはない。夏の制服に身を包んだ細身の青年は、こめかみに流れる汗と共に口元についた赤を右手で拭った。日陰の校舎裏に蝉の声をのせた黒南風が吹き抜けていった。青年は目を瞑って両手を広げ、大きく深呼吸して言った。
    「いい風だ。蝉の声も心地良い。」
    その時、青年の足元で小さく呻き声が聞こえた。青年は視線だけをそちらに向けて言った。
    「静かにしろよ。今俺が夏を感じてるとこだろうが。」
    青年は呻き声の主の赤黒く腫れ上がった左頬を踏み付けた。先程より大きな呻き声があがる。
    「静かにしろって言ったのが聞こえなかったのか?それとも標準語じゃあ難しかったか?おねげぇすます〜すずかぬすてけろォ〜」
    青年は踵をぐりぐりと押し付けながら、嘲笑混じりにわざとらしい里訛りで言った。校舎裏の一角には、呻き声の主の他にも二人ほど、青年と同じ制服を着た男子生徒がいたが、皆同じように地べたに顔を擦り付けるように倒れ込んでいた。その時、青年の背後から五人目の声がした。
    「おい転校生、そこで何をしている。」
    青年は振り返ってその人物を認識すると、踏み付けていた足を退けて言った。
    「おや、坊っちゃんじゃあないか。」
    そこにいたのは、青年の同級生の男子生徒だった。他の生徒より頭一つ大きな背丈と、すっと通った鼻筋に凛とした顔立ち。聞くところによると、この里の中心とも言える良家の跡取り息子らしい。男子生徒は真面目さを際立たせる四角い眼鏡を親指で押し上げて、些か不機嫌そうに言った。
    「その呼び方はやめてくれたまえ。僕は花雫清鳳だ。」
    清鳳がそう言うと、青年は作り笑顔を浮かべて言った。
    「知ってるよ坊っちゃん。なんだ、坊っちゃんもやりたいのか?いいぜ、付き合ってやるよ。」
    そう言った青年に、清鳳は落ち着いた様子で返した。
    「僕は君と殴り合いをしたいのではない。ただ、君がどういう理由でこんなところで同級生の顔を踏み付けていたのかと聞いているんだ。」
    「それを知って坊っちゃんに何か意味があるのか?」
    「君が何も言わないのなら、僕は君がしていたことを先生方に報告する義務がある。しかし理由次第でそれをする必要はなくなる。」
    それを聞いて、青年は嘲るようにハッと鼻で笑った。
    「理由次第?学級委員長で文武両道、家柄もよろしい坊っちゃんが、俺みたいな問題児の問題行動に対して、情状酌量の余地があるって?」
    そう言った青年を清鳳は何も言わず見つめ続けた。そんな清鳳を見て青年は再び鼻を鳴らすと、自分の胸に手を当て、わざとらしく深々とお辞儀して言った。
    「坊っちゃんの慈悲深いお心遣いに感謝するよ。しかし残念ながら、俺がこいつらを殴った理由は特にない。強いて言うなら、殴って欲しそうだったから。それだけだ。」
    清鳳は暫く青年を見つめたあと、倒れ込んでいる生徒達に歩み寄って声をかけ、怪我が痛まないように優しく担ぎ始めた。
    「…彼らを保健室へ連れて行く。僕は高橋君と佐々木君を抱えるから、君は及川君を抱えたまえ。」
    清鳳の言葉に青年は少し驚いたような表情をした後、両手を顔の横に上げて、開き直ったように言った。
    「やなこった。俺は坊っちゃんほど高尚で公正な人間じゃないんでね。」
    茶化すようにそう言った青年を、清鳳は真っ直ぐ見つめて言った。
    「君が嘘をついていることくらい僕にも分かる。君は理由もなく人を殴ったりする人間じゃないだろう。去渡鳶蔵(さわたりとびぞう)。」
    その瞬間、飄々としていた青年の目の下がピクリと動いた。青年は清鳳に近付いていき、勢いよく胸ぐらを掴んで、お互いの鼻先が触れそうなほど顔を近づけて、おもむろに口を開いた。
    「…なあ、坊っちゃん。俺ぁ通常心の広い人間だが、されるとどうしても腹が立って仕方のないことがふたっつある。一つは、知らん人間に知ったような口をきかれること。そんでもう一つは、その名前で呼ばれることだ。」
    青年の表情は傍から見れば至って普通で、口元に笑みすら浮かべていたが、その真っ黒な瞳の奥には確かな怒りが渦巻いていた。そんな青年に気圧されて清鳳は暫く動けずにいたが、ごくりと唾を飲み込んで言った。
    「…すまない。」
    すると青年は再び嘘くさくにこりと笑って、清鳳の胸ぐらから手を離して言った。
    「ありがとうとごめんなさいほど、軽薄な言葉は無いな。」
    青年は近くに落ちていた自分の通学鞄を拾い上げると、そのまま校舎裏を後にした。清鳳は去りゆくその背中をただじっと見つめていた。



    去渡鳶蔵の人生は、当時としては有り触れた普通の人生だった。東京のとある繁華街の外れの、古びた長屋で鳶蔵は生まれた。母は元々繁華街のキャバレーで働くホステスだったが、鳶蔵を身ごもったことで暇を出され、屋台の手伝いや銭湯の按摩で生計を立てていた。父は酒と賭事に溺れてほとんど家に帰ってこず、夜中にいきなり帰ってきたと思えば、酷く泥酔していて、仕事で疲れきった母を無理矢理叩き起して、夜伽の相手をさせるようなどうしようもないゴミクズ野郎だった。鳶蔵が生まれて一年ほど経った頃大東亜戦争が始まり、鳶蔵は齢三つで親元を離れ、福島にある母の実家に疎開させられることになった。終戦から二年ほど経った頃、母の実家に上等そうな背広を着た、姿勢のいい年寄りの男がやってきた。男は鳶蔵に、両親が空襲で亡くなったこと、両親の代わりに自分が鳶蔵を引取りにきたことを伝えた。鳶蔵は男と共に再び東京に戻ることになった。男は鳶蔵の父方の曽祖父だった。父の実家は由緒ある家柄だった。鳶蔵は曽祖父から聞いて初めて、父が元陸軍将校であったことを知った。しかし、鳶蔵が他の親戚や家の人間達から歓迎を受けることはなかった。祖父母や叔父母、従兄弟達からいじめを受けながらも鳶蔵は、唯一家族のように接してくれる曽祖父に支えられながらその家での日々を過ごした。しかし鳶蔵が十七の頃、ついに曽祖父が亡くなった。父の実家の人間達はすぐさま鳶蔵と縁を切り、家から追い出した。鳶蔵は暫くの間、数年前から半分ほど弟子入りしていた東京郊外にある鍛刀場で寝泊まりしていた。その時、その鍛刀場の流派の元祖である陸流の鍛刀場がはるか北の里にあることを知り、半師匠の紹介状を持って、その里へ向かうことにしたのだった。

    鳶蔵が生まれたせいで職場をクビになり、仕事に明け暮れていた母。ほとんど会うことのなかった、お互い会いたくもなかったであろう父。人間以下の扱いを受けてきた父の実家の人間達。鳶蔵は当たり前に家族に愛されたことが無かった。幼い頃のことはあまり覚えていないが、きっと自分はどこにいても邪魔な存在でしかなかったのだろう。人は、自分にとって利益のある人間しか知ろうとしないし、愛すことはできない。それは決して悪いことではない。至極普通のことだ。鳶蔵は自らの半生でそう強く理解していた。ただたまに鳶蔵は、どうしようもなく悔しい、妬ましい、寂しい気持ちになるのだった。


    「えぇ、花雫は本日は体調不良で欠席するとのごどだ。」
    鳶蔵は欠伸が引っ込むほど驚いて目を見開いた。文武両道、品行方正、規律遵守、健康第一、優等生を絵に描いて額に入れて床の間に飾ったような花雫清鳳が、体調を崩すどころかそれを理由に授業を欠席するなど、そんなことが有り得るのだろうか。反射でそんなことを考えた自分を鼻で笑って鳶蔵は頬杖をついた。奴だって人間だ。たまにはこういうこともあるのだろう。それに、鳶蔵はあの校舎裏の一件以来、何かにつけてあの優等生に絡まれることが多くうんざりしていたところだった。鳶蔵は清々したように息をつき、椅子によりかかって窓の外を眺めた。校庭の松が風に吹かれてざわざわと音をたて、蝉の声に伴奏しているかのようだった。むらのない真っ青な空に浮かぶ大きな入道雲は、手が届きそうなほど近く思えた。もうすぐ嵐が来る。そういえば傘は持っていなかった。置き傘があればいいが、なければ雨が降ったら走って帰るしかない。鳶蔵は雨が嫌いだった。雨が降ると、父方の実家の屋敷から出て外で時間を潰すのに、移動で服や靴が濡れて煩わしかった。今はその必要は無いと分かっていても、雨に結び付けられた記憶は無条件に蘇ってきた。
    「おい、聞こえないのか!?返事をしたまえ!!去渡!!」
    鳶蔵は担任の声に驚いて教卓の方を見た。ぼんやりと外を見ている間に何度も呼ばれていたらしく、担任教師の顔は怒りで微かに赤らんでいて、他の生徒達も揃って鳶蔵の方を見ていた。担任教師は怒りを押さえつけるように低い声で言った。
    「後で職員室に来るように…」
    「…はぁーい」
    鳶蔵は一瞬呆れたような表情をした後、作り笑顔を浮かべて気の抜けた返事をした。


    「まだ暴力沙汰を起ごしたな!!去渡!!」
    職員室の真ん中で、担任教師の怒声が響いた。しかし鳶蔵はまったく気に留めない様子で窓の外を眺めていた。そんな鳶蔵の態度に担任教師は握りしめた拳を震わせながら言った。
    「前の学校の成績がそれなりに良がったがら、仕方ねぐ入学許可してやってるんだ!これ以上問題起こすんだば退学だがらな!!」
    担任教師の言葉に、鳶蔵は飄々とした態度で言った。
    「あのォ先生、何か勘違いされてるようですけど、僕は彼らに殴られたから正当防衛したまでです。僕の頬の傷も見えるでしょ?」
    鳶蔵は困ったようにわざとらしく眉を寄せて、青あざのできた左頬をさすった。担任教師は呆れたように鼻を鳴らして椅子に座った。そして、汚いものを見るかのような目で鳶蔵を睨みつけながら言った。
    「そもそも、あいづらが殴ったのはおめぇが先に殴ったからだべ?ちょっと馬鹿にされだくれぇですぐ手ぇ出すたァ……これだがら東京もんは無駄に気取りやがってわがね…」
    田舎者が都会に出て馬鹿にされるのと同じように、もちろんその逆も然りだ。どうにも田舎の人間は都会の人間を、気位が高く貧弱な箱入りだと思っている節があり、訛りのない滑らかな喋り方も、鍬を握ってできるマメのない手も気に食わないらしい。鳶蔵の学級には鳶蔵より前に仙台の高校から転校してきた生徒がおり、鳶蔵が転校してくるまではその生徒がいじめにあっていたのだという。今ではその生徒も、鳶蔵を罵ったり陰湿な嫌がらせをしたりする人間の一人だ。
    鳶蔵は参ったというように右手で後頭部をさすりながら、わざとらしく笑って言った。
    「いやァ、ほんと僕も残念なんですよ。僕を馬鹿にしようにもみんな同じようなことしか言わないんです。これだから田舎もんは語彙が貧困で、張り合いがなくって困っちゃいますよね。」
    その瞬間、鳶蔵の左頬に再び激痛が走り、鳶蔵の身体は後方に飛んで他の教員の机に激突した。そして再び担任教師の、廊下まで聞こえるほど大きな怒声が響いた。


    口の中が鉄の味でいっぱいだ。赤黒く腫れ上がった左頬を内側から舌でなぞると、唾液が染みてじわりと痛んだ。机のへりにぶつけた後頭部も首を動かす度に痛む。鳶蔵は痛みに顔を歪めながら、春から住み始めた陸流鍛刀場の鍜冶屋敷への帰路に歩みを進めていた。そもそも、鳶蔵がこの里へ来た理由は刀作りを学ぶためであって、学校に通うつもりは毛頭無かった。しかし鍛刀場の長は、弟子入りを許すかわりに高校は必ず卒業しろと条件をつけてきたのだった。長曰く、一度始めたことは最後までやり通せということらしい。鳶蔵は田舎で東京から来た自分が受ける扱いは分かっていたが、背に腹はかえられぬということで、渋々その条件をのんだのだった。

    鳶蔵が河原の土手を歩いていると、見覚えのある制服と四角い眼鏡が草原に寝転がっているのが目についた。相手もまたこちらに気付いたようで、起き上がって鳶蔵に向き直った。
    「また問題を起こしたのか。去渡。」
    清鳳は鳶蔵の顔を見るなり、痛々しい左頬に眉をひそめて言った。鳶蔵は笑顔を作ろうとした拍子に激痛が走り、痛む左頬をさすりながら言った。
    「坊っちゃんにゃ関係ねぇだろ?」
    しかし清鳳はなおも心配そうな表情で言った。
    「そう言うな。君は僕の……大事な級友だ。心配くらいさせてくれたまえ。」
    そんな清鳳を鳶蔵は冷めたい表情で見つめた。清鳳が自分に何を求めているのか分からず、鳶蔵は若干困惑していた。今は亡き曽祖父も、鳶蔵が大事な孫の忘れ形見だから衣食住と学業の機会を与えただけだ。そうでなければわざわざ嫌われ者の自分を引き取ったりなどしない。人と人との間に利害の一致以外で成り立つ関係は無い。清鳳と自分の間には何もないというのに、何故この優等生は自分なんかを気にかけるのだろう。
    鳶蔵は冷ややかな視線を清鳳に向けたまま言った。その表情はいつものわざとらしい笑顔ではなかった。
    「坊っちゃんよ、俺になにか期待してるってんなら無駄だぜ。俺ぁ家族もいねぇ、金も無ぇ、持ってるのはこの身一つだけだ。」
    「……何の話だ。」
    話が読めないといった様子で首を傾げる清鳳に、鳶蔵は些か苛立ったように続けた。
    「…だから、俺にそんなふうに接したって、坊っちゃんにゃ一文の得にもならねぇってんだ。分かったらそうやってわざとらしく俺を気にかけるのをやめな。」
    鳶蔵の言葉に清鳳は驚いた表情をして言った。
    「僕は君から何か得ようとしているわけじゃあない。」
    「いい子振らなくていいんだぜ。俺にはそんなもの必要無い。何も求めないのに好意的に振舞うなんて気持ち悪い。」
    鳶蔵は嗤笑して言った。
    「去渡『俺』はただ…」
    清鳳が言いかけたその瞬間、その通った鼻筋に水滴が落ちた。清鳳は手のひらを空に向けて上を見上げた。鳶蔵もそんな清鳳を見て上を見た。するといつの間にか鈍色に包まれた空から勢いよく雨が降り注いできた。鳶蔵は驚いて、通学鞄を頭の上に乗せた。清鳳は急いで立ち上がると、鳶蔵の手首を掴んで走り出した。
    「こっちだ!」
    「ちょ、おい…!」
    清鳳は鳶蔵の手を引いて、近くにあった橋の下に駆け込んだ。制服のシャツが雨で濡れて身体にピッタリと張り付いて気持ちが悪かった。鳶蔵は両腕を震わせて水滴を飛ばしたあと、身体に張り付いたシャツの首元をつまんでパタパタと動かした。清鳳はポケットからハンカチを取り出して、無言で鳶蔵に差し出した。首がネジ切れそうなほど顔を背けながら、自分の眼前にハンカチを突き出す清鳳を不思議そうに見つめながら、鳶蔵はそれを受け取った。
    清鳳はそのまま、近くに転がっている丸太に腰を下ろした。鳶蔵はハンカチで服の上から軽く水気を取ったあと、洗って返そうと鞄にしまおうとしたが、清鳳が洗わなくていいと何故か頑なに言いはるので、借りを作りたくはないのにと思いながらもハンカチを返した。そして、まだ止まない雨を待ちながら、鳶蔵も清鳳の隣に座った。
    暫く沈黙が続いた後、鳶蔵は何か気付いたように清鳳を見て、おもむろに口を開いた。
    「…そういや坊っちゃん、今日は体調不良じゃあなかったのかい?」
    鳶蔵の問いかけに清鳳はハッとして、焦ったように顔を背けた。
    「!…別に、なんでもいいだろう…」
    清鳳の挙動不審に鳶蔵は目を丸くして、清鳳を指さして言った。
    「え、まさか坊っちゃん……仮病か?」
    「………」
    清鳳はバツが悪そうに目を逸らしたまま黙り込んでいた。そんな清鳳の反応を見て、鳶蔵はプフッと吹き出した。
    「坊っちゃんともあろうお方が、サボタージュたァな!こりゃ意外だ!」
    鳶蔵はいたたまれない雰囲気の清鳳をよそに、大きく口を開けてケラケラと笑った。本気で笑ったのはいつぶりだったろうか。左頬が信じられないくらい痛んだが、気まずそうな清鳳の顔を思い出すと笑いが込み上げてきて止まらなかった。痛みと可笑しさとで泣いたり笑ったりしている鳶蔵の、初めて見るその表情を清鳳は呆気に取られたようにただ見つめていた。そして鳶蔵が一頻り笑った後、じとりと鳶蔵を睨めつけて、むくれたようにそっぽを向いて言った。
    「…『俺』だって十八の学生だ。サボりたい時くらいある。」
    そう言った清鳳の表情に、鳶蔵は再び吹き出した。
    「ふはっ」
    「なんだ、まだおかしいのか…?」
    鳶蔵は不満げな表情を浮かべる清鳳を見て、目を細めてニッと笑って言った。
    「坊っちゃん、俺は『そっち』の方が好きだぜ。」
    「!」
    また思い出して失笑する鳶蔵の横顔を、清鳳は瞬きも忘れて見つめていた。鳶蔵が再びこちらを見ると、清鳳はハッと我に返って目を逸らしながら言った。
    「……清鳳だ…坊っちゃんと呼ぶな。その呼び方は嫌いなんだ。」
    「わァったよ。清鳳坊っちゃん。」
    鳶蔵はニヤリと笑って言った。清鳳は再び不満げに鳶蔵を睨めつけた。鳶蔵はまたカカと笑って、左頬の激痛に顔を歪めていた。以前より心做しか砕けた様子の鳶蔵を横目で見ながら、清鳳はおもむろに口を開いた。
    「…先日軽い口をきいたことは謝る。悪かった。」
    鳶蔵が清鳳の方を見ると、清鳳は真っ直ぐ鳶蔵の目を見つめて言った。
    「だけど、だからこそ、去渡のことを知りたい。理解は出来なくても、本当のお前に少しでも近付きたい。お前は嫌かもしれないが、俺は勝手につきまとうからな。」
    眼鏡のせいで鳶蔵は今まで気付かなかったが、清鳳の瞳は鮮やかな鶸色をしていた。その力強い眼差しに引き込まれるかのような気がして、鳶蔵は思わず目を逸らした。そして、未だこちらを真っ直ぐに見つめる清鳳から顔を背けたまま鳶蔵は、厄介そうに、それでいて少し照れくさそうに呟いた。
    「…そぉかよ。」
    「じゃあ手始めに、誕生日を教えてくれ。」
    「……七月二十四日。」
    「おお、もうすぐだな。ちなみに俺は二月十日だ。」
    「あっそ…」
    清鳳も自分も、一緒にいて別段得することは無い。それなのに、わざわざ嫌われ者の自分を選んでそばにいようとする清鳳を理解しかねつつも、鳶蔵は決して悪い気はしなかった。雨は一層激しく降り注ぎ、まだ止みそうになかった。もう少しここにいるのも悪くはない。そう思いながら鳶蔵は、清鳳の嬉しそうな声と降りしきる雨音を聞いていた。



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