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    ue_no_yuka

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    師匠過去編3

    鳶と鳳凰 次の年の春、二人は難なく高校を卒業した。清鳳は次期当主として家の仕事を手伝うようになり、多忙な日々を送るようになった。鳶蔵も本格的に刀工見習いとして陸流鍛刀場に弟子入りし、陸流の刀作りを学び始めた。以前より一緒にいる時間は減ったが、時間の合う時は街に遊びに行ったり飲みに行ったりした。他愛のない会話をし、身体を重ねた。そうして、鳶蔵が里にやってきてから八年の月日が経った。八年で里の景色は随分変わった。商店街の祭り広場に接する一角に七階建ての百貨店ができ、その周りにボウリング場やカラオケボックス、ビリヤード場などができ、建物は木造からどんどん鉄筋コンクリートに成り代わっていった。


    一月某日の夕方。百貨店の裏通りにある飲み屋街を、鳶蔵は股引のポッケに手を突っ込んで、白い息をはきながら、清鳳と待ち合わせしている飲み屋に小走りで向かっていた。店の暖簾をくぐって扉を開けると、店内は仕事終わりの男達で賑わっていた。鳶蔵はカウンターに寄りかかって、奥にいる着物姿の東北美人な女将に声をかけた。
    「よォママ、清鳳が来てないか?」
    女将は鳶蔵を見るとにこりと笑って、冷えて赤くなった鳶蔵の鼻に人差し指でちょんと触れて言った。
    「鳶蔵ちゃんいらっしゃい。坊っちゃんなら三卓で待ってらっけよ。」
    鳶蔵はむくれた顔で言った。
    「その名前やめてくれって何度言わせるんだい。三卓だな?」
    鳶蔵は仕切りの奥にある小上がりの三卓を覗いて、馴染みの四角い眼鏡を確認すると、雪靴を脱いで上がり込んだ。
    「待たせたな!」
    上等なスーツに青鹿毛色の髪をジェルでオールバックにまとめた清鳳は、鳶蔵を見るなりプッと吹き出して言った。
    「お前、鼻がトナカイみたいになってるぞ。」
    「うるせっ!お前だって似合わん髪型しくさってからに。」
    「触ってみるか?」
    「うっわガッチガチじゃあねぇか!」
    鳶蔵はジェルでかっちり固められた清鳳の頭を何度も撫でたあと、ベタついた手と手についた匂いに顔を顰めた。そんな鳶蔵を見て一頻り笑った清鳳は、鳶蔵が席に座ると、ネクタイを緩め、シャツの第一ボタンを外した。丁度店員が瓶ビールを運んできたので、二人は互いにグラスに注ぎあって乾杯した。この頃はビールの原料の価格高騰により、その味が戦前のドイツビールを模したものよりも、粘り気が少なく淡白な味になってしまった。しかし、その安価さから戦前よりも広く庶民に親しまれるようになり、このビールの味が日本のビールとして世間に定着していったのだった。
    「っくぅ〜〜〜!うめぇ!」
    「やっぱり最初はビールに限るな。」
    鳶蔵は上唇についた白髭を舐め取りながら、からかうように笑って言った。
    「二十歳まで自分ん家の日本酒しか飲んだことなかった坊っちゃんが何言ってんでい。」
    「うちで飲む時はうちの酒蔵の酒しか出てこなかったんだ。俺はサッポロビールの方が好きだ。二十歳過ぎてからもう四年経つんだから、いい加減その坊っちゃんいじりをやめろ。」
    清鳳は笑う鳶蔵を見てムスッとしながら言った。
    「お前はまだ三年だろ。誕生日きてねぇんだから。」
    「もう一月も終わるんだ。四年でいいだろ。」
    そう言ってため息をついた清鳳の顔に手を伸ばして、鳶蔵は目の下に微かにできた隈に触れた。
    「なんだかお疲れみてぇだな。やっぱ仕事大変か?」
    心配そうに自分の顔を覗き込む鳶蔵を見て、清鳳は嬉しそうに微笑んだ。
    「仕事が忙しいのはいつものことだ。それよりもここへ来る前、鶚(みさご)と鸞子(らんこ)が激しく喧嘩してな。なだめるのに苦労したんだ。」
    「妹らか。喧嘩するったって、十の鸞子はともかく鶚は二十一だろ?一体何があったんだよ。」
    「どうにも、喧嘩の最中に鸞子が鶚の名前を馬鹿にしたらしくてな。ほら、うちは姉さんが鵺子(ぬえこ)で俺が清鳳、末っ子が鸞子だろ?鵺と鳳凰と鸞、全部伝説上の鳥なのに、あいつだけ鶚でただの鳥だって鸞子に言われて、鶚のやつ昔からそれ気にしてたから、プッツンきちまったらしい。」
    清鳳の話に鳶蔵は腕を組んでため息をついた。
    「確かに傍から見れば下らない理由かもしれねぇが、気持ち分かるぜ。俺も自分の名前嫌いだからよ。俺も昔親父に聞いた話じゃ、その日丁度、上野の広場で串焼きを鳶にかっ攫われたからだと。適当に付けるんにも程があるってもんだ。子供に名前つけるときゃもっと責任もってやって欲しいもんだね。まぁ、鮨を作る鶚の方が、串焼きをかっ攫う鳶より何倍もマシだって言ってやれ。」
    鳶蔵は清鳳といるようになってから、自分の名前や両親、特に父親に対する思いが変化していた。ほとんど家に帰らない飲んだくれのろくでもない父だったが、帰ってくる時は必ず母や鳶蔵に土産と称して屋台で買った飴細工や串焼き、煎餅などを持って来ていた。夜伽の相手も、酔って母を無理矢理起こしていたと言えど、母は呆れつつも全く嫌がってはいなかった。いつも酔っ払っていたが、鳶蔵に話しかける時は楽しそうに馬鹿話をしていた。いつか父が教えてくれた自分の名前の由来も、この八年の間にふと思い出したものだった。やはり巫山戯てはいたが、クズ親父が酔って適当につけたクソみたいな名前と思っていた時よりは、自分の名前にどこか愛のようなものを感じるようになった。名前の響きは相変わらず気に食わないものの、鳶蔵と呼ばれることがさほど嫌ではなくなっていた。


    その後二人は酒と料理を楽しみながら、互いに近況の話をした。実は商店街にできた七階建ての百貨店の建設や経営は、花雫家が主体となって行っており、清鳳はその責任者を任されていた。六階の食堂のデザートにパフェを出そうと考えている話をすると、鳶蔵は目を輝かせて喜んだ。鳶蔵も、正式に刀工になるには、刀匠資格を持つ刀工の元で五年以上修業し、文化庁主催の美術刀剣刀匠技術保存研修会を修了する必要がある。作刀技術実施研修は文化庁に指定された鍛刀場で三年かけて行われ、刀剣研磨・外装技術研修会ならびに鍛冶研ぎ研修会は都内の指定の会場で一週間ほどかけて行われる。既に五年の修業を終えている鳶蔵は、研修会が目前だった。
    「じゃあこれからお前は、三年はこの里を離れることになるんだな…」
    清鳳は手に持った日本酒の入ったお猪口を見ながら、寂しそうに目を細めた。暫く沈黙が流れたあと、清鳳はおもむろに口を開いた。
    「今度の誕生日に、正式に花雫の当主になることになった。」
    その言葉に鳶蔵は一瞬表情を強ばらせたが、すぐニカッと微笑んで、机に頬杖をついて言った。
    「おう、ついにか!おめでとう。」
    しかし、清鳳の表情は暗かった。
    「…鳶蔵」
    鳶蔵は、清鳳の言葉を遮るように言った。
    「だァからその名前で呼ぶなっつってんだろ。ダサくて嫌いなんだよ。でも、免許を取れれば俺も正式に刀鍛冶だからな。かっこいい刀工名を名乗って、クソダサい名前ともおさらばだ!」
    鳶蔵は声高らかにそう言ったあと酒の入ったお猪口を一気に煽り、息をついた。そして一重瞼を伏せて手元に視線を落としながら言った。
    「だから、お前とももうおさらばだ。清鳳。」
    清鳳の手から飲みかけのお猪口が滑り落ちた。
    「……え…?」
    「免許取った後、俺は里には戻らない。東京の元々世話んなってた鍛刀場の刀工になる。」
    鳶蔵の言葉に清鳳は目を見開いたまま硬直した。そんな清鳳をよそに鳶蔵はお手拭きを持って、机にこぼれた酒を拭き始めた。
    「おい坊っちゃん、もうすぐ二十四になるってのに飲み物こぼすんじゃあねぇよ。まさかもう酔ってんのか?」
    すると清鳳は机を拭く鳶蔵の手を勢いよく掴んだ。鳶蔵が顔を上げると、清鳳は鶸色の瞳を見開いて、困惑した表情で鳶蔵を見つめていた。
    「聞いてないぞ。」
    「初めて言ったからな。」
    「鳶蔵」
    「だからその名前は…ってもういいか、どうせあと少しの辛抱だしな。」
    清鳳は鳶蔵の手を掴んだ手をグッと握った。
    「俺は、お前が好きだ。」
    そう言った清鳳の声はどこか震えていた。鳶蔵は下唇を噛んで、再び困ったように笑みを浮かべ、宥めるように言った。
    「知ってるよ。だけどな、清鳳…」
    「なら俺から離れていくな…!」
    「駄目だ。」
    声を荒げた清鳳に、鳶蔵は真剣な眼差しで言い放った。
    「お前は花雫家の当主になるんだぞ?いつまでも男の俺と関係を続けてちゃいけないだろ。ちゃんとケジメをつけねぇといけねぇのは、お前が一番分かってることだろ?」
    「……」
    清鳳は俯いて黙り込んだ。鳶蔵はそんな清鳳を見て視線を落とし、自分の手を握る清鳳の手にもう片方の手を重ねて言った。
    「…ごめんな。お前が良くても俺は無理なんだ。このままお前の傍にいれば、俺はきっと我慢できなくなっちまう。お前に愛されることを知っちまったから。だからもう俺は、ただの親友には戻れねぇ。」
    鳶蔵は自分の言葉に胸が痛いほど締め付けられた。鳶蔵にとって他に選択肢は無かった。里で過ごした八年で、花雫という家名の重さも、清鳳の立場も十分に理解していた。誰かからこんなにも求められる、共にいるだけで幸せを分かち合える、そんな相手の存在を鳶蔵は清鳳に出会って初めて知った。だから、この先気持ちを押し殺して友人に戻り、他の誰かを愛する清鳳を近くで見ながら死ぬまで傷付き続けるより、遠く離れた場所でただ思い続けることを選んだ。
    その時、鳶蔵は清鳳の手に重ねた手がさらに包まれる感覚がした。見ると清鳳がもう片方の手で、鳶蔵の手を強く包み込んでいた。清鳳は俯いたまま口を開いた。
    「…なら、我慢しなければいい。俺ももう我慢するのは辞める。」
    鳶蔵は清鳳の顔を見上げた。
    「おい清鳳、何言ってる…」
    目を見開いた鳶蔵に、清鳳は顔を上げて言った。
    「当主になるのはやめる。鳶蔵、一緒にどこか遠くへ行こう。」
    その言葉に鳶蔵は顔を歪め、声を荒らげて言った。
    「馬鹿言ってんじゃねぇ…!!そんなことしたらお前、もう二度と家族に会えなくなるんだぞ!?それでもいいのか!?」
    鳶蔵は清鳳から離れようと、重ねた手を引こうとしたが、上から強く掴まれて動けなかった。
    「それでもいい。……ずっと考えてたんだ。お前と一緒にいられるなら、全部捨ててやる。」
    狼狽の色が動く鳶蔵の真っ黒い瞳を真っ直ぐ見つめ返して清鳳は言った。鳶蔵は言葉を失ったまま俯いた。
    「来週の今日、上りの最終列車の時間まで、駅のホームで待ってる。」
    そう言って清鳳は二人分の勘定を机に置くと、壁にかけていた上着を取って、店を出て行った。鳶蔵は俯いたまま暫くその場を動けなかった。



    一週間後の朝。鳶蔵は荷物を持って鉄道駅にやってきた。駅にはまだ駅員一人と鳶蔵の二人だけであとは人っ子一人いなかった。あれだけ言っておきながら、清鳳に手を差し伸べられれば、その手を拒むことはできないのだと、鳶蔵は自身の意志の弱さを鼻で笑った。それでも、清鳳が全てを捨ててでも自分を望むのなら、喜んでそれに応えたい。鳶蔵は切符を買ってホームに入り、ベンチに腰を下ろした。一月も下旬だからか、ここ最近昼間は暖かい日が続いているが、やはり朝晩は寒い。鳶蔵はズボンのポケットに手を突っ込んで、肩を竦め、襟巻きに顔を埋めた。

    日が南の空に低く上り、駅に人が出入りするようになったが、まだ清鳳は来なかった。昼を過ぎてお腹がすいてきたので、鳶蔵は改札を出入りする人々に注意しながら、駅中の蕎麦屋でかしわそばを食べた。駅中蕎麦屋は改札内と改札前とでどちらからも注文できるようになっている。この駅中蕎麦がまたなかなかの絶品で、たまに清鳳と蕎麦を食べに駅に足を運ぶこともあった。鳶蔵は里に来るまでは蕎麦よりうどん派だったが、超蕎麦派の清鳳に里内の美味しい蕎麦屋に何軒も連れて行かれ、いつの間にか蕎麦派に洗脳されていた。そんな思い出を振り返りながら、鳶蔵は小さく微笑んで、温かい蕎麦を啜った。


    鳶蔵はひたすら清鳳を待ち続けた。太陽が西に傾き、空が橙色になり始めても、清鳳は来なかった。駅からだんだんに人気が減っていき、辺りが薄暗くなり始めたが、それでも清鳳は来なかった。きっと準備にでも手こずっているのだろう。あの坊っちゃんはろくに旅行もしたことが無さそうだ。そう自分に言い聞かせて、鳶蔵は待ち続けた。蕎麦で温めたはずの身体はすっかり冷え切り、耳と鼻は真っ赤になって、足のつま先が凍りそうだった。次第に粉雪混じりの風が吹き始めた。鳶蔵は寒さを凌ぐのに足をベンチの上に乗せ、団子のように丸まって、清鳳を待ち続けた。


    列車の汽笛の音に目を開けると、丁度最終列車が発車していったところだった。鳶蔵は駅のホームを見渡したが、そこに清鳳の姿はなかった。鳶蔵はその後も暫く待っていたが、ついに駅員に帰るように言われ、荷物を持っておぼつかない足取りでホームから出た。駅内の公衆電話の所へ行くと、電話機に十円を入れて、悴む指で花雫家の家電のダイヤルを回した。四コールほどして、花雫家の使用人が電話に出た。鳶蔵は冷えきった唇をゆっくりと動かして言った。
    「…夜分遅くにすみません。清鳳さんの友人の去渡と申します。…清鳳さんに代わっていただけますか。」
    暫くすると電話の向こうで受話器を手に取る音がして、聞きなれた声が聞こえてきた。
    「はい、お電話代わりました。花雫清鳳です。」
    清鳳の声は、いつもの何気ない会話をする時の声色だった。鳶蔵は急に、心臓を握り潰されるかのように苦しくなった。震える声を絞り出して鳶蔵は言った。
    「……なんで来なかった。」
    電話越しに沈黙が流れた。鳶蔵は受話器を持つ、震える右手を左手で押さえつけて、清鳳の返事を待った。暫くして、電話の向こうから声がした。
    「……なんのお話でしょうか…?失礼ですが、どちら様ですか?」
    鳶蔵の脳内は一瞬にして真っ白になった。清鳳が何を言っているのか、鳶蔵には一瞬理解できなかった。しかし、鳶蔵はすぐに思った。清鳳はもう自分を必要としていないのだ。気持ちよく次に進むために、自分との思い出は綺麗さっぱり忘れて、なかったことにしたいのだ。男と関係を持っていたなんて、花雫家の当主として十分すぎるほどの汚点だ。この一週間で、自分にとって何が大切か、清鳳なりに考えて出した答えなのだろう。ならば自分は、それでも愛しいこの男の選択を受け入れる他ない。
    「…あの、どうされました?御用が無いようでしたら、もうよろしいでしょうか?」
    鳶蔵は暫く黙ってその声を聞いていた。恐らくもう一生聞くことはないであろうその声を。そしておもむろに口を開いた。
    「………わかった。じゃあな、清鳳。」
    鳶蔵はゆっくりと受話器を置いた。そして暫くその場に立ち尽くした。外の吹雪で、駅の窓ガラスがカタカタと音を立てて揺れていた。鳶蔵の頭にはまだ清鳳の優しく自分を呼ぶ声が響いていた。大きな手が身体に触れる感触も、重ねた唇も、その熱も、未だ鮮明に残っていた。電話機に乗せていた手に、生暖かい雫が落ちた。雫は幾度となく滴り、落ちる度すぐに冷たくなった。誰もいない駅の中で、行き場を失った思いだけがさまよい続けていた。


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