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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    参拾陸

    呪いはひよこの如くねぐらに舞い戻る 中の上そこには、闇以外何も存在しない空間が広がっていた。しかし、不思議と己の手足ははっきりと見えた。その闇の中は、空気の流れすら感じられないほどに、全てが恐ろしく静かだった。地に足が着いている感覚はなく、自分が呼吸をしているのかすら分からない。これが死後の世界なのだろうか。そう思った瞬間、美鶴は背筋からじわじわと体温が引いていくような感覚がした。死んでも構わないと言ったのは紛れもない自分自身なのに、いざ死んでしまうと次々に後悔が浮かんでくるものなのだと美鶴は思った。鷹山は無事に雪齋を作ることができただろうか。今頃お腹を空かせているのではないだろうか。そういえば最近忙しくて屋敷の二階の空き部屋は掃除ができていなかったが、鷹山は気付いて掃除してくれるだろうか。屋敷の水周りにそろそろ限界がきているので改修しようと考えていたが、結局相談できずじまいだった。そんな今更なことを途方もなく考えている自分に、美鶴は俯いて呆れたように小さく笑った。

    その時、ずっと静寂に包まれていた闇の中で、どこからともなく声が聞こえてきた。
    『鞘を詠削に戻してくれたこと、深く深く、感謝いたす。』
    美鶴は驚いて顔を上げ、辺りを見回した。しかし周囲は相変わらずの闇だった。美鶴が訝しげな表情を浮かべていると、再び声が響いた。
    『友…いや、妻との約束果たせずこの命絶やしてしまった故、ずっと気がかりだったのだ。』
    その声は、落ち着いているがどこか幼く、澄んだ美しい声だった。中性的な声だが、どちらかと言えば男性らしい響きだった。美鶴は声に問いかけた。
    『…あなたはもしかして……奥原月衡公でしょうか?』
    すると声の主は、フッと笑って言った。
    『私があのお方であるわけがない。あのお方は私のように未練がましく現世にとどまったりなどなさらぬ。…妻と私が後世にどう伝わっておるのかは知らぬが、月衡さまの仇討ちのためこの鎌倉に参じた時の、幕府の者共のあの様子、きっと我々の名を歴史に残してはおらぬであろう。故に、現世を生きる貴殿が我が名を知る必要なぞない。』
    美鶴は声の主の正体が気になったが、その口ぶりからも分かるように、聞いても答えてくれそうにはなかった。美鶴は別の疑問を声の主に投げかけた。
    『…私は、死んだのでしょうか…?』
    『貴殿は死んではいない。ただ私が貴殿に感謝を伝えたかった故、ここに呼び申したまでだ。』
    それを聞いて美鶴は胸を撫で下ろした。
    『なら良かった…』
    安堵のため息をついた美鶴に声の主は言った。
    『貴殿にも、待っている者がおるのだな。』
    その言葉に美鶴は、鷹山のことを思い出しながらはにかんで頷いた。
    『はい…』
    『ならば、ここに長居させるのは無粋というものだ。』
    声の主がそう言うと、暗闇だったはずのその空間が、夜明けの空のように白み始めた。驚いて辺りを見回す美鶴に、声の主は言った。
    『今は私が抑えておるが、詠削はまだ鎮まってはおらぬ。後のことは貴殿らに任せてよろしいか。』
    『はい。もちろんです。』
    美鶴は微笑んで頷いた。声の主も心做しか微笑んだ気がした。
    『では…頼んだ……』
    そう言って、声は暗闇と共に消え去り、辺りが光に包まれた。美鶴はその眩しさに思わず目を瞑った。


    目を開けると、見慣れない天井があった。
    「スメラギさん…!!良がった、気が付いだんだな!!」
    「及川さん…」
    長椅子に横たわった美鶴の傍らには、寬久と職員が心配そうな表情を浮かべて立っていた。寬久は涙目で美鶴を見て言った。
    「スメラギさんがなかなか出でこねぇもんだがら、心配んなって部屋さ入ってみれば、刀持って床さ倒れ込んでらったがら、俺っ、もう、死んじまったのがど…!!」
    寬久の目からは今にも雫が零れ落ちそうだった。美鶴はそんな寬久を見て微笑んで言った。
    「生きてます…多分呪いとかも大丈夫そうです…」
    「ほんとけ!?良がったァ…!!」
    寬久の目からついに安堵の雫が溢れ出た。声を上げて男泣きする寬久の隣で、職員は安堵したように床に座り込んだ。
    「はぁ…ここで死人が出たら、私は仕事クビになるところでしたよ…」
    美鶴はそんな二人を見て申し訳なさそうに笑った。どうやらいつの間にか気を失ってしまっていたらしい。美鶴はポケットから携帯を取り出した。そしてその時間を見て勢いよく飛び起きた。部屋に入って箱を開けたのは午前中だったはずなのに、携帯の時計は夕方の七時になろうとしていた。
    「僕、あれからずっと気を失ってたんですか!?」
    動揺する美鶴にしゃっくりをしながら寬久は言った。
    「うん…救急車も呼んだんだけんど、駆けつけた救急隊員の人に、寝不足で疲れきって寝てるだけだって、言われて……」
    「寝っ……」
    では先程の闇の中での会話も全て夢で、自分はただ疲労の限界で寝込んでいただけだというのか。美鶴は己の醜態に言葉を失っていた。するとその時、寬久の携帯が音を立てて振動した。寬久が上着のポケットから携帯を取り出して確認すると、着信は鳶翔からだった。寬久は右手で目の周りを拭い、鼻をすすりながら電話に出た。
    「はい、もしもし」
    『寬久、もう鞘は確認できたか?詠削の鞘だったのか?』
    食い気味に言う鳶翔に、寬久は鼻をすすりながら電話越しに頷いて言った。
    「うん。詠削のだったよ。」
    『なら早く戻ってこい。今花雫が大変なことになってる。』
    「…え?」
    『花雫の人間全員が、高熱を出して意識を失ってるんだ。鷹山は無事だが、雲雀の容態が特に悪くて一刻を争う。詠削を持って早く戻ってきてくれ。』
    寬久は鳶翔の言葉に耳を疑い、焦った様子で言った。
    「な、何言ってんだ鳶翔さん!?どうなってんだよ!?」
    『いいから早く戻ってこい!』
    電話の向こうで鳶翔がそう叫ぶと、通話が切られた。寬久は状況を理解出来ず困惑した表情で固まっていた。そんな寬久を見て美鶴はなんとなく通話の内容を理解し、鞘に収まった詠削を素早く桐箱にしまうと、携帯で電車の時間を調べ、未だ立ち尽くしている寬久に言った。
    「今から急いで東京行きの電車に乗れば、新幹線の終電に間に合います!及川さん、走りますよ!」
    美鶴は職員にお礼を言って走り出した。寬久はハッとして美鶴の後を追いかけた。


    鷹山が雪齋を持って花雫の屋敷にやってくると、案の定、夕依と燕匁の熱は次第に落ち着いていった。しかし、雲雀だけは依然熱が下がらず、医者が付きっきりで看病していた。鷹山と鳶翔は雲雀の部屋へ行くと、枕元に腰を下ろし、その傍らに雪齋を置いた。雲雀の顔は高熱で赤紫色になって、身体中に脂汗をかいていた。苦しそうに顔を歪めて、酷く魘されていた。
    「婆さん、しっかりしろ。」
    鷹山は雲雀の手を握って声をかけた。その手は燃えるように熱かった。すると雲雀は鷹山の声に、蘇芳色の瞳を薄らと開いて、絞り出すような声で言った。
    「……清…鳳さん……」
    熱のせいか、どうやら雲雀には鷹山が祖父の清鳳に見えているようだった。鷹山は雲雀の手を握る手に少し力を入れ、さらに近付いて言った。
    「俺は鷹山だ。婆さん、気をしっかり持て。」
    そんな鷹山に、雲雀は苦しそうな顔で微笑んで言った。
    「清…鳳さん……迎えに来て下さったの…?てっきり、来て下さらないものと…思っていました……」
    雲雀の目には未だ鷹山の姿が清鳳に見えているようだった。雲雀は苦しそうに歪んだ表情の中で、愛おしそうに鷹山を見つめながら言った。
    「でも、もういいの……生きている間、私のそばにいてくれただけで、私はもう…十分幸せでした……だから、あなたも本当の…幸せを………」
    雲雀の手から力が抜け、ゆっくりと瞼が閉じていった。さあっと血の気が引いていく感覚がして、鷹山は目を見開いて恐る恐る声を出した。
    「……ばあさん…?」
    しかし雲雀の目が再び開くことはなかった。しかし医者は、雲雀の額の汗をタオルで拭き取りながら言った。
    「意識を失ってしまったようです。亡くなってはいません。」
    それを聞いて鷹山は胸を撫で下ろした。しかし、また苦しそうに息が上がり始めた雲雀を見て、鷹山は心が休まらなかった。その様子を背後で見ていた鳶翔は、憔悴している鷹山の肩に手を置いて諭すように言った。
    「雲雀は俺がみてる。お前は少し外の空気でも吸ってこい。」
    「……分かった…」
    鷹山はゆっくりと立ち上がると、おぼつかない足どりで部屋を出ていった。その様子を見届けて、鳶翔は鷹山が座っていた雲雀の枕元に腰を下ろすと、横たわる雲雀の顔を見ながら目を細めて言った。
    「雲雀、あいつがお前といて不幸だったはずがねぇ。お前はあいつには勿体ないくらい良い嫁さんだ。だってお前はそうあろうといつも死にものぐるいで努力してただろ。あいつはそういうのちゃんと見れるやつだった。もしあいつがお前といて不幸だったなんて言うなら、俺があいつのこと、泣くまで殴り飛ばしてやるよ。」
    そう言って鳶翔はニカッと笑った。窓の外ではまだ、静かに雪が降っていた。



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