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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    参拾漆

    呪いはひよこの如くねぐらに舞い戻る 中の下 鷹山は雪齋を持って暗く長い廊下を歩いて、奥の間へやってきた。奥の間は以前のようなおどろおどろしい雰囲気は無く、空気が澄んでいて、ただの広い部屋だった。辺りを囲んだ灯火だけに照らされた薄暗い部屋の中、鷹山は最奥の祭壇に歩み寄り、その正面に腰を下ろした。天井から垂れ下がった三つの垂れ幕を見ながら、鷹山の中にふつふつと煮えたぎるような感情が湧き上がってきていた。家に縛られ、記憶を奪われ、大切な人を失い、今もまた一人失いかけている。何百年もの間先祖達も、きっと同じように苦しんできたのだ。鷹山は両腕を冷たい床について、拳を握りしめた。

    全ては詠削のせいだ。
    否、詠削を打った忠蘭のせいだ。
    否、詠削だけを侍女に託した月衡のせいだ。
    否、奥原氏を滅亡に追いやった幕府のせいだ。

    そうやって頭の中で取り留めもなく責任転嫁をしていると、何かのせいにすることしか出来ない己の無力さだけが、重くのしかかってくるのだった。鷹山にも分かっていた。これは誰のせいでもない。長い歴史と、そこで懸命に生き、ただ純粋に誰かを愛した人々の思いが、今も静かに降り積る雪のように、この花雫家を覆い尽くしているだけなのだ。

    「……みつる…」
    鷹山は目を固く閉じて、小さな声でその名前を呼んだ。どんなに辛く苦しい時も、美鶴がいれば、隣で笑っていてくれれば、全て乗り越えていける気がした。鷹山は握る手に力を込めた。
    今すぐ美鶴に会いたい。
    声が聞きたい。
    花のような笑顔が見たい。
    暖かいその身体を抱きしめたい。
    「美鶴……」
    その瞬間、冷えきった鷹山の肩に暖かい手が触れる感覚がして、薄茶色の柔らかい髪が頬に触れた。
    「はい。ここにいますよ。」
    驚いて鷹山が顔を上げるとそこには、少し息を切らして、頬を寒さで赤く染めた美鶴が、鷹山の隣に座って微笑んでいた。
    「…っ…美鶴…!」
    鷹山は力一杯美鶴を抱きしめた。美鶴は苦しそうに鷹山の背中を軽く叩いた。
    「ようちゃん、仕上げをしないと。まだ詠削の力はおさまっていません。」
    「仕上げって、何をすればいいんだ。」
    「…さぁ、僕にも分かりませんが……祈る…とか?」
    「祈る……」
    ふと鷹山は、初めて詠削を見た時に雲雀が言っていた言葉を思い出した。
    『ここでは当主が中心となって、ご先祖さまに祈りを捧げます。その際、当主はあの刀を持って舞を舞うのです。』
    舞を舞う…刀と舞……鷹山は顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、ハッと思い付いたように顔を上げると、同じように考え込んでいた美鶴を見て言った。
    「美鶴……夜叉剣舞は踊れるか?」
    鷹山の問いかけに美鶴は何か察したように瞬きをして、にこりと笑って言った。
    「はい。あの後ようちゃんが踊ってるビデオを百回は見ましたから、大体は覚えてます。」
    「…流石だな。」
    鷹山は美鶴の発言に小さく苦笑いを浮かべた。


    鷹山は屋敷に戻って扇子と帯紐を二つ持ってくると、それぞれ美鶴に手渡した。美鶴は鷹山に言われた通りに帯紐を腰に巻き、扇子と詠削を差し込んだ。詠削は鞘のせいでずっしりと重く、帯紐をきつく巻かないとすぐに落ちてきそうだった。鷹山も同じように雪齋を帯刀すると美鶴の目を見て言った。
    「分からないところは俺の動きを見て合わせろ。」
    「はい。」
    美鶴も鷹山の目を見て、明るい表情で頷いた。


    鷹山と美鶴は部屋の真ん中で向かい合い、片膝をついて左手を鞘に右手を柄に添えた。そして、互いに呼吸を合わせ、同時に立ち上がった。その拍子に美鶴は、詠削の鞘の重みによろけかけた。美鶴は左足に力を入れて何とか体勢を立て直した。そして、静まり返る奥の間の真ん中で灯火に照らされながら、二人は互いの目を真っ直ぐ見つめあって、あのたてがみのような白い毛を揺らすように、軽快に舞い始めた。そして再び呼吸を合わせ、二人同時に鞘から刀を抜いた。当然模擬刀と違って真剣はそれなりに重いが、雪齋は特に刀の大きさに比べて通常よりも重かった。鷹山は柄を握る手にグッと力を入れた。息を合わせて斬りかかった。二振の刃が触れ合い、キンと澄んだ音が奥の間に響き渡った。鍔擦り合いをし、後方に飛び退いてから、呼吸を合わせ再び斬りかかる。二振の刀は灯火を反射して、白銀色と黒鉄色にゆらゆらと輝いた。
    刀を扱うことに慣れている鷹山と違い、美鶴は初めて振るう真剣の重みに次第に腕が痺れ始めた。美鶴は刀を途中で落とさないよう、右手に力を入れてしっかりと柄を握りしめた。曲調が変わるタイミングになると、二人は息を合わせて扇子を取り出し、左手で持ち音を立てて開いた。軽快でありながら力強く、激しくも流れるように。鷹山は美鶴の薄茶色の瞳を、美鶴は鷹山の濃い鶸色の瞳を見つめて舞い続けた。

    すると、鷹山の頭の中に声が聞こえてきた。鷹山は舞を舞いながら、驚いたように目を見開き、声に耳を傾けた。その声は初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい声だった。
    『ようちゃん、将来は刀鍛冶さんになるんですね!』
    『いや鷹山、お父さんと同じ鍔鍛冶だよな?お父さんと一緒がいいよな?』
    濃い霧が晴れていくように、ゆっくりとその場景が頭の中に浮かび上がってきた。鍜冶屋敷の天井を背に、二人の男女がこちらを覗き込んでいた。女の方は鷹山にそっくりの顔で微笑んでいて、男の方は焦った表情を浮かべていた。
    『かたな』
    幼い鷹山の声がそう言うと、女は手を合わせて嬉しそうに言った。
    『ほらやっぱり!ようちゃんなら刀鍛冶さんだと思いました!』
    『そんな……』
    男は酷く落ち込んだ様子で項垂れた。そんな男を見て女はくすくすと笑っていた。

    鷹山は思い出した。それは鷹山の父と母だった。その瞬間、頭の中の霧が勢いよく晴れていくように、今まで微塵も思い出せなかったはずの両親との記憶が次々に蘇ってきた。両親と鍜冶屋敷の玄関の前で花火をしたこと。海へ釣りをしに行ったこと。市役所前の喫茶店にラーメンと炒飯とヨーグルトパフェを食べに行ったこと。三人で川の字になって寝たこと。父に肩車されたこと。母にしつこく頬をつつかれたこと。そんな二人が突然いなくなって、一人になったこと。心臓が握り潰されるように、ぎゅっと胸が痛み始めた。

    霧はさらに晴れていった。
    『ヨウチャンさみしいと、ヨウチャン好きな人みんなさみしいになりマス…ヨウチャンうれしいとみんなうれしいデス…ワタシもヨウチャン、うれしいになってほしいデス…』
    そう言った幼い子供は、鷹山を優しく抱きしめた。柔らかく温かい腕に包まれて、鷹山の視界はじわりと滲んだ。
    「…みつる…」
    そう小さく呟いた鷹山を見て、美鶴は舞を続けながら目を瞬かせた。しかし鷹山の瞳はどこか遠くを見ているようだった。鷹山の頭の中に、美鶴との記憶が次々に蘇ってきた。一緒に過ごした十六年前の夏のこと。再び会った十年前の秋のこと。十六年前、美鶴にプロポーズされた時のこと。美鶴に愛されることが、幼心にどうしようもなく嬉しかったこと。

    二振の刀が高いところで触れ合って、その澄んだ音が最後に奥の間にこだました。鷹山と美鶴は白い息を切らして、しばらくの間、触れ合ったその切先を見つめていた。その時、鷹山の頬に一筋の雫が伝った。鷹山は掲げていた刀を降ろして美鶴を見た。美鶴も刀を下ろして左手で鞘を支えながら、鷹山を見つめ返した。
    「思い出した…全部……」
    その言葉に美鶴は少し目を見開いた後、嬉しそうに目を細めた。鷹山は左手で胸を抑えて言った。
    「…父さん…母さん……」
    鷹山の目から再び雫がこぼれた。胸を抑える手から扇子が落ちた。鷹山は服をぎゅっと握りしめて絞り出すような声で言った。
    「痛い…苦しい……なんで今まで、忘れていたんだ……」
    鷹山の目から次々に雫が溢れ出した。美鶴はそんな鷹山を見て小さく微笑むと、詠削を鞘に戻して扇子を腰に差し、鷹山に歩み寄って優しく抱きしめた。
    「僕がいます。だからもう泣かないで。」
    鷹山は抱きしめられた美鶴の包み込むような温かさに、その胸の痛みが次第に和らいでいく気がした。鷹山は美鶴の柔らかい髪に頬を寄せ、左手でそっと抱きしめ返した。
    「……待たせて、すまなかった…」
    「いいえ、いいんです。一人でお留守番できると約束しましたから。」
    美鶴の言葉に鷹山は小さく笑を零した。
    「…そうだな…」
    美鶴は嬉しそうに笑って、さらに強く鷹山を抱きしめて言った。
    「…おかえりなさい。ようちゃん。」
    そう言った美鶴を鷹山も強く抱きしめ返した。
    「……ただいま……」
    部屋を囲んだ灯火はそんな二人を優しく照らしていた。雲雀の部屋で、その枕元に座っていた鳶翔は、窓の外を見ると嬉しそうに微笑んだ。止めどなく静かに降っていた雪が、いつの間にか止んでいた。


    広間に続く廊下をドタドタと走る音が近づいてきて、扉が勢いよく開き、寬久が息を切らして入ってきた。
    「ヨウ!スメラギさん!ヨウのばあちゃんの容態落ち着いてきたぞ!他の花雫のみんなも熱が下がったらしい!」
    大きな声でそう言った寬久に、微笑みながら美鶴は口元に人差し指を当ててシーッと言った。寬久が見ると、鷹山は美鶴の膝に頭を乗せて、寝息を立てていた。奥の間の祭壇にある刀掛けには、二振の刀が仲良さげに揃えて置かれていた。


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