天使のいる構図 こと絵画の中では、ある時期まで光は神の出現のシグナルとして描かれた。人間たちはあらゆる手技を尽くして絵の中に神を招きたがり、神はそこかしこの芸術品に映りこんだ。
悪魔の感性からしても、個人的な趣味としても、クロウリーにはそれらの絵画よりその辺の若者のセルフィーの方がだいぶましに思えた。どんなにいい感じに射し込む光にも光源以上の価値を見出さないからだ。我ながらいい文化を考案したと思う。ただ、残念ながらそれらはここには一枚も見当たらなかったが。
美術館は神の似姿で溢れていた。
天使も、イエスもいたが、どれも実際の姿とはあまり似ていなかった。
特に天使は、クロウリーのよく知った彼の姿とはかけ離れていた。絵の中の天使はチョコレートもクリームもとろける渋みのワインも、寿司も、牛フィレ肉に甘口のソースをかけたやつも好きじゃなさそうだし、悪魔の友だちもいなさそうだ。
あいつは見た目だけで言えば天使よりむしろキューピッドに近いなとクロウリーは思った。
柔らかそうな髪も、薔薇色の頬も、いたずらっぽい目も、真っ白い羽根も、彼を思い出させる。けれどやはり、別人だ。天使は恋を解さない。
クロウリーは少しだけ友だちに似ている気がした愛の化身をしばらくの間眺めていたが、やがて飽きた。
外の広場は忌々しいほどに美しい秋晴れで、夜まであの絵の前でじっとしていればよかったなと後悔した。
シャンパングラスに溢れる金色の泡みたいに、眩しくて幸福な陽射しだった。
日除けに入りたいと思ったが、そんなものはどこにもなかった。