1114 世界中から青い色の宝石が姿を消した。
サファイアも、アクアマリンも、ターコイズも、ラピスラズリも、すべてだ。
天使に取り残されたさみしがり屋の悪魔のしわざだった。
クロウリーはそれ以外にも、自分の天使を思い出させるものを地上から消し去ってやろうと躍起になったが、本当に目につく全部を消してしまうのは無理だった。
それほどに天使との思い出は色々なところに形を変えて、いたるところに散らばっていたし、この星自体が彼と過ごした日々そのものだった。
なにもかも、目にしてしまえば思い出して泣きたくなったし、さみしくてしかたがなかった。
誰かの指に輝く指輪にも、街角のショーウィンドウにも、博物館のガラスケースの中にも、青く輝く石は目にする度悪魔を死にたい思いにさせた。悪魔は人間みたいに死にやしないから、思うだけだ。でも十分、ひどい気分だった。
誠実な、純粋な、ひたむきなブルーに誰かが見とれたり、大事なことを誓ったりするのを見たくなかった。自分のはもう永遠に失われてしまったのに。
だから隠した。
存在自体をなくしてしまうことはできなかったから、クロウリーは目にしたそれらを片っ端から買い取って、また、別の石の価値を上げて操って、過去の思い出をねじ曲げて、世界中の青い宝石を自分の手元に集めた。地獄からなにか文句を言われるかとビビったが、意外にもそんなことはなかった。
世界中の青い石を集めて、光を通さない分厚い蓋のついた箱にしまった。
むなしかった。
かなしかった。
さみしかった。
だから、そのまま眠った。悪魔の涙はやわらかな枕に吸われ、かなしい恨み言もだれに聞かれることもなく、消えるはずだった。
クロウリーは、部屋に現れた彼の姿を初めは「夢だ」と思った。彼のフラットに天使が訪ねてくるのはハルマゲドンを未遂に終わらせたあの夜以来だったし、天使の声を聞くことはずっと……もう二度とないだろうと思っていたことだったから。
「クロウリー、なんでこんなことをするの。私の店の通りの、そこの角のお嬢さんは彼女の誕生石の指輪をもらって恋人からプロポーズされるのを心待ちにしていたのに」
「俺だって、だれもかれもみんなから何にも言わずに奪ってきたわけじゃない。ただちょっと市場価値を吊り上げたり、もっといいものがあるってそそのかしただけだ」
実際その通りだった。悪魔は地上の人間みんなからそれらを奪ったりはしなかった。「早くに亡くした夫からもらったただ一つの宝石だから、そう遠くない未来に自分もこの世からいなくなったら一緒に焼いてもらうつもりなのだ」と、そう言った女からには遺された指輪をそのままにしてやった。本当にさみしい者からは奪わなかった。だから、こんなふうに責められるいわれはないはずだ。
「答えになっていないよ。どうしてこんなことをするの?」
天使が他人事のようにぷりぷりと怒ってみせるので、クロウリーは夢の中のことだというのに苦しくなった。
「おまえが」息を詰まらせて訴える悪魔を、天使はきょとんとして見た。
「おまえがいなくなったりするから」
目にいっぱい涙をためて、やっとのことで声にした言葉は彼に届く前に枕に吸い込まれてしまったようだった。
「……ああ、クロウリー」
天使の声はいつも通り、柔らかく優しく、眠る悪魔の耳に落ちかかった。
「きみ、なにか思い違いをしている。私の好きな色は黄色だよ、かわいいきみの瞳の色だ」
「は?」
おまえ何か勘違いしてないか?と言おうとするのを、わかっているからというふうに手で制される。
いや、いやいやいや、ちがう。別にこれはお前のいない間にお前へのお土産を溜め込んでるわけではないんだ。
「とにかく、これはみんなに返しておくからね」
しっかり鍵を閉めたはずの箱を胸に抱いて、天使はふんぞり返った。
「そんなにさみしそうにしないで。待っておいで、きっときみのところに私は帰ってくるからね」
だれにも見られず枕に吸われるはずだった涙にキスを落として、天使は帰って行った。また、クロウリーの手に届かない場所に。
目が覚めた後、部屋の奥、鍵の閉めた金庫の中からクロウリーは宝石箱を取り出してみた。
念の為だ。
あんなのは夢に決まってる。目の覚めた俺には会いにこないあの天使が、きっと自分のところに帰ってくるからなんて都合のいいことを言って、キスまでして帰って行った。
重たい蓋を開けてみると、青い宝石がぎっしり詰められていたはずの箱の中には金色のトパーズが所狭しと押し込められていた。
あの天使、やっぱりものすごくバカだし、俺がいないとダメなんじゃないか?