お茶にまつわる跡塚①ほうじ茶【ほうじ茶】
仕事が終わらない。
目の前の右下に小さく23時と表示されたパソコンから左手を離し、跡部は自分の米神に親指と小指を押し付けるようにしながら掌で視界から光を消した。
先程からうっすらと火照る身体は暖房の効きすぎか、身体が何かを訴えかけているのか。だが、それを敢えて気付かなかったふりをする。
跡部景吾は多忙を極めていた。
「跡部、少し休憩しないか。」
ガチャリとドアノブが回る音と同時に、背後から共に住んでいる恋人、手塚の声がした。
「悪いが、」
「昨日も碌に寝ていないだろう。少しは俺のいうことも聞け。」
そう言って、手塚は跡部の手元に白磁のティーカップと小さな皿の上に砂糖菓子を乗せた盆をコトリと音を立てて置いた。
そして米神を何度も叩く跡部の指をそっと取り、机の上に置いたティーカップの持ち手に絡ませる。
(敵わねえな、手塚には…)
愛しい恋人が淹れてくれた茶を無碍にできる跡部ではない。いつの間にか浅くなっていた呼吸を吐き出し、跡部はティーカップに口を付けて中身を一口含んだ。
「…紅茶じゃねえな?………これは、ほうじ茶じゃねえか。湯呑あったろ。」
疲労でバカになっている視覚は茶色に騙されていたが、華やかな香りの紅茶に相応しい白磁のティーカップの中にはミスマッチとも言える香ばしさを漂わせるほうじ茶が入っていた。
画面から目を離し、手塚の方を見る。今朝、家を出た後から久しぶりにまじまじと見た手塚は、少しバツの悪そうな顔をしていた。
「…紅茶を淹れようとティーカップを温めていたんだが、カフェインは今はやめた方がいいと思ってな。茶葉を入れる前に変えたんだ。…持ちやすくていいだろう。」
いや、見た目と気分ってものがあるだろう…と言いたくなった跡部だが、鼻腔を擽るほうじ茶の香りに、全てがどうでもよくなってくる。熱い茶を舌で転がし口腔を満たす穏やかな香ばしさを味わいながら嚥下した液体が、跡部の胸に温もりを宿していった。
(…それにしても、紅茶を注ぐ前にティーカップを温めておくことを手塚が知っているなんてな。)
そのひと手間の心遣いの証が白磁のティーカップとほうじ茶のちぐはぐな組み合わせかと思うと、跡部の胸に愛しさが込み上げる。
跡部景吾は疲れていた。そして、愛しい恋人の手塚国光にはどこまでも逆らえないのだ。
分かった、今夜は仕事はもう終わりだ。お前の気遣いと愛情に今日は負けてやろうじゃねえの。
ほうじ茶に添えられた砂糖菓子…落雁を軽く口の中で溶かして、跡部は味を分け合うように手塚の首に手を回して口付け、舌を絡ませた。