月 柔らかな月光が差し込む夜更け、ガイアは目を覚ました。
肌慣れぬシーツの感触と、ベッドの硬さがゆっくりと意識を浮上させる。
旅の疲れが残っているというのに、身体は目覚めてしまっていた。
じっと天井を睨んでいるとその薄暗さにも慣れて周囲に視線を転がした。
狭苦しい部屋には備え付けのテーブルとクローゼット、そしてベッドだけ。他には何もない。
うっすらと埃の匂いが感じられる空気は夜半の冷たさを帯びてガイアの肌を撫でる。
ひどく落ち着かない気分だ。
ガイアは寝返りを打って身体を反転させた。
そこには眠っているバルボロスがいる。
微かな寝息を立て、目を閉じている姿を見るのは初めてではないが新鮮だ。
月光に照らされて見えるそのかんばせは彫りの深さが目立つ。
いつも悪辣に歪められる凛々しい眉や形の良い唇も今は大人しくあるべき場所に収まっていて、思わず見惚れるほどに完璧な美貌を形どっている。
間近で見詰めようと身体を動かすと、不意にバルボロスの腕がガイアの背に回されて抱き寄せられた。
起きているのかと顔を見上げると、瞼は硬く閉ざされたままだ。
竜の眠りは深い。おいそれと目覚めることはない。
バルボロスの腕に抱かれたまま、ガイアは番の頬に手を伸ばす。仄かな熱を帯びる肌が心地好い。
竜の硬質な肌に触れることに慣れたのはいつのことだったか忘れてしまった。それほどの時が経つと言うのに、バルボロスの顔をこんなに間近で見詰めたことはなかった。
未だ夢うつつのバルボロスは、ガイアの手に自らの頬を擦り付けて満足げな寝息を漏らした。
平素のバルボロスにはない妙な可愛げを感じ、ガイアは笑みを浮かべた。
目覚めないのを良いことに、頬を撫でてその顔をよく観察する。
瞼を縁取る睫毛が揺れ、頬に影が落ちる。
竜の顔形はヒュームのそれとは異なった趣を持つが、バルボロスの造形は種族を超えた美しさを持っていた。
「……黙ってたら、かっこいいのにな」
普段ならば何倍もの報復が返ってくるような独り言を漏らし、ガイアはバルボロスに魅入った。
これほどまでに美しい顔を見ても、どこか物足りない気がするのはなぜだ。
ガイアはバルボロスの顔を見詰め、じっと考え込んだ。
額に掛かる鬣が悩ましい。
どこを見ても愛おしく、胸が騒ぐほどに美しいのに何かが足りない。
考え込んだ末に、ガイアは気付く。
バルボロスの瞳だ。
今は瞼の奥に隠された月のようなあの目、あれが見られないのはどこか寂しい気がした。
乱れるガイアを視姦する、あの悪辣な目が好きだ。
時に先達として世界を愛しむ柔らかな眼差しが愛しい。
ガイアだけを写すバルボロスの目が、何よりも特別だった。
あの目に見詰められる度に、もっと自分を見詰めて欲しいと思ってしまうほどあの瞳が何よりも愛しく感じた。
今、目覚めはしないだろうか。
「……バル」
小さな声で呼ぶ。
愛しいものを欲する甘い声で、番の名を呼ぶ。
瞼は開かない。
「バル」
聞こえているのかはわからないが、背中に回された腕に力がこもる。
ガイアは首を伸ばして、眠りに落ちる番の唇に自身の唇を重ねた。
触れるだけの口づけを長く長く続けた。
数度、重ねると眠ったまま、バルボロスが応える。
だが、目は覚めない。
「……好きだよ、バル」
同じようにそう言って欲しい。
ねだるように愛を乞う。
他の誰よりもずっと、その目で自分を写して欲しいとそれだけを願う。
番の温度を感じながらガイアは再び目を閉じた。