寒空の下 薪のはぜる音でガイアは目を覚ました。
赤く燃える焚き火に肌が温められて心地好い。
少し離れた場所に毛布にくるまってエレーンとアモレーが眠っている。
今日はクエストを終えて野宿をしている最中だ。
夜営地は森の中、他の冒険者たちが残したのであろう開けた場所に焚き火を置いて周りに雑魚寝をしている。
アレクとスタロン、ガイアで交代して見張りを立てていて、最初の見張りを終えたガイアは仮眠を取っていたのだ。
背中側を見やると、そこにいたはずのつがいの姿が見えない。そのためか夜の寒さが堪えた。
ガイアがむくりと身体を起こすと焚き火の向こうからスタロンが声をかけた。何やら鍋をかき混ぜている。
「ム……起きたか、交代にはまだ早いぞ。次はアレクが見張りだ」
ちらと目線を向けた先でアレクが小さく寝息を立てていた。
「ちょっと目が覚めちゃって……。あのさ、バルがどこ行ったかわかる?」
「バルボロス様なら、つい先ほど起き出して散歩に行かれたぞ」
「そうなんだ。……追い掛けても良いかな?」
「……お前が追うならバルボロス様も許すだろう。あまり遅くならないよう戻れ」
「うん、ちょっと行ってくるよ」
「少し待て、バルボロス様はそう遠くには行っていないだろうが、今日は冷えるからな。これを持っていって差し上げろ」
スタロンが鍋を下ろし、銅のカップに注いで手渡したのは湯気が立つグリューワインだ。
鼻先をくすぐるスパイシーな香りがなんとも堪らない。
「……ありがとう、スタロン」
「身体は冷やすな。バルボロス様が気にする」
「うん」
温かなカップを手にガイアは森の方へと足を運んだ。
夜営地を後にして歩き出す。
夜の森は鬱蒼と繁り、夜啼鳥の声が響いて不気味な雰囲気が満ちている。だが、不思議と恐怖心は湧いてこない。満天の星と三日月が獣道を照らして、孤独の歩みの道しるべとなっている。
木々が作り出す影に縁取られた森は幼い頃に見た影絵劇のそれとよく似ていて作り物のように感じられた。
頬を撫でる夜風は濃厚な土の匂いを含んでいて、アレクとエレーンと冒険をしていた頃を思い起こさせる。
森には、様々な記憶が眠っている。
竜王の島で多くの敵に追われたあの日も、ヴェルダンシアでバルボロスに恋をしたあの時も、森の中にいた。
そのせいだろうか、無性にバルボロスに会いたくて堪らなくなった。
ガイアは自身の竜の血が導く方へと足を進めた。
夜気に冷やされた肌がバルボロスの熱を求めて疼き、愛しい番を想うこの胸が弾んだ。
バルボロスは森を抜けた先、切り立った崖の上に埋もれる岩に腰掛けて夜空を見詰めていた。
ガイアに気が付くとそちらに首を巡らせ、意外そうに目を開く。
「俺様を追ってきたのか」
「うん、起きたら居なかったから……」
「やれやれ、甘やかしたせいか俺様の番は一人寝も出来なくなってしまったな」
「別にそんなんじゃない!」
「そうムキになるな、実際、俺様が恋しくてついてきたのだろう? ん?」
「……そうだよ」
「……来い」
バルボロスに呼び寄せられ、ガイアは隣に座る。すると腰を抱かれてマントを肩に掛けられた。
竜の体温がじわりと肌を温もらせる。
「これ、スタロンがくれたやつ。まだ温かいよ」
「なかなか気が利くな……ふむ、悪くない」
「温まるなこれ……何が入ってるんだろ」
二人は暫しグリューワインを味わって口を閉ざした。爽やかな酸味と甘味が舌に広がり、気を抜けば火傷してしまいそうな熱さが身体に染み入る。
温もりが残るカップを両手で包み込み指先を温めてガイアはバルボロスを見やる。
金の瞳は濃紺の夜空に向けられていた。
「……星を見てたのか?」
「そうだ」
「もしかして眠れなかった?」
「いいや、つい先ほどまでは夢の中だった。だが急に目が覚めたのだ」
「そうなんだ……こんな場所で寒くなかったのか?」
「今はお前がいるだろう」
「……そうだけど」
はぐらかすような言葉の応酬はいつものことだ。
バルボロスが物思いに耽る時は決まってこんな風にすげなく答えながら、ガイアの身体を抱き寄せて離さない。
常人にはうかがい知ることが叶わない孤独を抱え、バルボロスはどれほどの時間を過ごしてきたのだろうか。
ガイアはバルボロスの横顔を盗み見て、その手を握る。夜空から目を離さないでバルボロスも手を握り返した。ガイアがそうしたよりも強い力が込められている。
こんなに寒い夜だと言うのに、重ねた手はひどく温かかった。
黒色の夜空を埋め尽くすように幾千もの星が瞬いていた。宵闇の雲が晴れた空は息を飲むほど目映く美しい。
こんなに見事な星空を二人だけのものにしてしまえる、この状況がガイアの胸を高鳴らせた。
星を見上げてガイアはバルボロスに語りかける。
「バルは、眠れない時にこうしてるのか?」
「……たまにだ。いつもなら朝まで眠ったままだからな」
「そっか」
「毎晩お前を抱いて眠っているのだ、当然眠れるに決まっているだろう」
「またそんなことばっかり考えて……!
もっと、なんか良い雰囲気になることとか考えないのかよ」
「良い雰囲気など下らん。肩を寄せあって睦言でも言い合うか?」
「……俺だけなのか、今の状況にドキドキしてるのって」
「ほう、何を期待しているのだ?」
意地悪く微笑み、バルボロスの指先がガイアの胸を撫でる。抑え込んでいた欲情と快感が刺激され、ガイアの腰が浮いた。
「……早く戻らないと、心配される」
「そうだな。遅くなればナニをしていたかすぐにバレるだろう」
「じゃあ……」
「だが、俺様はもう少しお前と二人でいたいのだ。ガイア」
「……バル。……んっ」
月からガイアを隠すようにバルボロスが身体を抱き寄せて唇を奪う。夜気にさらされた唇は触れるとひやりと冷たい。だが、それも幾度も口づけを交わすうちに熱を帯びていく。
同じグリューワインの味がする口づけだ。
荒く息を吐き、重ね直すごとに互いの瞳が艶を帯びて潤み出す。
握り合った手に力がこもり、強く身体が抱き寄せられて全身の熱を伝え合う。
唇を離し、ガイアとバルボロスは差し向かって見つめ合う。互いの瞳には星空が写っていた。
「……バル、もう少しだけここに居ていい?」
「俺様はそのつもりだ」
「うん……」
肩を寄せ、バルボロスの腕の中から夜空を見上げる。もう寒さは感じない。
ガイアはバルボロスに告げる。
「また眠れない日が来たらさ……その時は俺も一緒にいるから。一人でどっか行くなよ」
「その時が来たらそうしよう。……もう少し寄れ、俺様が寒い」
「うん」
「戻ったらスタロンにこれの作り方を聞いておけ。次はお前が淹れるのだ」
「えー……二人でやろうよ。今度はドーナツも一緒に持ち込んでさ」
「まあ、悪くない提案だな……」
「そうだろ。……星、綺麗だね」
「……ああ」
手を重ね合い二人は夜空を見上げる。
寒空の下、カップが冷たくなるまで二人は肩を並べてそこに佇んでいた。