Heart Beat (ノヴァアル) どうやら僕の身体は人間になったらしい。
らしい、なのはまだいまいち実感がないから。
髪も伸びるようになって身長も少し伸びて、これからも伸びるだろうと言われた。
前は食べなくても眠らなくても普通に活動できたし怪我もすぐに治った。
今は、食べないとお腹が減るし動きも鈍るし眠らないと頭が重くなっていくし怪我も流石にすぐは治らない。
それでも普通の人間と比べると結構丈夫らしくて。
レーヴェが戦う力を今も持っているのと同じで、不死性以外は殆ど変わらないのかもしれない。
身長が伸びることは嬉しい、けれど食べず眠らずができなくなったのは今は少し困る。
だって、休まず朝昼夜動ければパルペブラの復興をもっと手伝えるのに。
そんなことを思いながら今日も僕は生きている。
朝、ベッドで目覚めて身体を起こす。
息を吸って、吐く。
少しだけ、息苦しいような錯覚がした。
「ノヴァ、最近ちゃんと休んでる?」
夏の日のお昼、アルクのお店。
いつものようにアルクのオムレツを食べていたらアルクに声をかけられた。
今日はかなり気温が高いからかお店に来ている人は多く、店内は冷房があるから涼んでいる。
暑い中動きたくないのだろう、僕は暑いのも寒いのもそこまで堪えない。
「休んでるよ」
「シロが飲みに夜こっち来たときまだ見かけたって言ってたけど」
「少し長引いただけだよ。無理はしてない、やれることをやってるだけだから」
アルクは僕を心配してくれているんだろう、こうして用意してくれているオムレツもなんだか少し大きい気がする。心遣いが嬉しくて、同時に申し訳ない。
「でも君少し、いや結構顔色良くないよ。食欲はあるみたいだけども」
「アルクのオムレツは美味しいからね」
本当は食欲はそこまでない。だからといって何も食べないでいると心配かけてしまうし、食べないとコストパフォーマンスが悪くなっていく。
食欲がなくても一番好きなアルクのオムレツなら、という流れはある。
「……止めはしないけどさ、小言くらいは言わせてよ。まとまらない考えもまた勝手に聞くし」
春にお墓参りに一緒に行ってくれてから、アルクは付かず離れずの距離で話をしてくれるし聞いてくれる。
もう充分甘えているのに更に甘えてもいいと言ってくれる、アルクのそういうところ本当に好きだなと改めて思った。
実際のところ、春の頃と比べたらモヤモヤしているつもりはなくて。復興の手伝いもやらなきゃいけないという義務感に追い立てられているつもりはそこまではない。ちゃんと笑えるし、遊ぶこともできてるし、生きている。
だけど、焦燥感は完全になくなっているわけではないと思うし、アルクもだけどライトさんやシロさんたちに心配はかけているのは心苦しい気持ちはあった。
「そうだ、今日はいつ終わる?」
「どうだろう、手伝う作業によるかな」
後回しにされている区域の瓦礫の撤去作業に行こうと思ってはいたけれど。なにか僕に用事があるのだろうか。
「それなら19時に店閉める予定だから、19時の半くらいに店に来て」
「そんなに早くに閉めていいのかい?」
たしか普段は早くても21時閉店だった気がするけれども。
「パルフェから好きにしていいと言われてるからいいの。ついでに明日は休み」
本人がこう言っているのならいいのだろう。僕にお店のことはわからないし。
それだけ言うとアルクは食べ終わって追加注文もせず涼んでる客たちを追い出しに行った。
確かに昼時にいつまでも居座っていたら迷惑か。
だから僕も食べかけのオムレツを口に運ぶを繰り返し、五分も掛けずに食べきる。
うん、今日もアルクのオムレツは美味しかった。
お水を飲んでから息を吸って吐く。
なんだか、朝より呼吸がしやすくなった気がした。
瓦礫の撤去作業の手伝いが一段落する頃、空はオレンジ色に染まりだしている。
いつもならまだ続けるのだけれど、今日はアルクと約束しているから切り上げどきだろう。
流石に暑い中力を使う作業をしていたから汗をたくさんかいている。
土汚れもあるし一度星見の街に戻ってお風呂に入ってきたほうがいいだろうか。
「ノヴァ」
そんな事を考えつつ歩いていたらアルクがやってきた。
お店を締めると行っていた時間より早いけれど、どうしたんだろう。
「まだ早くないかい?」
「お客さんほとんどいなかったからいいの。よく考えたら返事聞いてなかったしさ僕……まずはお風呂と着替えかな」
アルクが僕の手を取って、歩き出す。ごく自然に手を取られて、なんだか触れている掌が熱く感じて。
「アルク、僕汗かいたから……」
「そっか、ノヴァも汗、出るんだねぇ」
なんだか感慨深そうに返されて何を返せばいいかわからなくなる。
そうか、背が伸びるようになって髪も伸びるようにもなったということは、新陳代謝が起こっているということ。まぁ汗自体は前もでたから、そこまで変化じゃないしそもそも造りが普通の人間と違う仕様はあるかもしれないけれど、僕は生きているのだと改めて感じて、胸がきゅっと絞まったような気がした。
「……ノヴァ、春のときより背が伸びたね」
「うん、そう、みたいだ」
僕の手を引くアルクも決して小さくはない、僕と出会ったときより成長して最低でも今170cmくらいはあるのだろう。
そんな今のアルクより昔から僕は大きくはあったけど、その頃より身長差が大きくなっていくのかもしれない。
それを嬉しいという気持ちに嘘はない、けれど同時に。
それは時が過ぎていっているのだと自覚すると、胸の疼きは強くなったような気がした。
「ちゃんと洗って、温まって」
アルクのお店へと辿り着けば、奥の生活スペースにあるバスルームへと放り込まれる。
言われたままに髪を洗って体を洗って身を清めてからバスタブのお湯に浸かると温かい。なにか入浴剤が入ってるのだろうかいい匂いもする、今日の疲れが癒された。
「ノヴァ、温度はどう?」
ゆったりしていると曇りガラスの向こうからアルクが声を掛けてくれる。
「ちょうどいいよ」
「ならよかった、着替え置いとくね。君用、用意したから」
「うん」
アルクの言葉に何故かドキドキする。まるでアルクと家族になったような錯覚がして、嬉しいけれどなんだか怖い。
いいのだろうか、なんて考えてしまう。そんなこと考えるよりできることを探さなきゃ、と。
湯船に口元まで浸かって、何も考えないようにした。
今の僕に必要なのは多分休むことだろう。
それから十分程温まって、お風呂から出る。
水気をバスタオルで拭いてから用意された服をみる。僕の背丈にピッタリで、嬉しい。
前に着ていた服も洗濯してくれたようで、後でお礼を言っておこう。
「ありがとう、気持ちよかったよ」
服を着てからバスルームを出てタオルで軽く髪を拭きながらリビングへと戻ると、ソファに座っていたアルクはなんだか驚いたような顔をしていた。
「やっぱりノヴァはただのワイシャツとズボンでも絵になるねぇ、僕の服着せなくてよかった」
「そうかな、ありがとう。着心地がいいから好きだよこれ」
アルクは僕より背が低いから、僕が着ると袖も裾も少し足りないだろうな。そんな事を考えているとアルクはソファから立つ。
「ノヴァ、ここ座って」
ソファをぽんぽんと軽く叩くので、言われるままに座った。そうするとアルクは僕が持っていたタオルを手にとり、そのまま僕の髪を拭き出す。
「ちゃんと拭かないと」
「……うん、ありがとうアルク」
タオル越しに感じる少し僕より小さな掌がなんだか心地いい。こんなことされるなんて初めてだ。
そんな事を考えてしまって、鼻の奥がツンとした気がした。
「よし、乾いたかな。ノヴァの髪、やっぱりきれいだね」
「ありがとうアルク」
「じゃ、ご飯にしよ。ノヴァのために作ったんだから」
アルクは立ち上がり僕の手を引く。お店の方に連れて行かれると美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。
カウンターの向こうのテーブルにはオムレツやカレー、他にも僕の好きなメニューが並んでいる。
「たくさん作ったからさ、たくさん食べてね」
「残したら?」
「うーん怒るかも。まあ半分は僕も食べるしね」
向かい合って座るとアルクがグラスに氷を入れたジュースを注いでくれる。アルクの方はお酒だろうか。
僕はまだ一応未成年扱いでお酒はダメらしい。まあショウちゃんたちに合わせて来年くらいだろう。
「乾杯しよ」
そう言われて僕も自分の分のグラスを持つ。それに合わせたようにアルクもグラスを持ち上げたから僕も倣って持ち上げて、軽く当ててから飲んだ。
「美味しい」
と呟くとアルクも笑ってくれた。
「ファーランドで最近人気のりんごジュースだって」
「アルクの方は?」
「りんごのお酒」
そんなやり取りをしながら、僕はオムレツやカレーを食べ始める。
僕はどうやら人より食べるらしい。今までは食べること自体少なかったし出された分を食べるだけだったから、あまり意識したことがなかった。
でもアルクの料理はどれも美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。昼はあんなに食欲なかったのに。
「たくさん食べてね」
と、アルクは笑って言う。可愛い。可愛いと思ってしまう。
なんだかそれが嬉しくて僕はまたオムレツを口に運んだ。
食事を終えて片付けをした後歯を磨いて、アルクはお風呂に行って僕はソファに座ってアルクが貸してくれた本を読む。
本当はご飯を御馳走になったら帰ろうと思ったけどアルクが泊まっていってと言ってくれたのでお言葉に甘えることする。
アルクは本当に、優しい。だけどそれは甘いというわけではなくハッキリと言うときは言う人だ。
そして頑固で、一度決めたことはなかなか曲げない。
下手に遠慮しても、アルクを困らせてしまう。
だからつい甘えてしまうし、アルクが笑っていると嬉しい。
もちろん、他の皆も笑ってくれていると嬉しいけど。
アルクの笑顔はとても可愛くて特別で……やっぱり僕は、アルクのこと。
「ふぁ……」
結局本を読まないでぼうっとしていたら欠伸が出た。やっぱり思っていたより疲れが溜まっていたのかも。
温かいお風呂に入ってお腹いっぱい食べたら眠くもなるか。
「眠い?」
お風呂からちょうど上がって来たアルクが声をかけてくれる。時計を見ればもう22時、さすがに少し眠くなってきたかもしれない。
「少し」
「そっか、ならもう寝ようか。僕のベッド使っていいよ」
「え?」
それはちょっとまずいんじゃないだろうか。いやアルクは僕より小さいから二人でも眠れるかもしれないけれど。
正直今アルクと密着するようになるとかちょっと、困る。
かと言ってアルクをソファで寝かせるとかしたくない。
「アルク、僕はソファでいいよ」
「駄目です」
僕の言葉に被せながらアルクは言う。
「今日は徹底的にノヴァ休ませるつもりだからね僕。ちゃんとベッドで寝て!」
「ええとじゃあアルクはどこで?」
「僕はソファで寝るよ」
やっぱりそういうと思った、それは申し訳ない。
「でも……アルクだって疲れてるだろう?」
「……じゃあ一緒に寝る?」
その言葉に驚いて、つい言葉を詰まらせた。
一緒に? アルクと? 一緒に寝る? いや、意識しているのは僕だけでアルクはきっとそんなつもりないんだろうし、でも僕は……。
なんて考えていたらなんだか頭がぐるぐるしてきた。
どうしよう、どう答えよう。
僕が返答に困っているとアルクが僕の顔を覗き込んでくる。思わず顔をそらしてしまったけども。
「対案がないなら僕ソファね」
「ね、寝る! アルクとベッドで寝る!!」
言ってしまった。ここのベッドは二人で寝るには狭い。だからきっと密着してしまうだろう。
でもそれは僕が意識しているだけでアルクは多分そんなつもりなくて、なら僕が飲み込めばいい話だ。
実際かなり眠くなってきていて頭が回らないし横になったらすぐ眠れるだろう。
「よし、善は急げってことで二階行くよ。ノヴァ、もう眠そう」
アルクが僕の手を取って歩き出す。お風呂上がりだからかアルクの手は暖かい。
階段を上がって寝室へ辿り着けばベッドが一つ。先にベッドに潜り込んだので僕も隣に入る。
やはり男二人が寝るには狭くて密着状態だし、アルクの香りがする。好きな匂いだ。
そう言えば同じシャンプーとかを使ったから同じ匂いなのかな、なんて考えてたら意識が途切れていく。
でもその前にこれだけは言っておかないと、僕は口を開く。
「アルク、おやすみ……」
「おやすみ、ノヴァ」
アルクの声が少しだけ笑っている気がして、僕もつい笑って。
そのまま僕は意識を失うように眠りについた。
「ん……」
あれからどれくらい時間が経ったのか、僕は眠りから目を覚ます。
普通の人と比べて睡眠も多くは取らなくても大丈夫だからかこんな風に外が暗いうちに目を覚ますこともたまにある。
上半身を起こしてとなりを見れば、アルクが穏やかに寝息を立てていた。
眠っているとあどけない表情をしているな、可愛いななんてつい笑みが零れる。
もしかしたら僕はアルクの笑顔だけじゃなくてもっと色々な顔が見たいのかもしれない。
「……アルク」
起こさないように静かに名を呼んで、彼の頬へと触れる。
多分僕はずっと前から、出会った時からきっと彼の事が特別だったのだろう。
星の宮で僕は本来なら取り返しのつかない、許されないことをした。
パルペブラへの損害も僕が、そう、僕なんだ。
だけど、皆は、アルクは僕を赦してくれて。これからも共犯者であろうと言ってくれて。
今思えばあのときのアルクの言葉は全部なかったことにはしないけれどもアルクへの一番の罪だけは赦してくれたということかもしれない。
勿論、罪は消えないしなかったことにもならないけれど。
だから僕は皆のためにできることをしようと思う。
「アルク」
もう一度その名を呼ぶ。眠っているアルクは返事はしないけれどふにゃりと笑う。
僕はそっと、アルクの左胸へと耳を当てて聞こえる鼓動の音に耳を澄ませた。
ああ、生きている。良かった、本当に。
君を一度殺してしまった事実は消えない。今生きているから無かったことにはならない。
「……好きだ」
赦してくれたとはいえ、この気持ちは少なくとも今は伝えてはいけないとわかっている。アルクにとっての僕は共犯者で友達で、仲間だ。
いつか伝えてもいいと思えたとき、きっとそのときはすでに君の隣には別の誰かがいるかもしれないけれど。
君が幸せでいてくれるのなら僕はそれが一番嬉しい、そう思えるようになってみせるから。
君と結ばれて、君と幸せになりたいなんて考えないようにするから。
だからどうか、君を好きでいさせてほしい。
「……のゔぁ?」
「あ、ああ起こしちゃったかい?」
アルクが目を覚まして僕を見る。思わずアルクの胸元から顔を離そうとしたが彼の腕が優しく僕の頭を抱いた。
「ん……くっついてていーよ……」
眠そうに呟くとアルクはまた目を閉じて寝息を立て始めた。僕を抱き枕か何かと勘違いしてるのだろうか……いや、これは単に寝ぼけてるだけだろう。
これは、流石によろしくない。寝る前の眠気で思考が回らなくなっていたときと違って今僕の思考はクリアで。
僕の心臓が早鐘を打つ、下手に動いたら起こしてしまうしだけどこんな密着した状態はさっきまでの殊勝な心が一気に煩悩に塗れる!
そう、例えば胸筋は力を入れていないと柔らかいもので……僕の頬はアルクの大きくはないけど確実にある胸に当たっている。
これは良くない、本当によろしくない。アルクの身体は思ったより細いし同じ男だというのに肌は滑らかで柔らかい。
思わず喉を鳴らしてしまい、まずいと思うのに身体は全く動いてくれないし手は勝手に彼の腰を抱いてしまっている。
この状況は明らかに不味いだろうと僕は思うが、打開策が思い浮かばない。
せめてこれ以上変な気にならないためにも目を閉じて顔の位置を少しずらして、アルクの心臓の鼓動を子守歌かわりに聞きながら僕は色々なことを考えた。
僕はこれからも皆と、アルクと一緒にいられる。この気持ちを上手く隠せるか不安だけれどきっと隠してみせるから。
いつか来る日まで、僕は君の幸せを願おう。
そして願わくばその隣に僕が居られたらなんて、そんな夢を見ないようにしながら。
互いの鼓動の音が重なった気がして。
ああ僕もアルクも生きているんだな、と眠りに誘われる意識の中、そんなことを思った。