ボートの上で、天使は焼きたてのフォカッチオをちぎった。
「やっぱりワインじゃなくてコーヒーを持ってくるべきだったかな」
ほら、イタリアだったらこういうときにはカプチーノでしょ? と天使が重ねて問うたので、悪魔はオールを曳きながら応えてやる。
「奇跡で中身を替えたらいいだろ」
「そういうわけにはいかないよ、こういう支度も含めてアナログさを楽しんでいるわけだから」
それに、近ごろ奇跡を濫用し過ぎだと言われてしまったからね。そう口にしながらあっと言う間にフォカッチオは天使の口の中に消えた。そうそれはまさに『消えた』に近い、と悪魔は思った。
近況報告の定例会をしよう、と声を掛けたのは悪魔からだった。なら良い湖畔があると教えてやったのは天使で、そこにボートを浮かべたのは悪魔だった。結局二人ともそれを望んでいて、建前さえあればいくらでも言い訳を重ねてボートデートをたのしめるのだった。
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