僕は知っている「こんなつもりじゃなかった…」
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「…サディアス…」
エイデンはノックをする前に小声で呟いた。
どう話し始めようか、悩んでいたのだ。既に数分ドアの前で柄にもなく、うじうじと悩んでいたエイデンは、まるで告白でもするかのように慎重に言葉を選んでいた。
しかし、エイデンの決心を待たずしてドアはゆっくりと開いた。
「エイデン。」
彼の声は些か弾んでいるようにも聞こえた。
「今ちょうど、君の部屋へ様子を見に行こうとしていたんだよ。安静にしていなくて平気かい?」
サディアスはエイデンを部屋へ招き入れた。
「大丈夫だよ。外に出るなって言われたけど。」
「ハハ、二人して少しはしゃぎ過ぎてしまったからね。」
サディアスは眉を下げて笑った。
「僕なんかのことより、あなたの怪我の方が心配だ。本当に大丈夫なの?さっきから歩き回ってたけど、あなたこそ安静にしてた方がいいよ。」
「何も問題ないよ。外に出るな、とは言われたけどね。」
彼は自分の弱みを見せるのを嫌う。
そんな性格をよくわかっているエイデンには、彼が涼しい顔をして嘘をついているのがわかった。
「また嘘ついてる。何も問題ないわけないよ。僕だってそれくらいはわかる。足音聞こえてたけど、速度がいつもより遅かった。まだかなり痛むんでしょ。」
サディアスはそれを聞いてフッと笑った。
「そんなに私の様子が気になった?」
「…当たり前だよ。」
エイデンが抱えている罪悪感は本物だが、答えがわかっている質問をわざとしてくるサディアスに対して少し苛立ちに似た感情を覚えた。
「本当のことを言うとね、君の様子を見に行くのは少し躊躇していたんだ。」
サディアスはエイデンが不機嫌になったのをすぐに感じ取っていた。
「どうして?」
「君が私と会いたくないかもしれないと思ったから。顔を合わせるタイミングを見誤ってはいけないと思って。」
確かに、2人は喧嘩別れした男女が再会した時のような、微妙な空気感のまま隠れ家に戻ってきていた。
「…僕もそう思ってた。だからすぐにあなたの部屋には行かなかったし、今も直前でやめようと思ってたんだ。でもあなたが、どこか嬉しそうな顔して出てきたから…。」
エイデンは少し戸惑っているようだった。
「私が君の声に気がつかなかったら、きっと君は立ち去ってしまっていたんだろうね。」
「うん。」
「気づいてよかった。君の顔を見るのを自ら先送りにしてしまうところだった。」
サディアスはエイデンに微笑みかけた。
「それはそうと、ひとつ聞きたいことがあるんだが、いいかな?」
「うん、いいけど…」
穏やかな口調ではあったが、こう改まって聞かれるとなぜか身構えてしまう。
「あの時、私の血のにおいがわかると言っていたが、その血のにおいを嗅ぎ分けられる能力は先天的なものなのかい?」
そういえば、エイデンがその能力についてサディアスに話したのは、逃げ出したあの時が初めてだった。
エイデンを見つけだした時のサディアスの表情は安堵に満ちたものだった。
しかしこの時、再び顔を合わせる前からエイデンは彼が近くにいることを感じ取っていた。
彼の血のにおいがしたからだ。
どれだけ必死にエイデンを探したのか、開いた傷口を見れば明らかだった。
「…血のにおいを嗅ぐことが増えてからのような気がするけど…嗅ぎ分けられるなんて便利なものじゃないんだ。」
エイデンは考え込んだ。
「なんていうか…一度嗅いだくらいじゃほとんど覚えられないから…知ってるにおいかどうかを嗅ぎ分けられるだけ。あなたとギルくらいしか分からないと思う。」
「なるほど…」
サディアスはしばらく黙り込んでしまった。
「何か気になるの?」
「君のその能力に今まで気がつかなかった。」
「それも無理ないよ。僕が言ってなかったんだから。」
サディアスはエイデンをじっくり見て言った。
「隠しておきたかった?」
「必要ないものだと思ったんだ。こんなの要らない。」
「どうして?その能力も君を君たらしめる素晴らしいものだよ。」
ーーいつもこうだ。
エイデンは押し黙ってしまった。
この男は絶対にエイデンの存在や持つ力を否定しない。
何が起こっても否定しないのだ。
自分がどれだけ辛い目にあっても必ずエイデンの味方をする。
「…なんで、そんなに優しくするの。」
「なんでと言われても…。」
「理由もなくこんなに人に優しくできるはずがない。」
エイデンはサディアスがどこまでも自分の味方でいるのが不思議で仕方がなかった。
出会った時から現在に至るまで多くのことが起こったのにもかかわらず、彼のその姿勢は変わる様子がない。
「私は他人に優しい方ではないと思うよ。」
「『僕に』って意味だよ。分かってるでしょ。いつも僕の味方してる。そんなの、普通無理だよ。」
自分が普通ではないことはよくわかっているエイデンは、優しくされることに対して喜びと、それよりも大きな戸惑いと不安を感じていた。
「私にとってはそれが普通だ。親が子を守ることと同じくらい自然で当たり前のことだよ。」
サディアスは笑って言った。
「僕はそんなふうに思ってもらえるほどのことをあなたにしてあげた覚えがないよ。」
エイデンにはサディアスにとって悪いことばかり持ってきた覚えしかない。
もっとも、客観的に見て彼のスペクルム特有の力が著しく低下してしまったのも、重傷を負ってしまったのも、根本的な原因はエイデンにあると言っても過言ではないのだ。
エイデンとの関わりを絶てばこんなことにはなっていなかっただろう。
「むしろ僕のせいであなたはろくな目に合ってないじゃないか。」
エイデンが彼に近づけば近づくほど、彼の強さは失われていく。
しかし彼はむしろそれを望んでいるようにさえ見える。
誰が見ても失っていくものの方が多いはずなのに、彼はまるで日に日に多くのものを得ていくような表情で、エイデンの隣に立つのだ。
「確かに最近いろいろとあったことは認めるが、全て私の判断が招いた結果だ。君のせいじゃないよ。」
サディアスは目を合わせられずにいるエイデンを見つめて言った。
「エイデン。確かに君と私は人間とスペクルムという関係だ。そして生活を共にしている。
しかし他の者達と違って私たちは契約を結んでいない。
だから君が私に何かを強要することはできないし、私が君の指示に従わなければいけないなどということもない。
ただ私は私の判断で動いているだけだよ。君が大切だから、君の味方でいる。それだけのことだ。」
エイデンはサディアスの言うことがよく理解できた。しかし、彼が核心を避けて答えていることも否めなかった。
なぜ、大切だと思ってくれるのか。
エイデンはいつもそれを知りたがったが、そのことを知ってか知らでか、彼は常に核心の一歩手前で止まってしまう。
「嘘をついてないのはわかるけど…」
「…君が私の味方をしたから、私も君の味方をするんだ。単純な話だよ。君と一緒にいればわかる。
君が私をどう見ているか。だから、私も君のそばに居続けているんだ。」
サディアスの言葉に嘘があるようには思えなかった。
どう疑ってみても、真っ直ぐな言葉にしか聞こえなかった。
「…僕はあなたに傷ついてほしくない。でも、味方でいてほしい。」
エイデンはサディアスに疑いの目を向けながらも同時に絶大な信頼を寄せていた。
自分が起こす行動によって彼がどのようなアクションを起こすかもおおよその想像がついた。
エイデンが逃げ遅れれば、彼は間違いなく火の海に飛び込んでくるし、大海原に放り出されれば、絶対にダイブしてエイデンを探すだろう。
なぜそこまで自分を気にかけてくれるのか理由がわからなかったが、彼が必ずそうしてくれるということには根拠のない自信があった。
だからこそ、そんな人を失うのは何としても避けたかった。
「私はいつでも君の味方だよ。君がこの先何者になろうとも、それだけは絶対に変わらない。」
エイデンは今でも覚えている。
自分がサディアスに手を貸すよりも前、初めて会った瞬間に彼が自分を見て、誰かの名前を呟いたことを。
その名前こそ、彼が自分の味方をする本当の理由を知るための鍵なのだろう。
しかし、彼はその名前をそれ以降一度もエイデンの前で口に出したことがない。
誰しも人に触れられたくない過去を持っている。
知らない方が幸せなこともある。
「これだけでは満足できないかな?」
「ううん。十分。」
でも、やっぱりあなたは嘘をついている。
僕は知っている。
あなたは、僕が味方をするずっと前から、出会った時から僕の味方をすると決心していたことを。
僕は気づいている。
あなたが、僕に誰かの面影を見ていることを。