「跪け」「跪け」
陰の気を載せた魏無羨の声に従い、凶屍達が両側から藍忘機の肩を押さえつける。岩を積み重ねただけの粗末な玉座に腰掛けた魏無羨は、口元に笑みを浮かべてその様子を満足気に見下ろしていた。
「はははははははははは! 俺に付き纏ってどういうつもりだ含光君? 毎度毎度、夜狩だなんだと夷陵を嗅ぎ回りやがって。お前ら如きが俺の動向を探ってどうする? 何も出来ない無能ばかりの癖に……まぁいい。今日こそはお前に指示を出してる奴の名を……何故跪いていない」
高笑いをしながら立ち上がり、玉座の周りを歩き回っていた魏無羨がふと振り返ると、藍忘機の右肩を押さえていた凶屍の腕は捥げて、左側に居た凶屍は無様にも地べたに倒れていた。当の本人は魏無羨を見つめて元と同じに涼しい顔で佇んでいる。
「藍氏の馬鹿力か」
舌打ちをした魏無羨は口笛で新たな凶屍を呼んで藍忘機の両腕を押さえさせ、苛立ちを隠しもせずに大股で其方に向かっていく。
「藍忘機、よくも無視しやがっ……跪け、って!」
ゆったりとした上衣から細い腕が伸びて藍忘機を掴む。魏無羨は悪態をつきながら全力で肩を押すがその身体はぴくりとも動かなかった。
「ッ、クソ、この馬鹿力め!」
「魏嬰」
藍忘機を跪かせることに躍起になっていた魏無羨が顔を上げる。二人の距離はかつてない程に近かった。鼻先が触れ合いそうな位置に藍忘機の顔がある。
魏無羨は瞬き、頬に影を落とすほど長い睫毛と色素の薄い瞳に釘付けになる。触れてみたいと無意識に伸ばした手が藍忘機の腕に捕まった。
「……ん?」
先程よりも更に近い距離で見つめ合っている。薄い色の瞳が魏無羨の僅かな反応も見逃すまいと食い入るように彼を見ていた。温かくて乾いた何かが唇に触れているのには気づいていたが、それがまさか藍忘機の唇だとは思わず理解するまでに時間がかかってしまった。
「っ! やめろ!」
藍忘機を突き飛ばそうと腕を伸ばした魏無羨は、逆に自分が尻餅をついてしまう。凶屍達がオロオロと二人から離れるが、魏無羨が慌ててそれを呼び戻す前に藍忘機が膝をつき、魏無羨に覆い被さってきた。
「お前、いま、いま……」
手の甲で口元を押さえ、魏無羨が座ったまま後退さる。藍忘機はゆったりとそれを追いかけて、魏無羨の背が岩肌にぶつかると改めて距離を詰めた。
「いま、俺に」
「口吸いをした」
あっけらかんと言い放つ男に魏無羨は呆気に取られて二の句が継げず、ただ見上げることしかできない。
「二度目だ」
「は?」
「君と私が口吸いをするのは二度目」
手首を掴まれ、魏無羨は思わず肩を震わせる。目の前の男が何を言っているのか分からない。
夷陵を度々訪れる藍忘機の言う夜狩が嘘だと気づくのは簡単だった。頻度があまりに高すぎるし、魏無羨や温氏の暮らしぶりを執拗に聞いてくるからだ。だから、こいつは仙門の奴らの指示で夷陵を嗅ぎ回っていると思って……。
長い指に顎を掴まれ、仰向く。身を捩って逃げようとしても膂力の差で敵わず、離せと喚く唇を簡単に塞がれてしまう。遠慮なく入ってきた舌が口の中を掻き回し、顎を掴まれているせいで舌に噛み付いてやることもできない。逃げ惑う舌を甘く吸い上げられ、上顎を擽られると腰から力が抜けてますます好き勝手に荒らされてしまう。
「……これが三度目」
藍忘機の形の良い唇から伸びた銀糸が、魏無羨の力が抜けて開き放しになった口端に繋がっている。頬を撫でていた腕を振り払われると藍忘機はふっと笑みを溢した。
「次は自分から舌を出して」
まるでこれが手本だとばかりに藍忘機がベッと舌を出す。幼子に教えるようなこの言い草に魏無羨はカッとなり、跳ねるように起き上がると藍忘機の肩を掴んだ。
やられっぱなしは性に合わない。かつては春画を目にしただけで怒り狂っていた初心な男にやり返すべく魏無羨は顔をぶつける勢いで近付き、澄ました顔の唇に噛み付いた。開いた口の隙間からジュッと舌を吸い上げて肩を突き飛ばす。
「これが四度目か? 含光君。お前の好きになんて……なに? な、や、止めろ! それは……やだ、落ち着けって、なぁ! 藍湛!」
五度目からは唇以外を吸われてしまったから、魏無羨にはもう数なんて数えられなかった。つい先程まで腰掛けていた玉座に縋りついて肩を震わせる魏無羨は「お前のせいでお尻が割れてもう椅子に座れない」と哀れに嘆く。
「私が全て面倒を見るから大丈夫」
額に唇を落とす藍忘機を振り払ったが失敗に終わり、舌打ちをした魏無羨は身体に絡み付く腕の内側を抓ってやった。
終わり