1224「はぁー食った。美味くて食いすぎた」
食器を二人で下げて、差し出された温かい湯呑みを両手で受け取る。目の前にいるやたらと顔のいい男は藍忘機といい、高校の同級生だ。
濃厚で一方的な高校生活を共に過した割に卒業後はあっさりと疎遠になっていた。が、社会人になって数年が経った今になって駅で偶然再会したのが先月のこと。具合が悪くなったお爺さんを一緒に助けた相手が藍湛だったのだ。
強請って連絡先を交換し、何度か一緒に飲みに行って───此奴は下戸だからノンアルコールだが───そしてクリスマスを一人で過ごすのは虚しいと大騒ぎしたら「イブは私の家で食事をしないか?」と誘われたのだ。
「……いいの?」
「君が嫌でなければ」
「嫌な訳ない! 俺、ケーキ買って行くよ! オードブルとか一緒に選んで、」
「料理は私が用意する」
「藍湛。それってまさか手料理、か?」
静かに頷いた藍湛は何故か耳朶を真っ赤にしていて「君が嫌でなければ」と同じ台詞を呟くように繰り返した。
飛び跳ねて喜ぶ俺の隣で藍湛も微かに微笑んでいて、俺はその時になってクリスマスに家で二人きりで過ごす意味と、藍湛から誘われたことと、それを嫌だと思わない自分に漸く気が付いたのだった。
*
ケーキを食べて食後のお茶を飲んでいる今、俺が「そろそろ帰ろうかな」と言ったら、俺達はこれからも友達で「帰りたくない」と言えば恐らく、関係が変わる。ただ一言を言えばいいだけなのに、それがどうにも恥ずかしくて中々言い出せずにいた。十代の女子でも今はもっと積極的だと聞くのに……経験の差だろうか。
ふらふらと生きてきたのに実を言えば恋人がいた経験も誰と身体を重ねた経験も無くて、練習も予備知識も無く大舞台に立たされている気分だ。
いや、幾ら自分に言い訳しても何も起こらない。控え目で上品で大人しい藍忘機の性格は熟知している。部屋に誘ってくれたのが奇跡のようなものだ。魏無羨、今こそ男を見せるしかない。
「おっ、おれ……」
決意とは真逆の随分と情けない声が出て、羞恥で顔がカッと熱くなる。唇を噛んで仕切り直そうと息を吸う。
「俺、」
「終電が、もう無いのか?」
言葉を被せるように藍湛は視線を落としたままそう言った。終電の話なんて一言もしていないし、実際には終電まであと一時間以上ある。
まさかこんな下手くそな台詞を用意していたのか? あの、藍忘機が?
「終電が無ければ、ここに、とっ、とま」
藍湛が握る湯呑みはカタカタと小さく震えている。普段は簡潔に澱みなく話すこの男が肝心な言葉を噛む姿は、あたたかな何かで胸をいっぱいにするのには十分だった。緊張しているのは同じで、それに気付いてしまえば、愛おしい以外考えられなくなる。
震える湯呑みを包むみたいにそっと手を重ねた。
「お前ん家アクセスがいいから電車はまだあるよ。……藍湛、言って」
「魏嬰。私の家に泊まって」
目元を赤くして、一生に一度の勇気を振り絞ったみたいに藍湛が言う。高校生だった頃は殆ど交わらなかった視線が今は真っ直ぐに絡んで、湯呑みを握っていた筈の指が今は俺の指を掴んでいた。
「もちろん! そのつもりで来たから歯ブラシも替えの下着も持ってきてるよ」
すぐ隣にベッドがあるのにラグの上に押し倒されて、ぶつかるみたいな勢いで唇を塞がれる。初めて触れた自分以外の舌は燃えるみたいに熱くて、ふざけて歯を立てると息が出来ないくらいにやり返された。
終わり