紫煙「……なんですか、この匂い」
初めて遠野の部屋に足を踏み入れた君島は、即座に眉を顰めた。
「あ?シーシャか。最近ハマってんの」
「……アナタ、その見た目で水タバコなんてやったら、余計に怪しいですよ」
「その見た目って何だよ」
実際、艶を湛えた黒髪は今では腰の辺りまで伸びており、ゴシックテイストのファッションに身を包みメイクを施した遠野は、大学でも近寄りがたい存在として扱われていた。当の本人は一切気にしていないが、君島がちくりと刺す棘には一応の反応を見せた。
「また変なモノに手を出して……紙タバコならまだしも」
「紙は臭ェじゃん」
「こんなのを吸っている人が言っても、説得力ありませんけど」
部屋に漂う甘ったるい麝香の匂いは、動物性特有のぎとぎとしたしつこさを纏い、君島の不快感を煽った。壁にかけられたなんとも残虐な処刑の絵画に薄暗い照明も相まって、ただのワンルームはまるでこの世の果てのようだった。
「あ、アイツ、タバコ忘れていきやがったな」
「アイツ、とは?」
「同じゼミのヤツだよ。服の趣味が合うんだ」
「それは大分良いご趣味のご友人ですね」
「うるせ」
君島は遠野に友人がいることに驚き、また遠野も驚く君島を咎めることもなかった。ぶつりと途切れる会話も、二人にとっては何もおかしいことはない。
「……一本、いただいてもいいですか」
「は?お前、タバコなんて吸わねえだろ」
「吸ってませんよ、今は」
星が並んだパッケージを手に取り、テーブルに転がっていた安物のライターを点ける。高級品しか触れたことのないような細い指先が存外俗っぽい動きをするのを、遠野は不思議な心持ちで眺めていた。
「……随分、ウマそうに吸うんだな」
「色々あるんですよ、この業界は」
慣れた仕草で肺まで吸い込み、すうっと目を細める表情に、欲情した。遠野は君島の手を上から掴み煙草を灰皿に押しつけ、煙を吐き出したばかりの唇を塞ぐ。気がつけば背中は床に張りつき、天井がぼんやりと滲む。苦味の中にほんのりと香るバニラのフレーバーは、意外にこの男によく似合う、と思った。
End.