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    さぴえんす

    @sapiens_svn

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    さぴえんす

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    スチパンパロ

    「で。何か言うことは?」
     少年は赤い髪を乱したまま、目の前の青年に問いかける。
     本来でいえば少年が見上げるべき箇所にあるはずの青年の紫混じりの銀のつむじは、青年が店の扉を開けた直後に犬が潰れたような声をあげたまま走り出し即座に膝を折らせた少年の小さな手によってこれでもかと押しつぶされていた。
     それを意にも介せずにこにこと——あるいはへらへらと笑う青年の膝下には、回路が焼け焦げ煙を放つ素人目にも「壊れている」と理解できる義肢らしきものがひとつ。

    「壊れたから直してください!」
    「そう言うのは壊したっつーんだよアホ七星!!」

     言うが早いか少年はつむじを押さえる手にねじねじ体重をかけ始める。七星が絶えず笑っているのもあって見ようによっては微笑ましいそれは、今の『少年』にとっての最大出力ではあっても本来のものとは程遠い。なんでこいつが尋ねる時に限ってガキの姿なんだよ、と少年の唇がかたどった。


     『少年』——不破十紀人は、日も差さぬ蒸気町が一角に居を構える装具店の店主である。そして本来は三十、どころかもっと歳を重ねているかもしれない男だ。
     なんでも昔ソリの合わない金物屋の娘と色恋沙汰で揉めたらしく。何がどうしてそうなったかは不明だが、娘の方は『夢の中でこそ生きている存在』として姿を眩ませ、十紀人の方は『生きながらに誰かの夢である存在』として確立してしまった。
     要は不破十紀人という男は見る時間見る場所見る人間によってそれぞれ姿も質量も変わるビックリ人間と化したのだ、とは本人談である。
     当然ながらその度身体の大きさが変わっていては仕事もままならず、仕方なしに十紀人は蒸気に満ちた裏路地でひっそり家業を続けていた。そんな寂しさと湿度、白く濁ったスモッグしか残っていない店に尋ねる変わり者たちだけが今の彼を観測する数少ない人間なのだ。
     その風貌は『少年』であったとしても常にどこか永い年月を抱えた大人、もしくは老人のようにすら見えるものの。今こうして七星と戯れているぶんにはまさしく子供(ガキ)の様相を呈するに留まっていた。
     通常十紀人が姿を変える条件には観測者以外にもタイミングや時間帯が関係しているせいか同じ人間が訪れても必ずしも同じ姿ではないらしいが、七星が来る時はそのどれもバラバラで唐突な訪問でありながら毎回幼い子供の姿になってしまうらしい。
     今回も例に違わず、勢いよく開いた扉の軋む音が耳に届くより先に直前まで青年の姿を保っていた十紀人はその素晴らしき177cmの視界を失い代わりに本来腰ほどの高さに届くはずの机で目の前を塞がれた。己の身体とはいえ営業妨害にも程があるというものだ。

    「うるさいな…さっきまで暇してたろ。客が来ない客がこない〜って」
     そう橙の目に長い睫毛を重ね言葉を降らせるのは今の十紀人よりもむしろ七星に近い体躯の、それでもどこかあどけなさを残す青年。ステップフロアの手すりを掃除する途中だったらしく、はたきを片脇に挟みながら見下ろす彼に七星がぱっと顔を上げ——ようとして頭を押さえ込まれる。代わりに両手、と言っていいのかも不明だが七星にとっては生身の両手をぱたぱたと翼のように動かした。

    「一夜〜!おはようっ久しぶり!」
    揺れる七星の両手にはそれぞれ肘から先、そして肩から先がない。聞けば足やどころか体幹までどこかしらにパーツを埋め込んで生活しているらしかった。前に理由を聞いても碌な答えは返ってこなかったが、先天性のものではないようだ。しかしそもここを尋ねる人間に完全な五体満足など業者か行楽中の貴族くらいのもの、一夜と呼ばれる青年がここで働き出してから特に珍しくもないことだと割り切るまでにはそう時間が掛からなかった。

    「天馬さん。久し、ぶり…なんでしょうか?」
     そう曖昧に笑う一夜の脳裏には三日前に整備してもらったパーツを持って笑顔で扉をくぐっていった七星の姿が浮かぶ。たしかその時も店主である十紀人は少年の姿のまま、二度と来んじゃねえなどと叫んでいた気がしたが。
    「久しぶりじゃねえよ…どうやったら三日でここまでぶっ壊すんだよ……」
    「えーっと」
    「いやいい。知りたくない」
     十紀人は苛立ちと共に訪れたハイがおさまってきたらしく、今度は陰鬱なオーラをまとって三年は持つはずだっただの結構高いパーツ使ったんだぞだのとつぶやいたのちため息をついた。
     十紀人は問いに答えようと指を立て虚空を見つめ始めた七星の頭からようやく手を離すと、苦々しげに手を差し出す。
    「ほら、直してやるからそれよこせ」

     はあい、と七星は膝を折った状態から体を曲げ足を揃えたまま立ち上がり、目の前の義肢を足の甲に引っ掛けるようにして持ち上げる。
     そして細く一息口から漏らすと同時、その足を軽く蹴り上げた。慣性のまま義肢が両者の間をしばし舞う。
    そうして降ってくる義肢を二の腕が残っている方の手で受け止め、七星は笑顔で義肢を十紀人に手渡した。

     その一部始終を捉え一夜は目を丸くする。今までの七星はもっぱら足の方の義肢を壊していたからかその光景を見るのは一夜にとって初めてだったが、随分と器用にこなすものだった。十紀人が七星に作る義肢は他より重く、また精密なバランスで成り立っている。多少壊れているとはいえ——むしろ壊れているからこそ、少しの衝撃で部品のそれぞれが分離し自重で決定的に壊れかねない。
     しかしそれを驚きもせずに受け取るあたり、というよりも両手がない状態の客に足元のものを拾わせるあたり十紀人にとっては七星のそれは日常茶飯事なのだろう。
     …そもそも壊れているとはいえ本来高価なはずの義肢を目の前で蹴り上げさせている時点で十紀人の肝が異様に据わっているだけなのかもしれないが。

     と、そこまで考えたあたりでまた十紀人が七星の頭を押さえ始める。義肢修理の大体の見聞が終わったらしかった。
    「あー、ああ、あーあーあー!ここ回路まるっきり焼け焦げてんじゃねえか!なんだ?逆立ちのまま十秒で地球一周しようとしたのか?それとも象背負って一億回腕立て伏せでもしたのか、ん?」
    「えっ、店主さんそんなことするの?」
    「しねえよ。そうでもしないとここまで壊れねえっつってんの!」
     …やはり見た目に引きずられているのだろうか。七星といる十紀人は普段よりもだいぶ幼いというか、有り体にいえばいささか幼稚でムキになりすぎるきらいがあった。
     一夜ははたきを定位置に戻すと手を軽く払いながら階段を降り始め、店の入り口へと歩を進めると十紀人の小さな背に声を投げる。
    「はいはい。じゃれてないでさっさと修理しに行きなよ、俺対応しとくから」
     助かる、と一夜に笑い十紀人は義肢を手に店の奥に引っ込んでいく。一夜はここの従業員でありながら実際に義肢の修理を行うことはできない。仕事といえば広く混み合った店内の掃除か、しょっちゅう大きさも——ともすれば人格さえ変わる十紀人の生活上のサポートくらいのものだった。
     必然的に十紀人が一人で義肢の整備のみならずパーツの発注、そして会計管理を行っている状態なのだ。その本人が妙に話好きであるからか客ごとに会話が弾んでしまい、結果一週間分の仕事をまとめて定休日に捌いている姿も珍しくはなかった。
     そもこんな人の声どころか動物の気配すらしない路地では、訪れる客と従業員くらいしか店にこもっている十紀人には話し相手というものがいない。その上従業員である一夜も口数が多い方ではないので彼のフラストレーションを発散するには注文を得たこの時間しかないのかもしれないが、しかしその辺りに心を鬼にする程度には一夜は真面目である。最終的に目の下に濃くクマをつけた姿を何度も見せられては仕方がないことだろう。


     立ち話もなんだからと一夜が革張りのソファを手で示すと、勢いよく座りこんだ七星の身体が二度三度跳ねた。新調したソファのスプリングはずいぶんお気に召されたらしく、バランスの悪い四肢を楽しげに動かしながら銀髪は宙を舞い続ける。
     そこにお茶を出そうとしてポットを用意しかけて一夜がふと手を止め、代わりに何も持たず向かいのソファに腰掛けた。

    「…そういえば。天馬さんって、これだけ義肢を壊してますけどお金とか大丈夫なんですか?」
     そう、七星は相当高い頻度で義肢を壊しては修理を頼みに店に持ち込んでくる。十紀人の店は比較的良心的な価格とはいえ、義肢というのは本来高額なものだ。何せ普通は三年どころか大事に使えば十年だって持つ高性能かつ精密な機械である。当然、修理費だって馬鹿にならない額となる。その割に七星はいつも一括でどんと現金を置いて去っていくのだ。
     しかし七星の風貌はいかにもお金を持っていそうには見えない。普段街の外を出歩いているらしいということを差し引いてもその上着の端は異様にほつれているし、装飾の少ないシャツはここを訪れる客の誰より飾りっ気ない質素なそれである。皮膚に荒れこそないものの薄汚れた肌はとても富裕層にはにつかわしくなかった。

    「ああ、そいつ他に金とかほとんど使わないんだろ。ここに金を落とすというただその一点だけがそいつを俺の客たらしめていると言っても過言じゃないからな、励め」
    「あっはっは」
    「褒めてないからな?」
     店の奥から少年の声が投げかけられ、ああそうかと一夜は得心した。彼がなんの職業をしているか従業員でしかない一夜は知らないが——と言うより十紀人の方も想像の域を出ていない段階だろうが、どれだけ稼ぎが少ないとしても文字通りその一切を使わずに貯め続けられればそこそこの額にはなる。
     そして一夜は七星という男がやけに野宿や野営の知識を持つことを知っていた。おおかたまともな宿には泊まっていないのだろう。加えてあの身体能力である。この周辺で野宿をする上で大きなネックになるのは旅支度を奪われ無一文になることだが、たとえパーツが一つ二つない状態で盗人を相手にしたところで七星は荷物のひとつも奪われず休息を勝ち取れるのだろうと想像がついた。

     とはいえあれだけ全身をパーツが埋めているのだ。維持費管理費修理費もろもろ、はたして本当に彼1人で賄っているのだろうか。
     よもやそれこそ盗みでも働いているのでは、とまで一夜の思考が駆け出したところで十紀人が作業台から顔を出した。
    「七星ー、ちょっと来い」
     その声に反応してソファをバネに七星は立ち上がる。そうして駆けていく背中が棚の奥に消え、はしゃいだ声とソファの軋みだけが一夜の耳に残った。


    「ありがとうございました!またね〜!」
    「二度と来んな」
     もう何度目かわからないいつものやり取りを最後に銀の尻尾が蒸気の路地に消えていく。結局沸かしたまま放置されていたお湯はまだ冷めていないだろうかと一夜が振り向くと、先ほどまで確かに少年だった十紀人が三十代ほどの青年の姿で立っていた。
    「悪いな少年、茶淹れてくれ〜…」
     朝より数段くたびれた顔の十紀人は変わった肉体に特に驚きもせず革張りのソファに腰掛ける。新品の割にやけに反発が弱いな…などとぼやいているのをよそに一夜は仕舞いかけていた茶器を取り出した。

    「ねえ。俺、本当にここで雇ってもらってていいのかな」
     一夜は茶葉が開くのも待たず蓋をしたポットにそう言葉を落とす。
    「なんだ藪から棒に」
    「…だって業務内容掃除して、茶淹れて、たまに人と会話してってくらいじゃん。俺じゃなくてもいいだろ」
     それは一夜という青年がずっと考えていたことでもあった。自分はここで雇ってもらっていることで少なからず助かっている。給金は平均よりは低いものの素直に育ち盛りの男子にはありがたい額だし、そも仕事量と比較すればむしろ多いくらいでさえある。
     けれどそれに見合う成果を返せているか、といえば諸手を挙げては同意できるほどでもない。
     ただふとどうしようもなくなって、どこかに逃げ出したくなってしまって、ただ責任から目を逸らしたくてたどりついた店にいた青年の姿が。長らく姿を見せていない兄の姿に重なってしまったものだったから。ふとした思いつきで仕事はないかと問うたら、ちょうど従業員が欲しかったと返されて、あれよあれよと今に至るだけで。一夜がここにいるのはただの偶然の産物に過ぎないのだ。

    「あー。まあ確かに、単に言葉にするならお前の仕事は多くないが」
     代わりに、と十紀人は目の前の茶器を指差す。
     白く艶やかな地に金の装飾が入った、ごく一般的なそれ。特別重いわけではない薄い陶器のティーカップに——『足で持つには少々骨が折れそうな』ごく小さく弧を描いたハンドル。
    「お前は元々パーツを必要とする人間じゃない。パーツに対する知識はない方がむしろ自然だ。でも、いい目をしてる」
     人の行動を常に目に収め観察し、予測する目。
     普段突然身体の大きさが変わることに慣れ、足を踏み外すのを恐れすっかり階段を使わなくなってしまった店主の代わりに頼まれてもいないステップフロアを掃除したり。会話で仕事が滞っているのを無意識にでも視界の端に収め、それを計算した上で定休日にわざわざ手伝いに来たり。
     ティーカップを見た瞬間笑顔のまま少し顔を曇らせた男の姿を視界の隅に収めただけで、沸かしていたお湯と開いた茶葉を放置し何も言わずに座ったり。

    「まあだから、お前がいて助かってるよ」
    「………」
     それら全てが完全に無意識だったらしく一夜の顔がみるみる赤くなっていく。こういうところなんだよなあ、と十紀人はニマニマと上がる口角をティーカップで隠した。意地を張る割に中身は純朴、捻くれているように見えて真っ直ぐな性根。おそらくはそちらの方が素なのだろうが、それを隠すようになったのは何故、いつからか。そういったことに十紀人は言及せず、また一夜の方もあえて口にはしない。
     この蒸気の装具店にわざわざ訪れる人間に、わかりやすく自分の全てを曝け出すような人間なんていない。皆どこかで傷ついて、悪夢のような現実に苛まれ、そうして白く濁った夢に逃げ込むのだ。それがスモッグであるか薬であるか、はたまた紅茶にたつ湯気か。
    「——と」
     蒸気の如く姿を変える店主の姿が唐突に二十代ほどの若者のものと変わる。小綺麗なベストにすらりと伸びるスラックス、そしてくるみボタンのシャツは掛け違えることもなくぴったりと十紀人の上体を覆っている。まるで、あつらえたかのように。

    「ちょっと?ミシンと計測機壊れたわ、直してちょうだい」
    「だからなあ——」
     十紀人はその姿のまま扉の方へ振り返る。
     入り口には蒸気の漏れる路地に不快な顔をした、長髪の客が一人。不破十紀人という男を観測する、変わり者の誰か。

    「——そういうのは壊したっつーんだよ!」
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