年の初めの。新しい年のおとづれ。
昨日と変わらず穏やかに日が登る。
けれども、昨日とは違う朝。
気持ち一つで、こうも感じ方が変わるものか。
登る朝日がいつもよりも清らかなものに感じられ、なんだかおかしくて鼻を鳴らした。
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チェカは、足取りも軽く王宮の廊下を進んでいた。
新年、初めて言葉を交わす相手は決めている。愛しい人。共に生きてゆくと心に決めた人。
残念んなことに、昨晩は公務で会えずじまい。就寝前にせめて一眼と思ったが、あまりにも常識の範疇を超えた時間だったため断念した。
え?0時の時点で年明けだから、今年初めて言葉を交わしたのは別の人じゃないかって?いやいや、確かに側仕えとも言葉を交わしたけど、太陽を信仰するこの国では、日が上ってからが新年ですから!
チェカは、誰にともなく言い訳をする。
今日は、恒例になっている「初詣」にいく。
詣でるのはもちろん夕焼けの草原でポピュラーな太陽神だが、装いは数年前から流行りだした東方の民族衣装「着物」。
王になればそんな浮ついたこともできなくなるだろうが、まだ第一王子のうちは見逃して貰っている。それに、王ともなれば新年初めは何かと行事で忙しく初詣どころではない。
そうこうしているうちに目的の扉にたどり着いた。
軽くノックをすると、短い応えが返ってくる。
扉を開けると、支度を済ませたレオナが佇んでいた。
彼は、着物をきっちりと着こなし、背を窓辺に預けて立っていた。
トーンを抑えたグレーの平織生地。遠目には無地とも見える細かな模様が入っており、先染手織のその品は、静かな気品を備えていた。そして、なにより、微かな光沢は彼の艶やかな髪色にもしっくりと馴染んだ。チェカは己の見立てに間違いはなかったと満足の笑みを浮かべる。
「何にニヤつんてんだ?」
「え!?やだ!レオナさん!今年初めての会話だよ!もっとこう、言うことあるでしょ?」
大事にとっておいた初めてをさらりと流されてチェカは小さく頬を膨らませる。その様にレオナは小さく笑う。朝日に照らされた笑顔に自然とチェカの口元も緩む。
「新年、おめでとうございます。叔父上。」
「あぁ、おめでとう。」
チェカはレオナへ歩み寄り、改めて見つめる。
いつからだろう、こうして彼を見下ろすようになったのは。
「今日はちゃんと崩さず着てるんだね。」
初めて着物に袖を通した時のことを思い出していた。
窮屈な服装が嫌いだからと、素肌に羽織る程度の着付けで出てきたレオナ。
着物は着なれていないと窮屈なものだ。けれど気慣れてきて締めるところと緩めるところを心得れば、存外、楽な装いと言える。この数年で、着こなしのツボ習得したのだろう、ただ乱雑に着るよりも、きちんと着付けた方が面倒が少ないと悟ったようだった。
「まぁな、いつぞやのように、いきなり脱がされたんじゃたまらないからな。」
同じ日のことを思い出しているであろうレオナが苦笑する。
あまりにひどい着付けにチェカに突然脱がされたことを根に持っているようだ。
「だって、あれはレオナさんが悪いんだよ!あんな格好で外歩いていいわけないでしょ!」
肩からかけただけの羽織に大きく開いた胸元。その胸元から腹に巻いたサラシがチラチラ。
「サラシがあんなに官能的なアイテムだったなんて、目から鱗だったよ。」
「は?」
小さくつぶやくチェカにレオナはすこし眉を寄せる。
なんでもないよとチェカはにこりとする。少し屈んで、レオナの顔を覗き込み、顔を寄せる。
「レオナさん。」
キスを頂戴と小首を傾げ目を細める。
レオナは仕方ねぇなと口角を上げ、鼻を鳴らすと、チェカの両頬包むように手を添えた。
幼い頃のような丸みは鳴りを潜め、代わりに精悍な骨格が張りのある肌を通して伺える。鼻も口も、大人のそれに成長した甥。嬉しくもあり、少しだけ、寂しくもある。愛おしく頬を撫でる。チェカは心地良さそうに目を閉じ、されるがままレオナに委ねる。
ひとしきり、感慨深く眺めて、レオナはチェカに唇を寄せる。
はじめにおでこ、ついで目尻、頬、軽く優しく慈しむようなキスを落としていき、最後に唇を重ねた。
その瞬間、鼓動が飛び跳ねる。
何度も何度も繰り返してきたキス。されたりしたり。けれど、どのキスも特別でその度、心臓が躍り出す。肌を重ねる関係になってから、もう何年も経つのに、一向に慣れと言うものがおとづれ無いのは何故だろう。
キスの度、キスだけじゃ無い、日常の些細なことで、心が踊る。あぁ、好いているんだと、愛しているのだと実感する。
そう、このキスも、特別。
チェカは、レオナの腕に手を這わせる。紬の心地よい肌触り、その向こうの筋肉の弾力。20代の最盛期に比べて落ちたとはいえ、40を数えようかと言う今でも健在だ。下手をすれば、しなやかさ柔らかさは今の方が優っているかもしれない。チェカの手はレオナの腕登り、肩から首元へ。もっと深く口付けようと引き寄せた瞬間、唐突に唇が離れた。名残惜しげに吐息を漏らすと、レオナは鼻をすりすりとなだめるようによせた。
「これ以上は、後だ。着崩れる。」
言うとレオナはチェカを押し返し、今まさにチェカによって乱されるばかりとなった襟元正した。ただしても、襟元から覗くうなじは、堪らない色香を放っている。サイドにまとめた髪も少し緩んだのか直す。その全ての所作が、チェカには挑発的にそして、官能的にみえてしまう。
「つーか、チェカ、お前それ、まだ寝巻きじゃねぇのか。」
言われた、己の姿を思い出す。
「だって、新年初めの会話はレオナさんとって決めてたから、、、」
起きてすぐ、レオナに会いに来た。
レオナが、他の誰かと言葉を交わす前に、レオナさんの今年初めても譲る気はなかった。
と、その時、はたと気づく。
「え?レオナさん、着付けが済んでるってことは、誰かともう喋っちゃったの!?」
レオナが一人で着付けできるとは思えなかった。
側仕えを呼んで、手伝わせたのだとしたら、その側仕えと言葉を交わした筈だ。
今年初めてを、レオナの初めてを。
「誰とも喋ってねぇよ。」
ぺたんと萎えたチェカの耳を見て、子供じみた事をと肩すぼめながらいう。
「でも、着物は?誰が着せたの?」
「侮るなよ。こう毎年着てれば嫌でも覚える。」
「自分で着たの?」
問うチェカに、フンと鼻を鳴らした得意げにうなづく。
こちらもなんとも子供じみている。
「年末ずっと、初めてが初めてがと言っていたからな。」
チェカは大晦日を一緒に過ごせないとわかってから、ならば年始はと気合を入れていた。
レオナが己の他愛もない願いを覚えてくれた。それだけで、胸がほっこりしてくる。堪らなくなる。
チェカは無言でレオナを抱き寄せた。腕の中で少しだけもがくが、そんな事で外れるわけもない。身長も、腕力もとうの昔に勝っている。
「ちょ、チェカ!着付け、それなりに苦労したんだぞ!」
抗議の声上げるが、着崩れを気にしてか、力一杯抵抗することはしなかった。
思いっきり抱きしめて、その胸に顔を埋める。柔らかい筋肉の感触、鼓動、匂い。全てが心地いい。チェカはレオナに埋もれながら大きく深呼吸した。
「ねぇ、レオナさん。」
「……なんだ?」
嫌な予感がするのか、眉間に皺を寄せる。見えなくても、声色でわかる。絶対寄せてる。
「ちょっとだけ。ダメかな。」
「………。」
チェカの提案に無言でレオナは返す。
「レオナさん、姫始めってしってる?」
「諸説あるが、1月2日に姫飯を食べる儀式だ。」
「そっちじゃないぃ!もっと俗っぽい方〜」
「あぁ!知ってる!だが、それは、慌てなくても、今夜にでも…」
いつも平気で行っていることなのに、いざ言葉に出すと恥ずかしいのか、レオナは頬をほんのり色づかせ口籠る。
はぁ、めっちゃかわいい。こう言うとこ。ほんと。あなたのその表情が拍車かけてんだよ。
チェカの中のレオナさん大好きゲージがさらに上がる。
抱きすくめられた状態で顔を背けることもできず、たいそう居心地がわるいようで、どんどんと眉間の皺が深くなる。多分、傍目には怖い表情と表されるそれも、チェカにとっては可愛らしい表情と認識される。
「着物は、僕が着付け直してあげるから、ね?」
「お前も自分で着付けできんのか。」
「うん、ちょっとね。レオナさんもできるなら、やりやすいだろうし、すぐに着直せるよ。」
考えるそぶりを見せるレオナに、これはいけるかなと期待を持ちかけた時、
「ダメだ。」
ピシャリと言い切られる。
「え?何で何で!?今ちょっといいかなって思ったでしょ?ねぇ!?」
「こう言うもんは、朝一番に行かなきゃダメだ。神様への年始の挨拶だからな。」
「いやいや、初詣は別に朝行っても昼行っても夜行ったっていいんだよ?混んでない時間帯狙って行きたい時に行けばいいんだよ!」
「そう言うものか?でも、俺は朝行きたい。」
珍しく朝早起きしたんだしな。と、チェカの腕をすり抜けた。
こうなっては、今までの経験上、レオナは折れない。
わかりやすく落胆するチェカに覗き込む。
「ちゃんと待てができたら、サービスしてやるよ。」
言うと、鼻っ先をチョンと突かれた。
「もー。約束だからね。」
いつまでも子供扱いが抜けないのか、あえて子供扱いしているのか。
後者であって欲しいけど。チェカは胸中でこぼしながら、身支度を始めた。
余談だが、着付けを手伝うというレオナの申し出は丁重にお断りした。