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    KabeYoso

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    KabeYoso

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    二次創作
    音秀が髪を切る話

    #才羽兄弟

    ハウリング  ───にいさんの髪はきれいです
     子供の頃の無邪気な弟がそう褒めてくれたのが単純に嬉しくて髪を伸ばし始めていたのだな、とふと思い出す。
     今となっては身だしなみに気を遣うという余裕もなく、ただ己の技量を磨こうと必死になっているが故の惰性であった。
     演奏に邪魔にならぬようにとひとつに括っていたが、頭を振る度に遅れてやってくる束の揺らめきが煩わしくやめた。
     ならばと団子のように丸くまとめてもみたが、今度は頭がやけに重く感じられ首や肩周りに多大な負荷がかかってやめた。
     いっそ下ろしてみるか、と最低限邪魔になるだろう前髪などをひっくるめて後ろで結ぶだけのハーフアップなどにもしてみたが、やはりどうしてもヴァイオリンと顎の間にぢりぢりと髪が挟まるのでやはりこれもやめてしまった。
    そこまで鬱陶しいと感じているのに音秀が髪を切らないのは、偏に切ろうという考えが浮かばなかったからであった。
    その理由はやはり幼いころに褒めてくれた弟のためというのが無意識ながらも根幹に存在している。
     音秀は兄弟として、弟である律陽を大切に思っている。しかし同時に演奏者として彼を憎たらしいほどに羨望しては疎んでいる。
    最近に至っては後者のが勝っており、音秀はどうにも焦燥感に煽られていた。


     音秀は人としてはできた部類に入る。
    家族はもちろん、友人も大事にして交流は欠かさない。
    演奏の技術だって自分ができる最大級の努力は惜しまず、ひたすら鍛錬に打ち込むほどだ。
    決して人を羨むことはなく。ヴァイオリンにおいては勝敗など必要のないものでただ自分の奏でる音を聞いてくれればいい、と考える人間だった。

     しかしそれは以前までの音秀の話。
     家族も友人も大事にしている。それは今でもそう思っているし行動に表している。
    演奏の技術だって文字通り血がにじむほどの努力をしている。もちろん、現在進行形で。
    彼は決して人を羨むことはない───そうだ、他者を羨むことはない。うらやましいと思うほどの技量を持った奴がいないからだ。
     たった一人の人間を除いて。
     天才───才羽律陽。
     最近となっては天才を超えて神童などとも呼ばれているあの男。血を分けた音秀の実の弟。
    あいつだけは音秀のすべてにおいて例外だらけだった。
    彼が頭角を現し始めてから音秀のすべてが狂い始め、ヴァイオリンの音色に優劣などないと思っていた純真無垢な価値観すら、あの男があっという間に塗り替えてしまったのだ。
    律陽の演奏を聞いてから、音秀のヴァイオリンは二つの世界に分かたれた。
    才羽律陽とそれ以外。無慈悲な世界だと思った。
     子供の頃は純粋に喜べたのだ。
    彼が己を超えようが周りに賞賛されようが自慢の弟だと手放しで喜べた。
    しかし彼の技量が上がるにつれて自分の技量の甘さがどんどん露呈しては音秀は恥じ入った。
     なにが勝敗は必要なく、自分の奏でる音を聞いてほしい、だ。思い上がりにもほどがある───!
    完璧で揺らぎもなく、人を引き付ける圧倒的な音色。あんなものを聞いてしまえば自分の奏でるものなど子供のお遊戯会。
    そんな腕でよくもまあデカい口が叩けたものだ、と音秀は頭を抱えたこともあった。
     律陽へ羨望と劣等感を募らせ続ける演奏者としての音秀。
    そしてそんなものを実の弟に抱いて恥ずかしくないのかと自分を責めるできた兄としての音秀。
    そんな両極端な板挟みに悩まされ続け早数年。
    未だこの感情と折り合いがつけられていないどころか悪化の一方を辿る。
    ヴァイオリンを諦めることを視野に入れたこともあったが、幼いころから一緒だった半身のような存在をある日突然手放したとき一番に狼狽えたのは音秀自身だった。日常生活になじんでしまったそれをどうにも失くすことができず、ヴァイオリンを諦めるという道を諦めた。
     じゃあ弟と張り合うのをやめようか、と考えたこともあった。それも何度も。
    しかし、これに関しては同じ道を歩む者同士どうしても衝突は避けられず、それどころか音秀の目指す理想的な演奏というポジションに律陽が存在しているのだ。
    もうこうなってしまえばお手上げで、音秀は一生この板挟みにされた複雑な感情を抱え続けたまま今に至る。
     
     ぎぃ、と耳障りな悲鳴が響き、音秀はたまらず弦を下ろす。
    何度も何度も、脳裏にこびりついたあの音色をなぞる様に反復してみるが爪先すらも近寄ることができない。
    己の音はどうにも甲高く歪んでいる。
    以前「お前の演奏は地獄のようだ」と評されたことがあったが、まさしくその通りだと痛感する。
    ヴァイオリンは人の声に近く、うまく演奏する様をヴァイオリンが歌うようだと表現するならば音秀の演奏はヴァイオリンが悲鳴を上げていると表現せざるを得ない。
     ───俺は兄さんの音色が好きです。
     忌々しい声が呪詛のように蘇って音秀は舌を打った。
    あんな音のどこに好きだと言える要素があるんだ。悔しくなって一度ヴァイオリンから手を放し、全く中身の減らないペットボトルへ手を伸ばす。かこりと薄いプラスチックが歪む音。悔しさ余りに無意識でこぶしを握る力が強くなっていたのだとその時気づき、嫌気がさした。
     悲鳴共が消え、防音室に静寂が訪れるとより一層あの理想が強くなる。それに呼応して怨毒も音秀の形をした器に注がれていく。
     ───兄さんは俺の、たった一人の自慢の兄さんです。
     黙れ。
     ───兄さんの演奏が俺のはじまりなのです。
     黙れ。
     ───俺は兄さんと共に、音を奏でたい。
     頼むから、黙ってくれ。
     音秀の柔い部分に残っていた兄たらしめる彼の言葉が、静寂の中ではぐるぐると音秀を苦しめる言葉となって回り続けている。
    その声をかき消す地獄は存在せず、ずっとあの清らかな声が響いている。
    もう聞きたくないと耳を塞ごうと手にしたボトルを強く投げ捨てる。眩暈のような感覚に襲われながら壁にを支えに力なく床に蹲た。
    耳を塞いでも止まぬあの声が、ただ純粋な好意という刃が音秀を何度も切りつける。苦しくて苦しくて気がどうにかなりそうだった。
    浅くなった呼吸で追い払うように頭を掻きむしる。
    何度も何度も掻きむしって、やがては血がにじむ指先に長い髪が絡みついて手が縫い付けられ、それにまた苛立ちを覚えた。
    すぐ簡単にほどけないソレらが煩わしく力いっぱい引きちぎっては、その指先に絡んだ残骸が汚らしくて嫌になった。
     もう耐えきれない。と、音秀はペンケースを乱雑に漁り、その中から一際鋭利なものを手に取る。
    それはいつぞやの誕生日に弟が贈ってくれた揃いのペーパーナイフだった。
     こんなところにまでアイツの面影がまとわりついている。
     それが最後の一押しだった。
     音秀は乱暴するように己の髪を粗雑に掴み上げ、その根元にナイフを宛がう。衝動的な行いではあったが、その瞳には代えられようのない決意が宿っていた。
     贈られたペーパーナイフは大事に扱っていたのもあってその切れ味は鋭く、剃刀のようにざりざりと音秀の長く伸びた髪を切り落とした。
     荒い呼吸の中で音秀はぼんやりと床に座り込み、散らばった髪の毛を眺めていた。
    後悔、罪悪感。そんなものは湧いてこなかった。ただ、楽になったなという多少の喪失感だけだった。

     ───にいさんの髪はきれいです。
     幼い弟が言ってくれた言葉がリフレインする。
    拙いながらも気を使いながら緩いリボンで髪を結ってくれていたあの日。
    本当にうれしかったのだ。その記憶は間違いなかったのだ。
     音秀は幽鬼のようにうろ、と目だけを動かし散らばったそれらを一瞥する。
    なんだか急に面白くなって、でも笑う体力も気力もほぼほぼ無くて。音秀は喘ぐ様に吐息だけで笑う。
    「もう、結ばせてやれないな」
     寂しさも、悲しさも、罪悪も、何も籠っていない。だが、ずいぶんと兄らしい言葉だった。
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