「ね、ねぇ。あれ、大石くんだよね」
「ほんとだ」
提灯の溶ける夕闇に浴衣姿の彼が立っているのが見えて、私は縁石に座る友達に投げかける。この地域ではもっとも大きな夏祭りゆえに、密かに想いを寄せる男の子を見かけても何もおかしくはない。私は普段着にすぎないただのワンピースでここへ来たことを激しく後悔した。彼は大鳥居の下に一人で佇んでいた。そして時おり、何かを探すように周りを見渡している。
「誰かと待ち合わせかな……」
「さぁ、テニス部の誰かじゃない? 菊丸くんとか」
それよりさー、とりんご飴か焼きそばで迷っている友達へ適当に相槌を打ちながら、私は大石くんの方にぼんやりと目を向ける。彼は紺地に淡い縞模様の浴衣を着流していた。今日一日で浴衣姿の男性は浴びるほど見たが、そのどれもが霞んでしまうほどにその姿は洗練されていた。普段の明るく親しげな雰囲気はひっそりと影を潜め、その代わりにまるで良家の長男のような凛とした空気を湛えていた。やはり人を探しているのだろう、目を眇めて遠くを見やる仕草さえも涼しげで、惚れ惚れするほど様になっていた。
「かっこいい……」
「ちょっと、心の声出てるよ」
友達に注意されたが、そんなことはどうだってよかった。今いる境内の外からじゃ本人には聞こえやしないし、聞こえたところで彼は私を知らない。これは悲しむべきことだが、私は大石くんに一度も話しかけることができた試しがなかった。つまるところ、彼に叶わぬ恋をしている、この学園にたくさんいるうちの一人なのだ。
私は大石くんの優しいところが好きだった。副部長であり保健委員長も務める彼は、いつだって誰に対しても分け隔てなく気を配る。それは簡単にできることではそうそうない。きっと、彼の優しさがそうさせるのだろう。そして、何よりも私はその笑顔に惹かれていた。彼の持つ優しさをすべて包んで贈るようなあの微笑みがいつか向けられる相手を、心から羨んでいた。
「あ、菊丸くんだ」
突然、友達が大鳥居を指差す。正確には、大石くんとその待ち人を指していた。急いで走ってきたのか、菊丸くんは肩で息をしている。彼もまた浴衣を着ていた。白地に黒縞の生地は、大石くんのそれとよく馴染んでいた。
菊丸くんが手振りを交えて何かを伝え、大石くんがそれに応えて明るく笑う。その表情には、先程までの凛としたクールな雰囲気などひとつとして残されていなかった。
あぁ、あれが本当の大石くんなんだ。そう気付くのは容易だった。いつだってあの笑みの先には、赤毛が揺れているのだ。
◇
「やっぱり菊丸くんだったかぁ。でも、彼女じゃなくて良かったじゃん?」
「まぁ、うん」
友達の言葉へ曖昧に返事する。私は、彼らがただのともだちではないことを知っている。
熱にうかされた頭でぼーっと見とれていたのがいけなかったのだ。連れ立った彼らが境内の奥へと去っていく前、ふと、菊丸くんがこちらを振り向いた。彼は自分達を見つめる私に気付くと、その大きな目だけで小さく笑ったのだ。たった数秒のはずなのに、その瞬間が永遠にも感じた。その笑みが示すものはただひとつ、牽制でしかなかった。
はるか向こう、遠雷がかすかに響く。今年は雲の多い夏祭りだった。
あの彼の笑顔が私に向けられることは決してない。けれど私は、あの微笑みが一等好きだった。