●見えないだけで「たーかはし、ただいま」
「っと、おかえり、コウ。」
家主の帰りを待っていたタカハシは、かけられた声とともに寝室のベッドへ押し倒された。
彼を押し倒した家主はというと、タカハシの襟元に顔を埋め「あータカハシが家にいる…」ともごもご口を動かしている。
「ふ、くくっ。くすぐったいよコウ!もう離れて?」
タカハシが言いながら押しのけると、不服そうに水奈瀬が顔を離した。
「今日はどうしたのさコウ。なんかヤなことでもあった?」
「嫌っていうか…」
言い淀みながら、水奈瀬の目線はタカハシの利き手に握られたスマートフォンに留まる。
「俺だけを感じてほしい気分ってだけだよ」
なんだよそれー、と笑い声を含ませたタカハシの返事をよそに、水奈瀬はタカハシからスマホを取り上げた。
「重要な話だったりした?」と聞きながらサイドデスクへ置く彼に、タカハシは「だったら先に言ってる」と返す。取り返す気はないらしい。それよりも、タカハシの視線をさらったのは別のものだった。
「あ、ネクタイ……。」
水奈瀬の首元から垂れ下がっているネクタイが気になったようで、ネクタイの先を手に取る。わずかにストライプ模様の意匠が入っているようで、微妙に違う素材の手触りがタカハシの興味を引いた。
目で続きを促す水奈瀬に、はにかみながら次の言葉を紡ぐ。
「こうして留めていないのを見るのって久しぶりな気がしてさ。きれいな赤だよねぇ、これ。」
普段はワイシャツの上からパーカーを着ている水奈瀬コウの首元から覗く赤色が、タカハシは秘かに好きだった。
うん、やっぱりきれいだ。そう言って、ネクタイの先を水奈瀬の頬の横に持ち上げるタカハシのまなざしと水奈瀬の視線が交錯する。
自分の行いはいささか気障ったらしかったのではないか?我に返り目をそらそうとしたタカハシの手を、にんまりとした水奈瀬が掴んだ。
「な、なんだよ?」
「いーや?ちょっと思いついたことがあってな」
タカハシが持っていたネクタイの先を受け取り、しゅるりと自身の首から解く。いつもならサイドボードに置くそれを、水奈瀬はタカハシのまぶたの上に乗せた。
戸惑いの声を上げるタカハシをよそに、「頭、上げて?」と指示を出す。
「ん……わっ」
「これでよーし。ふふっ」
素直に従うタカハシの目をふさぐ位置で、ネクタイを結んだ持ち主は得意げに笑う。
「うん、やっぱりお前にも似合うよ。」
「ちょっとー。俺からは何も見えないんですけどぉー。」
「俺が見えるからいいんです。いや、俺だけわかってればよくない?」
「このタカハシ様の良さを独り占めしたいと?愛いやつめ~!…あ、あれ」
じゃれるように伸ばされた指先が水奈瀬の頬をかすめる。
「俺の頭はこっち。」
水奈瀬はタカハシの手を取り、自分の頭に近づけた。塞がれた視界でもう片方の手も近づけるタカハシのたどたどしさに、くすりと笑みを漏らす。
「だから、なんで縛ったのさ。」
不満そうに口をとがらせるタカハシの唇をむにむにと触りながら、水奈瀬は楽しそうに答える。
「恋人サマの魅力は視覚情報だけじゃないんだぜ、ってところかな。」
「今考えただろそれ。でもそうだな、視覚以外ねぇ……。」
「そうそう!指とか敏感になるでしょ。」
少し考えこむタカハシの唇に指をあてたままの水奈瀬は、次の言葉に固まった。
「俺、水奈瀬のだいたい全部好きだもんなぁ。」
「え、」
「ふわふわしてるけど、ちょっと朝はお転婆なこの髪とか。キリッとしててアイブロウいらずなこの眉とか、かっこいいなって思うよ。」
言及しながら、タカハシは水奈瀬の髪や眉にそっと触れる。
「それから、鼻の形も鼻梁が伸びていて…鼻筋が通るっていうのかな?そういうところも好きだ。」
左手で水奈瀬の顔をとらえてからは、タカハシは一層繊細に指先を動かす。確信を持った動きで的確に自分の好きな箇所を指し示すので、水奈瀬は驚き体を硬直させていた。
「俺にいろんな表情をしてくれるこの目も頬も好きだ。冬は寒そうに耳が赤くなっているのは、かわいそうだけどちょっとかわいいなって思ってる。それから……。」
水奈瀬が黙り込んだまま動かないので、タカハシは水奈瀬の唇に親指を這わせながら笑った。
「ふふ、もう目隠しは取ってもいいかな?いいよね。」
「待って「待ちませーん」」
遮るもののなくなったタカハシの目には、己の左の手のひらからも察していた通り頬を真っ赤にした水奈瀬が見えた。
「やっぱりかわいい恋人の姿は見たいからね。」
「待てって言っただろ!」
恥ずかしそうにしている水奈瀬は「目、閉じてよ」とタカハシに懇願する。
「なんで?」
「キス…したいから。」
「じゃあ尚更閉じるわけにはいかないな。」
ある推論にたどり着いた水奈瀬は、動揺を隠さないまま叫んだ。
「ひょっとしていつも、その、キスするとき見てたのか!?」
「いつもじゃないけどね~。よ、と……。見たままキスするけど、いいね?」
体を起こそうとした水奈瀬の頭をおさえて自分に近づけてくるタカハシに観念したのか、水奈瀬は軽くうなずき唇を重ねた。
「……っ。水奈瀬も頑張って目開けてなくてもいいんだよ?」
「俺だけ見られてるのは負けた気がするってだけだからな!恥ずかしくないんだからな!」
やはり顔を赤くして謎の弁明をしている可愛い恋人の姿に、タカハシは目を細めて笑っていた。