きみはいいこ「阿久津がね」
平がそう言うのを、福田は黙って聞く。
空は晴れていた。寮舎に添い生えた木々が、風にさやかに揺れていた。
監督をまえにして、平はもう自分の話をすることはない。その顔はすっきりとして、けれどどこかにサッカーへの未練を残している。あるかなきかの、それを辿れなくなったなら自分は監督として終わりだなとそんなことを頭の隅で考えた。
「阿久津が寮に入ってきてしばらくして、フリールームにごきぶりが出たんですよ」
ごきぶり、と鸚鵡返しにすれば、平はハイとどこか得意げに笑う。苦手ですかと続けて聞かれたのは自分の顔がゆがんでいたせいかと、福田はつるりと頬をなでる。
「まあ、すきではないな」
「俺もです」
平は笑ってそう言った。
1969