推しカフェに胡蝶蘭を贈った話「はあぁ〜、やめやめ!休憩!」
パソコンデスクの前で唸っていた私は両手を上げ、ぐっと背筋を伸ばした。
大学4年生になって本格化した就活は難航していて、一次で落とされるなんてザラにある。泣く泣く履歴書を見直していたのだがどうにも身が入らない。早々に諦めて気分転換にネットのアイコンをクリックした。
「更新されてるかなー…」
一人暮らしを3年以上経験すると独り言が多くなる。誰に聞かれるわけではないのだけれど、直そうとしてもうまくいかない癖になったことの一つだ。
ブックマークから開いたのはとある掲示板である。
113人目の帳高校OB
今日のskfsも最高だったな
114人目の帳高校OB
お、同じ時間帯にいたかも
115人目の帳高校OB
>>114
(=´∀`)人(´∀`=)
116人目の帳高校OB
残業中の社畜に最高エピお恵み下さい‼︎
117人目の帳高校OB
今北産業
118人目の帳高校OB
>>116
>>117
体調不良の伏黒君と
様子に気付いた宿儺先輩の
やり取りがエモかった
119人目の帳高校OB
宿儺先輩、伏黒君がいないと客席に目すら向けないの歪みなさすぎて最高
120人目の帳高校OB
>>119
それな!店員としてどうかと思うけど、我々にはご褒美
121人目の帳高校OB
宿儺様に話しかけたら“黙れ下奴”いただきました!
恵君以外歯牙にもかけない姿勢がたまらん…
122人目の帳高校OB
>>121
今日のMVP現る
123人目の帳高校OB
>>121
あのふいんき(なぜかry)でよくやった
124人目の帳高校OB
物憂げに窓の外を見つめる宿儺先輩の淋しい背中…
恵君が早く良くなりますように…
125人目の帳高校OB
五条理事長の顔面宝具相変わらずヤバすぎ
「うわ、いいな〜!」
画面の文字を追っていた私は、羨ましさに思わず天井を仰いだ。
この掲示板は“カフェ・私立帳高校”に関する話題を投稿、共有する場所だ。
カフェについての話題とは何だと不思議に思うだろうが、店の特殊さがそうさせるのである。
私立帳高校という架空の男子校が経営するカフェ――所謂コンセプトカフェ。高校名がそのまま店名になっている。
店員は帳高校の生徒や教師で、時折現れる理事長の顔がすこぶる良い。
庭付きのお洒落な一軒家を改造したお店では、美味しい紅茶やケーキなどを食べられる上に店員同士のあれこれが見られるのだ。
そう、店員同士のあれこれである。
舞台は男子校、スタッフも当然男性ばかり。…つまりイチャつく男子高校生達の姿を堪能することができる、それがカフェ・帳高校なのだ!
私は元々カフェ巡りを趣味としていたのだが、数ヶ月前に大学の友人から誘われたのをきっかけに通うようになった。
カフェとして質が高い上に、自分の邪な欲まで満たしてくれる最高の場所だと思う。
気まぐれな営業日と人気の高さが相まって予約だけで満席になることが多いので、行けなかった日の情報交換や店のカレンダー更新お知らせなど、掲示板のおかげで助かることもままある。
どうやら今日の帳高校では“2年”の宿儺先輩と“1年”の伏黒君が出勤していて、爆弾を落としてくれたようだ。
この話題の人物、宿儺先輩と伏黒君が私の推しである。
1ヶ月ほど前からカフェで働きはじめた二人は、初出勤日から多くの客を虜にした。
なにせ二人とも顔がいい。
宿儺先輩は変わった髪色と真っ赤な瞳をしていて、顔や身体にある紋様がアウトロー感を強くさせている。
伏黒君は跳ねた黒髪と緑色の瞳で、一見地味だけど白い肌や整った指先まで隙がない美しさがある。
そんな二人の関係性は、とにかく宿儺先輩が伏黒君を構い倒す、これに尽きた。
色気たっぷりな言動に翻弄されている伏黒君を見て満足そうな宿儺先輩…を見て物申したい気持ちをぐっと抑えて仕事に戻る伏黒君…を見て特徴的な嗤いをこぼし仕事をサボる宿儺先輩…を見てサボるなと先輩相手に強く当たる伏黒君…。
初日からこんなやり取りを繰り返し見せられてもうダメだった。破壊力がありすぎる。
一緒にカフェに通う友人は「永久機関」と称していて、私は激しく同意した。
最近は伏黒君もメニューやオペレーションを覚えたらしく、宿儺先輩に頼る場面こそ減ったものの掲示板にあったように二人のエモい応酬は健在のようだ。
「伏黒君大丈夫かな…」
明日の午後に運よく予約をとれていたのだが、伏黒君はお休みかもしれない。
残念だけど仕方ない。宿儺先輩のアンニュイ顔というウルトラレアが見れるかもだし。
せっかくとれた予約席だ、精一杯楽しもう。
大学の友人とメッセージアプリで集合時間を決めてから、明日に備えて就寝した。
□□□□□
次の日、訪れたカフェは多くの客で賑わっていた。
入口のドアを開け、カランカランと鐘の音が来客を告げるとすぐにスタッフがやってくる。
「いらっしゃいませ」
笑みはないけれど柔らかく出迎えてくれたスタッフこそ伏黒君だ。予約していた名前を告げると席まで誘導してくれる。
席についてメニューを差し出してくれる伏黒君の顔をチラリと盗み見る。顔色は悪くなさそうで安心した。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
頭を下げてから背を向ける伏黒君を見送った。
向かいの席に座る友人を見ると、窓際に腰掛ける宿儺先輩を観察していた。
「大型のネコ科みたい…」
呟いた友人は宿儺先輩単推しだ。伏黒君を弄る愉しそうな彼を見て、彼女も嬉しそうにしている。
推しの喜びは自分の喜び、らしい。
放っておくといつまでも眺めていそうな友人を促して、メニューを広げた。特殊さを売りにしている割に、軽食・デザート、ドリンクまで美味しいのであれもこれもと悩んでしまう。
とりあえず軽食とドリンクをセレクトして、注文のために手を挙げた。すぐに伏黒君が伝票を手にやって来る。
友人分も含めてオーダーする私に相槌を打ち、手元の伝票に入力する姿。間近で見ると本当に綺麗な子だ。いつも人を寄せ付けない雰囲気があるのに、今日はどこかフワフワしているような…気のせいだろうか。
伏黒君が頭を下げかけたところで、友人が呼び止める。あれ、追加分は後で考えるって言ってたような。
「ローズヒップティーもお願いします」
ドリンク二杯は多いのではという疑問を飲み込む。伏黒君は最後までオーダーを確認しなかったことを気にしたのか、謝罪してから背を向けた。
「ねえ、何でローズヒップティーなの?」
「まぁまぁいいから」
含みのある笑みを浮かべた友人は何かを企んでいるようだが、こちらに教える気はなさそうだ。
諦めた私は通路を去っていく伏黒君の背をじっと見つめた。
「あ」
友人があんぐりと口を開けている。
視線の先は定位置を離れ、伏黒君の元にやって来た宿儺先輩だ。
友人も大概ブレない。私が言えたことではないけれど。
結局、会話もなく同じ場所をじっと見つめていると。
宿儺先輩がニヤニヤと心底楽しそうに伏黒君を虐めはじめたではないですか!
……ああ、尊い推し同士の絡み!
目を鋭くした宿儺先輩が伏黒君の細い腰に腕を回し、顎に手を添えてぐっと顔を近付ける。
「さて…何か言うことは?」
二人の動向を見守る周囲が息を潜め、しんと静まり返ったおかげで声がよく聞こえる。
「あ…すく、な…、」
伏黒君の声も、胸元を押し返そうとする手も弱々しい。
まるで大型獣に狙われた小さな草食動物だ。そんなの抵抗したうちに入らないよ!兎さんかな!?
「ダメだ…いまは、やめ…っ、」
普段の凜とした声はどこへいったのか、ひどく震えた響きのそれが庇護欲をかきたてる。
…んん?待って。“今は”って言いませんでしたか?いつなら良いんですか!??
誰かの唾を飲み込む音が大きく聞こえた気がする。隣のテーブルの女性か、友人か、あるいは自分?
内心パニックになっている私を他所に、周囲のざわめきは次第に歓声となっていった。
おそらく店内の客の心はひとつになっていたと思う。
(((行け!堕ちろ!チューしてしまえ!!!)))
念が届いたのか分からない、耳まで真っ赤にした伏黒君がきゅっと目を閉じた、その時。
チリン、と鈴の音が鳴り響き、伏黒君も含めて息を呑んだ。
濃厚だった空気が霧散する。
気が削がれたのか、のそりと窓辺に戻っていく宿儺先輩を友人の視線が追う。
反対に私はキッチンのある二階に姿を消していく伏黒君を見ていた。
「…惜しかったな〜」
「ね、もうちょっとだったのに」
視線はそれぞれ外さないまま言葉を交わす。周りのテーブルも似たような内容の話をしている。
「とはいえ本気でやらないでしょ」
「まあバイトだしね。でも振りくらいならワンチャン…」
ぼんやりと周囲の音に耳を傾けながら、先程の光景も掲示板に載るんだろうなぁと考えていた矢先。
ざわめきを取り戻した店内にトレンチを手に伏黒君が戻ってきた。
真っ直ぐにこちらに向かってくるので、きっと私達の分なのだろう。
「お待たせしました」
丁寧な仕草で二つのケーキと三種の紅茶を並べていく。俯きがちな顔は少し気まずそうに見えた。
例のローズヒップティーをテーブル中央に置いた伏黒君に、友人がそっと声をかける。
「これ、宿儺先輩への差し入れです。伏黒君から渡してあげてください」
いつも宿儺様呼びしてるのに猫被ってるな、というのは置いておいて。
何だその神がかったやり口は!私は目を丸くして友人を凝視したが、当たり前のように無視された。
「……?宿儺…先輩、呼んで来ますよ?」
ああ、ぎこちない先輩呼びがたまらない!このウトさが愛おしい!
柔和な顔を崩さないまま、友人は押しに押した。
「いえいえ!伏黒君から渡すのがいいんです…!」
戸惑いを隠せない伏黒君が友人の圧に負けて、ローズヒップティーをトレンチへ戻す。
歩き始めた先にはもちろん窓辺で頬杖をつく宿儺先輩。
せっかくのケーキに目もくれず、私達の視線は一角に釘付けになった。テーブルの位置の問題で会話は聞こえないけれど、伏黒君から差し入れをもらった宿儺先輩の反応なんて気にならないわけがない。
伏黒君がカップを渡すと、中身を覗いた宿儺先輩が何事か呟き、伏黒君と会話している。
ああっ気になる…近くの席の人頼みます、どうか掲示板の存在を知ってて下さい!そして慈悲を!!
再び鎮まりつつあるホールを気にすることなく、宿儺先輩がカップに口をつけた。
垣間見える気品に其処彼処からため息が漏れる。分かるよ、格好良いよね。
客とは違い、真正面から直視できないのか伏黒君は目を逸らしていたけど。
そんな調子だから、宿儺先輩は上機嫌に見える。
身を翻そうとした伏黒君を引き留めて、何か問いかけている。
しかし伏黒君は横に頭を振っていて、否定したようだ。宿儺先輩が機嫌を損ねることなく、指先だけで伏黒君を呼び寄せた次の瞬間。
黄色い悲鳴が店内いっぱいに広がった。原因など一つしかない。
宿儺先輩と伏黒君が、今度こそ、キスをしている!!?
唇に触れるような優しいものではなく、舌の絡み合ういやらしいやつだ!
キスに慣れていないのかうまく息継ぎのできない伏黒君のえっちな声と吐息が、宿儺先輩の口内へ飲み込まれる。
えっこれ見てていいの?無料で??後で馬鹿高い見物料金とられない???とられてもいいけどォ!
パニック状態の脳内とは逆に目はらんらんと輝く。
推しと推しの生のキスシーンなんて滅多に見られるものじゃない。
…どれくらい時間が経ったんだろう、1分?5分?体感30分はかたいんだけど。
伏黒君の唇が解放された頃には、足腰が立たないのか宿儺先輩の膝の上でくったりと身を預けていた。
顔を覗き込んだ宿儺先輩に伏黒君が言い放つ。
「〜〜〜〜っ、バカ野郎…!!」
あ、そんな言い方したらまた…と思ったのだけど、本当に上機嫌な宿儺先輩はとても愉しそうに伏黒君を抱き締めてしばらくそのままでいた。
□□□□□
139人目の帳高校OB
キャラメルシフォンケーキのレポをする予定だったのに
140人目の帳高校OB
>>139
今日からの新作じゃん。どうだった?
141人目の帳高校OB
悠長にレポなんてできるはずがないんだよな
142人目の帳高校OB
宿儺趣味悪い
143人目の帳高校OB
>>142
「黙れ下奴」
144人目の帳高校OB
宿儺様が楽しそうで何よりです
145人目の帳高校OB
結局なんだって?
146人目の帳高校OB
>>145
推しと推し
交わす口付け
我瀕死
147人目の帳高校OB
>>146
148人目の帳高校OB
>>146
149人目の帳高校OB
>>146
150人目の帳高校OB
ここは無言の多いインターネッツですね
151人目の帳高校OB
祭りだああああああ!!!!!
152人目の帳高校OB
神輿もってこおおおおおいッッ!!!!
153人目の帳高校OB
ソイヤッサァ!!!!
154人目の帳高校OB
ドッコイショ!!!!!!
155人目の帳高校OB
>>151
この騒ぎは三日三晩続いた
「ふふ…」
深夜、パソコン前でニヤついている怪しい女が一人…そう私です。
友人のナイスな差し入れにより推しと推しのキス現場を目撃してしまってから数時間。
いまだに現実に戻れておらず、掲示板のお祭り騒ぎをツマミに酒盛りしています。
「はぁー、伏黒君可愛かった〜」
宿儺先輩のサービス精神(ではない)のおかげで、心なしか肌艶が良くなった気がする。
今度私も何か差し入れしてみようかな。
クッキーとかどうだろう。キスは無理としても、あーん♡で食べさせるとかしてくれないかな?
…というか、人前でキスする間柄になった=恋人になった、とは考えられないだろうか。
それならお祝いの品を送るべきでは?
不自然にならないようにお店宛にして…あ、もうすぐカフェ・帳高校の一周年だった気がする!
これはチャンスだ!
推しと推しがくっついたこと(予想)を公に祝えるチャンス!!
掲示板の騒ぎは続いている。私はタブを増やすと、飲食店向けのプレゼントを探し始めた。
胡蝶蘭と薔薇のフラワーギフトはどうだ。色を混ぜすぎるとごちゃつくから、二つに分けて…うわ、高い。これは友人と折半しても厳しいなぁ。
友人に相談するか、とアプリでメッセージを飛ばすとすぐ返信がきた。
『掲示板で募集すれば?』
なるほど、その手があったか。私はまだお祭り状態の掲示板に相談し、続々と集まる賛成の声と意見に目を白黒させながら返信して、夜を明かした。
……正直酔っていたと思う、お酒にも推しにも。
カフェ・帳高校の一周年記念日。
入口には、立て札付きの立派なフラワーギフトが二つも鎮座していた。
左側に白の胡蝶蘭と赤の薔薇を組み合わせた華やかなもの。
右側に白の胡蝶蘭と緑の薔薇を組み合わせた爽やかなもの。
「恵〜、店の表見た?見たよね?」
長い足を数回動かしただけで、伏黒の目の前に五条が立つ。
裏口から出勤したばかりの伏黒はもちろん表を確認していない。
「掃除今からなんでまだですよ。何かあるんすか?」
「じゃ、今から行ってきてよ。君たち宛のプレゼントだからね」
含みのある言い方に顔を顰めると、眉間に指をぐりぐりと当てられる。
「そんな顔しなーいの!まったく宿儺の前ではあんなにかわいいのに」
「やっ…めてください!そういうの!」
猫のように毛を逆立てる伏黒を、子猫にするように五条はあしらう。
その内、更衣室から宿儺が出てきて、五条の手をぺいっと引き剥がした。
「あら怒った?」
「わざとらしい物言いはやめたらどうだ」
心底呆れた顔つきで横を通り過ぎると、伏黒を腕を引いて歩き出す。
「あっ、俺これから…」
「表の掃除をするのだろう、付き合う」
腕を引かれたまま伏黒は宿儺の顔を見上げた。
本来の制服とは違う、黒の学生服に身を包んだ姿にも随分見慣れてきた。
五条さんに騙されて顔のいい男を連れてこいと言われた日を思い出す。
あの頃は宿儺に気持ちを打ち明けるなんてまったく考えていなかったのに。
視線に気付いていただろう宿儺の神秘的な瞳がこちらを向いた。
「伏黒恵、どうした」
「別に、何でも」
何でもないという声色ではなかった、と伏黒は視線を外し唇を噛む。
「傷がつくようなことをするな」
立ち止まった宿儺に頬を捕らえられる。親指がふに、と唇をたどった。
「ぁ…」
逃げられない。だからもう逃げるな、と吐息混じりで囁かれた言葉がフラッシュバックする。
「もう、オマエは俺のモノなのだろう?」
そうだ、確かにそうなりたいと言った。
どろりと粘度の高い毒が身に降り注ぐ。甘いそれが全身を巡って、ふるりと伏黒が震えた。
「…す、くな…」
宿儺の顔がゆっくりと近づく。喉元に食いつかれる獲物のように顔を逸らせない。
開店時間まで、1時間。
表のプレゼントを見て伏黒が沸騰するまであと10分。
『御祝 1th Anniversary』『祝 S先輩♡M君』