2人は幸せなキスをして終了「2人ともありがとね!良いクリスマスを〜!」
「こちらこそありがとうございました!またのご来店お待ちしております!」
本日最後のお客様への挨拶を終えて、わたしたちは顔を見合わせる。
瑛くんは長く長く息を吐いた。
「…終わったな?」
「うん!お疲れ様!」
「お疲れ…はあ、流石に疲れたな」
途端に少し張り詰めていた空気が緩む。
今日はクリスマスイヴということでお客様が一日中ひっきりなしに訪れていた。開店したての新珊瑚礁としては大変ありがたいことなのだけど、やはり従業員2人だけでお店を回すのは厳しいものがある。
遊くんとかうちのバイト興味ないかな。要領も愛想もいいし向いてそう。
ぼんやり考えているといつの間にかタイを緩めた瑛くんがこちらにもたれかかってきた。
そのまま顔をわたしの肩口に埋める。お疲れの様子だ。
「瑛くん重いよー片付けないとダメだよー」
「今日あんだけ頑張ったんだからいいだろこのくらい…」
喋るたびに耳元に吐息が当たるし髪の毛が当たるしでこそばゆい。
少し乱れたオールバックの髪を撫で付けたらちらと見上げてきた。かわいい。
と思ったらキスされた。そのまま唇を重ねるだけのふれあいが何度か続く。気づくと瑛くんの手のひらがわたしの頬に添えられている。こうされるとなんだか安心するし丁寧に扱われているようで好きだ。わたしも瑛くんにもっと触れたくて彼の背に手を回す。
しかし舌を差し込まれたところで我に帰った。まだお酒を飲んでいないのにふわふわした感覚に陥ってきている。このままではまずい。閉店後には大事な予定があるのだ。
わたしは瑛くんを無理やり引きはがした。
「この後クリスマスパーティーするんだから!ほら、片付けやるよ!」
「…もうちょっとだけ」
「ダメ!!」
なんとか後片付けを全て終えたわたし達は、パーティー会場である珊瑚礁の瑛くんの部屋に移動した。
この日のために用意したちょっとお高めのワインや料理をテーブルに広げる。前日から仕込んだローストビーフ、いつもより多めに作っておいた珊瑚礁特製コーンポタージュ、ほうれん草とベーコンにじゃがいもでボリュームたっぷりのキッシュ、定番のフライドチキンなどなど。
暖かい匂いに包まれながら、わたしはグラスを持ち上げた。
「じゃあ、今日は新生珊瑚礁がオープンして初めて迎えたクリスマスということで!大変めでたいこの日を祝って、かんぱーい!!」
「よくそのテンションで行けるな…乾杯」
若干引き気味の瑛くんとグラスを合わせる。
「だってクリスマスだよ?やっぱり特別な日は盛り上がっていかなきゃ」
「そりゃそうかもしれないけどさ。あんだけホール走り回って声張ってたのに、まだそんな元気が残ってたのかよ」
「まあ伊達に十数年喫茶店勤務してないからね!」
まだ湯気の登るスープを一口飲んで、わたしはサムズアップした。長年の飲食店勤務で培われた体力とスマイルはなかなかのものだと自負している。
「逆に瑛くんがそこまで疲れてるのが不思議だよ」
「それは…お客であいつらが来るから」
「あいつらって…ハリーとかはるひとか、大学の子達のこと?いっぱい来てくれて良かったじゃない」
実は今日、昔からの友人がたくさん訪れてくれていた。高校時代、大学時代、それから珊瑚礁をオープンするまでにお世話になった方々。こんな大勢に特別な日はここで過ごしたいと思ってもらえて嬉しく感じていた。それにこれまでの努力が報われて達成感もあった。瑛くんもそうだろうと思っていたけど。
ローストビーフを飲み込んだ瑛くんは憮然とした顔をする。
「客として来る分には良いけど、あいつらカウンターに陣取っていちいち俺に話振ってきたり反応求めたりするから…とくに針谷とか。お客が多くて忙しいっていうのに余計に疲れた」
「そう?わたしにはハリーも瑛くんもはるひも楽しそうに見えたけどな。みんな、久しぶりに会えたからテンション上がっちゃったんじゃない?」
ハリーについてはいつもあのくらいのテンションで瑛くんに絡んでる気もするけどそれはおいておく。
「…まあ、ああいうのもたまには悪くないかもしれないな」
「そうでしょ!ほら、パーティは始まったばっかりなんだから盛り上がっていこう!」
「いやそこまではいかないけど。ほんと、おまえのバイタリティはどうなってんだ」
その後、プレゼント交換を終え(わたしはもこもこのかわいいルームウェアをもらった、嬉しい。ちなみに瑛くんには肌触りの良いマフラーを贈った)、わたし達は今日訪れてくれた高校時代や大学時代の友人たちの話でまた盛り上がった。
そしてアルコールが入ってすこし気の大きくなったわたしはどうしてもこの日この場所で伝えたかったことを切り出した。
「瑛くん、高校3年生のクリスマスのこと覚えてる?」
「ああ。忘れられるわけないだろ」
「あの時のこと蒸し返したらいやかなと思って言わなかったんだけどね」
思い返すと今でも胸が苦しくなる。わたしでもこうなるのだから瑛くんはどんな気持ちになるのか想像もつかない。今まで積み重ねてきたものが崩れ落ちて打ちのめされてしまったのだ。人一倍プライドの高い瑛くんには耐えがたいことだっただろう。
それでも、わたしにとって辛いだけの思い出ではなかった。
「甘えたな瑛くん、可愛かったよ」
間髪入れず手刀が飛んできた。
じーんとした痛みが頭頂部を襲う。
高校時代の全盛期から衰えていない。一時期わたしの反撃が通ったりチョップの威力が下がったりしたこともあったのに。付き合いが長くなって調子を取り戻したのか、ときおり容赦ない攻撃がわたしを襲うようになった。
「おまえな…何を言うかと思ったら」
「違う違う!甘えてくれて嬉しかったよって言いたかったの!」
「どう考えても言い間違えではないだろ」
痛みに耐えながら主張するが言い返されてしまった。冷たい視線を感じる。
まあ瑛くんが可愛かったのは事実だけど。
彼はまだ眉間の皺を深くしたままだが一応話を聞いてくれるらしく促すようにこちらを見据えた。
「瑛くんって完璧主義で努力家だから、どんなこともだいたいはできるようになっちゃうでしょ?それに意地っ張りだから辛いことがあっても1人で抱えて、1人で何とかしようとしちゃう」
「それは…まあ」
思い当たる節が多くあるのか瑛くんは目を逸らす。
大学に入ってからは、人に頼るようになったと思う。誰にでも優しい上何でもそつなくこなす王子様だった瑛くんはたしかに人気があったけど、だからこそ近寄りがたい部分があった。その仮面を捨てて、素を見せるようになってから周りに人が集まるようになった。ちょっとぶっきらぼうな態度でも根っこの方にある優しさは変わらないから。
でも高校時代は、そうじゃなかった。
とくに高校3年生の瑛くんは物憂げにしていることが多かった。遊くんにも気づかれていたほどだ。今になって思えばお店のことやご両親のことで悩んでいたのだとわかる。
一緒に遊んだ帰りに海へ寄るのが定番になっていたあのころ、いろいろな話をしたけれど瑛くんはいつも辛さを分かち合おうとはしてくれなかった。自分で決めてやったことだから、弱音なんて吐きたくなかったんだろう。それでも話すことで気が楽になることだってあると思っていたから、悩みがあるなら力になりたかった。
「だからね、瑛くんがわたしに頼って…というか甘えてくれて本当に嬉しかった。自分が少しでも支えになれたらって思ってたから」
これももしかしたら思い上がりだったのかもしれないけど。
「そんなの…ずっとそうだったよ」
瑛くんはぽつりと呟いた。
「え…」
「昔、言ったことあるだろ。色んな自分を演じすぎて本当の自分がわからなくなったって」
確かにそれは高校時代、敵情視察と称してよく行っていた喫茶店で話したことだ。
瑛くんはこちらを真っ直ぐに見て微笑んだ。
「自分がどうしたいのか、ぐちゃぐちゃになって。それでもずっとそばにいて、本当の俺を探してくれた。店と勉強以外顧みなかった俺を色んなところに連れ出してくれた。おまえがいたから、今の俺がいるんだ」
穏やかな口調で瑛くんは続ける。
「今まで改めて言ってなかったけどさ、ほんとに感謝してるんだ」
鼻の奥がつんと痛んだ。顔を見られたくなくて俯く。
瑛くんが別れを告げたあの冬の日、今までやってきたことは全て自己満足だったのかもしれないと思った。彼の苦しみを知っていながら何もできなかった自分を許せなかった。だからあんなことを言わせてしまったのも、わたしの前からいなくなってしまったのも全部自業自得なんだと、そう考えていた。
でも、そうじゃなかったよ。
あの時のわたしに言ってあげたい。瑛くんが自分の夢を叶えられたのは、あなたのおかげでもあるんだって。
「あかり」
やさしい声がわたしの名前を呼ぶ。
顔を上げるとやわらかに笑う瑛くんが見えて、ぽろりと涙がこぼれた。
「泣くなよ。お前に泣かれると、困る」
「うう…ごめん。嬉しくて…でも瑛くんのこと困らせたくないから泣き止むね」
一度涙が出てしまうと堰を切ったようにあふれ出てくる。上を向いたり目を見開いたりしてみるけど止まらない。
すこし笑った瑛くんが親指の腹でわたしの涙を拭う。その手がまた頬に添えられた。
あ、と思う間に唇が降りてくる。わたしはゆっくり目を閉じて口づけを受け入れた。
今度は、止める理由などないのだから。
翌日の早朝。わたしたちはぴったりくっつきながら浜辺を歩いていた。
瑛くんは昨日プレゼントしたマフラーをさっそく着けてくれている。口元どころか鼻あたりまでしっかり覆って、冷気の侵入を断固阻止する装備だ。わたしもきちんとコートにマフラーと耳当てを着用した上で瑛くんと手を繋ぐという防寒の構えを取っている。
しかし冬の空気は容赦なく刺すように冷たい。
「さ、寒い!瑛くん、もっと近づいて」
「これ以上は無理だろ…俺の上着の中にでも入るのかよ」
「それだ!入れて!」
日の出を見るためなのだが寒すぎる。瑛くんの妙案を聞いたわたしは上着に潜り込むべく彼の上着を掴んだ。
「やだよ!お前を入れるために上着を開けたくない!冷気を入れたくない!」
「そこをなんとか!わたしが入れば絶対あったかくなるから!」
「ウワッ!チャック引っ張るなよ!」
チャックを巡る力比べが始まったところで、瑛くんが声を上げた。
「日の出だ」
「あ!本当だ…」
わたしは上着のチャックから手を離し、水平線から覗く朝日を眺めた。夜の紺碧に染まっていた海に少しずつ曙色の光が映り込んで輝く。空も深い青から朝日の黄赤色に移り変わるグラデーションが作られている。ついさっきまで真っ暗だったのにあっという間に周囲が様変わりしてしまった。
「やっぱり綺麗だな…」
瑛くんは、海を見るとき優しい目をする。好きなものに触れると穏やかに凪いだ表情になるから、わたしはそれを見るのが好きだ。
「うん、わたし達が高校生の時と変わらないね」
「あの時はこんな風におまえといられるなんて思ってなかったけどな。もう、全部諦めて親の言う通りに地元に帰ろうとしてたから」
瑛くんは優しい目から一転して目を伏せた。彼の切なげな顔を見ると、別れの日を思い出してたまらない気持ちになる。またどこかに行ってしまうんじゃないかって。あの日みたいなことは、もう2度と経験したくない。
わたしは不安を拭うためからかい混じりに問いかけた。
「そっか…でも、もうずっと一緒なんだよね?卒業式の日、灯台で言ってくれたみたいに」
「そうだな、ずっと一緒だ」
彼はわたしの期待に反してさらりと言い放った。照れてくれるかと思ったんだけど、残念。
高校時代だったら恥ずかしがって言ってくれなかっただろうに、すっかり大人になってしまったものだ。それがすこし寂しくもあるけど嬉しくもある。これからも、こうやってすこしずつ変わっていく瑛くんを1番近くで見ていきたいから。
「ねえ、瑛くん」
「ん?なんだよ」
わたしはポケットに入れていた手を瑛くんに差し出した。
その中に入っていた箱と一緒に。
「結婚しよう」
こちらを見る瑛くんが目を見開いた。
「は!?今!?」
「珊瑚礁を再開させた初めのクリスマスにしようと思ってたの」
「それにしたってお互い寝起きで髪ボサボサだぞ!?もうちょっと、なんかこう…あるだろ!」
虚を突かれ完全に混乱しているようで、納得できない様子で叫ぶ。不意打ちできたのが愉快でわたしは笑い出した。大人になってから焦ったり照れたりすることは少なくなったけど、やっぱり瑛くんのこういう反応を見るのは楽しい。クセになってしまう。
瑛くんは重い息を吐き出し、わたしの差し出した箱を受け取った。
「そんでプレゼントまで用意したのか…開けてもいいか?」
どうぞと促すと瑛くんは包装を丁寧に取り箱を開けた。
中に入っているのは、
「ガラスの時計か、これ。小さくてかわいいな」
「でしょ?指輪はふたりで選びたいなーと思って。瑛くんも選びたいよね?」
「まあ、そうだな…それはまた今度のお楽しみだ」
瑛くんはガラスの時計を日の光に透かす。赤や黄色の混じった神秘的な朝日の光が乱反射してきらめいている。以前光が屈折する様子が好きだと言っていたのでカットが細かく入っているものを選んだのだけど大正解だった。こうやって、瑛くんの好きなものの魅力を増幅できるから。
「おまえ、やっぱり俺の好みわかってる。さすが」
「もう10年以上の付き合いだからね。お手のもんだよ」
満足げに笑った瑛くんが雑に頭を撫でてくる。さっき言われたように寝起きの髪の毛なのでかき混ぜられてもノーダメージだ。
瑛くんはプレゼントを箱にしまい、こちらを見やった。
「ほんとにお前は予想外のことばっかしてくれるな」
「その方が楽しいでしょ?」
「一緒にいて飽きないことは確かだけど…今度覚えとけよ、俺からもちゃんとするから」
「ふふっ!うん、待ってるね?」
瑛くんはロマンチストなところがあるから、シチュエーションにこだわってプロポーズしてくれそうだ。雰囲気の良いレストランで夜景を見ながらとか、ホテルのスイートルームにサプライズのルームサービスが届いてとか。バラの花束とかプレゼントされたりして。
想像するとなんだかくすぐったい気持ちになる。その日が待ち遠しい。
わたしはまた笑って、瑛くんに抱きついた。
わたしはこの人と幸せになりたい。この人を幸せにしたい。
ちょっとひねくれていて頑固だけど不器用で繊細なところもある瑛くんを、ずっとずっとそばで支えていきたい。
その気持ちはあのクリスマスの日から変わっていない。
彼を見上げると見つめ返され、大きくてすこし冷たい手が頬に添えられる。
わたしは降ってくるくちづけに目を閉じた。