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    きょうだ

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    きょうだ

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    弊本丸の愛染くんと前田くんの話
    やさしい二振り

    山望む本丸ぬくとい湿気を纏った風が吹いている。陽光を吸って天を仰ぐ菖蒲の葉は柔らかな青を湛えていた。そろそろ田植えの時期である。

    「……まだ慣れませんね」
    湿った風に溶けてしまいそうなくらいの小さな声で呟いたのは前田藤四郎である。縁側の座っていた愛染国俊に話しかけた訳ではなさそうだ。愛染も暫く黙ってただ見える景色に視線を委ねていた。
    本丸で一番長いこの縁側から見えるのは、硯を二つ縦に並べたような山岳である。日が沈むと闇よりもずっしり重たい影を本丸に落とし込み、日の出には太陽を捧げるように両手を差し伸べる雄大な山が鎮座しているのだ。無名なのが惜しまれるほどの凄みを帯びた山である。

    この本丸が拠点を置いている陸奥国は、空気の冷たさも相まって山の匂いと青青しさが一層目立つ土地だった。顕現直後身体を得たばかりの付喪達は、己よりも遥かに長い時を経て形作られたその堂々たる姿と、吸い込まれるほどに奥深い彩やかな緑に目を奪われてしまうのだ。皆同じように目を輝かせて、それでいて静かなる圧力に口が乾くらしかった。

    「この身体か?」
    前田が持ってきた茶を啜って愛染は問うた。前田は時分の胴よりも長いマントを翻して愛染の隣に腰掛け、まだ湯気の立ち上っている茶を大して熱くもなさそうに嚥下した。

    「まさか。外側は良いんです、中身の話です」
    「中身?」

    この言葉が単に内臓や血や肉を表す単語で無いことは無論愛染も分かっていた。前田の亜麻色の瞳が、初夏の爽やかな青空を映して少し揺らいだ。

    「ねえ愛染くん、僕とっても幸せなんです。
    優しい主君と頼もしい仲間に囲まれて、それでいて刀としてのお役目も果たせる。人の身を得た以上、これほどの幸福はありません」

    前田は愛染の方を見ない。
    この二振りは、本丸発足当時に鍛刀された所謂初期成員であった。ゆえに練度もそこそこ、第一部隊を形成する先鋭の短刀たちである。
    前線で二振り、共に闘ってきたから知っている。前田が相当な頑固者であることを。一度やると決めたらやるまで倒れない。そういう点では真面目、とも言えるのだろうか。

    一度刀装の剥がれたところを高速槍に貫かれ、二振り揃って重症を負ったことがあった──恐ろしく視界の悪い竹林の中だった。機動力は短刀の精髄である。しかし運悪く、槍の矛先はちょうど愛染と前田の脚を穿った。筋肉の千切れる音、骨が軋む音は脳にも響くらしいことをその時初めて痛感した。脚が使い物にならなければ偵察をも武器にする短刀といえど出来ることはたかが知れている。我が血に塗れた槍が再びこちらを向いて、破壊を覚悟に生唾を飲み込んだ、その時だ。
    愛染は隣で蹲っていた前田が宙を舞うのを見たのだ。
    はっと息を吸うその直前、前田の利発そうに鋭く光る切っ先が槍の喉元に弧を描いた。断末魔はおろか血飛沫をも上げさせまいと、その小さな刃は竹林の硬い地面に見事槍の頭を縫い付けた。二度か三度滅多刺しにしていたような気もするが、細い腱で苦し紛れに繋がっている前田の左脚に目を取られていてよく分からなかった。息絶えたのを見て、竹に背を任せて立ち上がり肩で息をする前田の顔ばせといったら、まるでこの世のものとは思えなかった。己の腹に鎮座する愛染明王も怖気付いてしまうほどに思われた。

    「ま、前田、」
    「前に出過ぎましたね、お互い」

    そう言って笑ったかと思うと、ふっと力が抜けたようで、重心を任せていた右脚ごと膝から崩れ落ちていきなり眠ってしまった。愛染は最初前田が折れてしまったのかと勘違いして涙を呑み込んだ。喉がぎゅうと痛くなったのを覚えている。
    直後追いついた陸奥守と岩融に抱えられ辛うじて帰城できたものの、愛染は己の脚なんぞよりも無理に動かした前田の脚と、あの時の彼の鬼の形相だけが気がかりだった。
    ──跳んだのか、あの脚で?
    自分と同じ怪我をしていたはずなのだ、前田は。手入れ部屋でしくしく痛む己の脚をむずと掴んでみたが、未だ感覚は無い。あの時愛染は最早死を覚悟したのだ。ゆえに同じだけの深手を負っていた前田が動けたのはその執念と真面目さによるものだと気付いた時、どうしようもない畏怖と尊敬の念を抱いたのである。

    愛染は、そんな彼が曇天をそのまま呑み込んだような顔をしている理由が少しわかる気がしていた。

    「なのに、ずっと何かを怖じているんです」

    贅沢な悩みだなんて言わないでくださいね、と一言付け足して、声の調子を下げて言うのだ。

    「僕はきっと、人の心に未だ順応出来ていないだけなんです。
    僕が刀であろうとすればするほど、この美しい山景に対する畏敬の念や愛おしさが厄介なものに見えてきてしまって、いけませんね」

    投げやりに笑った前田のそれは殆ど嘲笑だった、それも己の感情に向けるものだから殊更歪んでいるようにも見えた。裾を握って引っ張るのは前田の悪い癖であった。
    先程よりも些か冷たいような風が二振りの間を縫っては畑の方へ抜けていく。

    「畑仕事も、食事も、本当なら……
    刀であるだけの時分であったなら、出来なかったことでしょう。今は出来るんです。美しい景色を見、美味しいものをたらふく食べ、何の心配もせずに眠ることが」

    いつからか地面だけを映していた前田の瞳がゆっくりと愛染の方を見た。その顔色は幾分か強ばり、無理をするように吐く息は小刻みに震えている。

    「ねえ、いいんでしょうか。こんなに満たされてしまって、こんなに綺麗なものを見てしまって。

    ……僕らは所詮、斬るための道具じゃないですか」

    そこまで吐き出して、ようやく前田は気付いたのだ。己が何に恐怖していたのか。この胸の蟠り、ざわめき、異物感、そういう事だったのだ。
    刀である以上、いくら人間の生活を模倣したところで「真似事」に過ぎないのだ。なぜなら彼らは澄んだ空気の美味しさや人肌を感じて眠りに落ちるあたたかさよりも、肉を裂き骨を砕くあの瞬間の感覚の方が馴染み深いからである。そちらの方が心地好いとまでは言わないが、何の躊躇いもなく本能に従って生きることが出来る場所が戦場に限られているのは事実だった。
    確かに本丸は素晴らしい場所である。顔馴染みや兄弟刀が一堂に会し、審神者の霊力は敷地を余すことなく抱え込む。暖かくて優しい憩いの場、まるで「家族」のような営みを続ければ続けるほど、己から何か欠落していくような幻覚に苛まれるのだ。

    「前田は刀じゃなくなることが怖いんだろ」

    はっと上げた顔を、愛染の金の眼が見ている。
    そこには一縷の迷いも無くただひたすらに透き通っていて、最早子供では無いはずの彼に純粋さなるものを据え付けているように見えた。

    「人を斬るのが刀、って言ったろ。合ってる。何にも間違ってないし、オレもお前もそうやって生きてきた」

    金を織り込んだような真紅の髪が柔い頬に触れたのが些か鬱陶しそうだった。払うでもなく、振るうでもなく、ただそよ吹く太陽の吐息に全てを委ねて優しく言う。

    「今はちょっと違うだろ?」
    「……違う、って」
    「斬るだけじゃない、ってことだ。お前にもオレにも、護るものと帰る場所が出来た!」

    前田の表情に一筋、光が差した。

    「人の身体を貰って、人みたいな感情が芽生えたって、お前は名刀前田藤四郎だ。いつだって変わらねえさ、主と思う人を護るために振るわれるってことには……
    ほら、見ろよ前田!こんなに綺麗な景色だ。こんなに楽しい本丸だ。お前が綺麗だ、愛したいって思うもの全部、お前の力次第で護れるようになったんだぜ」

    愛染は青々しい山を指して見せた。昼の陽気を正面に抱き、生うる木々は艶のいい葉をきらきらさせ、山はいっそう鮮やかに耀いている。
    前田がやっと顔を上げた。

    「僕の感じたことは間違ってない、ってこと、ですか」

    愛染は何も言わなかったが、代わりに特大の笑顔をしてみせた。前田はちょっと困ったみたいな目をしたあと、同じように笑った。

    山景を美しいと思うのも、こうやって親しい友と笑い合うのも、きっと身体がなければ出来なかった。実体の無いあの時分のことを否定するのではなく、得た今生では斬る以外の意義を見つけ、謳歌するのもまた運命であることを受け入れれば良い。かつて人の血を吸った彼らが宿命から逃れることは不可能であろうとも、皆で囲む鍋は美味いし、目覚めの直後に浴びる朝日はどんな日でも輝いているのだから。
    嗚呼、肉眼で視る世界のなんと美しいことか!
    顕現した日以来ずっと秘めてきたあの感動を誰かに──主であるあの人に伝えたくて、前田は愛染の背を押して駆け出した。
    何かに答えるように、もう一度長閑な風が吹く。誰も居なくなった縁側には未だ二振りの温もりが残っていた。

    今日も何ら変わることのない、ただ雄大な山の見える本丸の話である。
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