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    『貴方のための愛じゃないのよ、私が私を愛してあげるために貴方が必要だっただけ』


    🍽/狂聡

    死地へと向かう純情「そや、聡実くんにこれあげる」

    「……?」

    じゅうじゅう、ぱちぱちと鉄板の上で油が跳ねる音に混ざりながら男の声が響く。現在午後一時半、お好み焼きが焼けるのを待つ間の空白に差し出されたそれを受け取ると男は少しだけ口角を緩めた。
    両手ですっぽり覆えてしまうサイズの紺色の小箱に滑らかな白いリボンがきっちりと結ばれている。一瞬まさかとは思ったが箱を一周ぐるりと眺めてもあからさまなブランド名なんかは刻まれていなかった。バレないよう安堵の息を溢してから「開けても?」と問うと、返事の代わりに開けろと片手で促される。
    リボンを引っ張ると結び目はするすると解けて重力に負けた端からテーブルに落ちていく。若干の緊張と不安を感じながら蓋を摘み、かぱりと開いた中には、

    「っ、ぇき」

    「駅?」

    キモい、と発するつもりが上手いこと音に変換することが出来なかった。暫しの間を置いた後、箱と男を交互に見比べてから、中身を指して男に問う。

    「…………なん、これ」

    「え?俺の薬指」

    「いやあるやん、そこに」

    外装のわりに簡素な作りな箱の中には指が転がっていた。視認した瞬間は心臓が大袈裟に跳ねたが、グローブボックスに入っていたものとは明らかに違うゴムで模られたそれにはご丁寧に血糊が塗られている。アホかこいつ?
    何が面白いのかニコニコと間抜けな笑顔を浮かべる年上の男を見てついデカい溜息が漏れる。

    「何がしたいんですか?」

    「予約しとこうと思って」

    箱をゆすればごろごろと指が転がって血糊が底に伸びていく。何となく鼻を寄せて空気を吸い込んでみれば、案の定安っぽいゴムの匂いがして不快極まりない。お好み焼きを前にして何でこんな趣味の悪いもん貰わないかんのや僕は。
    返します、と男の皿の近くに箱を置くと「ダメか〜、悲しいな〜」と対して思ってもいないであろう声色でぼやいている。

    「予約て、何の?」

    そろそろ生地返してもいい頃合いかとコテを取るため伸ばした手が掴まれた。最初は手首を握っていた湿度はするすると滑り、手のひらまで来るとぬるい指の腹がくるりと弧を描く。擽られるような感触に跳ねた指が恥ずかしくて思わず力を込めてしまう。それを気にも留めていない様子で、節くれだった指に己の指が絡め取られていく。重なった手のひらから男の情欲が滲んでいるようでいたたまれない。手を引こうとするが勿論力で敵うわけもなく、ドクドクと血が巡る感覚に目眩がする。

    「あるやん、なんか。薬指は心臓と繋がっとるとかナントカ」

    鉄板から届く熱気なのか結ばれた手が熱いのかもう分からない。じわじわと皮膚が溶かされていくような錯覚に陥る。どうせ男はこれくらいのことなんて造作もないのだ。そう考えると何だか腹が立ってきた。

    「それ、は、結婚指輪とかのやつやろ」

    「さっきから言うとるやん、予約って」

    「…………悪趣味すぎませんか?」

    「俺は本気やけどなぁ」

    まず僕ら付き合ってもないやん。そう言ってやりたかったが愛だの恋だのそういったことに関する言葉を吐くのが何だか気恥ずかしくて口籠る。真に受けていると思われるのも癪だし。
    どうしてやろうか、上目で男を窺うとばちりと視線がかち合った。本心の見えない黒曜の瞳に映る自分はどこまでもただの子供なのだろう。そんな子供に粉をかけるような素振りを見せて、本当に趣味が悪いとしか言いようがない。
    黙り込んだ僕を気にする風でもなく、男は楽しそうに笑いながら指の形をなぞっていく。親指から順に、皮膚の柔らかさから骨の位置まで確認するようにゆっくりと、そうして薬指までたどり着いたところで男はなぞる手を止めた。

    「盗られる前に切り落とした方がええかもな、これは」

    指を反らすようにグッと掴まれ全身が粟立つ。いやに穏やかな笑みを浮かべた男は口端から少しだけ息を漏らした後、パッと手を離した。急に解放された手に上手く力が入らず鉄板に落下しそうになるのをどうにか持ち堪える。
    どう考えてもおかしい、何や今のは。僕の知っとる狂児は違う、あんなこと言わん、こんな子供に執着なんてせぇへんやろ、普通。普通?
    ぐらぐらと茹だる視界が疎ましくて首を振ると、それをどう受け取ったのか男は声を出して笑う。

    「冗談やって。聡実くんに痛いことさすのは俺かて流石に気ィ悪い」

    じゃあ、僕にこんな思いさすのはええんか。馬鹿で何も知らん子供を揶揄って何が楽しいんや。

    「あ、見て。お好み焼き焦げた。聡実くん焦げもいける?」

    「……狂児さんは」

    「うん?」

    「嫌な大人ですね」

    言わなくてもいいことだと分かっていても吐き出すことが止められなかった。僕の気持ちが例えバレていたとしても、絶対に伝えたくなかった。こんなもの、自分でも気づきたくなかったのに。僕だけを置いて日常が進んでいく、重石を乗せられた身体で、歩くことすらままならない。

    「じゃあさ。初めて会った時、聡実くんには、俺がマトモな大人に見えた?」

    コテから滑り落ちた小麦粉の塊が皿に乗る。こんな丸焦げ食べたくないと呟くと、「食わず嫌いしとると大きくならんで」と返ってきた。

    「そういうことやろ?」

    「炭食べんと育たんて話?」

    「そっちじゃなくて。ダメな大人だから可哀想な子供が好きって話」

    お好み焼きになるはずだった固形物を箸で摘んで口へと運ぶ。僕が何をしようと、年の差分の経験値が埋まるわけでもなくて、それがどうしようもなく虚しい。口内に広がる苦味を噛み締めながらどうにか言葉を吐き出す。

    「……指、は、切りたくない。痛いの嫌やし、不便になる」

    「はは、そりゃそうだ」

    「でも、予約だけなら、別に」

    一音ごとに頬へと熱が集まっていくのを感じてしまい、途中から男のことを直視出来ずに生地の張り付いた鉄板へと視線を落とす。笑いたきゃ笑え。もうどうでもいい。周囲の喧騒だけが耳朶に触れる。暫くの間お互いに言葉を発することなく無意味な時間だけが過ぎていった。
    実際には二分にも満たないぐらいの間だったんだろうけれど、沈黙に耐えきれず男の顔色を窺うために再度そちらへと視線を戻す。
    男は頬杖をついて、何をするでもなく僕のことをただじっと見つめていた。

    「な、何?」

    「いや、う〜ん……」

    「言いたいことあるならはっきり言うてもらわんと」

    「……うん、そやな。もう逃してやれんわ」

    あーあ、と男が大きく溜息を吐いて、そして甘く微笑んだ。

    「可哀想になぁ、聡実くん」
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