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    hida__0808

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    さめ→しし 支部から消したやつ② 片想い

    光りあれ「また駄目だった」
     駄目じゃなかったら、此処にコレが居るなんてことはありえない。おかしな物言いをする。
     腹が減っていないくせに飯屋に入り浸ったなら営業妨害だ。靴のフィッティングを受けながら「今日は手袋を買いに来たんだ」ないしは「新車を見に来たんだが」などとのたまったなら、従業員はたちまち心を乱す。
     果たすべき目的があり、それに相応しい場所を選び、わざわざ足を運んだくせに、構われたがりの猫のポーズで動かない。女ものの香水と安酒のにおいだけを嗅がせるつもりなら、帰ってもらおう──と、村雨が、ソファの上に転がった男を蹴落とそうとしたところで、ようやく沈黙がやぶられる。
    「また振られた」
     しかし、壊れたスピーカーは少しばかりの趣向を凝らすだけで、ほんのり色が変わった球を同じ着地点に投げるのみだった。
    「知っている。先ほど聞いた」
     インターフォンが鳴った時点で一回。ドアを開け、彼を迎え入れ、その表情を確認した際に一回。冒頭の「駄目だった」で一回。そして、今しがたにダメ押しの一回。計四回、村雨はそれを聞いていた。
     注文のチャイムを押しておきながら、いまだにオーダーを決めあぐねている迷惑客。邪魔ったらしいことこのうえない。三人がけのソファからはみ出した大きな足を、今度こそ蹴飛ばす。村雨の非力なつま先などが触れたところで、この男は痛がる素振りすら見せない。むしろ、ぶつかった村雨の爪のほうが割れてしまいそうだった。
    「絵に描いたような幸せな家族で、おふくろの味みたいな微妙な肉じゃが食ってたら口ン中と頭が真っ白になって、そのままなんも言えなかった。帰り際に、もう敬一くんとは会えない、だとよ」
     だが、珍しいことに、彼のスイッチはかかとに備えられていたらしい。足蹴の衝撃で喉元からぽろっと一言がこぼれた瞬間、全てがさらけ出された。村雨は、とめどなく語られる言葉を聞きながら、歩くたびにオンオフされるぽんこつな機能だったら笑えないな、と思っていた。
    「……なあ、父親と母親が毎晩ちゃんと揃う食卓ってどんな感じ?」
     仰向けの身体は、天井だけを見ていた。
     男──獅子神敬一は、「ふつうに裕福な家庭」に並々ならぬ憧れを抱いており、自分一人では叶えられない夢を一緒に見ることができる相手を探していた。
     もっとも、獅子神自身の財力でいえば、裕福、なんて範疇はとっくに超えている。彼は、億単位の金を親指一つで動かすことができる優秀なトレーダーだ。この先、一生働かずとも、毎日高級イタリアンからフレンチ、懐石料理をはしごできる程度の蓄えはある。
     獅子神が言いたいのは、そんなことではなかった。朝起きたら、炊きたての白米とだし巻きたまごに焼き鮭、味噌汁が用意されていて、エプロンを着た母親に「先に顔洗ってきなさい」と笑われる。洗濯された清潔な洋服を毎日着て、尖ったえんぴつと、破れていない教科書を用いて授業を受け、未払の負い目を感じることなく給食を食べる。夕飯前、テレビゲームに没頭し、「一日一時間って約束したでしょ」と母のげんこつを受けながら、父親の帰りを待つ。父は、知らない女を連れ込むことなく、泥酔して家族を殴るようなこともせず、コンビニで購入したシュークリームを土産に帰宅する。その日一日の出来事を語り合いながら、食卓を囲む。
     そういう、決して当たり前ではないが、贅沢とも呼べないような、小さな幸せの縮図を描きたい。それが、獅子神のささやかな願いだった。現在の彼の立場から考えれば、高望みではない。だが、「ふつう」を知らぬまま大人になった獅子神がそれを探すのは、困難を極めた。
    「この家には不幸売りの少年が頻繁に現れる。前回は確か半年前だった」
    「買ってくれよ、貧乏なんだ」
    「使い古された安物を買う趣味はない。スティックパンの話は聞き飽きた」
     金品をちらつかせれば、心が飢えた女が寄る。そこには、権力の器で外枠を縁取る空っぽな愛情しか生まれない。獅子神の容姿に惹かれる女は、だいたい気が多い。同程度に優れた美貌を持つ男を見つけたら、すぐに行方をくらませる。やはり、関係値が築かれる前に終わる。
     ごくまれに、一般的な家庭で育ち、良識があり、愛を知っており、それを獅子神に分け与えようとするまじめな女性が現れる。獅子神は、すぐに彼女を好きになる。めいっぱいの愛情を注ぎ、女を夢中にさせ、あっという間に婚約目前までこぎつける。
     たいてい、育ちの良い女性は、指輪をはめる前に「両親に会ってほしいの」と言う。獅子神と交際をしても正気を保っていられるような人間だ。正攻法で生きたがる。
     そうすると、獅子神のボロが出始める。両親の愛情を知らない男。温かい家庭を知らない男。彼女が育ったぬくもりの領域に踏み込んだ瞬間、獅子神は自分が異物であることを悟る。一人だけ、世界の描かれ方が違うことを知る。
     うさぎやくまのふわふわのぬいぐるみのおままごとに、血濡れの包丁を持った日本人形が乱入するようなものだ。「役」を演じきれなくなった獅子神は、あっさり捨てられる。正しく生きる人間は、正しくない生き物に冷たいものだった。
     獅子神は、女性に振られるたびに、村雨に会いに行く。「もうあなたはいりません」と言われたその足で、村雨の家に向かう。彼が一人で村雨宅のドアベルを鳴らす日は、傷心で気がやられていると相場が決まっていた。そうして、村雨いわくの「不幸売りの少年」が始まる。同情を誘い、欲しい言葉をねだる。そうやって慰めを得て、心の傷を癒やし、次の恋を探すのだ。
     彼は不幸を売りに来ながら、結局のところ、優しい薬を注文する。等価交換を気取っているが、一方的に村雨の口に苦いものを放り込んで甘い蜜を啜る行為は、あまりに身勝手に見えた。それでも、村雨は拒まない。拒めない。獅子神の望む場所から対極の場所で、彼に焦がれているからだ。
    「あなたより不幸な子どもはごまんといる。この街を一時間も練り歩けば出会えるだろう」
     不幸の尺度を他人と比較するのはナンセンスだ。誰かの苦しみを確認したところで、自分の痛みが消えるわけではない。
     だが、村雨はその職業柄、大人になれなかった子どもたちを人より多く知っている。深夜、急患で運ばれてきた子。病室の外で親から呪詛を吐かれる子。一人で生きられるはずがないのに、親が不在のまま受付にやってくる子。きょうび、親ガチャなんて俗らしい言葉があるが、そもそもレアリティを確認できないまま淘汰される命もある。
    「あなたは確かに不幸な子どもだったが、世界一かわいそうなわけではない」
     売りつけられる不幸があるだけ、まだマシだ。きっとそれは、獅子神自身も理解していることだった。心の暗闇に放って、二度と拾われない苦痛ではない。完治の前に何度もいじくり倒して化膿させて、患部を見てくれと自慢できるくらいのものである。
    「……というのを、国立とはいえ親の金で医学部に行った私に言われるのは、相当なストレスだろうな」
     獅子神は、村雨の生まれ育った家庭をフィクションのようだと思っている。それと同時に、村雨もまた同じく、獅子神の過去を作り物じみた不幸だと思っている。アットホームな児童向けアニメーションと、お涙頂戴の三流映画。互いの境遇を、交わらない世界線に置いている。だから、羨ましいとも、いたましいとも感じない。
    「でも、そこまで辿り着いたのは村雨の努力だろ」
    「両親は息子二人を大学まで通わせた。兄が高校生の頃までは毎年国内旅行に最低二回は行っていた。犬も飼っていた。毛並みの長いゴールデンレトリバーだ。私はアルバイトをしたことがない。予備校代と模試代も全て親に払わせた」
    「だからなんだよ。オレに嫌われたいのか?」
     恵まれた立場からご高説を垂れるのは楽なことだ。痛みを知らないから、王は容易く下民を勇者に仕立て上げ、冒険へ出ろと命じることができる。
    「……オレはわさわざ喧嘩したくて村雨先生を頼ってるわけじゃねえんだよ」
     天を見上げ続けていた瞳が、ついに村雨を見た。
    「なあ、適切な処方を頼む」
     リサイクル品のランドセルは、新入生が背負うにはあまりに薄汚れすぎていた。クラスメイトが夏休みの思い出に語るエピソードを、一つも持ち合わせていない。おもちゃを買ってくれなんて言っていない。ただ、書き場所のあるノートが欲しかった。冷たい夕飯が、硬い米ならまだいい。袋詰めされた十本入りのチョコレートパンを、二日かけて食べるのがいつもの週末だった。父親と母親はいつも喧嘩ばかりしている。黄色や真っ赤な色をした封筒が毎日家に届く。貧乏人は、殴ってもいいと他人から見下される。特に子どもは残酷だから、弱者に容赦はしない。
     聞き飽きた問診。弱々しい語り口。村雨の心が痛むことはない。ただ、愛しさで疼くことはある。
     いま、ここで彼を抱きしめたら。もう、夢なんて諦めてくれと言えたなら。くだらない女に振り回される一種の自傷をやめて、目の前にいる一途な男を選んでくれと縋ることができたなら、どれだけ良いだろう。
     叶わぬ願いに翻弄されるのは、獅子神も村雨も同じだった。手に届かないと分かっているからこそ、求めずにはいられないのだ。
    「……あなたは、自分の境遇を恨むことはあれど、他人を羨んで攻撃したりしない。そういうところは、美徳としていい」
     抱きしめることはできなくても、手を握るくらいのスキンシップは許される。
     友として、獅子神の手に触れる。廃れた世界にいながらも、真っ当な日々に憧れる純真な体温が、そこにはあった。
    「家庭の味なんてものはまやかしだ。本当にその肉じゃがは鰹や昆布から出汁を取っていたのか? 私が顆粒出汁で再現してやろうか、彼女の母の味とやらを」
    「……いつも食ってるのと変わんなかった気がする」
    「だろうな。世界はそこまで豊かではないし、恵まれてもいない。あなたの想像よりも、ずっとだ」
     汗ばんだ手のひらには、非日常のあかしが刻まれている。獅子神が村雨と同じ、怪物の一種であることを証明する傷痕だ。
     村雨はいつも、それを見るたびに安心を覚えていた。過去は異なれど、獅子神敬一が村雨礼二と共に修羅の地で生きていることを、実感できるからだ。
    「あーあ、女には縁がねえけど、ダチに恵まれる人生で良かったよ」
    「悪人に囲まれておいてよく言う」
    「悪人、な。少なくとも、村雨先生に救われて不幸を免れた人間はたくさんいるだろ」
    「……そんなもの、」
     本当に救いたい人間を救えなければ、意味がない。
     一時的な投薬で、獅子神の傷は癒えるだろう。けれどまたすぐに彼は、自ら怪我をしたくて遠くに飛び立ってしまう。
     ──ずっと、ここにいてくれたらいいのに。そうしたら、もっと優しく傷をつけてやるのに。
     言えるはずもない言葉を飲み込んだ。自分の手の中に、獅子神の体温がある。とどめておくことはできなくても。村雨は、それが幸福であることを知っていた。

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