嫌よ嫌よも好きのうち8️⃣🐶「狗丸、好きだ。俺の恋人になってくれ」
TRIGGERの八乙女楽に面と向かってそんなことを言われて、頬を抓らずにいられる人間なんか居ないだろう。俺も例外じゃない。思い切り引っ張った自分の頬はしっかりと痛くて、あり得ないはずなのに「これは現実だ」と思い知らされた。
「………いや、です」
口から出た言葉も、当然と言う以外にない。
だって、無理だろ。そんなの。
八乙女さんは表情を歪めて首を傾げた。
「なんでだよ」
「なんでもなにも」
「俺のこと好きじゃないのか」
「す、好きじゃないわけじゃない」
「ややこしいな」
八乙女さんはそう言って苦笑する。その瞬間、あ、やっぱり無理だなと思った。
「俺、八乙女さんと付き合うのは、無理っす」
「理由は?」
「………カッコ良すぎて、無理」
この美しい顔が常に隣にある生活なんて考えられない。絶対に頭がおかしくなる。幸福と不幸はバランスよく訪れるらしいから、八乙女さんと付き合ったら俺はその後たくさんの不幸に見舞われることになる。そんなことを本気で考えてしまうほどに、それは夢のようなことだった。
八乙女さんは俺の言い分を聞き終えるといよいよ「分からない」といった表情をした。
「それってつまり、俺のこと好きだよな」
「まあ、そうですけど」
「好きなのにダメなのか?」
「ダメ」
「一緒に居たら慣れるだろ」
「無理。絶対」
「嫌?」
「嫌っす」
「どうしても?」
「どうしても」
「顔がカッコいいから?」
「………っす」
煮え切らない返事をしてしまい少しだけ後悔する。情けない。
八乙女さんは納得いかない様子だったが、俺をしばらく見つめてから柔らかく笑った。
「分かった。それじゃあ、もし俺の顔が変わるようなことがあったらリベンジするよ」
何言ってんだよ、と、言い返したかった。
同時に、諦めずにいてくれるんだなと密かに喜んでいる自分を憎んだ。
告白を断ったことを後悔したわけじゃない。だけど、八乙女さんの想いを知ってからずっと心の片隅にモヤモヤを抱えてしまって、もしかしたらあの時の返事は間違っていたのかもしれないと思いながら過ごしていた。
あれ以来八乙女さんとは会っていない。と言っても決して避けているわけではなく、忙しくて会うタイミングが無かっただけだ。八乙女さんは変わらず飯に誘ってくれるし、俺も普段通りの返事をしていた。
ただ、彼が俺のことを好いてくれていると思うと、何だかソワソワして落ち着かなかった。
受け入れたら、どうなるのかな。絶対おかしくなるよな、俺。やっぱり断ってよかった。うん。
そんな時、スタッフさんの鬼気迫った様子の会話が聞こえてきた。
「ねえ聞いた!?隣のスタジオでTRIGGERの八乙女さんが怪我したって」
……………え?
足が止まる。息も止まってしまったような気がした。自分の心臓がちゃんと動いているか自信がなかった。
「上から落ちてきた機材が当たっちゃったんだって」
「ええ!?怪我ってまさか頭とか……?」
「詳しいことは分からないんだけど、噂によると顔面に直撃したらしくて……」
血の気が引く。
最後に見た笑顔が脳裏をよぎる。
「それじゃあ、もし俺の顔が変わるようなことがあったらリベンジするよ」
ふざけんな。こんな形で実現すんなよ。フラグ立てるようなこと言うからだ。
手が震える。連絡しなきゃ。なんで?恋人でもないのに、断ったくせに、何様のつもりだ?
スマホを取り出そうとして、手に力が入らず床に落としてしまう。拾おうとして屈んで、そのまま身体の力が抜けて座り込んだ。
こんなことなら、耐えられなくても一緒に居ることを選べばよかった。カッコいいから顔を見たくないなんてバカなこと言わずにそばに居ればよかった。好きだってちゃんと言えばよかった。優しさに甘えて、俺は、取り返しのつかないことを。
「おう、狗丸!見舞い来てくれてありがとな」
散々泣き腫らした目は半分しか開かなかったが、病室のベッドで身体を起こし手を振る八乙女さんがすこぶる元気だということは嫌というほど分かった。
「……………え、八乙女さん、顔……」
「顔?ああ、なんか間違った情報が出回ってるらしいな。なんだ、心配してくれたのか?」
八乙女さんは頭に包帯を巻いているものの、顔は傷一つなく綺麗なままだ。
悪かったよ、と少しも悪びれずに言われ、俺はその場に膝から崩れ落ちた。
「え!おい大丈夫かよ」
「だっ、大丈夫なわけあるか!!」
八乙女さんがベッドから出ようとしていることに気付き、慌てて立ち上がり近くまで歩み寄る。ズカズカと無遠慮に近付いてきた俺に少しだけ怯んだ様子の八乙女さんは、俺の深刻な状況にようやく気付いたらしい。俺の顔を覗き込んで優しく笑った。
「心配かけてごめんな。大したことないから安心してくれ」
「か、顔、直撃したって聞いて、俺、もう」
「いいよ、言わなくて。その顔見りゃ分かる。泣かせて悪かった」
俺はベッドの近くにある椅子に座り、縋り付くように寄りかかる。八乙女さんは泣き出す俺の頭を撫でてくれた。
「でも狗丸からしたら、多少傷があったほうが俺のこと見やすくなるんじゃないか?」
冗談で言っていると分かっていた。俺を笑わせようとしてくれていることも。
それでも、そんなことを言わせた事実に胸が締め付けられて気が狂いそうだった。
「ふざけんなよ!」
彼の胸ぐらを掴んで叫ぶ。怪我人に何をしているんだ、俺は。
八乙女さんは黙ったまま俺の言動を受け止めてくれる。
「そ、そんなこと、そんな、怪我して喜ぶような奴、あんたの人生に必要ないだろ…!そんな、俺、そんなつもりじゃ」
「………うん、そうだな。ごめん」
「違う、あんたは何も、俺が悪い、俺がバカで、卑怯だから」
真っ直ぐに八乙女さんの目を見る。綺麗で、優しくて、愛しいその顔を見つめる。もう二度と見られないかもしれないと思った、その顔を。
八乙女さんはキョトンとして、それから心底嬉しそうに笑った。
「なあ、この顔が見れなくなるの惜しいって思ってないか?」
「……思ってる」
「じゃあ、もう大丈夫だな?」
それはもう、心から頷ける。申し訳なくて情けなくてどうしようもないけれど、「顔を見られないから無理」なんてもう二度と言わない。
「ごめん、俺、意味分かんないこと言って、本当にごめんなさい」
「別にいいよ。俺のこと好きだってことはちゃんと伝わってたから」
「え」
「だって言い訳になってないだろ、『カッコいいから付き合えない』なんて」
八乙女さんは少し意地悪な顔をする。最初から全部見透かされていたのだと思うと、自分の愚かさが際立って居た堪れない気持ちになった。
「少し間を空けてまたアプローチするつもりだったんだよ。どうやったら頷いてくれるかなっていろいろ考えてたんだけど、こんなことになるならあの時粘ればよかった」
「………そん、な」
「これからは、絶対に後悔させない。『嫌』のままで終わらせない。だから安心して、そばに居てくれ」
この人は、俺の心を守ってくれる。素直になれなかった俺を少しも責めずに、その裏に隠れた本心を全部掬い上げてくれる。
「嫌だ」なんて無意味な強がりはもうやめよう。そんなことする必要はないんだと、ちゃんと分かるから。
「八乙女、さん」
「呼び捨てでいいよ。タメ口でいい」
「………えと」
「楽って呼んで」
「え!?そ、それはさすがに」
「嫌か?」
勝ち誇った笑みを向けられ、早速決意が揺らぐ。やっぱり、む、無理かも……!いや無理じゃない!無理じゃない……!
「………嫌じゃ、ない、です」
「はは!ありがとな。愛してるよ、トウマ」
頬を優しく撫でられる。彼の想いに応えたいと思った。ちゃんと応えられると、強く思った。
意を決して背筋を伸ばす。
「が」の形に開いた俺の口を見て、彼は幸せそうに微笑んだ。