初恋の瞬間遠征に出ていた訓練兵たちが今日帰還するらしい。その噂を聞いてから、ランスロットは浮足立つ心を抑えられなかった。訓練兵たちが王都に帰ってくるのはおおよそ半年ぶりで、その中には幼馴染のヴェインもいる。
幼い頃は毎日ずっと一緒にいたけれど、ランスロットが黒竜騎士団に入団してからはさすがにそうはいかなかった。それでも何かと理由をつけてはたびたび会っていたから、半年も離れるのは初めてだ。ヴェインのいない半年間は想像以上に寂しかった。いつも自分についてきてくれた可愛いヴェイン。最近は成長して青年らしくなり、むにむにだったほっぺたもだんだんと固くなってきてしまったが、やはり愛おしさに変わりはない。お隣の家に生まれた、まだ赤ちゃんだったヴェインの小さな手を初めて握ったその時から、ランスロットにとってヴェインは守ってあげたい存在で、本当の弟のように思っている。
さてどのようにヴェインを出迎えてやろうかと、自分の部屋を見渡して閉口する。普段は意識の外に追い出していたけれど、ランスロットの部屋は本や服が散乱して足の踏み場さえ怪しい。きれい好きなヴェインに見られたら怒られてしまうかもしれない。
「仕方ない、片付けるか。」
とりあえず本を積み上げ、服を端に寄せて足の踏み場を作る。世間一般的にはこれを片付けと言わないのは知っているが、訓練兵の帰還予定時間までもうほとんど猶予がない。どうしても積み上げきれなかった本はベッドの上に置いた。机の上にあったものも床かベッドに避けて、ようやく2人くらいなら向き合えるスペースを確保する。
「よし、完璧だな!」
ランスロットが満足そうに部屋を見渡したのを見計らったかのように、その時、ドアを叩く音がした。
「ランちゃん、俺だよ!ただいま」
「ヴェイン!開いているぞ。入ってくれ」
がちゃりと開けられた扉の前には、訓練兵の鎧を着たままのヴェインがいた。着替える暇を惜しんで自分に合いに来てくれたのかと思うと、なんだか少し嬉しくなる。
「ランちゃん、久しぶり!…って、あちゃ~、やっぱり部屋が散らかってる!ベッドの上まで物がぎっしりじゃねえか、どこで寝るんだよ~」
「久しぶりだな、ヴェイン。…え、さっき片付けたぞ」
そう言うと、ヴェインは少し目を瞠って、笑った。
「こんなの片付けてあるうちに入らないだろ~。後で片付け手伝ってやるからな!」
「う…。よろしく頼む。」
年下のヴェインに部屋を片付けてもらうのは少し恥ずかしいけれど、今に始まった話ではない。ランスロットは昔から片づけが苦手で、家を散らかしては怒られていた。その時にいつも助けてくれたのは他でもないヴェインだ。
「でも、せっかくだし先にお茶にするか。遠征先のお土産があるんだぜ」
「やった、ありがとう!甘いやつか?」
「甘いやつだぞ。俺はお茶でも淹れるから、ランちゃんはこれをお皿に盛りつけてくれるか?」
「もちろんだ」
ヴェインが差し出してくれた紙袋を受け取る。その時、ランスロットの手のひらがヴェインの手に触れた。
(…あれ)
自分が知っているヴェインの手よりも、ずいぶんとごつごつしている。それに、紙袋を差し出すその腕は、ランスロットの腕よりも少し太く見えた。
「ヴェイン」
目線を少し上げると、エメラルドグリーンの瞳と目が合う。自分の瞳よりもほんのちょっぴりだけど、確実に高い位置にあるそれ。ヴェインも何かに気づいたのか、少し目を細めて、口元を緩ませた。前に会った時のことを思い出す。あの時は確かに自分の方が背が高かったはずなのに、…背を抜かされてしまっている。
「ランちゃん、俺、ちょっと前からどんどん背が伸びてきてさ。成長痛とかすごいんだぜ?筋肉だってついてきたんだ。…もっと大きくなりたいな。なれるといいな」
ごつごつとした手。伸びた身長。よく見ると、肩幅だって自分よりも広くなっている。あの、小さくて可愛いヴェインが…。
ランスロットの脳裏に、幼い頃のヴェインが浮かぶ。まだ少年だった頃、はらっぱに寝っ転がって他愛もない話をしていた時のこと。
「ヴェイン、ヴェインは大きくなったら何になりたい?ケーキ屋さんか?ヴェインがつくったケーキは世界でいちばん美味しいもんな!」
無邪気に笑いかけたランスロットを見て、少し逡巡したあと、小さな少年は少し頬を赤らめてこう言った。
「ランちゃん…。おれ、いつかおおきくなって、ランちゃんをたすけられるようになりたいな…。」
心臓がどくどくと高鳴って、顔が熱い。どうして?ランスロットはわけがわからなくなり、赤くなっているであろう顔を隠すために俯いた。
「ランちゃん?どうしたんだ?」
いきなり黙って俯いたランスロットを心配して、ヴェインが声をかけてくれる。ヴェインが声変わりをしたのは、彼が訓練兵になったころで、今よりもずっと前のはずだ。それなのに、今はその声にさえ動揺した。
「すまない、ヴェイン。…なんだかちょっと体調が悪いみたいだ。大したことない、少し休んだらお前の部屋に行く」
「え、ランちゃん、大丈夫か?ていうか、ベッドがあんなんでどこで寝るんだよ。俺の部屋で休む?訓練兵の寄宿舎だからちょっと遠いけど…」
「すぐ直るから大丈夫だ!安静にするからお前は部屋に戻ってくれ」
自分でもめちゃくちゃなことを言っているのはわかっていたが、顔を赤くしたみっともない姿を見られるのにはなんだか耐えられそうになかった。俯いたまま、まだ心配してこちらをうかがっているヴェインをぐいぐいとドアの外に押し出す。
「ランちゃん、…部屋で待ってるな。お大事に」
寂しそうなヴェインの声と、とぼとぼと遠ざかっていく足音が聞こえる。悪いことをしたとは思いつつ、ランスロットはようやくほっとため息をついた。
心臓はまだどくどく鳴っている。頬を撫でると、やはり顔は熱いままだった。どうして突然こうなってしまったのだろうか。ずっと弟のように思っていたヴェインに背丈を抜かされて恥ずかしかった?悔しいのか?分からない。こんなことは初めてだ。もしかしたら本当に体調が悪いのかもしれない。
ドアにもたれかかり、ずるずると崩れ落ちる。
なんと名前をつけたらいいかわからない、悲しいような、切ないような、情けないような気持ちに全身を支配される。ヴェインにどう言い訳をすればいいのかも、今は考えられそうにない。
泣きたい気分だった。