ヤタ兄(仮)3脹相は悠仁を人気の無い適当なビルの屋上に連れて行くと徐に上着を脱ぎ出し上裸になった。
慌てて買い物袋で自分の視界を塞ぐ悠仁をきょとんと眺めつつ、悠仁の身体を抱き寄せる。
「わっ!何ここでいきなり」
「何がだ?」
「へ?」
悠仁の足が地から離ればさり、と大きな音がした。脹相は上裸の背中から自前の黒翼を生やし悠仁を軽々と抱え空へ飛び立ったのだ。
悠仁は子供時分以来の浮遊感に文字通り浮き足立つ。
脹相はしばらく飛ぶと見覚えのある森に舞い降りた。両手に抱き締めるようにしていた悠仁を地面に降ろす。
「ここ、って」
2人が降り立ったのは高専近く、高専へと続く道の途中だった。脹相が羽根を消し去るように仕舞うと再び上着を着て、道から逸れて森の中へ入って行った。
「何処行くん?」
「俺の家」
「え、こんな近くに住んでんの?」
「う〜ん、ここには住んではいないが……」
「」
しばらく山道を歩くと小さなログハウスが現れた。家の周りだけ土地が均され、玄関へ続く石畳、テラスには小さな木製のベンチが置かれている。脹相が、ここで日向ぼっこをするんだ、と教えてくれた。
「へえ、かわ、気持ちいいだろうな」
日向ぼっこをする脹相を想像して可愛いなと思ってしまった。悠仁はそれを飲み込んで頷く。玄関のドアを潜るとすぐ右手に小さなキッチン、木製のダイニングテーブルセットが一揃。仕切りのない奥の部屋には広いベッド、寝室の横の扉は水周りだろうか。
「可愛い家だな」
悠仁がキョロキョロと見て回るのを脹相はキッチンで湯を沸かしながら眺めていた。
やがて沸かしたお湯で茶を淹れるとダイニングテーブルに付くようにと悠仁を促した。
「茶菓子でも買って来れば良かったな」
「次は持ってくればいい」
「またここに来たら会える?」
「ああ、ただこの家への道は変わるから、今来た道では辿り着けない」
「どういうこと?」
「この家は必要な者にしか辿り着けないようになっている。今は高専の近くに『繋げて』いるから、悠仁がさっきみたいに山の中を適当に歩けば現れるようになっている」
「ふーん」
理屈は相変わらず分からない。分からないが、そういうもんかと1回呑み込むと何だか分かったような気分になった。
悠仁は脹相に会えたら聞きたいことがたくさんあった。まずは彼の存在について。脹相は八咫烏という霊鳥で、導きを司る存在だ。霊鳥なので大昔は本当に烏だったらしい。三本脚の奇形の烏。今は霊力が高まり人の形を取れている。ある神社を起点に人々の祈りを聞き神に伝えまた逆に神託を人々に伝えるのが仕事らしい。
「祈った人に会いに行くってこと?」
「いや、一々会いになど行かない。必然を使う」
曰く、昆虫や動物、自然現象や時には失せ物などを現すことでその人に吉兆を知らせるのだそうだ。しかし、最近の人間ときたら全く気にかけなくなった、と脹相はため息をついた。しょんぼり項垂れる姿が、少し可愛いと悠仁は感じてしまう。
「脹相はずっとこの家で暮らしてるの?」
「気が向いたらな。人間より時間の概念が無いし睡眠や食事もあまり必要無いんだ」
一通り聞いてみたがやはりなんとなくしか悠仁には理解出来そうに無かった。
でもおそらくとてつもなく長い時間過ごしてきた脹相が今悠仁との時間を共にしたいと思ってくれる事だけは感じる。
「じゃあ人間ごっこだ」
「そうだ」
脹相は悪戯が成功したように笑った。
二人は引き続き悠仁が小さい頃の昔話を語り合った。あの時は、あの人が、と語らう毎に脹相も楽しげに思い出してくれる。思い出話が共有出来る兄がいたらこんな感じなのだろう、と悠仁は思う。
はた、と悠仁は一番聞きたかったことを口にした。
「最後に会った時言ってた、契りって覚えてる?」
「……覚えている」
脹相の顔が少し曇る。ああ、やはりただの子供相手の約束だったのだろうか。
「俺脹相のこと思い出したけど、あれって無効……?」
「……有効だ……お前たちで言うところの縛りみたいなものだ」
「そっか……いや、もし脹相が嫌なら俺……」
「嫌では、ない……」
しかし顔が嫌そうだ。彼が嫌がることはしたくないなと悠仁は脹相の手の甲を指先でつ、と撫でる。逃げない。する、と掌を合わせ指を絡めてみる。やはり逃げずに握り返してきた。
現にこうして脹相は悠仁に会いに来ている。また会いにきていいとも言っている。なのにこの浮かない顔はどうしたことだろう。
「神のモノから俺のモノになるって、八咫烏じゃなくなるということ?それって大変な事だよな」
「……烏が死ぬ」
「え?」
「俺は神に誓いを立てている。だからそれを破れば烏が死ぬ、仲間が死ぬ」
「それは……」
「だが、悠仁との約束を、果たしたい、と今は思う」
正直、あの幼い頃の悠仁のまま、約束の事等忘れて大人になって欲しかった。だが何を間違えたかこの子は見えない世界、こちら側に近い世界を生業とする機関に身を置き脹相を思い出してしまった。
成長した悠仁に再会し、また一緒の時を過ごしたいと思ってしまった。