セiフiレのひぐちょからゆちょになる話4「今日で最後だ…」
脹相が俺から目線を逸らせて呟いた。
仕事終わりで、着ていたスーツの上着をソファーに放り投げ、ネクタイを外し、ワイシャツのボタンを外したところだった。いつもならここまで数秒で脱ぎ捨てるのに、今日はのろのろとしていたから、これを何時言おうか悩んでいたのだろう。
彼は物事を割とハッキリ言うタイプだ。正直というか、嘘が下手と言うか。最初こそ、彼のそんなサッパリした部分が好ましかったが関係が長引くにつれ段々と口が重くなってきたのだ。
腕時計やネクタイを贈る度、困ったように笑って受け取る。数回それを繰り返し、最終的に気持ちは嬉しいがこういったものは不要だと本当にやんわりと押し返されしまった。
ああ自分は彼の懐に入れたのだと思った。
弟の話についてもだ。最初は想い合う末弟の話ばかりだったのに、いつの間にかそれもしなくなった。
自分の存在が彼の中で居場所をしめたのだと感じた。懐かない猫、毛並みがよく触り心地もよく鑑賞に値する美しいプライドの高い黒猫。その猫が懐くようになった。そうするともっと甘やかしたくなるというもので、消えるものならと酒や寿司や好きな飲食物を与え景色の良いホテルの部屋や彼専用のバスローブなど、自分でもちょっとどうかと思うくらいこの猫に金を使った。
その時にはもう、大分脹相の毒牙に犯されているようだった。甘やかされることに脹相が慣れた頃、当たり前の顔をして俺の隣で酒を煽り、しなだれかかり再戦を強請るのを大人の振りをして許容してやる。
こんなことは18歳の子供に出来ることじゃないからだ。
だが、約束は約束だった。
俺はあの18歳の子供に、脹相を借りていただけだった。狡いのは、子供には与えられないもので彼をいっぱいにして、彼の選択肢を拡げるとい言う手を打ったことだ。
これは少し効果があったのか、今、脹相の口が重い。
のろのろとスラックスを脱ぎ、下着を脱ぎ去る。結った髪を解くのさえゆっくりだ。
ベッドに腰掛ける俺の腿の上に乗り上げ、抱き合う体勢となる。脹相の顔を見上げると贈り物をした時のように困ったような表情をしていた。
君を手放したくない、行かないでくれ
ーそう縋ることも出来た。
「どうした?やっと弟とセックス出来るんだろ?彼の元に帰ってやれ」
だが自分の口から出たのはやはり何処までも狡い大人のセリフだった。脹相が唇を噛んで傷付いたような顔をする。次いで奪うように口付けをされる。
そうだ、俺は君にその罪悪感だけを最後に贈ろう。
忘れられないだろう、何時でも戻ってくるがいい。
俺は何時でも君を甘えさせてやれる。
季節が幾つか過ぎた。
あの身体を忘れることは出来ないが、切り替えることは出来る。そもそも俺は失恋などしていないのだ。
街中で脹相を見かけた。隣には明るい髪色をした青年が日向のような顔で笑っていた。二人の手元は軽く指が絡んでいる。あれが件の末弟であろうことは容易に想像できた。
似ていないのは確か片親がどちらか違ったとかそういう話だったはずだ。
二人は容姿こそ似ていないはずなのに、笑った顔が似ていると思った。というか、脹相があのように日向が似合う笑顔を出来る事を自分は知らなかった。二人の関係は決して大腕を振れない間柄のはずなのに、幸福そうだった。
あの末弟も嘘が下手で正直者で懐に入れた者は何処までも大事にするのだろう。職業柄、そういったものは顔を見れば分かる。
あの関係に妬けるほど子供でもない。そもそも俺は失恋などしていない。愛した者が幸せなら、それ以上は望まない。