教会と砂時計。「……この中に、悪魔憑きが居ます。」
鐘が鳴っている。教祖様のお声は全員が聴き取れたようで、みな戸惑いの顔をしている。談話室──という名の雑談スペース──には、教祖様と私を含め五人が居た。見慣れた顔触れである。
「……それは…どういう、意味でしょうか。」
口を開いたのは、聖女様だった。先程まで和気藹々としていた室内は、静寂と困惑で満たされていた。恐らく全員が同じ疑問を持っていたと思う。
「……そのままの意味ですよ。先程天啓が下ったのです…この五人の中の一人に、悪魔が憑いていると。主は、我々人類のみでの解決を命じられました。」
…教祖様が、天啓を聞いたと言うのなら間違いは無い。今述べられたことは全て事実なのだ。
(こわいな。)
元より臆病な私は、一番端の椅子に座って、俯いて震えていた。悪魔憑き。即ち、悪魔が魅入るほどの素質のある人間が居ると言うのだ。この宗教、セイノン教に置いては、即刻排除せねば悪の道に堕ちた者の手によって、我々の生活を脅かすとされている。
少し、安心している自分がいた。教祖様は勿論除くとして、この中で一番信心深いのは私だろう。私に悪魔が憑いているなど有り得ないことだから、他の人に違いない……と、そこまで考えて思考を辞めた。疑心暗鬼は罪である。今は、神のご指示に従うのみだ。
「……かしこまりました。教祖様は、どのようにお考えでしょう?」
詩人が尋ねる。賢い彼には、すぐに状況が把握できたようだ。口元を隠すマフラーをさらに上げて、目元だけを覗かせる。彼なりの緊張なのだろうか。そもそも室内でマフラーをしているのもどうかと思うが、長年の仲だから見慣れてしまった。
「……本来であれば、避けたい手段になりますが……悪魔は宿主の死亡と同時に消滅いたします。ですので、最も可能性の高い者を犠牲にする他、方法は無いかと。……疑心と保身は、罪にございますが……悪魔が他者に乗り移り、軈てこの村ごと破滅に導く以上、仕方の無いことにございます。わたくしの名のもとに、犠牲と罪を最小限にすることで、神のご命令を遂行いたしましょう。」
全員、全てを静かに聞いた後、異論はないと言うように頷いた。正しい教祖様の仰ることだから、当然正しいのである。
そうして私たちは、悪魔憑きを特定するべく議論を行うことにした。ここでは他者の乱入があるかもしれないと詩人が言うので、場所を集会室に移し替えて。
「……教祖様。私たちは、大丈夫なのでしょうか……?」
道中、長くもない廊下を歩きながら教祖様にお聞きする。カツカツと教祖様のヒールが床を鳴らす。悪魔は自身ではないと分かっていながらも、悪魔の被害が出ることを思うと不安で怖くて仕方がないのだ。
「ええ。これは、主のお与えになった試練なのです。主は、わたくしたちに無理難題をお出しいたしません。ですから、必ず解決いたしますとも。」
良かった。教祖様がそう仰るのなら、そうなのだ。恐怖心が少し和らいで、心做しか軽くなった足取りで集会室に向かう。ギィ、と軋む扉を開いて、見慣れた内装を横目に椅子に座った。
集会室。普段であれば、聖書を読んだり、賛美歌を練習したり、教祖様が教義を語ってくださったりする部屋だ。中央の通路を避けるようにして長椅子がずらっと並んで、正面に教祖様のお立ちになる講壇が置かれている。礼拝と神事以外では基本的にここを使うため、私含め信者に取ってはかなり馴染み深い。
「それでは……自身の身の潔白も合わせて、自己紹介をお願いします。皆様面識はおありですが、悪魔により認知が歪んでいないとも言えませんから。貴方から、どうぞ。」
教祖様にそう言われ、初めに私が自己紹介をする事になった。あまり注目を浴びるのは慣れていないが、教祖様の前に醜態を晒す訳にも行かない。胸を張って立ち上がった。
「私は、セイノン教の信者です。この教会の、別棟に住まわせていただいており…日頃より主様に祈りを捧げております。教祖様と我が主に誓って、悪魔に魅入られることはないと宣言いたします。」
しんと静まり返った室内。当然、拍手も何も送られることは無い。言うべきことは言ったはずだと腰を下ろす。教祖様は私に目配せをして、聖女に次だと言葉を促した。教祖様に見つめられると、自身の潔白を証明してくださるように思えた。聖女は軽く息を吸い、話し出す。
「わたしは、この一帯の聖女をしております。人々に神のご加護を授け、信仰を広めることをしていて……ええと、今日ここには、明日からも役目を果たすため、主様に御力を賜るべく参りました。主に捧げし清き乙女たるこの身に誓って、わたしは人間です。」
聖女は少し動揺しながら、それでもハキハキと発言した。柔らかなクリーム色の髪を揺らしつつ椅子に座った。いつもは慈しみを湛えるその緑の瞳には、若干の不安が混じっていた。この五人の中で、唯一の女性だ。親しい間柄でも、それなりに緊張はするのだろう。次は村人の番である。
「僕は…ただの村人、です。ええ。……今日は、村の皆からの供物を、主様に捧げるため訪れました。みなさんに比べると、あまり来ない方ですけど…僕は日頃の肉体労働中も、主様に祈りを捧げているのです。僕は人間ですとも!愛するこの村に誓って。」
間を開けず、詩人が続ける。
「ボクは詩人さ。少し前までさすらいの旅人をしていたが…教祖様の御告げなさる教義に照らされ、今は主様を信ずる身だよ。……ボクが悪魔憑きなど、有り得ないことだね。我が魂たるこの言葉と声に誓うよ。」
村人のオレンジの目はその強靭さを示すように爛々としている。…このひとは何となく、怖くて苦手だ。乱雑に切られた茶色の短髪とか、垂れ目に似合わない鋭い瞳孔とか、どことなく威圧感を感じてしまう。嫌悪感情は罪であると言うのに。
正反対に、詩人の長い前髪の隙間から覗くワイン色の瞳は、いつも通り楽しそうに細められている。やはり、感情の分かりづらい顔をしている。それでも、雰囲気が教祖様と似ているからか随分と親しみやすい。深緑のマフラーとくすんだラベンダー色のくせっ毛。トレードマークたるそれらを静かに揺らして、最後に教祖様だと勧める。
「……わたくしは、この教会、キョウホウ村セイノン教会の第十七代教祖をしております。皆様ご存知かと思いますが、主様の声を聴き、意のままに動くべく命を授かった存在です。……わたくしは悪魔憑きでないと誓いましょう。主様と、この信心の元に。」
教祖様は壇上にて、サファイアの如き瞳を皆に向ける。膝下まで伸びた長髪は身動ぎひとつで静かに踊り、きらきらと白色を光らせる。この村で誰より秀でた長身も、男性にしては高く澄んだ静謐なお声も、何もかもが綺麗だ。ここまでの神性をお持ちの教祖様が悪魔憑きだなど、やはり有り得ない。美しさに見蕩れていれば、教祖様の唇が動き出す。
「自己紹介は済みました。……特に様子の変わった方は居ないようですね。それでは……悪魔憑きの、捜索を始めましょう。」
ぴり、と空気感が変わる。みんな、態度には出さずとも疑っているのだろう。私と同じように。
「ですが、ええ。……主の教えに基づき、日頃と同じく疑心も保身も敵対も、全て禁じます。主の御声のままに、わたくしが執り行いましょう。嘘偽りなく素直に応答してくださいね。」
教祖様は、場を和ませるように柔らかく微笑む。その笑みに勇気づけられ、みんなの疑いは消え今はただ温厚な雰囲気に満ちていた。そうだ、みんなの目的は一致しているんだ。悪魔憑きを探し、排除し、この村に再び平和をもたらさなければ。全ては、教祖様……ひいては私たちの協力に掛かっている。余計なことは考えず、ただ教祖様に従おう。そう思った。
この日はそれで終わった。元々の談話室の時もそこそこに時間が経っていたから、仕方がない。日暮れの鐘が鳴ったならば、私は自室に戻らねばならない。それが決まりだ。最後に前向きな気持ちで終われたのだから良いのだと思う。……悪魔憑きがいる以上、もたもたしていられないと焦燥感を隠すように自室に滑り込む。
何も変わらない、私の部屋。私物はほとんど無く、ベッドと勉強机と収納棚だけが置かれている。他の設備は共用部にあるから、これで十分なのだ。広くはなく、かと言って狭い訳でもないこのくらいが、私には丁度いい。
私服に着替え、白いベッドに潜り込む。もう眠ってしまおうかと考える。……眠るにはまだ少し早いか。少し思考を巡らせて、結局収納棚から教典を出して読むことにした。いつものルーティンである。
文字はまだ慣れない。元々、私は森に捨てられていたところを教祖様に拾われこの教会に住まわせてもらっているのだ。日常会話は大分出来るようになったものの、読み書きとなるとまだ不慣れである。いつもはお忙しい教祖様に変わって詩人が教えてくれるのだが、この状況にあってはそうもいかないだろう。勉強机に本を広げた。
「えっと……"セイノン教の、教え"……"隣人を、愛し…赤子のように、純なる精神で"……?」
指で辿って読み上げていく。教祖様も「教典には装飾表現が多いですから、少し読みづらいかもしれませんね。」と言っていたことを思い出す。付け加えるように「けれども、信心深く懸命に学べば、必ず貴方も理解できるでしょう。」とも言っていた。……うん、教祖様がそう言うのならそうなのだろう。今のところ、手は止まってしまったけれど。
もういいか、今日のところは。色々あって、疲れてしまったのだろう。そう結論付けて、教典を仕舞うべく席を立つ。男にしては低身長な自分にとっては少し高い棚を見上げる。ここに閉まって、早く寝よう……そう思っていた。
ガン、と頭に衝撃が走るまでは。
「ッあが…っ?!ゔ、なに……。」
後頭部はジンジンと痛みを主張する。理解が追いつかず、口からはただ呻き声が漏れる。――殴られた。そうだ、殴られたのだ。なぜ?仕舞い損ねた教典がばさりと落ちる。挿絵が目に映る。悪魔憑きだ、悪魔憑きに殺されるのだ、私は。痛くて、立っていられなくて、ふらりと胴体が揺れた。頭が割れるように痛い。いや、割れているのかもしれない。ぐらぐらと世界は揺れ、頭いっぱいに警鐘が鳴る。警鐘と呼ぶには些か落ち着いている気もする。兎も角重心を見失った身体は床に倒れる。今度はおでこをぶつけた。痛い。いや、痛覚も薄れてきている。何故だ?そういえば、詩人が死ぬ直前には脳内麻薬がどうのと話していた気がする。聞き流していたのが悔やまれるな。……あぁ、こんなのが最後だなんて。死に直面した私の脳は、痛覚と共に視覚を手放した。私を襲ったであろう悪魔の顔を見れもしないのか。散々な人生だったなぁ、教祖様の存在以外は。
そんなことを、通常より回る頭でぐちゃぐちゃと考えながら、私は。……意識を、命を、失った。