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    kikantei

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    kikantei

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    💧👹。
    「花酔い」を「春酔い」と聞き間違えていたので、せっかくなのでテーマにして書いてみました。

    春に酔う 窓を開けると、春の匂いがした。
     まだ寒くて布団からなかなか抜け出せない季節である。朝には水溜りに氷が張ることだってあるというのに、暦の上ではすでに冬ではないらしい。人間というのはせっかちなものだナ、と違う種族である鬼太郎は思う。
     昨夜の籠った空気はすでに遠ざかっていたが、体に残された気怠さと充足感が現実のことだったのだと教えてくれる。
     体のそこかしこに熾火が残されているようだった。表面上は灰を被ってすっかり冷めているように見えているが、いざ触れたら火傷しそうなほどの熱が隠れている。
     思わず吐き出した息にすら艶が篭っている気がして、鬼太郎はそっと唇を噛む。
     こんな風にした張本人に文句の一つも言ってやろうと寝室の中を見渡しても、そこには誰もいない。首を傾げたところで、手すりの側に置いてある灰皿の中。潰れている煙草の箱が捨てられていることに気がついた。
     おおよそ、朝一番に吸おうと思ったらとうに中身が空だったのだろう。それできっと買いに出たのだ。
     ならばすぐに帰ってくるであろう。それまでの時間を部屋の中で待っていることに決めた鬼太郎は、手すりにもたれ掛かって二階からの景色を楽しむことにした。ここは水木が煙草を吸うための定位置の一つとなっていて、今も本人はいないはずなのに煙の気配だけが残されている。
     絶景というわけでもないが、見晴らしがよくて鬼太郎もお気に入りの場所だった。ここにいれば、同じ街に暮らす人の行き交いを見ることができる。
     朝からは少し離れた時間帯だが、それでも少し肌寒い。すんと鼻を動かすと、風も吹いていないのにどこからか梅の花の香りがした。やはり春の気配は近づいているらしい。つい先日までは頬が痛むほどの寒さが続いてばかりだったというのに、今や少しずつではあるが空気に甘さが交ざり始めている。
     こうして窓を開けたまま、うたた寝できるようになる陽気になるまではもう少しかかるだろうか。その頃にはきっと桜が咲いて父二人、夜桜だ花見酒だとなんだかんだ理由をつけてご機嫌に盃を傾けるに違いない。
     飲み過ぎだと唇を尖らせる自分への袖の下にと、あらかじめ駅前の団子屋の包みを下げて帰ってくることだろう。他の人の目に実父が止まらないようにと、敢えて人通りの少ない時間帯を選んでくれる心遣いが好きだった。いつからか生え変わった黒く艶やかな髪は、はらはらと落ちてくる花弁がきっとよく映える。
     義父であり恋人でもある男のことを考えて、鬼太郎の頬は人知れず緩む。浮かれている、と人間ならそう表現するのかもしれないが、残念ながら人ではない鬼太郎にそれを教えてくれる存在はいない。
     だって、今まで知らなかったのだ。
     見ているだけで頬が熱をもつこと。目が合うだけで心臓が跳ね上がること。触れ合うだけで体が蕩けてしまいそうになること。何をしていても、ふとした時にあの男の名残を探してしまうこと。
     体の内側からまるっと作り替えられてしまったような気さえして、今もまた火照った顔を抱え込んだ膝へと押し付ける。僅かに吹いた風が頸を撫でて、その柔らかさは存外気持ちがよかった。
    「鬼太郎!」
     だからこそ、愛しい声に名を呼ばれるまで鬼太郎は気づかなかったのだ。いつからこちらを見ていたのか、少し離れた道の向こう。ひらりと手を振る水木の口端にはしっかりと煙草が咥えられていて。ついでにと買いだめしてきたのだろう、下げられた袋の中には連なった箱が無造作に詰め込まれていた。
     寝坊助めと呆れたように細められる瞳は、それでも甘さが潜んでいて目尻が柔らかく下がる。春を隠しているかのような表情に、この男は自分を愛しているのだなと心の奥底から染み渡るような心持ちになった。
     早くこちらまで上がってきてくれたらいいのに。ちろりと知らずうちに舌を出して、鬼太郎は男の唇を誘う。慣れ親しんだ煙の苦味の他に、今日の口づけは春の花のように瑞々しい甘さがすることだろう。
     とんとんと階段を上がる軽やかな音がして、大人しく待つ部屋の中に鬼太郎の男が帰ってくる。
     どこでもらってきたのか襟元からは春告草が薫って、鬼太郎は唇を強請るべく男の背中へと腕を回した。
     
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