ただの偶然 行ったことがあるわけでもなく、新しくできたというわけでもない喫茶店にその日、足を向けたのは、ただの偶然だった。
◇
立ち寄ろうとした店の前で見覚えのある姿を見つけ、近寄って声をかける。
「おや、奇遇だね」
「浄さん」
こちらに気付いて振り返るなり、やわらかい笑顔がパッと咲いた。
「浄さんもこの喫茶店に?」
深水は少し驚いたように店と俺とを見比べるので、頷いて見せる。
「ああ、レディからここのパフェがおすすめだと聞いて、話のタネにでもなればってね」
なんて、半分本当で半分嘘。自分の知らない美味いパフェがまだあったのかと、仮面カフェへ行くのをやめてたまたまこちらに来たのだ。
なるほど、と相槌が返ってきたので、深水の瞳──紫水晶(アメジスト)のような輝きの色だ──を見る。
「甘いモノ、食べられるんですね」
「好きそうには見えないかな」
大好物だよ、と言うと、さらに、へぇ、と声が上がった。
「意外です」
ふにゃ、と笑う顔が愛らしい────
「──立ち話もなんだし、一緒に入ろうか」
条件反射のように口からこぼれた言葉に、言ってしまった、と思った。もちろん顔には出さないけれど。
「いいんですか?」
「もちろん。何かの縁だ。君だったら喜んで」
「……ありがとうございます」
俺はどうして男を口説くような真似をしているんだ。己のせいでトントン拍子に事が運ぶのを、少し他人事のように思ってしまった。
深水紫苑という男は、俺のレディセンサーにバグを来(きた)す不思議な男だ。知らず知らず──本能的なのだろう──のうちに、対レディの対応になってしまう。
レディファーストのエスコートをしそうになるのをグッと堪えてドアを開け、店員に二名と指を立て、四人掛けの席へと案内された。
──ああ、どうにも、レディと同じように喋ってしまうのは良くないな……。
頭ではわかっているのに、口から出そうになるのは口説き文句ばかりだ。信条としていることを踏み越えるそれに、内心汗が出る。レディ相手ではないのにこんなに焦ることもまぁない。
「深水は普段よく来るのかい」
「ここですか? 初めてです」
パフェが有名なんですか、と訊き返されて、多分ね、と曖昧に答える。昨日のレディが言うには、スイーツはどれも美味しいということだったけれど。
「知らないものって食べてみたくて」
メニューを開いて珍しいものがないか探しているらしい。
「パフェ、結構大きそうですね」
写真を見ると、確かに思っていたよりも大きい。これは期待大だ。
「食べたかったら少しあげようか」
「いいんですか?」
やった、と小さく喜ぶ仕草が可愛らしくて、相手は男だというのに思わずグッときてしまった。
「フルーツパフェも捨てがたいが……ここはチョコレートかな」
たっぷりのチョコレートソースに惹かれてそう言うと、深水はパンケーキを選んだようだった。
店員を呼んで注文を済ませる。しかし、そこから待ち時間が発生するのを忘れていた。
「……浄さん、困ってますね」
「はは、わかるかい。若者との話題なんて思いつかなくてね」
浄さん別にそんなこと言う歳でもないですよ、と言われるけれど、記憶が正しければ彼と俺とは恐らく干支一周分は離れていたはずだ。世代が違い過ぎる。
「そうだ。じゃあ、他のおすすめのお店も教えてください」
「ああ、それならお安い御用さ」
うっかり、なんて気配りが出来る良い子なんだと思ってしまう。好感度の上昇が留まることを知らない。助けてくれ。
近くにあるケーキが美味い店の話、あとパフェが美味いところといえばと仮面カフェの話をしていると、深水の頼んだパンケーキが先に運ばれてきた。
わぁ、と嬉しそうに目を輝かせる深水が眩しい。
「先に食べなよ。冷めるともったいない」
ふっくらとしたパンケーキは冷めてしまっては美味しさが半減してしまうだろう。恐らくパフェもすぐに運ばれてくる。
「じゃあ、いただきます」
ふかふかのパンケーキにナイフを入れて、美しい仕草でフォークに乗せて口へと運ぶ。その一部始終から目を離せなくなっている俺に気付いて、深水は不思議そうに俺を見た。
「そんなに食べたかったら少し分けましょうか」
「あぁ、いや……そうだな、少しだけ」
パンケーキより君を見ていたなんて言葉がぬるっと口から出てきそうになったが、飲み込んでパンケーキが気になっていたテイにする。
「浄さんもそんな顔するんですね」
「……変な顔でもしてたかな」
特に何も意識せずに目が釘付けになってしまっていた。どんな顔をしていたんだ俺は。
「お腹すいた〜って感じの顔」
くすくすと笑うけれど、多分それは物欲しげな顔ってやつじゃないのかと思う。絶対に言わない──言えないけれど。
じきにパフェも到着して、アイスとクリームとチョコのマリアージュを楽しむ。アイスにコクがあって美味いし、チョコソースも風味が華やかに感じる。うん、当たりの店だ。
さっきのタイミングで取り皿をもらえば良かったなと思っていると、深水は一口大に切り分けたパンケーキをそっと差し出してきた。
そういえば、俺のパフェを少しあげるんだったな、と脳裏に過る。
「深水、」
「あーんしてください、浄さん」
聖母のような眼差しでこちらに向けられるパンケーキ。思わず口を開いて、ぱく、と食べてしまった。
「………………美味しいね」
まるで操られたかのように動いた身体に信じられない思いでいると、深水はご機嫌でパンケーキの残りを口に運んでいる。
「パフェ、少しあげるよ」
フォークで好きなだけ持っていけばいいとパフェを差し出すと、にこにことお礼を言って愛らしい笑顔のままアイスをフォークで掬って頬張る。
「美味しいです」
眩しい笑顔を見て、あぁ、全部奢ろう、と決めた。
「今日は偶然でしたけど、僕、浄さんと来れて良かったかもしれません」
「あぁ、俺も……そう思うよ」
もう口から流れ出る言葉を食い止めることが全然出来ていない。何だろう、もう帰りたい。
ドリンクセットのコーヒーを口にしながら、あまり長居すると俺が狂ってしまうと確信している。
「また、誘ったら一緒に来てくれますか?」
「……まぁ、考えておくよ」
二人だったら良いか、という考えがどうにも離れず、きっぱりと断れないのは俺の弱さだった。
◇
結局全部俺が出して深水に気を使わせてしまったのだが、これは貸しということになるのだろうか。
家に帰ってソファに座って、それにしても、と今日のことを思い返す。
「……これって普通にデートじゃないか?」
声に出して、改めて考えて。気付きたくはなかったその事実に、頭を抱えたのだった。