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    りんごちゃん(渡米流花)

    #流花
    flowering

    りんごちゃん俺のチームには永久欠番まちがいなしの伝説級の選手がいる。昨年40歳を超えた彼はシーズンオフには共にキャンプに誘ってくれたり、俺は世話になりっぱなしだ。
    乗っている車も最高なら、ファッションもクール。高級スポーツメーカーと契約し、ウェアもシューズも山ほど持ち、試合中でもシューズを新しいものに履き替えるくらい拘りがある。

    「ハナ。新しいシューズはグリップ力が違う。シューズをケチることだけはするな」

    そう教えられた俺は毎試合3足は用意するようになった。多いと思われるかもしれないが、このリーグでは決して珍しいことではない。
    そんな彼がアリーナ入りするとき。いつも持っているものがある。
    彼の大きな手には小さく見えるグリーンの有名なマークがついたコーヒーだ。毎回シンプルなホットコーヒー。あくまで自分の気分を整えるためであって、エネルギーを接種する目的ではないからブラック。俺の大学はド田舎にあったし、寮とジムと体育館と図書館の往復しかない日々だったからよく知らないのだが、比較的都市部の大学にいたいけすかない黒いキツネによると、都会人はみなあのコーヒーを手に持って出勤するものらしい。
    豪華な暮らしぶりもファッションもメディア対応も洗練の極みといっていい彼の手にあるコーヒーは、俺には特別なアイテムに見えた。
    彼ほどの稼ぎがあるわけではない俺ではあるが、それでも並よりはよほど稼ぐようになり、そこそこの車とファッションは手に入れた。だが俺の根っこには湘南のちっこい地味なアパート暮らしが染みついていて、豪華な暮らしからは程遠い。
    紹介されたインテリアデザイナーに丸投げして作ってもらったモデルルームみてーな家は居心地がわるくて、隅っこにちゃぶ台と布団を引いて暮らしているし、着ている練習着はタンクトップと半パン一丁。自分で洗っている。車もディーラーにカスタムをいろいろ進言されたが必要性がわからなくて素のままだ。ジャリのころからロードバイクのカスタムにいそしんでた黒キツネは「ダッセェ…」とか言っていたが、俺の周囲には高価なロードバイクをカスタムしたり、ただでさえ高い車をカスタムするような人間はいなかったのだ。いや、いなくはなかったのだが族車は参考にならねぇ。
    そんなわけで、俺は彼のすべてに憧れていた。豪華な暮らしやファッションの真似はできなくとも、既製品のコーヒーくらいなら俺にも買える。

    そんなわけで俺はある日の練習前に彼の行きつけ(なんてかっこいい響き!)のコーヒーチェーンへ立ち寄り、シンプルなコーヒーを一杯、持ち帰りで頼んだ。
    実は俺はコーヒーが飲めない。苦くて黒い泥水としか思えないからだ。だが、だからこそ、ゴツイ高級腕時計がはまった手でさらりとコーヒーを飲む姿が「大人の男」のように見えて憧れていた。

    豆の説明をされて、サイズを指定し、温度を答えて、ミルクだホイップだとやたらと聞かれたが何もいらないのだから戸惑わずにすんだ。コーヒーって難しい飲み物なんだな。
    俺の背中には同じ車で出勤してきたキツネがキャップを深くかぶってぴったりとはりついている。というより寄りかかっている。半分寝ぼけているのだ。自転車を運転していてすら眠ってしまうこの男に車のハンドルを預けるのは危険すぎると、同居人の俺が毎日運転して出勤している。ドライブスルーではなく店舗で注文したくて店のパーキングに車を停めたときにも寝ていたからそのままそこで寝てろと言ったのだが、ムゴムゴとなにかを呻きながらくっついてきた。
    「受け取りはあちらのカウンターでお願いします」
    「はい」
    綺麗なお姉さんの指示に従って移動しようとしたところでキツネが起きた。
    「俺も買う」
    「あっそ。俺もう頼んだから向こういってる」
    俺達はサイズがでかくてかさばる。並んでいる人たちの邪魔だった。背中に張り付いていた体重も素直に離れていくから、俺はさっさとレジ前からどいた。
    カウンターで待っていると何やら「今年は優勝!」とメッセージが書かれたカップが渡された。ちょっと気分がいい。なるほど。気分を盛り上げるためのツールだ。流川はといえば、レジで直接渡されたらしく向こうのほうが先に注文を終えていた。
    「いくか」
    「ん」
    手に何も持っていないが、ジャージのポケットが膨らんでいるからなんか食い物でも買ったのだろう。
    そうしてその日の練習場に、俺はコーヒーを片手に颯爽と入った。手をぶらぶらさせて歩くよりなんかかっこいいな!とウキウキするからコーヒー一杯で効果は抜群だ。
    ロッカールームに入り、俺のスペースにコーヒーをメッセージが見えるようにして置く。ヨシ!練習前にスタッフが話があるというから、俺はコーヒー置いたままいったんロッカーを出た。

    「よう赤ちゃん!おはよう」
    「ベビーは早く用意しねーと遅刻だぜ」
    スタッフとの打ち合わせを終えてロッカーに戻ろうとする俺にチームメイト達が失礼な挨拶をよこす。
    「誰が赤ちゃんだ!」
    「だってお前」
    言葉にならないといわんばかりに馬鹿笑いをしながらすれ違って行ってしまった。失礼な連中だ。その後ろから流川がのそのそと歩いてくる。手にはコーヒーカップ。あ?コーヒー買ってなかったよな?とは思うが、スタッフからの差し入も珍しくはないからそれだろう。こいつとは無言ですれ違う。
    そしてロッカールームに入り、俺のロッカーを見た。
    そこにあったものはメッセージが見えるように置いたはずのコーヒーカップではなく、あきらかに子供用のジュースパック。書かれた文字はbe juicy。KIDS アップル味。

    「!?」

    慌ててジュースを手に取る俺に、室内にいた、俺の憧れの彼が耐えられないとばかりに笑いを爆発させた。

    「おまえ、コーヒー飲めないんだって?」

    腹を抱えるようにして言われ、恥ずかしさに頬が紅潮する。

    「愛しのハニーが、無理に飲むと気持ちワリィっていつも言うから、って心配してそれに置き換えて行ったぞ」

    ヒーヒーと笑いながら告げられた内容にさきほどの流川の手にあったコーヒーカップを思い出す。あいつ……!
    怒りのあまり飛び出そうとした俺は、彼に止められた

    「痴話げんかは帰ってから家でやれって言ってるな?練習しないなら帰れ」

    酷く冷徹な目で言われて押し黙った。いつも言われていることだ。現場に私情を持ち込んでチーム活動を阻害する奴は軽蔑する、と。仕方がない。喧嘩は持ち越しだ。

    ※帰宅後

    「てめー!俺のコーヒー取りやがって!!」
    「飲んだら気持ちワリーって言うだろうが」
    「今回は気分をアゲるためだったんだよ!」
    「だから会場入りまでは持たせてやったろ」
    「なんだよ!あのお子様用パック!あの時買ったのか!?」
    「あれなら甘いし好きだろ。てめーがいつも飲んでるのと同じ100%って書いてあったし」
    「笑いものになったじゃねーか!」
    「笑う奴がわりい」

    とかいう喧嘩になったとさ

    ※さらに後日
    「よう、ジューシーアップルちゃん」
    「今日はコーヒーじゃねーのか、アップルちゃん」
    「うるせえええええ!!!!」
    それから数日間。チームメイト達がちょうどいいネタを見つけたといわんばかりにイジリ倒してくるようになった。
    「てめーのせいだキツネ!しばらく口聞かねぇ!!」
    「うるせーぞアップルちゃん」

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