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    ■ベリファー
    ■カレー食べるファーさん!

    ファーさんはカレー作るのめっちゃ得意 星の民屈指の天才であるルシファー所長率いる星晶研究所、その一角。廊下を歩いていたベリアルは、嗅ぎ慣れた匂いにすんと鼻を鳴らした。直近で嗅いだのは確か六週間ほど前のことだったか。やれやれと肩を竦め、ベリアルは目的地へ向かう足を早める。入り浸りの所長室――に隣接する、第一研究室である。
     書類を抱えているのと反対の手で扉を押し開くと、廊下に漏れていた芳香が一段と濃くなった。香気の発生源が間違いなくこの部屋である証拠だ。部屋の最奥、金属で生成された机の上にドンと据えられた寸胴鍋を睨み下ろすようにして、部屋の主が立っている。

    「ファーさん、またやってるのか」

     声を掛けつつ手近な長机の端に持ってきた書類を置く。声に反応してちらりとベリアルを見返したルシファーは、しかしそのまま興味をなくしたように再び鍋の中へと視線を戻してしまった。
     ベリアルもルシファーの隣に立ち、彼に倣って鍋の中を見下ろす。樹皮にほど近いような黄土色が、くつくつと静かに煮込まれている。鍋底をちらちらと撫でているのは火のエーテルを結晶化させたものだ。鍋全体を適温に保っている。手づから精製した星晶をこんな風に使うのは、少なくともこの研究所においてルシファーを置いて他にはいない。

    「行き詰まってるんだ?」

     鍋から目を離して揶揄うように言えば、ルシファーがギロリと蒼穹の瞳を細めた。

    「関係ない。食いたくなっただけだ」
    「ふうん、そうかい。味見しても?」
    「まだ煮込み時間が足りんぞ」
    「平気さ。では、失礼」

     鍋の横に置かれていたレードルで中身を掬い上げる。以前直接指を突っ込んで激怒されたことがあったのを思い出しながら、杓子の底に付着したそれを指に絡めて口に運んだ。寸前まで火にかけられていたこともあり、かなり熱いが、ベリアルにとってそれはさしたる問題ではなかった。
     ベリアルの口内、とりわけ味蕾は人間のそれとは比較にならないほど発達している。ほんの一舐め、それだけで彼にはそこに含まれた材料の粗方が把握できた。

    「へぇ……こりゃまた辛口だねえ。クミン、ナツメグ、コリアンダー……この辺りは前回と同じ比率かい。カルダモンとシナモンは、また目分量だろう? しかしチリパウダーは入れ過ぎじゃないか?」
    「辛いのが食いたかった」
    「それにしたってさ。尋常の量じゃないだろう、これは。また胃を悪くするよ」
    「知らん。俺も先ほど味を見たが、食えん辛さでもなかった」
    「ファーさんのカレー、いっつも激辛だもんね」

     くつくつと煮える鍋の中のカレー。ルシファーが研究に行き詰まると何故か唐突にカレーを作り始めるようになったのは、いつからだっただろう。ベリアルは苦笑して、レードルに残ったカレーを指でもうひと掬いした。



     食材はまあ、何でも良いのだそうだ。
     この研究所で寝食を共にしているのは、ルシファー以外にも数人の星の民と、あとは所長の生み出した星晶獣、そして研究資料として持ち込まれる魔獣や生きた人間だ。星晶獣たちはそもそも食事を必要としない。星の民たちもほとんど不要としているが、定期的に栄養分を補給するのは身体活動を活発に保つ為には不可欠らしい。とはいえルシファーを筆頭にして彼らは不足した栄養素をサプリメントの形で摂取することがほとんどであったが。
     しかし被検体の魔獣や人間はその限りでなく、彼らを生かすために必要となる最低限の食材は研究所に確保されていた。ルシファーがカレーの材料にするのはその備蓄だったり、あるいは用済みになった魔獣だったり、中庭に生えていたとかいう謎の植物だったり。つまりは、特に拘りはないということらしい。
     反面、使用するスパイスにはある程度留意しているようだった。カルダモン、コリアンダー、クローブ、チリパウダー……その他諸々。使うスパイスの種類は一定だが分量は時々で大きく異なる。直接聞いたわけではないが、ベリアルはその差異の生じる原因としては十中八九、ルシファーが目分量で投下しているからだと踏んでいた。
     肉を使う場合、まずは一口大にぶつ切りし、ヨーグルトに漬けておく。その時特定のスパイスを混ぜ込んでおくことで、肉にしっかりと下味が付き、かつ柔らかくなる。野菜も食べやすい大きさにカットするが、ルシファーが面倒に感じたのだろうか、丸ごと入っていたことも過去に何度かあった。
     あとは油を引いた鍋に適当に具材を放り込み、火にかける。頃合いを見て水やらスパイスやらを投入して煮込む。こまめに灰汁を取り除いて(これも、面倒な時は省略しているようだが)、最後に砂糖と塩で味を調える。水の代わりに生クリームを使ってみたり、バターを入れたりすることもあるようだ。
     とにかくこれでルシファー所長特製カレーのできあがり。できあがったカレーを黙々と口の中に放り込むルシファーはいつも眉間に皺を寄せていて、美味しいのか美味しくないのか、上手にできたのかそうでもないのか、一見して判断は難しい。しかし寸胴鍋いっぱいに造ったカレーを平らげる頃には、食べていたもののことすら忘れたような顔をして、机に広げた資料とデータに齧りついているのだ。

     おそらく規定量の数倍のチリパウダーが混入されたカレーを見下ろして、ルシファーが小さく頷く。彼が火の星晶に手を翳すと、煌々と赤く色付いていた結晶はふっと色を無くし、同時に急速に温度を落としていった。どうやら彼の中で納得のいく状態に持ってこられたらしい。

    「片付けておけ。終わったら持ってこい」
    「はいはい」

     ルシファーはそれだけ言うと、廊下へ出る扉……ではなく、私室へ直接つながっている扉を押し開いて研究室を出て行ってしまった。
     料理の後片付けはベリアルの仕事だ。ルシファーが散らかした食材の残りかすを、その辺に落ちていたビーカーに放り込む。どうやら何かの野菜と、魔獣の肉のようだ。それらをカットするのに使ったらしいペティナイフ(実験で使っているやつだ)を綺麗に洗って元の場所に戻す。それから薬品棚の端に置いておいた皿を取ってきて、鍋からカレーを注いだ。ベリアルが皿に移さないとルシファーは鍋ごと抱えて食べようとする。それで口の中を火傷したことがあった。それ以来ベリアルとしては、唐突に訪れるカレーの日が、どうか自分が任務遠征中に当たりませんようにと祈るばかりである。
     ビーカーにまとめた野菜くずなんかの生ごみに火を点ける。数秒も要することなく、灰も残さずビーカーの中は綺麗に空っぽになった。こういう使い方をしたらルシファーは怒るのだろうが、当の本人だってビーカーに沸かした熱湯に茶葉をぶち込んだりしているのだから許してほしいところだ。
     用意したカートにカレー皿と冷えた水を湛えたピッチャーを載せていそいそと運ぶ。付け合わせ等は必要ない。持って行ったところでルシファーは口にしないからだ。カレーを食べる時のルシファーは本当にそれだけを食べ続ける。サラダだのパンだのナンセンスだと言わんばかりに。

    「お待たせファーさん」
    「遅い」

     ノック無しでドアを押し開けてルシファーの私室に入るや否や不機嫌な声が飛んできた。ごめんごめんと軽く謝りながら、散らかり放題のローテーブルの上をテキパキと片付ける。

    「ファーさんローブ脱いだ方が良くない?」

     山と積まれた本をひとまず机上から降ろしながら言うと、ベッドの端に腰掛けていたルシファーはおとなしくもぞもぞとローブを頭から引っこ抜いた。脱いだローブはそのまま床に放り出して、インナー姿になってぺたぺたと寄ってくるとソファにどっかりと腰を落ち着かせる。カートの上を見て「これだけか」と唇を尖らせるルシファーにベリアルは苦笑して「また持ってくるよ」と返した。華奢な見かけに似合わずルシファーはよく食べる。
     ルシファーはベリアルがグラスに水を注ぐのを横目に、シルバーのスプーンをカレーに突っ込んでもそもそと食べ始めた。顔には出ていないが割合に満足げな様子にほほえましくなる。普段あまり開かれることのない小さな口を精一杯開いてカレーを口に運ぶ造物主の様子をニコニコと眺めていると、すぐに皿を空にしたルシファーが「ベリアル」と皿を差し出してくる。

    「おかわり?」
    「ん」
    「少しだぜ。夕飯が入らなくなっちまう」
    「不要な気を回すな」
    「はいはい」

     床に放り出されていたローブを回収しつつ、綺麗に平らげられた皿を取り上げる。冷水の入ったグラスに口を付けながら、ルシファーはテーブルの端に積まれていた本の山から一冊を引き抜いて目を通し始めた。消化に良くないから食事中の読書は禁止だとベリアルが口を酸っぱくして長年言い続けてきた甲斐もあり、最近は本を読むのを控えてくれているらしい。おかわりを待っている間も食事中に含まれると思うのだが、そこはまあ、妥協しようじゃないか。
     拾ったローブはひとまずソファの背もたれに掛け、皿を持って研究室に戻る。ドアを開けるとすぐ独特なスパイスの香りが鼻孔を突いた。
     鍋の蓋を開ける。蓋についた覗き窓はうっすらと曇って結露を生んでいた。少し冷めてしまっているかもしれないと思い、まだそこに残されている火晶を使ってゆっくりと鍋を温めていく。
     レードルで軽くかき混ぜながら、ベリアルはもう一度カレーをひと掬いして指に絡め取った。口の中に含む。やはり少し――というには躊躇われるほど、辛い。ルシファーは辛党で、甘党でもある。辛いものは辛いほど良く、甘いものは甘いほど良いのだそうだ。ごく一般的な味覚を持って生まれたベリアルが閉口してしまう感覚で調味料を乱用する姿にはもう慣れたものだが……。

    (これじゃやっぱり、胃に悪いよなあ)

     つい先日、ルシファーが胃痛でダウンしていたことを思い出す。日頃の不摂生が祟ったものであったが、病み上がりの身体にこの刺激物はいかがなものなのだろう。でもルシファーはカレーが食べたいのだろうし。
     何の気なしに部屋の中を見回したベリアルは、とある実験卓の上で、ふと視線を止めた。





    「遅いぞ」
    「あ、ごめんよ。温め直したものだから」

     皿を持って戻って来たベリアルに、ルシファーはむっつりと眉根を寄せた。読んでいた本をぱたんと閉じてソファの座面に放り出す。よほど待ち遠しかったらしい。

    「はいどうぞ」

     目の前に置かれた皿にスプーンを突っ込む。しっかり煮込まれてほろほろと柔らかくなった魔獣の肉をすくい上げて、一口。もぐもぐと咀嚼をして数秒、ルシファーはきょとんと大きな瞳を瞬かせた。

    「……?」

     怪訝そうに首を傾げるルシファーに「あ、気づいた?」とベリアルは笑う。

    「何かしたな」
    「ちょっとね。しかしよく気づいたなファーさん」
    「味が違うだろうが。お前は俺を何だと思っている」
    「ファーさんの味覚がそんなに繊細だったなんて、新しい発見だ。また一つ好きになった」
    「やかましい。しかしこれは……」

     考え込むように口を閉ざしたルシファーは、答えを求めるようにまたスプーンを皿に差し入れる。くたくたに煮込まれた野菜を口に放り込んで確かめるように噛み締めているが、首を傾げる角度が深まるばかりだった。
     ベリアルは喜色満面で「分かんない?」とルシファーの隣に座る。ルシファーは眉間の皺をいっそう濃くして黙り込むだけだった。ベリアルがカレーに何を仕掛けたのか、その正体を掴みあぐねているのが丸わかりだ。
     あまり悩ませるのも可哀想かもな、美味しく食べてほしいし。
     にやにやと口元を緩めたベリアルが「あのね、答えは――むぐ」言いかけたところで、顔面に手のひらが飛んできた。スプーンを握っていないルシファーの手が、ベリアルの口を塞いでいる。勢いが良すぎて、ほぼ殴られたと言って差し支えない。

    「言うな。俺自身で答えを出す」
    「ふぁふはふぁはん、ほほふははへえ」
    「何を言っているか分からん」

     唇に降れている手のひらに舌を伸ばしてルシファーのたなごころを舐めると、さっと手が引っ込められてしまった。離れていくついでとばかりに一発ベリアルの頬をビンタした上、白い制服の下衣で手のひらを拭っていく(酷くね?)。

    「流石ファーさんだねって褒めたんだ。じゃあまあ、頑張って。解が明らかになったら答え合わせといこうじゃないか」

     ベリアルの揶揄いには答えず、ルシファーは神妙な顔をしてもう一口とスプーンを口に運ぶ。その様子があんまりにも真剣なもので、堪らず声を上げて笑ってしまったベリアルは、すぐに尻を蹴られて所長私室を追い出されてしまった。





     それからルシファーは丸一日を費やして、ベリアルの施した『悪戯』の究明を最優先課題とした。しかして成果は思わしくなく、これはと思った素材の味を確かめてみても、首を捻るばかりだ。
     ベリアルが弄ったカレーはほとんどなくなってしまったので、ルシファーは自らの作ったカレーを改めて作り直したが、なにぶん適当に調味料を放り込んでいたせいでまったく同じ味には持っていけない。そもそも味覚が鋭い方ではないルシファーにしては努力した方というべきだが、面倒臭がりな割に完璧主義のルシファーはそれを良しとはできなかった。
     一昼夜明け、一日中ひたすらカレーを煮込んでは口に入れている所長の様子に、流石に他の研究員が動揺し始める。

    「所長、そんなにカレー好きでしたっけ」
    「それが副官のカレーを再現しようとしているらしい」
    「しかし進行中の研究も」
    「それはきちんとこなしているらしい」
    「さすがだ」
    「じゃあまあ平気か」
    「カレー、俺たちにも分けてもらえんかなあ」
    「頼んでみよう」

     動揺はすぐに収まった。所長が数日カレーに囚われたところで機能を失う研究所ではないのだ。





     深夜。所員たちは居住区へ戻り、研究所内に人影はない。所長室付きの第一研究室を除けば、の話だが。

    「やあファーさん、まだ寝ないのかい? もう晩いよ」
    「……」

     ドアから顔を覗かせたベリアルを無視して、ルシファーは咥えたスプーンを上下させながらむっつりと腕を組んだまま微動だにしない。目を閉じて何事か考え込んでいるようだったが、ふと凪いだ湖面のような深い蒼を覗かせて、小さく溜息を吐く。

    「……分からん」
    「ん?」
    「そもそも大本のルゥが制作不可能だ。こういう時のためにレシピというのは存在するんだな」

     何か勝手に納得したように首肯して、ルシファーはベリアルを見返す。胡乱な瞳に露骨な不愉快を浮かべて、悔しげに、それでも真剣な顔で「分からん」ともう一度言った。
     ベリアルは口角を吊り上げて、後ろ手に隠していたそれを掲げる。
     いずれにせよもう種明かしをする予定だった。落ち窪んだ双眸の下の隈をこんなことで濃くさせてしまうのは不本意だ。
     五指で掴んで見せたそれに見入ってから、ルシファーは改めて溜息を吐いた。

    「林檎……」
    「果実は栄養あるだろう? これをすり下ろして少しばかり混ぜた」
    「それだけではあの甘みは出まい」

     ベリアルはぱちくりと目瞬きをする。

    「お、そこまで分かったのかい。流石はファーさん」
    「茶化すな」
    「すり下ろした林檎をね、一旦蜂蜜にくぐらせてる。スパイスで胃荒れしそうだったからね」
    「……成程」

     目蓋を閉じて深く椅子の背もたれに身を預けたルシファーが、ふう、と深く息を吐いた。

    「林檎と蜂蜜……か……」

     ぼそりと呟いてルシファーはしばらく押し黙っていた。何か思考を巡らせているのだろう。それからすっと細く開いた目にほとんど確信を浮かべて「それだけか?」と問うた。
     ベリアルは心底愉快な気持ちを押し殺せず、口元を弛ませる。ファーさんはこうでなくちゃ。

    「フフ……秘密」
    「は?」
    「だってファーさん、全部分かっちゃったら興味なくしちゃうだろう? カレーにもオレにも、ずっと好奇心旺盛なキミでいてほしいのさ」
    「……理解できん」
    「それそれ。それが嬉しいんだよね」

     ルシファーは本気で意味が分からないといった様子で表情を歪めたが、そこに不機嫌さは感じられない。ベリアルが口を割らないであろうことを察したのか小さく肩を竦めて、もう一度、分からん奴だと愚痴っぽく漏らした。





     追加で使った食材などはない。ルシファーに伝えたもので全てだ。それで足りないと感じるのなら、食材自体の質だとか温度だとか……そういう本当に細かいところの差異だろう。
     あるいは「愛」なんていう調味料の有無だったりするかもしれない。

    「おいベリアル、茶」
    「はいはい」

     休憩に淹れる紅茶の一杯にも入っているそれに、主が気付いているかどうかは、ベリアルの知る由もないことだったが。



     ■おわり■
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