ゼロの世界へようこそside:プロキシの青年
Q.僕と結婚してくれますか?
Q.貴方はホロウレイダーをご存知ですか?
「え、急に何? えっと……ああ、そうだね。恋人にやってほしくない職業、第一位だよ」
「いや、そうじゃなくて。教えてよ、その恋人の目線からさ」
金髪の少年は、目の前で呆れる青年に向かって、まるでマイクでインタビューするかのように握り拳を差し出した。青年はその手を掴むと、腕ごと自身の方へぐっと引っ張る。小柄な少年は見事に青年の胸に飛び込む形になった。
「……ホロウレイダー。公的な許可なく、ホロウと呼ばれる危険な異空間に侵入する者のことだ。ホロウ――災害の中に飛び込んで行くなんて、火事場泥棒みたいなものさ。これを生業にするなんてどうかしてる」
青年は少年の後頭部を撫でながら、言い聞かせるように呟いた。
「僕としては、君には早くこんな仕事を辞めてもらいたいんだけど」
「それは無理だよ。知ってるだろ」
少年は青年の胸をそっと押す。二人の影は離れた。少年の長く結えた三つ編みが揺れる。
「ホロウの中に、生き別れた君の妹を探す手がかりがあるはずだから――」
少年の代わりに青年が答えると、少年はニッコリとわざとらしい笑顔を作った。
「そう。だから俺は『まだ』ティナリのお嫁さんになれない」
「……僕は振られたってこと?」
「『まだ』なれないってだけ! ね、俺はティナリのことが好きだよ。大好き。でもね、」
少年の笑みは今度こそ晴れやかだった。ティナリと呼ばれた青年は目を細める。
「今日もホロウに行ってくる。信じてるよ。ホロウレイダーの相棒、俺だけのプロキシさん」
はあ、とティナリは一呼吸だけ溜息をついた。肩を落としているが、それは落胆だけではない。
「君のそういうところが、ほんっとうに……」
「好き?」
「――そうだよバカ! 分かったら、今日の目的地に向かって。道案内のボンプはもう配置してるから、座標に着いたらその子の指示に従って」
さすがティナリ抜かりない、という軽口にささやかに舌打ちをする。プロポーズをお取り置きされたのだ。文句も出るというものだ。
「じゃあ、空。今日も気をつけて。いってらっしゃい」
「いってきます! 愛してるよ、ティナリ!」
空と呼ばれた少年は元気よく部屋を後にした。ティナリはモニターの前の椅子に腰掛け、再び溜息を落とす。
ホロウ内部はエーテルという物質で満ちている。ティナリのようなエーテル適正のない人間が長時間滞在すれば、エーテルに侵食され自我を失う化け物と化す。それでなくても、ホロウ内部には化け物が跋扈しているのだ。そのうえナビゲートがなければほぼ脱出不可能、迷路のような空間。空はエーテル適正もあり、腕っぷしも強いホロウレイダーだが、危険はごまんとある。ティナリの心労は尽きない。
ガシガシと頭をかき、モニターを食い入るように眺める。ひとたびホロウに入れば、リアルタイムな通信さえできない。ティナリにできることは、今や祈りにも似たルートの確認程度だ。
「愛してるよ、ね……」
空の言葉を反芻する。指輪を嵌めることすら許してはくれない恋人。僕も、僕だって、僕の方が、ずっとずっと君を想ってる。
「……口先だってかまわないんだ。結婚してもいいよって、言ってくれれば」
君の伴侶は僕であるという事実。欲しいのはそれだけだ。
気を取り直し、よれた白衣を整えるとモニターを再確認する。プロキシとしてホロウ内部を理解するためには、解析のために当てる時間はいくらあっても足りない。キーボードを叩き始めた。
もし空が一時間経っても帰って来なければ、問答無用で救援を送る算段はついている。人類最後の希望、ここ新エリー都には、僕なんかよりよっぽど有能な伝説のプロキシだっているのだ。
「何があろうと、絶対に。どんな手を使ってでも」
キーボードに数値を叩き込む。ゼロとイチが流れていく。計算結果に問題はない。空が飛び込んだホロウは、異常なく計算通りのマップだろう。ほんの少し安堵する。
「僕が空を守るんだ」
せめて空が妹と再会し、幸せになるその日までは。
side:ホロウレイダーの少年
ティナリからのプロポーズをそこそこに、俺は部屋を飛び出した。目的地に向かう道すがら、目尻に浮いた涙を拭う。さっきはちゃんと普段通りに振舞えていただろうか。
色恋で涙を流すなんて、自由に生きる俺らしくない。愛する人からの気持ちに応えられないことなど、分かり切っていたはずなのに。俺の生き別れの妹がこの姿を見たら、きっと驚くだろう。そしてこう言うのだ。「どうしたの空、そんな情けない顔は初めて見たよ」って。
俺はこの世界に来てから、随分と弱くなってしまったみたいだ。
俺の名前は空。妹の名前は蛍。それ以上の身の上はなく、俺と妹は『世界』を渡り歩き転々とする旅人だった。しかし、この世界を訪れてしばらくしたころ、ホロウを発端とした大災害に見舞われ、妹とは離れ離れになった。以来ずっと俺は妹を探し続けている。各地に発生するホロウを調査して、ついでにホロウレイダーとして依頼をこなし生活する日々だ。
「……こんな安定してない職業じゃ、お嫁さんになんてなれないよ」
指定された場所に着くと、ホロウ内でのナビゲートを担当するボンプが俺に手を振った。俺も手を振り返す。
「じゃ、いこっか」
ボンプ――兎みたいなマスコット姿をした、可愛らしい小型機械――は、頼もしげに先陣を切った。彼に続き、ホロウ内部に侵入する。異次元の門をくぐると、さっきまでの路地とは異なる広大な空間が広がっていた。周囲に敵性生物はいない。さすがティナリ。俺専属のプロキシ様は、安全な初期位置を割り出してくれていたようだ。
ボンプの案内に従い、内部を調査していく。瓦礫の下、トンネルをくぐり、マンホールの中も開けて隅々まで、妹の痕跡を探す。崩壊した都市の地形をしたホロウを練り歩いた。
すると、先行していたボンプが慌てて逆走してきた。どうしたの、と問うまでもない。俺は腰の片手剣を抜いた。ホロウに湧く怪物、エーテリアスの出現だ。手前に一体、奥に二体。
「根こそぎにしてやる!」
突進し振りかぶった刃は、一体目を一刀両断した。二体目の攻撃が三つ編みを掠める。すかさず蹴り飛ばし距離を取り、続く三体目の攻撃は剣で受ける。弾いて、浮いた手を切り落とす。そして硬直した瞬間を、刺突する。そのまま強く押し込み、吹っ飛ばしたエーテリアスも巻き込む。哀れな敵たちは、塵になって消えた。ものの数分のこと。ホロウ内外問わず、戦闘はお手の物だ。
「……あれ?」
ふと、自身の三つ編みが目に入る。先の攻撃で毛先を3センチほど切られたようだ。
「……あーあ、せっかくティナリが梳いてくれる自慢の金髪なのに」
わざとらしく肩を落とす。油断はしていなかった。ならば単純なこと。俺は常に死と隣り合わせということだ。
塵と化したエーテリアスのいた場所を見遣る。そこにはもう何もない。
「明日は我が身ってね」
乾いた笑いだけ残して、俺はその場から背を向けた。
◆
「はあーあ、今回のホロウも収穫なし、と」
吐息交じりに背伸びをした。無事にホロウを脱出し、とっぷりと日の暮れた時間帯。独り、帰り路を行く。ふう、とまたひとつ溜息を吐く。終わらない落胆に、いっそ笑いが込み上げた。
ホロウ探索のときもずっと、ティナリからのプロポーズを考えていた。
妹を探して毎日死地に向かう、その日暮らしの俺と、立派なホロウ調査員のティナリ。対照的な生き方だ、と思う。地に足の着いたひとに、明日死ぬともしれない自分は不釣り合いだ。
「……俺みたいな奴が、ティナリと結ばれちゃダメなんだよ、本当は」
夜空を見上げる。雲の向こうに見える仄明るい月だけが、俺の足元を照らした。
ティナリとは、俺がまだ一人でホロウ探索をしているときに偶然出会った。彼は俺が違法なホロウレイダーと分かるや否や、開口一番お説教を始めた。ナビゲートの手段なしでホロウに潜る危険性を説き、ここからさっさと出るよ、と俺の手を引いた。握られた手は温かいのに、少し震えていた。聞くと、エーテル適正もほとんどないのに、調査の欠員を無理に埋めていたらしい。俺は彼のことをお人好しだと思った。それから少しずつ、ホロウや街中で再会しては言葉を交わし、気が付けば俺は彼のことを好きになっていた。
ティナリは誰より俺を心配するくせに、誰より俺の自由を尊重した。俺が妹を探している事情を知ると、俺のことを治安局に通報することはしなかったし、身の安全を保障したいからと自らプロキシ役を買って出た。やっぱりお人好しだと思った。
だから言ったのだ。「好きになっちゃうから、これ以上俺に関わるのはやめて」と。しかしあろうことか、俺はその日のうちに彼の家に連れ込まれて抱かれた。翌朝ティナリは「責任取るから。僕と付き合ってくれるね?」と笑って見せた。俺は負けを認めて、笑い返した。
なんだか笑っちゃうような青臭い思い出ばかりだ。まるで俺は旅人なんかじゃなくて、年相応で、優しくしてくれたひとに惚れてしまう無垢な少年みたいだ。
でも、俺は狡いからティナリを手放せない。世話焼きの博愛主義みたいな顔しておきながら、俺を手に入れるために手段を選ばなかったところが好きだ。大切なものを正しく大事にできるティナリが大好きだ。
左手を月に透かす。照らされた薬指が、きらりと光るような錯覚に陥った。
「待っててね、ティナリ。いつかちゃんと、ティナリのお嫁さんになるから」
せめて俺が妹と再会する、その日までは。
おまけ設定
空くん:
金髪を三つ編みに結え、顔立ちの整った少年。生き別れの妹を探し、ホロウという空間的災害にも積極的に乗り込んで行く、腕っぷしと心根の強さを持つ。エーテル適正があり、ホロウ内部でも侵食をある程度は受けずに活動することができる。
表向きにはティナリの助手として働いている。
ティナリとは恋人同士。ティナリのことが大好きだが、自らの危険な職業柄、彼からのプロポーズを断っている。
最近の疑問は、シリオン(獣人)は人間に性欲を持つのかということ。
ティナリさん:
シリオン(獣人)の青年。ふさふさの大きなしっぽに、ピンと立った耳が特徴。
表向きはホロウを調査する公的機関で働いているが、裏では空のホロウ探索を援助する『プロキシ』業を行っている(空専門)。
空の恋人。空にプロポーズを断られたことを根に持っている。そのため事あるごとにアプローチしてやろうと思っている。
最近の疑問は、どうしてこんなに空が可愛いのかということ。