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    wombat_kawaii

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    wombat_kawaii

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    書きあがるまで死ぬほど時間がかかりそうなので、プロトタイプを掲載していく。
    完成したら(はちゃめちゃに)加筆修正を行って支部へ。生前アラスターの一人称に悩んでいます。

    謎の連続殺人犯──通称「ニューオリンズの悪魔」が残す暗号を協力して解読する生前ハスアラの話。一体、ニューオリンズの悪魔は誰なのか──!?その目的とは──!?みたいなやつ。

    タンゴはひとりじゃ踊れない【ハスアラ】「おや、新顔だな」

    その日はなんてことない日だった。

    急激な都市化の波に乗り、日雇いの土木仕事を終え、間抜けな金持ちからイカサマポーカーで擦り取ったはした金を握りしめて疲れきった体を酒に漬けて、カウンターで眠りこけて、金を擦り取られる。そんなクソッタレな日が続いていた中で、人手が足りないからと声をかけられてとあるスピークイージーの店長に拾われたのはちょうど一月程前のことであった。
    店長はよく言えばこの狂乱の忙しない時代には珍しい隣人を愛する気質のある男で、その節介にハスクも救われたわけだった。町はずれの小さなスピークイージーではあったが、それでも店長の人柄に惹かれて常連客は多かった。
    大抵のことをそれなりにこなすことができるので、大きな躓きもなく仕事を行うことができた。
    酒は元々好きだったから酒のなにがしを覚えるのは楽しかったし、酒瓶の底を通してみる世界はいくぶんかマシに思えていたのだ。
    たとえ、忌み嫌っていた犯罪者の末端になろうとも、もはやどうでもいいと思っていた。
    何者かの鎖の先にいない人間など、もはやこの世には存在しない。そんな常識はすでに理解していたし、どうとも思わなかった。
    そんな騒がしくも倦んだ日々の中、突然あの男は現れた。
    扉が開いて小柄な見慣れない青年が店内に入ってくる。
    合言葉を知っているから入ってきたのだろうが、幼さの残る小さな顔つきや吊り上がった目元などは酒よりもピーナツバターをたっぷりと塗ったサンドウィッチのほうが似合うだろう。
    清潔に整えられた栗色の髪を揺らしながら皺のないシャツとリボンタイを身に着けて、軽やかに客たちに挨拶をしながらカウンターの一席に座り、人好きのする笑顔と共にそんなことを言った。
    「最近こっちに来た。ハスクだ」
    「ようこそ、ハスク。ニューオリンズ──支配と抵抗と混沌の街へ!」
    前に置かれた酒を前に出す。それに同じくグラスを合わせる。
    そのまま一息に飲み干して、空になったグラスをカウンターに置く。
    青年は小さく一口口を付けただけでグラスを置いた。
    「どうしてニューオリンズへ?」
    「お前、随分ズケズケと物を聞くな」
    「おしゃべりは楽しいからね」
    いかにも口先だけで世を渡ってきたであろう典型的な軽薄さを漂わせた青年がへらりと笑った。
    それともまだ世の汚さを知らないだけか。
    どちらにせよ、最も忌み嫌う類の男のように感じられて唇を酒で濡らす。
    「おっと、失礼。俺も名を名乗らなくちゃ。俺はアラスター、よろしくハスク」
    男はカウンターに頬杖を突きながら、薄い唇を開いて笑った。
    「……別に理由があってここに来たわけじゃない。楽なほうに流れていたら、ここにいただけだ」
    ポケットから煙草を取り出し、咥えて火を付ける。
    一呼吸煙を肺に取り込んで吐き出すとようやく人心地が着いた気がした。
    「君はそれで満足している?」
    「酒を飲んで今日を終えられる、今の時代にそれ以上の幸せがあるのか?」
    「その答えを俺は持たないが、問題の解決策は酒瓶を空にしても見つからないってことは知っている」
    アラスターと名乗った青年はくつくつと喉を震わせて笑った。
    嫌に人を見透かしたような物言いをするのが気に障って、不愉快だった。
    何も知らないで、そういう思いを込めて睨み付けるが、青年は鼻歌でも歌いそうなほどに上機嫌に笑っているだけだった。苛立ちを隠すように煙草の火を灰皿に押し付ける。どろりと黒い煙が漂って空気に溶けていった。
    「欲深く生きなよ、ハスク。絶望的な状況にでも必ず打開策はある。だが、その打開策を見つけられるのは、いつもごく少数の勝機を飢えながらも虎視眈々と狙い続ける人間だけだ。奇跡とはそういう時に起こる」
    「お前、いったいなにが言いたいんだ?」
    苛立ちを隠さないままに返すと青年は首を振る。
    「別に。ただ助言しただけさ」
    「俺のなにを知ったつもりだ。心霊主義者かテメェ」
    「心霊主義に対する差別や偏見はよくないよハスク。天使や妖精の存在を否定するものじゃない。これまで誰も「いない」と証明できたものはいないんだから」
    「ご高説垂れて楽しいか?それで人の人生に口出して満足か?」
    「そういうつもりじゃないさ」
    青年はあっさりとそう言った。少し苛立ったが、それでも冷静さは保っていたので踏みとどまった。ここでこの軽薄な青年に殴り掛かってもすっきりするどころか空しいだけだとわかっているからだった。
    アラスターはそんなこちらの苛立ちなど知らぬ顔で言った。
    「ただ、もったいないと思ったんだ」
    そう言ってアラスターはグラスの中の酒を一気に飲み干した。
    「きれいな目をしているのに──って」
    アラスターの赤みがかった褐色の瞳がじっとこちらを見据えていた。
    腹の底を読まれたような気がして、落ち着かなかった。
    酒瓶を手に取って中のものを喉に流し込むと、焼けるような熱と甘苦い香りが喉を滑った。それでも腹の底でうごめく感情までは流し込んではくれなかったが。
    「お前、何者なんだ」
    ただの年若い青年には思えない底の知れない不気味さと、奇妙な魅力がある。まるで、それこそ悪魔のような──
    アラスターはにっこりと微笑んだ。
    「それは、いずれ分かるさ」
    「勿体付けるな」
    チッチッチ、とわざとらしく指を振ってアラスターは笑う。
    まるで子ども扱いをされているようで気に障るが、その苛立ちすら見透かされているような気がしていくのが余計に癪だった。
    また、底の知れない不気味さと美しさのあるあの瞳でじっとこちらを見つめた後で──微笑む。
    「短気は損だよ、ハスク。謎は人を魅力的に見せるものさ」
    多めの金をカウンターの上に置くと、するりとアラスターは立ち上がる。栗色の髪がふわりと揺れた。
    「それではまたお会いしましょう」
    少し大きめの声で告げると、客たちがおもしろおかしそうに笑いながらグラスを掲げた。
    「じゃあな、アラスター!」
    アラスターは一人ひとりに愛想よく手をひらひらと振りながら夜の街に消えて行った。

    それが、出会いだった。


    アラスターとの出会いから数日後。
    昨日までは霧雨だった雨が今日は土砂降りに変わっていた。雨が多い土地だとは聞いていたがこうも雨が続くと鬱陶しくもなる。
    店の中は活気があるとは言い難かった。客の入りは悪く、暇を持て余していた。
    そんな日に、アラスターはやってきた。
    今日のアラスターはフォーマルなブラウンの質の良いスーツを身に纏って、綺麗に切りそろえられた栗色の髪を後ろに撫で付けていた。そのせいか前回よりも大人びて見えた。
    しかし、前回と同じように妙に子どもっぽさを感じるような浮かれた足取りでカウンターに座り、ほとんどジュースと変わらないような弱い酒を注文してきた。
    「やあ、ハスク」
    「よう、ラジオスター。最近はどうだ」
    頬杖を突きながら酒を出し、煙草に火を点けた。
    アラスターは肩を竦めて笑う。
    「放送を聞いてくれたのか。嬉しいね、リスナーが増えるのは」
    大きな瞳がきゅ、と細まる。薄い胸にか弱さを引き立たせる丸眼鏡。
    どう見ても二十そこそこの女も知らないような青年にしか見えないのだが、その実、ニューオリンズの街でその声を知らない者はいない有名な人気ラジオホスト。
    アラスターはグラスをくるくると回しながら薄い唇に浮かべた笑みを深くする。
    幼い見た目ではあるが、それだけの所作が妙に様になる男だった。
    「残念だが、客の一人に教えてもらっただけだ」
    そこで初めてアラスターは不快をあらわにした。
    「アルバート、躾がなっていないんじゃないか?」
    笑みはそのままに先ほどよりもやや低くなった声で言う。
    声をかけられた店長──アルバートは、ハハ、と柔らかい苦笑を浮かべた。

    「短気は損だぞ、ラジオスター」

    空になったアラスターのグラスに酒を注ぐ。とびきり弱い酒。
    アラスターはぽかりと間抜けにも口を薄く開いていた。普段のステップを踏むようなトークも忘れ、驚きを素直に享受している。
    それからアラスターはハハ、とひどく楽しそうに笑い声を立てた。
    その笑みも瞳の色も子どものように無邪気で、心底うまそうに酒を煽った。
    「面白いね!気に入ったよ」
    「どうだ、いい拾い物だろうアラスター?」
    アルバートの言葉にアラスターはくつくつと喉を震わせた。
    「そうだね。だが、時世も時世だ。気を付けてくれよ、アルバート」
    「心配ありがとう。アラスター」
    他の客から声がかかったアルバートは楽しんでくれ、と一言残してその場を去る。
    もちろん、とアラスターは返してその背中を見送った。
    そんなアラスターに顔を近づけると、首をかすかに傾ける。
    「そういや、もう一つ。これも客から聞いたんだが連続殺人犯がいるのか。この街には」
    スピークイージーでの囁くような密談の端にはいつも連続殺人という物騒な単語がのぼっていた。アラスターが先ほどアルバートに忠告したのも「それ」なのだろう。
    「ああ、ニューオリンズの悪魔のことか。そうだね、もう二年になるかな。マダム・ラローリーも真っ青だね」
    と、アラスターはなんでもないように言った。
    「興味があるのかい?」
    その声は先ほどとは打って変わってぞっとするほどに冷静で冷たい響きを持っていた。
    アラスターのほうを見れば、あの大きな赤褐色のガーネットのような無機質な輝きを湛える瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
    「…………いや。俺には関係のない話だ」
    この街で誰がなにを思い殺人を犯し、その結果誰が死のうが興味はない。
    「ふうん」
    アラスターはつまらなさそうに相槌を打った。
    それから、グラスの中の酒を飲み干すと立ち上がる。
    またね、と子どものような無垢な笑顔を向けて、雨の街に消えていった。客も減って、静かな店内には雨の音だけが響いていた。

    「はいどうぞ!」

    次に店を訪れたアラスターは来るなり狭いカウンターの上に数十枚に及ぶであろう紙束を置いた。
    「なんだこれは」
    嫌な予感を感じつつもまさか上客からのプレゼントを受け取らないわけにもいかず、パラリと表紙をめくれば名状しがたい惨殺死体の写真がクリッピングされていた。
    アルバートや他の客の目に入らなかったことに感謝しつつ、カウンターの内部にしまいこむ。
    アラスターはと言うと平気そうな顔で酒を注文し、琥珀色の液体を揺らしてただ楽しそうに笑っていた。ぎろりと睨みつけるが意味がないことはもうすでに知っている。
    「ニューオリンズの連続殺人事件に興味がおありのようだからね。俺からの餞別さ」
    「最高のプレゼントをどうもありがとう、アラスター」
    「ハハハ、どういたしまして」
    アラスターが食っている鳥の内臓を使ったフィンガーフードから目を逸らしつつ、そっと資料をめくる。
    先ほどは衝撃的な惨殺死体の写真に面を食らってしまったが、それ以外の資料こそが興味深かった。

    二年ほど前から出没するようになった連続殺人犯──ニューオリンズの悪魔。
    被害者に共通点はなし。年齢、性別、人種、その他に大きく偏った点はない。強いて言えば子どもは襲われていないくらいだろうか。
    金品を奪った形跡もなし。容疑者の一人すらまともに浮かんでいない。クリッピングされている容疑者は数人いたが、どれも薄っぺらい根拠を元にしてリストアップされた男ばかり。
    死体の中には深い刺し傷が刻まれている死体もある。これだけ深く刃物を人体に差し込むことができるのであれば犯人は男性であるように思える。いや、女性だとしても工夫をすれば深い刺し傷はどうとでもなるか。男性に視線が向くようにする可能性も考えられた。
    女性だとすると死体の運搬方法は?そもそも警察の捜査を攪乱するにしても、汚職まみれの警察がまともな捜査をするだろうか。
    そして死体の写真とセットになっている謎の数字の羅列が書かれたメモ。蝋引き紙に包まれて遺体の口や傷口に丁寧に埋め込まれているらしい。
    暗号、なのだろう。ふざけた殺人犯だ。死体には数字も刻み込まれており、その数字にも意味がありそうだ。

    じっと資料を睨んで思考する。
    アラスターはこちらのそんな様子をにやにやと見つめているだけだ。
    「ご満足いただけたようでよかった」
    「……よくこんな資料手に入れられたな」
    「仕事柄、情報通でね。俺のファンの中にはもちろん我が街の警察官もいるわけだ。ニューオリンズの悪魔についてであればそれなりに情報を持っている」
    得意げに言うアラスターから視線を外し、資料に目を落とす。
    そこには焼け焦げた無残な焼死体の写真があった。資料によれば勇敢で真面目な警察官であったらしい。それが最期にはイカれた殺人鬼の餌。
    昔の俺であれば憤ったのかもしれなかった。彼の仇をとると言っていたのかもしれなかった。
    だが、いまとなってはどこか冷めた気持ちでそれを見つめるだけだった。
    「とんだ悪趣味野郎だ」
    「ニューオリンズの悪魔の趣味の良し悪しはともかく、話題性はある。実際、今日の天気は、くらいの気軽さで会話にあがるしね」
    「この街のやつらは怖いもの知らずだな」
    隣人が殺人犯かもしれない状況を楽しむ神経が理解できなかった。
    忌々しいと思いこそすれ、それを楽しもうとは思わない。
    そんなこちらの反応を見て、アラスターがくすぐったそうに笑う。
    この男にはなにが面白いのか理解しがたかったが、言葉の先を待った。
    アラスターは薄い唇を舐めて言った。
    その笑みも瞳も子どものように無邪気で無垢だった。
    「だって君、明日自分が死ぬ想像なんてできないだろう?少なくとも俺はそんな想像をしながら今日を生きることはできない。誰しも同じなのさ」
    に、と口角が吊り上がる。
    「次に殺されるのは自分ではない、と根拠のない確信を抱きながらみんな生きている。それに、悪魔は魅力的だろう?すべてが謎に満ちている。前にも言ったけれど、謎は人の一番の化粧なんだよ」
    それにね、とアラスターは続ける。
    「悪魔をエンターテイメントとして認識しているのさ。君もその一人のはずだよ。次は誰が殺されるのだろうか、そう君も間違いなく思ったはずだ」
    その瞳の色はどろりと淀んでいて、妙に深い奈落を思い起こさせる。
    好奇心が抑えられないと言った様子で、そのガーネット色の瞳を輝かせながら。
    子どものような無垢な瞳であるのに、目の前にいる男が得体の知れない怪物のようで背中がぞっと粟立つのを感じる。
    「ご高説どうも」
    「ご清聴どうもありがとう」
    「流石はラジオスター。口がうまい。ゲティスバーグで演説でもしてきたらどうだ?」
    「はは!褒められると酒がおいしい」
    そんなこと言いながら、アラスターは出された酒を飲み干す。
    もはや正義感など持ち合わせてはいないが、アラスターの言っている戯言にも一理あった。
    ニューオリンズの悪魔は俺たちに最高のエンターテイメントを提供している。
    そして、悪魔から挑まれた勝負はこれまでにないスリルを孕んでいる。難解で、挑戦的。ねじ伏せてやりたいと思わせるなにかがある。
    「もしかして暗号が解けたのかい?」
    「俺がそんなに頭がよく見えるか?」
    「見えないねえ」
    けらけらとアラスターは笑う。
    この男の軽口も聞き流せるようになり始めている自分がいる。慣れとは恐ろしいものだ。
    「今、君が思ったこと当てようか?」
    ぴ、と指を指される。
    「俺がニューオリンズの悪魔だったら次の標的なコイツだな」
    そうだろ、なんて言いながら、アラスターは挑発的に笑う。
    なんでもお見通しだと言わんばかりの顔で、俺の考えを勝手に推し量る。
    その傲慢さに腹が立つが、もっと腹が立つのはアラスターの指摘や発言が的確なところだ。
    思わず舌打ちをするとアラスターはまたもおかしそうに笑った。
    「ピックで留めなくちゃその唇は止まんねえのか?」
    「「短気は損だよ、ハスク」」
    声が重なる。一瞬きょとんとしたアラスターの唇にフィンガーフードを放り込んでやる。
    「アンタが言いそうなことはもう大体分かる」
    アラスターの前に雑にボトルとフードを出し、自分は資料に再び目を落とす。アラスターの相手をさせられているせいでまともに暗号の解読もできない。
    手近にあった鉛筆で資料に線を引いていく。共通する文字列は案外多い。後はこの共通する文字列の意味を推測するだけ。だが、そこが一番の問題。知識力と発想力の複合的な力が問われる。
    聖書の一節。はたまた文学書のフレーズ。歴史的な名言。
    ニューオリンズの悪魔は自信家で慢心している。ああいう輩は「こんなに簡単なことにも気づかないのか」とこちらを高みから馬鹿にしているのだ。だからこそ誰でも知っているような有名ななにかを紐づける。

    「おーい、そろそろ構ってほしいんだが、ハスク?」

    拗ねたようなアラスターの声にはっと顔を上げる。アラスターはじっとこちらを見つめていた。
    アラスターの前に出したフードは空になっているし、酒もすっかり消えていた。
    「あ、ああ……悪い。アンタ、一応客だったな」
    そしてこちらは一応店員。空になった皿を下げて新しいものを出すと、アラスターは多数の線が引かれた資料を勝手にめくり、へえ、と感嘆の声をあげていた。
    「随分と集中していたみたいだけど、がんばっているじゃないか。だが、さっぱりだろう?」
    「今のところはな」
    「今の君と同じように俺こそが解き明かしてやるっていきり立っている人間はこの街に山ほどいる。まあ、誰も解き明かせていないから殺人は続いているわけだが」
    つらつらとアラスターは続ける。
    彼の言うとおり、この街には既に暗号の解読に着手している人間はいるだろう。そして、その数は日を追うごとに増えていく。それでもこの暗号は解読されていないのだ。
    「そもそも、暗号のように見せかけているだけでその実単なる数字の羅列だった、いたずらだった……なんてオチかもしれないよ」

    「いや、意味はある」

    それは間違いない。アラスターは首を傾げる。
    「ルイ14世が使っていた暗号ってのがあるんだが、それと同じタイプの暗号……だと思う」
    暗号学に精通しているわけではないがおそらくはそうだ。
    三文字の数字がなにかしらの文字を示している──はず。
    アラスターを見れば彼は興味深そうにこちらを見ていた。その目の奥は好奇心で輝いていて子どものようだった。
    「ナポレオン、リンチバーグの暗号なんかもそうだね」
    「……アンタ、気づいていたのか」
    「このとおり頭がよく見えるだろう?」
    眼鏡をふざけながら持ち上げて、アラスターはウインクする。
    普段はへらへらと締まりのない顔をしているくせに、その仕草がやけに様になっているのはアラスターの整った顔立ちのせいだろう。
    「それを警察には?ラジオで放送したのか?」
    「警察には言っていないさ。そも、俺や君で勘付くことだ。そこまでは警察も気づくだろう。まあ、気づいたところで解こうとするやつが今の警察にどれほどいることやら……」
    それには同感だった。
    今の警察が真面目に職務に励んでいるとは思えない。
    「それに、ラジオで放送なんて野暮なことはしないよ。多くの人の楽しみを奪ってしまうからね。それはエンターテイナーとしてありえない」
    「……人でなしめ」
    その行為が人殺しを助長させているというのに。
    だが、やはりその言葉には妙な説得力があった。
    確かに、アラスターがラジオでネタばらしをすれば殺人鬼は怯むかもしれない。もしかしたら殺人が止まるかもしれない。だが、それと同時に多くの人間が楽しみを奪われることになる。ラジオは娯楽を提供することを機能の主としているのだから、それは本来の在り方ではない。
    おそらくアラスターはラジオホストであることに誇りを抱いている。
    軽薄さはありながら、それだけは間違いない真実だと思った。
    そしてそういう輩が、自分は嫌いではなかった。
    「……だが、自分のやることに筋が通ってる輩は好きだ。シンプルで、分かりやすい」
    アラスターは声をあげて笑い、酔いに目尻を赤く染めてグラスを持ち上げた。
    「君とは気が合いそうだ!ニューオリンズの悪魔に乾杯!」
    なんとまあ最悪の口上。
    だが、断るつもりもなかった。
    「乾杯」
    チン、と静かな音が鳴る。
    それはすぐにレコードの音にかき消されたが、今夜の酒は薄い安酒ではあったがいつもよりもうまく感じた。


    「隈、酷いことになっているけど」
    アラスターに指摘されて目頭を押さえる。ようやくそれなりに下層ながらも人並みの生活水準となったと言うのに、またカウンターで寝こけてしまった。
    身体の節々は痛むし、重い。慢性的な寝不足だから面も酷いことになっているだろう。
    現にいつも言葉の端々に人を小馬鹿にするような色を含んでいたアラスターも、今日ばかりは心配そうに笑みを薄めてこちらの顔を覗き込んでいる。
    「……全然解けなくてよ」
    ニューオリンズの悪魔が残した暗号は実に難解な暗号だった。
    少し前に解読された長年謎に包まれていたルイ14世の暗号だって解読に気が遠くなるほどの時間を要した。アラスターが言っていたリンチバーグの暗号に至っては未だに解読されていない。
    そして俺はこういうのに関しては素人だ。
    書き込みすぎて黒ずんだ資料を手元に引き寄せる。
    「コイツ、相当に頭がいい。まるで手のひらの上で踊らされている気分だ」
    「そこまで言ってもらえるのであればニューオリンズの悪魔も喜んでいることだろうさ」
    「……そう、だな」
    「おやおや、これは本当に重症だ。今日は俺の相手はいいから寝ておいでよ」
    気遣うように細く白いアラスターの指が目元をくすぐる。冷たく冷え切った指は眠気の残った身体には心地よかった。
    思わず目を閉じてその感覚を享受しているとアラスターがくすくすと笑い声を漏らした。
    目を開けると、彼が目を細めてこちらを見ていた。
    「まあ、君はそう言っても素直に従いはしないだろうけど……どこまで解読したんだ?成果は?」
    「ほらよ」
    アラスターにもらった資料の暗号部分を渡すと、彼は驚いたように眉を跳ね上げた。
    「わ、全然じゃないか」
    「俺は頭を使って捜査する柄じゃなかったんだ……」
    捜査はいつも足と体で行っていたし、頭は使っていたがこういう類の使い方ではなかった。
    勝負事は好きだったから趣味で簡単な暗号読解のようなこともしたし、ドイルもクリスティも読めるものは全て読んでいる。
    だが、「本物」はこれほどとは思わなかった。
    「ということは君は警察だったのかな?」
    「ああ、昔はな。馬鹿らしくなって辞めた」
    なにも思うようにはいかなかった。
    社会のせい、組織のせい、それとも運が悪かった?いずれにせよ、結果だけが事実だ。
    ただ、正しく生きたかっただけだった。納得の上に息をしたかっただけだった。
    誰かを変えて、社会をよい方向に向けて、それが限りなく難しいことであると、若く、世界を知らなかった俺は気づかなかった。

    「ne=100、w=4102、or=102、le=176、an=300、s=4591……かな」

    「は?」
    「100.4102.102.176.300.4591の文節が多用されているだろう?特に102と300はいたるところで出てくる。そこまでは君も気づいているよね。おそらく100.4102.102.176.300.4591の文節はニューオリンズ、この都市名なんだと俺は思うが……君はどう思う?」
    まあそれが分かったところで解にはならないけどね。そう言ってアラスターは肩をすくめた。
    「じゃあ……六人目の被害者のネラーは4351.100.862.932だから……k=4351、ne=100、ll=862、er=932と仮定して……確か十二人目の被害者はアレン……4193.862.300……合ってる……おい、アラスター!」
    「わ!」
    「アンタ、すげえじゃねえか!」
    つまらなさそうに酒を啜っていたアラスターの肩に腕を回し引き寄せる。
    勢い余ってグラスの割れる音がしたが、そんなことに構っている余裕はなかった。
    アラスターは眼鏡の奥で目を丸くしてこちらを見上げていた。
    「アンタのほうが警察向きじゃねえか!」
    「嫌だね。あんなつまらない仕事、死んでもお断りだ。俺はラジオスターになるために生まれてきたのに」
    アラスターは細身だが意外と力があるらしく、アラスターは手足をばたつかせながら逃れようともがいていた。
    彼はしばらく暴れていたがやがて諦め、へなへなと身体から力を抜いた。無駄な抵抗は止めたらしい。
    それでもこちらを鋭く睨みつける視線は変わらないまま。それに気づいた途端なんだかひどくおかしくなってしまい思わず口元を緩めると、アラスターに思いきり足を踏まれた。
    「──いッ……!」
    「馴れ馴れしく触れないでもらえるかな」
    「だが、そうか……ありがとう、アラスター」
    割れたグラスを片付けて、アラスターの前に代わりの酒を置く。
    するとアラスターは少し意外そうに目を見開いた。
    「なんだ、その顔は」
    「まさか君に素直にお礼を言ってもらえるとは思わなかったから驚いた」
    それからまんざらでもなさそうに微笑んでからグラスを手に取った。
    「俺もだ。警察時代、誰も俺のことを手伝おうなんてしなかったから驚いた」
    暗号解読に四苦八苦する俺をにやにやとからかいながら酒のつまみにするものだと思っていたのに。アラスターからの助言は的確なものだった。
    アラスターはけして善良ではないが、かと言ってかつて触れたような汚らしい悪とも異なっている。
    アラスターは優しくもないし、きっと親切でもない。うっとうしいおしゃべりの自信過剰なエンターテイナー。だが、どうにも嫌いにはなれなかった。
    「ハスク!仕事をしろ!」
    「ぎ……ッ!」
    アルバートの拳骨が頭の上に落ちる。
    わお、とアラスターは引きつった笑い声をあげる。
    頭がぐわんぐわんと揺れているのが分かる。痛い。
    アルバートは内面こそ柔くまろやかで穏やかな男だが、見た目は6フィートを超える巨漢だ。腕っぷしもある。上背のあるハスクを凌駕した体躯から落とされる拳骨は洒落にならない威力があった。
    まだじんじんと痛む頭を押さえて呻くと、アルバートがため息をついた。
    「アラスター困るよ。ウチのに悪い遊びを教えてもらっちゃあ」
    「悪かったねアルバート。では、今夜はたくさんいただこうかな」
    みんなに一杯奢るよ、と声を張り上げると店内から歓声が上がる。
    客たちに手を振ってサービスしながら酒を飲むアラスターは上機嫌にグラスを傾ける。
    「そう言えばアンタ、家はいいのか?」
    ほとんど毎日ここにきてはこうしておしゃべりに勤しみ、酒を楽しんでいる。
    女と会話を弾ませ、気ままにピアノを弾き、歌い。
    アルバートの話によれば三十も超えているはずなのだが。
    するとアラスターはこちらを見上げた。その眼鏡には店内の照明が反射してレンズの奥は見えないが、細められた瞳はしっかりとこちらを見据えているのだけは分かった。
    「ああ、問題ない。独り身だからね」
    アラスターの年齢や職業からすれば家庭があってもおかしくはないのだが。
    普段よりも落ち着いた低い声になんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気分になった。
    「……誰か、想い続ける女でもいるのか?」
    そんな男には見えないが、アラスターの本音がどこにあるかなどハスクには分からない。アラスターは軽薄そうに見えてその奥にはなにかが隠されているような気がする。
    「君、ギャツビーの愛読者かい?若いのになかなかコアだね」

    「じゃあ、ゲイか?」

    アラスターの身体を見た時すぐに思ったことだ。
    肉体の端々が女性的で発言には柔らかさと知性がある、こういうのを組み敷きたいと考える男は山ほどいそうだ、と。男にとっては侮辱でしかないだろうから口にはしなかったが。
    するとアラスターはげえ、と舌を出した。
    「君ねえ、いくら俺がおしゃべりだからってそうホイホイと話す話題じゃないよ。大体、相手が俺じゃなかったら、君殴られているぞ。運が悪ければ額に穴が開いているところだ」
    「ああ、悪い……」
    そればかりはアラスターが正論だ。笑みを薄くして、つまらなさそうに酒を揺らす。
    「あまり、そういうことに興味がないんだ」
    「そういうもんか」
    「そういうものさ」
    女を抱くことは楽しいし気持ちがいい。まあ、だが、確かに賭け事の高揚感や酒のうまさと比べれば優先度は低くなるか。そもそも比べること自体がおかしな話だが。

    「君と話しているほうがずっと楽しい」

    酒瓶を唇から離すときゅぽん、と間抜けな音が響いた。
    冗談か。だが、アラスターは別段からかうつもりでもなかったらしく、真面目くさった顔でこちらを見ている。だとしたら質の悪い男だと思った。
    「……口説いてんのか?」
    アラスターのグラスの縁を撫ぜてやるとぱちりと瞬きをする。
    「君は……もしかしてゲイなのか?」
    「相手が俺でよかったな」
    眉間を銃で撃つ仕草をする。
    するとアラスターは愉快そうに声を上げて笑った。
    男を抱いたことも、男に抱かれたこともない。だが、アラスターであれば悪くないかも、だなんて思ったことはアラスターには言わなかった。
    まあ、だがやはり、この優男に抱かれるのは勘弁願いたかった。


    『ニューオリンズのみなさんこんにちは。FDNO、From Dear New Orleansの時間です。本日もみなさんの近しい友人、アラスターがお送りします』
    『本日のニューオリンズはいつものように雨。しかし夜には晴れる見込みです。紳士の皆様、淑女の皆様、充分にお気を付けてすばらしい一日をお過ごしください』
    『さて、まずは早速本日の一曲目に参りましょう。本日お送りするのはTea for Twoから。忙しない日々の生活の中で立ち止まり、愛する人と二人でお茶をする。そんな穏やかで愛おしい時間がすべての世界に訪れますように。お昼のひと時、少しだけ手を止めてお聞きください』

    「ハ……気取ってやがる」
    ラジオから流れる歌声。女ったらしい甘い歌詞を、これまた甘い声で歌い上げる。
    一つ一つの音程も正確で、柔らかくも芯のある歌声をしている。女であったのなら腰砕けになっているところだ。ラジオスターと呼ばれるだけのことはある。
    グラスを拭きながら、その声に耳を澄ます。
    ここで見るアラスターとはまた別のアラスターがラジオの向こう側にはいた。ラジオスターであることをなによりの誇りにしている男だと思っていたが、見込み通りだった。
    「ハスクもアラスターの放送の虜になったのか?」
    テーブルを拭いていたアルバートが笑う。
    「気に食わない男ですが、放送はいいですね」
    「アラスターを狙うなら覚悟した方がいい。ニューオリンズに住む全員の淑女を敵に回すつもりじゃないと」
    「そりゃ手強いですね」
    アルバートに乾いた笑みを返す。
    この声に恋をする者も山ほどいるのだろう。アイツの本当の性格も知らないで。
    おしゃべりで傲慢でガキくさい男であるというのに。
    やがて歌が終わる。そして囁くようなアラスターの言葉が戻ってくる。

    『今、私は、友人と共にニューオリンズの悪魔の残した暗号解読をしています』
    『つい先日も、マンチェスターストリートにある菓子屋アンデルセンの店主、サザーランド氏が殺害されました。この事件が解決し、終焉することを祈っています』
    『どうかリスナーのみなさんの今日、そして明日がすばらしい日でありますよう。それでは、またお会いしましょう。ニューオリンズの近しい友人、アラスターがお送りしました』

    「すごいじゃないかハスク!アラスターに紹介されるだなんて」
    アルバートが興奮した様子で肩をたたいてくる。
    「友人になったつもりはないんですけどね」
    「また、君はそんなことを言って。どこからどう見ても、君たちは友人だよ」
    アルバートの指摘にハスクは思わずため息を漏らした。
    友人という言葉は素直に嬉しかった。アルバートにもアラスター本人にも言うことはないだろうが。
    的確でユーモアのある返しをまるでステップを踏むようにしてくるアラスターの相手は面白かったし、共に暗号について議論することも楽しいものだった。
    これまでにない充実した時間。
    今、この瞬間ですら、あの男が早くこないかと胸を躍らせている。
    まるでこれは──恋であると思った。
    ゲイではないと言ったことに嘘はない。だが、気が付けばアラスターとなにを話そうか、あの話題はどうか、と考えている自分がいる。自分はこんなにも単純で、愚かしく、盲目的な人間だったのかと心中で苦笑した。
    「ここに来た時よりも、随分といい顔をしている。よかったな。ハスク」
    「……そうですね」
    よかった。そう、よかったのだろう。
    乾いてひび割れた人生だった。もはや元の鮮やかな色は取り戻すことはないのだろうと思っていた。
    だが、今では極彩色の日々がここにある。
    アラスターと出会ってから、ハスクの日常は確実に色づき始めていた。


    「やあ、ハスク!」
    まるで子どもが親の足元に駆け寄るように、アラスターはやってきた。
    「今日もご機嫌だな、アラスター」
    アラスターが不機嫌なところはあまり見たことがない。ときおり拗ねたような様子は見せるがそれも演技のようなもの。人生を心底楽しんでいるように見えた。
    「これは新しい暗号だ」
    酒と入れ替わりでカウンターに置かれたのは新しい暗号。今日のラジオで言っていた件だろう。
    「ありがとよ」
    追加の暗号を受け取りぱらぱらとめくると同じ形式のもの。
    この手の暗号は多ければ多いほどにヒントになる。渡された資料をカウンターの内部にしまいこみ、フィンガーフードのためのピクルスを刻む。
    「暗号解読の進捗はどうかな?」
    ナイフの音に合わせるようにアラスターの声がかかる。
    女のようにきれいに足をそろえて行儀よく座っていたかと思えば、子どものようにぱたぱたと足を忙しなく動かしていた。
    「ボチボチ……だが、着実に進んでると、思う。だが、一部の文字列の意味が分からなくてよ……」
    「なんだい煮え切らない回答だね」
    「アンタほど自信家じゃねえんだよ、俺は」
    解けるかも分からない。解けたとしてそれがどれほど先になるかも分からない。
    だが、もしも解き明かせた時にはまず初めにアラスターに報告するだろうということは確かだった。
    その時、少し離れた席にいた男が突然立ち上がり、ナイフをアラスターに向けた。
    「アラスターッ!」
    アラスターが声のする方を振り返ると同時に男はナイフを両手に持ち、アラスターに向かって突き立てようとしていた。
    ハスクがカウンターを飛び出るのと男が走りこむのはほぼ同時で、咄嗟に間に割り込み、ぼんやりとしているアラスターを引き寄せる。
    アラスターの薄い身体を受け止めながら、追うように振り下ろされたナイフが腕を掠る。
    ぴりりとした痛みに顔をゆがめるハスクに男が驚いたように目を見開いた。
    その隙を逃さず、ハスクはその無防備な腹に蹴りを入れた。男はそのまま倒れこみ、うめき声をあげている。
    血が腕を伝い、ぽたぽたと床に滴る。
    床に転がったナイフを遠くに蹴り飛ばしながら、男の首を靴で踏む。少し力を入れれば、首の骨を砕くことは容易い。
    「どうしてアラスターを狙った」
    男は苦痛に顔を歪めながら、こちらを睨みつける。
    男の目にはただならぬ憎悪が籠っていた。
    「ソイツが、暗号を解いたらニューオリンズの悪魔が捕まっちまう!ニューオリンズの悪魔は救世主なんだ!この腐った世の中を変えてくれる!ニューオリンズの悪魔だけが、神なんだ!」
    アラスターはその様子を遠巻きに眺めてからゆっくりと瞬きをした。
    男から守るために咄嗟にカウンターに押し付けていたせいで皺になった袖口を整えながら、アラスターは男を見下ろした。
    「随分と私を高く買ってくれているみたいで嬉しいけれど……」
    「まだ全然解けてねえよ。くだらねえ。そんなことで、人を殺そうとするんじゃねえよ」
    ぐ、と思わず男の首にかけていた足に体重を乗せてしまう。
    この場にいる客は全員が常連。そしてアラスターのファンだ。ここで殺したところでうまいこと口裏を合わせてくれるようなやつらばかり。
    男はまだなにかを言おうと口を開閉させるが、零れたのはうめき声だけだった。
    まあ、だが、アルバートにとってはここでの殺しは迷惑だろうし、全員にとってリスキーだ。
    「ハスク、もういいよ。怪我をしているのにすまないが、彼を外に」
    「おい、いいのか」
    仮にも殺そうとしてきた男だ。また襲ってくる可能性だってある。警察に突き出すなりやりようはいくらでもあると言うのに。

    「いいんだ。話を大きくしたくない」

    アラスターに言われた通り、男を店の外に放り出す。
    昼間に降った雨のせいで道はぬかるんでおり、泥の中に男が沈む。
    「アラスターに感謝するんだな」
    「クソッ……」
    「素人じゃねえな。ギャング崩れか」
    ナイフの持ち方、切り込み方、いずれも素人ではない。人を殺したことがあるやつのそれだった。
    なにかしらの理由で元の地位を失ったか、追放されたか。
    「他者の幸福を踏みつけた上でふんぞり返っておいて、立場が逆転すりゃあ悪魔を神と言って祈る……ふざけた連中だ」
    自分にとって都合のいいほうにしか物事を考えられない、まったくもって吐き気がするほどに愚かな連中だ。
    「ニューオリンズの悪魔はお前を救わねえ。こうして泥水に這いつくばってるお前を見て、楽しんでんだよ」
    そう吐き捨てると、男はなにも返さぬまま嗚咽を漏らし始めた。
    ハスクが店に戻ると、アラスターが駆け寄ってくる。そのまま腕を引かれて店の端に案内された。
    すでに店の客は普段の喧噪に戻っているようだった。どうやらアラスターが詫びで酒を奢ったらしかった。
    椅子に座らせられ、一本の切り傷が走った腕をとられる。
    「アラスター、怪我はねえか」
    一刺しされればくたばってしまいそうな細身。
    先ほどは余裕などなかったから力任せに抱き寄せてカウンターに押し付けてしまった。
    だが、アラスターにそう聞くとアラスターは普段の笑みを崩して、眉を寄せた。
    なにか悪いことを言ってしまったのだろうかと思案しているうちにアラスターの白い手がハスクの腕を撫ぜる。
    その手つきが妙に艶めかしく思えたのだが、状況的にこれは明らかに自分の妄想だった。
    「俺の心配はいいから、自分の心配をしなさい」
    人差し指の爪先で傷をなぞられる。
    「痛ぇよ!」
    それから目を伏せて、一つ咳ばらいをした。
    「助かったよ、ハスク」
    「酔いが回ってなくてよかったな」
    「俺の飲んでいる薄いウィスキーでなんて誰も酔えないさ」
    アラスターは胸元からきれいなチーフを取り出すと器用に太いハスクの腕に巻き付けた。
    怪我とは無縁そうな世界にいるのに、治療は的確で思わずハスクも感心した。
    だが、それよりも、女のもののように細く滑らかなアラスターの指先が触れることの方が気になっていた。
    そうは言うものの、きちんと節もあるし、爪も男のものだ。それは分かっているというのに。
    アラスターはほんのりかすかに笑って視線を落としていたハスクの胸元に札を入れた。見れば一月分の給料にも匹敵する額。
    「おい」
    「詫びだ。受け取ってほしい。きちんと医者に診せるんだよ」
    「だが」
    「君とは貸し借りのないフェアな関係でいたいんだ。対等な、ね」
    だから頼む、とまで言われてしまえば断ることはできない。アラスターは困ったように笑ってはいるが、目は真剣だった。
    ハスクは小さく息を吐き出してから、頷く。
    「今日は飲む気が失せてしまったな……ここまでにするよ」
    「送っていくか?」
    あの男の待ち伏せがないとも限らない。
    だが、アラスターはゆるゆると首を横に振った。
    「問題ない。これでも結構腕っぷしはあるんだよ」
    「……冗談」
    アラスターの細腕では下手すれば押しの強い女にすら押し倒されるだろうに。だが、アラスターも馬鹿ではない。むしろ賢いほうだ。帰り道にうっかり殺されるなんてことはないだろう。そんな馬鹿ならこの時代生き抜いてきていない。
    アラスターは軽く微笑むと、カウンターに金を置き、立ち上がった。
    「気を付けろよ、アラスター」
    「ああ!君は暗号解読を続けるつもりかい?」
    「もちろん」
    「そうか」
    アラスターは瞳を細める。

    「たまにはラジオでも聞いて息抜きをしなよ」

    とだけ言い残して、アラスターは去っていった。



    「最近、アラスターが来なくなったな。ケンカでもしたのかハスク?」
    「そんなわけないでしょう」
    アルバートの軽口にハスクが吐き捨てる。
    あの男とまじめに喧嘩してやるほど暇はしていない。
    「ラジオで声は聴くことができるから元気なのは分かるけどね」
    そう。くたばっていないことは分かる。
    ラジオの向こうの声はいつも通り。囁くような艶のある声。
    僅かな震えもない、恐れはなく、そこにはラジオスターであることを誇る色しかない。
    または、この間の事件に恐れを抱いていたとしても、完璧に包み隠している。それこそが真のラジオスター。
    「……この間、あんなことがあったから一応出歩くのを止めているんでしょう」
    確かにアルバートの言う通り、ここしばらくアラスターの姿は見ていない。ただ単純に忙しいだけかもしれないが。
    おかげでこっちは暇している。気がのらないから暗号解読もろくに進んでいない。
    毎日グラスを拭いて、楽しくもない客のつまらないおしゃべりの相手をして。妻が他の男に寝取られただの、好きな女に手酷くフられただの、俺からしたらまったくどうでもいい。
    苛立ちを紛らわすために久しぶりに女を抱いてみても疲れるだけで大して気持ちよくもなかったから正直参っている。
    しかも、前は比較的ふくよかな抱き心地のいい女が好みだったのに、この間ふと目に止まって買ったのは細身の栗色の髪の小さな女だったのだからこれは本当に参った。アラスターにバレでもしたら絶対にからかわれるだろう。または素直に軽蔑の視線を送ってくるかもしれない。

    「ん?ミムジーのところには通っているようだけど」

    アルバートはグラスを服手を止めてきょとんとした表情をハスクに向ける。
    ハスクもまた、アルバートに「は?」と間抜けな声を出す。
    「アラスターの恋人と噂のある女性さ。やり手でね。アラスターには聞いたことがなかった?」
    ない。初耳だ。
    身を挺して怪我をした優しい友人を放って女のところに入り浸るなど最悪にもほどがある。
    しかも、自分の知らないところで知らぬ女にその身体を開くアラスターを想像すると余計に苛立つ。
    「その顔だとさてはアラスターの二枚舌にやられたな?彼は話すことが仕事の男だ。一から十まで本気にしてはいけないよ」
    アルバートの忠告にそうですね、と返しつつも、心のどこかではアイツはそんなやつではない、と思っている自分がいる。恋人なんて俗物を愛するようなか弱い男じゃない。
    「ハスク、今日はもういい」
    「え」
    「アラスターにアルバートが暇していると伝えに行ってくれ」
    アルバートは手際よくグラスを片付ける。
    「別にお前を気遣ったわけじゃない。アラスターがこないと本当に儲けがないんだよ」
    へたくそなウィンクにハスクは思わず笑みを漏らした。
    本当にこの時代にはそういないお人好しだ。

    「ありがとうございます」

    ひらひらと手を振りながら店を出る。
    アルバートに言われた店に行けばあっさりとアラスターは見つかった。
    アルバートの店よりも豪華で客も多く、賑わっている。目に見える範囲にある酒もいいものが揃っている。これは奥に隠された酒はもっといいものなのだろう。
    そんな中、カウンターに肘をつきながら、店主であろう女性と楽しげに言葉を交わしている。
    「アラスター」
    声をかけながら勝手に隣に座るとけろりとした顔をこちらに向ける。
    「やあ、ハスク!こんなところで会うなんて奇遇だね。どうしたんだ。今日は仕事はないのか?」
    「どうしてウチにこない?」
    確かにこの店よりもボロいし、いい酒はない。女もいない。
    提供できる食事も安っぽいものだけ。だが、俺がいるのに。
    不満を前面に押し出すとアラスターは困ったように笑う。
    「俺が行くと目立つだろう」
    いくらこの顔がラジオ向きとは言え俺の顔を知っているやつは多い、と言いながら肩をすくめる。
    「この間みたいな輩は案外多い。俺といると今度は友人である君が狙われるかもしれないよ?」
    つまり、アラスターは自分が再び狙われる可能性があると言っている。
    そして、近くにいれば巻き込まれることもあるかもしれないと忠告している。
    「……そんなことか」
    思っていたよりも数倍大したことのない理由だった。
    ここにきているのは恋人がいるからではなく、狙われても自分だけしか被害が出ないから。俺のため、なんて殊勝な考えがアラスターにあるとは思わないが、それでも悪い気はしなかった。
    「気にして損した。そんなことならウチに来い。店長も待っている」
    「そんなこととは。命を狙われることが恐ろしくはないのか?」
    「お前が来ない方が退屈だ」
    せっかくエンターテイメントというやつを理解してきたというのにその一番の供給源が来ないというのははっきり言ってつまらない。
    アラスターは驚いたように目を丸くしてから腹を抱えて笑い出した。
    なぜこうも笑われるのか分からずに、首をかしげると、アラスターは人差し指で目元を拭う。
    「ハハ!死よりも退屈を憂うのかい、君は!君はやっぱり最高だなハスク!」
    だが、笑うのをやめるつもりは毛頭ないらしい。
    ヒーヒー言いながら腹を抱えているアラスターにさすがに腹が立ってくる。
    おい、と声をかけようとするとアラスターは女店主に金を多めに出して椅子から立ち上がった。
    「どこに行くんだ」
    ハスクの問いかけにアラスターはくるりと振り返り、機嫌がよさそうに微笑んだ。
    「なにを言っているのやら、君のところで飲み直すんだろう」
    ラジオスターに相応しい甘い囁きが響く。
    さっさと店の外に出てしまったアラスターを追いかけると、店の中にいるときと同じような顔で笑っていた。
    少し酔っているのかとたとたとまるでステップでも踏むような軽やかな足音を立てていた。
    アラスターは薄暗い中、にこにこと朗らかな微笑みを携えながら歩いていく。
    頭のおかしいやつらに狙われている可能性もあるというのに。そしてどこにニューオリンズの悪魔が潜んでいるのかも分からないというのに。
    よほど隙さえつかれなければ殺されるつもりはないが。
    「なあ、アラスター、少しいいか」
    少し先を歩くアラスターの背中に声をかける。
    「……ハスク?」
    振り返ったアラスターは夜風に酔いが醒めたのか呼び止めた俺を怪訝そうに見ている。
    静かな街頭の中、アラスターの赤の瞳が困惑と少しの期待を孕んで輝いている。
    戸惑うアラスターを路地裏に誘う。ネズミが死んでいるような汚らしい路地裏の中で、清潔でフォーマルな身なりのアラスターは酷く浮いていた。
    「どうしたんだ?店じゃできない話でも?それとも君がニューオリンズの悪魔、とか?」
    久方ぶりに聞いたこちらを試すかのような挑戦的な声。

    「キスをしていいか」

    アラスターとは三歩分の距離がある。その先でアラスターは瞬きすら忘れて固まった。
    まったく予想していなかったのだろう。それを指摘すると拗ねるだろうから言いはしないが。
    「キスをしたい」
    一歩距離を縮めて、頭一つ分下にあるアラスターの顔を見下ろす。
    ここで俺が力づくで抑え込めば逃げられないことは分かっているだろうに、アラスターの瞳の中に恐怖の色はない。侮蔑でもなく、興奮でもなく。ただ、興味に輝いていた。
    「一つ聞いてもいいかな?」
    「どうぞ」
    「どうして奪わないんだい?力の差なら、見ての通りだろう?」
    倍近くある腕にアラスターの細い指がかかる。
    筋を辿るように撫ぜられる。これで誘っている意図はおそらくないのだから質が悪い。
    「……アンタは人に触られるのは嫌いだろう。触られるの、というか、自分の領域に立ち入られるのは」
    アラスターの中には「ここまで」と引いた線がある。
    アラスターの許可の下で飛び越えるのを彼は許容するが、うっかり距離感を誤って飛び越えればペナルティがある。
    「人の良さそうな顔をしているが、アンタはけしてアンタ自身が引いた線を勝手に飛び越えることを他者に許さない。そんな気がする」
    たとえば無理やりキスを奪えば、その先はない。
    それだけのことでこの男は俺を見限る。それは俺の望むところではない。
    その答えはアラスターを満足させたのかくつくつと喉の奥で笑う。
    そのまま汚れた路地裏の壁に背を預けた。
    「そこまで分かっているのに、これ、とは!」
    「……だが、かと言って、アンタの命令を一から十まで聞く義理はねえ。だから聞いたんだ。キスしていいかってな」
    「ゲイではなかったのでは?」
    「別に、ゲイじゃねえ。それに、アンタが女みたいな体をしているからキスしたいわけでもねえ。ただ──」
    少し、言い淀む。
    「アンタが欲しくなっただけだ」
    じっと見下ろせば返事はない。ゆっくりと小さく輪郭の際立った顎を手に取っても抵抗はなかった。
    ただ、アラスターは薄い笑みを浮かべながら俺を見上げている。薄い唇に口付ける。先程まで酒に触れていた唇はほんのりと甘かった。
    まるでティーンのような触れるだけの口付け。
    唇を離せばアラスターは口を半開きにして、瞬きをしていた。ロマンチックもなにもあったものではない。まるでなにをされたか分かっていないような、そんな様子だ。
    つい、笑ってしまう。
    「……なんだその顔」
    「……いや、思っていたよりも、抵抗感がなかったから、自分でも驚いているところだ」
    まだかすかに濡れている唇に触れて、アラスターはぽつりと自分でも整理できていないのか、言葉をこぼす。
    「……もしかして俺はゲイだったのか?」
    「分かってないやつだな」
    初めて触れるアラスターの髪の毛は思っていたよりも芯があった。さらりとしたまるで鹿の毛のような強さのある耳元の髪を撫ぜる。
    「俺だから、だろう」
    「ハハ、じゃあもう一度試してみるかい?」
    その軽口はアラスターのお気に召したようだった。
    「お言葉に甘えて」
    もう一度顔を近づけもう一度口付ける。今度はもう少し長く、深く。
    その背に腕を回すとアラスターの肩が微かに跳ねたのを手の平で感じた。
    唇の隙間から舌を割り込ませると、アラスターがくぐもったうめき声をこぼす。色気のない声だ。
    だが、それがまた興奮を煽るから手に負えない。俺のシャツを掴む手が震えているのもいじらしくていい。まるで処女だ。
    とん、と背中を叩かれたので大人しく唇を離す。
    アラスターの唇はてらてらと濡れており、俺とアラスターの間には透明な橋がかかっていた。
    アラスターは自分の口元を拭い、ぼんやりとその手を見つめた。
    「どうだった?」
    「……君に、求められるのは案外悪くないかもしれないね」
    アラスターの頬を撫ぜようと伸ばした手はぱしりとアラスターによって払いのけられた。
    「おっと、これ以上は遠慮してもらおうか」
    どうやら、この男は簡単には落ちないらしい。まあ、だから気に入ったのだが。
    「ケチくせえな」
    きっとそう言えばカナリアのように倍になって憎まれ口が返ってくるものと思っていたのだが、アラスターは黙り込んだままだった。
    「アラスター?」
    もしや不快だったか、と焦って俯かれた顔を覗くと、神妙な顔をして口元を隠している。
    「……俺だって少しは混乱しているんだ。手心を加えてくれてもいいと思うけれど」
    「……悪かったよ」
    キスに慣れていないのだろう。そういうことに興味がないと言っていたのは本当らしい。
    それでいて俺に求められるのは悪くない、などと言うのだ。煽るつもりがないのだから性格が悪い。
    「さあ、飲もうぜ、アラスター」
    壁を背にして突っ立っているアラスターに手を差し伸べる。するとアラスターは素直に手を重ねる。
    その手は冷たくなっており、少しだけ汗ばんでいた。蒸す空気の中でもアラスターはあまり汗を浮かべていないというのに。それほどまでに先ほどのちょっとしたキスに緊張したのだと語っていて、そのことに胸が熱くなる。
    あのアラスターが、境界線を飛び越えることを許した。たとえ一歩の許可でも、それは意味も価値もある一歩。おそらくほとんどの人間が許されないであろう一歩。
    「君とのキスだけで、結構酔ったんだが、君飲みすぎじゃないか?」
    「アンタが来ないからつまらなくてそれしかやることがなかったんだ」
    確かに少し飲みすぎたかもしれない。こちらを責めるように見つめるアラスターの小さな顔が随分とかわいらしく見えるのだから。
    「……それは申し訳ないことをしたね」
    「それに、ラジオスターなら俺に酔った、くらい言ってくれてもいいんじゃねえのか?」
    あと少し近づけば唇がつく、という距離まで顔を寄せる。
    アラスターはふうと息をつき、するりと隣を通り過ぎていった。
    「浮かれすぎだ、ハスク」
    俺の耳元に口を寄せると、小さな声で囁いた。
    まるで子供が内緒話をするかのようにひそやかで蠱惑的な声だった。
    その微かな吐息が俺の耳をくすぐるのを感じつつ俺は頷く。
    「……いいだろうが、今日くらい」
    アラスターの背を追いながら、空を見上げる。
    空には夏特有のぼやけた月が浮かんでいた。



    「やあ、ハス──」
    アラスターとキスをしたあの夜以降、アラスターは再び店に姿を現すようになった。幸い、ニューオリンズの悪魔を信奉する頭のイカれたやつらに襲われることはなかった。
    そして、いつものように現れたアラスター。
    いつもは適当にあしらうのだが、今日ばかりは入ってきたところに駆けつける。こんなことはこれまでになかったので、アラスターが一瞬身構える。
    「アラスター!友よ!ほら、座れ座れ!」
    「っと……どうしたんだ、ハスク。悪いものでも食べたのかい」
    「まあ、いいから」
    アラスターには触れずにいつもの席を案内する。椅子の上のほこりを払ってやればさらに気味が悪かったのか目を細めた。
    「フフン、これを見ろ」
    酒と一緒に紙束をアラスターの前に出す。
    「暗号はほとんど解けた。まあ、無意味な文字が入っていたりといくつかひっかけはあったが、おそらくは間違いない」
    アラスターは出されたいつもの薄いウィスキーには手を付けず、興味深げに紙束を一枚一枚めくる。
    アラスターの助言がなければスタートラインにも立てていなかったかもしれないが、ここまで根気強く解読し続けたのは俺の根性だ。別に人よりも知識が多いとは思わないが、知恵はあると思っている。それに人脈も。
    「悪魔からの一言、殺し方、次の死体の置き場所……それが基本的には書いてあるらしい」

    彼女を殺したのはニューオリンズの蒸し釜のような夏には珍しい三日月が際立った夜でした。
    彼女の夫ときたらとんでもない人でなしで(私が言うのもおかしな話ですが)、殺しに薬、なんでもやるような絵に描いたような”ワル”です。
    いつか彼は「俺を殺せるものなら殺してみろ」と声高に語ったと聞きましたので、私は彼の妻を殺しました。彼の売っていた劣悪なドラッグを少しずつ、だが大量に摂取させて。
    罪を犯したとき、その責任を取るのが、自分であるとは限らない──そんな簡単なことが分からないなんて!
    さて、次回はニューオリンズロイヤルストリート……

    「……ハスク、肝心の番地が書いてないよ?」
    「そこは他の暗号の解き方と違うみたいでよ……へへ」
    「へへ、じゃないよ」
    「ここは一つ、アラスター探偵の手ほどきをいただこうかと」
    一週間考えて無理だと踏んだ。俺にはもう誇りなどはないし、意地もない。この暗号と向き合っているのはただ趣味だ。友人と一緒に楽しいパズルをやるような、そんな。
    ぱちりとウィンクをすればアラスターははあ、とため息をつく。
    「とんだワトスン君だよ」
    「そこの数字の意味も分からねえが、被害者に刻まれた数字の意味も分からなくてよ」
    アラスターの持って来た写真の犠牲者の身体には必ず数字が刻まれている。その数字は全てがバラバラ。小さいものは30、大きいものは1745。他の部分の暗号とは異なった解き方であるようだからまず最初の一歩が分からなければ先へは進めない。
    「まあ、通りの名称だけでも分かっていれば対処のしようもあるだろうけど、君が言いたいのはそこじゃないんだろう」
    「ご名答」
    別に俺は警察の役に立ちたいわけではない。見知らぬ誰かのために善を成すわけでもない。
    昔の俺であれば息をするようにそうしたかもしれないがもうあの輝きを取り戻すことはないだろう。
    アラスターが紙を並べ、目を細める。
    俺は資料にとにかく仮説を書き込むのだが、アラスターは頭の中で整理するタイプのようだった。
    以前店長からアラスターの経歴を聞いたが、実に輝かしいものだった。実際、ラジオでの言葉は分かりやすいものを選びつつも誰もが食いつく話題を選び、ウィットに富んだもの。韻を踏み、時にちょっとしたかわいらしいからかいも入れる。
    どれも膨大な知識量を持ち、かつそれらから最適解を導き出し、誰かに伝える情報として再構築できる。アラスターの頭脳がいかに優れているかは一目瞭然だ。
    しばらく考え込んだのち、アラスターはふと顔をあげた。
    「分かった」
    「は?この短時間で?」
    「うん。だが、君がここまで解き明かしたのだろう。答えを教えることは簡単だけれど──」
    「構わねえよ。それくらいで拗ねるようなら最初からアンタに助力を頼んでない」

    「被害者に直接刻まれていた数字と760を被害者が男性の場合は足し、女性の場合は引くと、次の被害者が見つかる番地になるようだよ」

    アラスターに言われてこれまでの被害者が発見された番地を見る。
    そんなに簡単な解法であるとは。だが、ここに至るまで頭がおかしくなるような換字式暗号を解かされた後では気づかない。
    「じゃあ、次は……」
    直近の遺体に刻まれていた数字は1094であり、女性。ならば──

    「ニューオリンズロイヤルストリート334番地」

    アラスターがさらりと言う。ニューオリンズロイヤルストリート334番地、それが次の死体が置かれている現場。
    ついに。ついに──!
    「アラスター!」
    思わずアラスターの細い身体を抱きしめそうになったが、ぎりぎりで耐えた。
    今日は酷い雨のせいか客は少なかったのだが、俺の大声を聞いてなにかいいことがあったらしいと察してくれたらしく陽気に酒の入ったグラスを掲げてくれた。
    数日をかけて作りこんだ資料の端に解を書き込み、煙草をくわえた。安い煙草だがなによりもうまい。
    アラスターはというと、いつも通りのすまし顔ではあったが柔く微笑んでいた。そこに馬鹿にする色はない。アラスターの前にこぶしを差し出せば意図が分からずに一度は首を傾げたがやがて理解したのかこつりと拳を合わせてくれた。
    「おめでとうハスク」
    「アンタがいなけりゃ解けてねえよ」
    「確かに君の言うとおりかもしれないが、君はこの暗号がどういった種類なのかを見抜いた。俺がいなくとも時間さえかければ番地の前までは確実にたどり着いた。番地の謎だって君はいずれ気づいただろうさ」
    謙遜ではなく心からの言葉なのだろう。
    確かに、そうかもしれない。だが、きっと俺はアラスターがいなければ長い道程の途中でこの暗号解読を止めていただろう。だからこの暗号が解読できたのはアラスターがいたおかげ、というのは間違いないのだ。
    「さて、これで暗号は完全に判明したが、警察に言うのかい?」

    「言ったら答え合わせができねえだろ」

    煙草を床に捨てながら、踏みつける。
    そしてアラスターのほうを見れば、心底楽しそうに、丸く大きな瞳を細めた。きゅ、と吊り上がった唇の隙間からふは、と笑い声が漏れる。

    「君、最ッ低だな!」

    最高の間違いだろう、とは言わなかった。
    分かりきったことを改めて口に出すのはどうにも野暮な気がしたので。




    「やあ、ハスク。朗報だ」

    その日、アラスターが店に来たのは営業が終わった後だった。
    アルバートは先に帰っており、残されたハスクだけが店内の掃除を終え、グラスを磨いているところだった。
    アラスターが持ち込んだものは見当がついている。
    「答え」だ。
    アラスターから直接資料を受け取り、確認する。
    上から順を追って読み進めると、その文字列が目についた。
    「ニューオリンズロイヤルストリート334番地……」

    「ニューオリンズの悪魔との勝負は君の勝ちだ!祝いに最高の酒をあけようじゃないか!」

    機嫌のいいアラスターが許可を得るでもなくカウンターに入り込み、自らが預けていた一番高い酒を取り出す。
    それを止めることなく、適当なテーブルに資料を置き、掛けていた椅子を二つ下ろした。後ろではアラスターが勝手にグラスに酒を注いでいる。
    酒に弱いくせに実に豪快に酒を注ぐアラスターに苦笑する。コイツはラジオスターとしては一流だが酒番は任せられないな、と内心笑う。
    アラスターがテーブルに運んできたグラスを受け取ると、す、と前にグラスが差し出される。
    「乾杯」
    差し出されたグラスに自身のものをぶつけ、ぐいと酒をあおる。
    アラスターから受け取った酒に口を付けると、今までに感じたことのないような芳醇で濃厚な味わいで思わず目を見張る。
    アラスターは自身のものであるのにあまりこういう物を好まないのかグラスに注がれた量は微々たるもので舐める程度しか飲んでいなかった。
    「これが次の暗号か」
    資料をめくると非常に短い数字の羅列が書いてある。
    普段の量の10分の1にも満たないそれ。
    「196.332.932.932.638.4193.792.450.102……」
    これくらいであればこの場で少し時間をもらえれば解き明かすことができる。さて、ニューオリンズの悪魔が今度はなにを残したのかと酒に濡れた唇を舐めてから鉛筆を持った。
    「932=er……4193=a…………102=or」
    murdererisalastor、と紙の上に書き込み、見つめる。
    殺人犯はアラスター。
    ごくり、と喉が鳴った。
    「アラスター」
    前を向けばアラスターがいつもの様子でひじをついてこちらを見つめていた。
    「なんだい、ハスク」
    いつもの声。いつもの笑顔。
    いつもと違ったのは、この酒を準備したのはアラスターだということ。そしてこの酒の味。
    馴染みなどあるはずもない濃厚な味わい。だからこそ、これが最高級の酒なのか、それとも毒なのか俺には判断がつかない。思わず喉に手をやれば、アラスターの笑みは深まる。
    「大丈夫、酒には何も入れていない。安心したまえ。俺は正当な手段で対峙してきた相手には最大限の敬意を払う」
    俺の表情を見て満足したのか、アラスターはグラスに口を付けて傾けた。その薄い喉仏が静かに上下するのを俺はただじっと見ているしかなかった。
    不意に視線が交わったかと思えば、丸眼鏡の奥のその瞳が細められる。まるで深淵を見つめる悪魔が舌なめずりでもするかのように赤い舌が薄い唇を濡らした。
    「嘘だろう」
    「本当さ。信じられない?」
    「そうだな」
    確かに信じられない。
    この暗号を解読できたのはアラスターの助力があってこそだ。暗号を解かれれば窮地に陥ることは明白であるのに助力するわけもない。
    だが、本能が語る。
    ニューオリンズの悪魔はそんな常識こそを嗤っている。
    そして狡猾で、自信家だ。それは目の前にいる男にも共通する。
    他の誰よりも、この男こそがニューオリンズの悪魔にふさわしいと思えた。
    「暗号の最後の謎。760という数字がなぜ鍵であったのか。聡明な君ならばなぜ、と理由を探しただろう」
    「ああ。だが、そこで考えるのを止めた。結果を先に得ちまったからな。過程を後戻りして考えることは暇人がやることだ」
    本来ならば仮定を経てたどり着く答えに、俺はアラスターの助言を経て一飛びでたどり着いてしまった。
    煙草に火をつけて、煙を吐き出す。
    俺の返答に満足したのか、アラスターは上機嫌そうに頷いた。
    「チッチッチ……そこが君のかわいらしいところだがね。なにより答えを得て、君は浮かれたんだろう」
    まるで答え合わせをする教師のような口ぶりでアラスターがグラスを揺らす。
    ああ、そうだ。アラスターの言うとおり浮かれていたとも。
    親しい友人と共に謎に向かい合う。ああでもない、こうでもない、とくだらないことを言い合いながら酒を傾け、煙草を吸い、汚らしく狭いスピークイージーの隅で顔を近づけて笑い合う。
    そんな時間を俺は愛していた。
    「以前、たまにはラジオでも聞いて息抜きをするといいと言ったはずだ」
    君は俺の放送を意地でも聞いてくれないね、とアラスターは肩を竦める。
    だが、それは間違いだ。アラスターの放送は聞いていた。面と向かってよかったと褒めるのが気恥ずかしかっただけで。そして、俺だけではなく、山ほどの人間に対してアラスターがやわらかい声で囁いていることが気に食わなくて。
    「ウチの放送局は760が割り当てられていてね。そしてFDNO……From Dear New Orleansの名物ラジオホストはアラスター、この私だ」
    アラスターがカウンターに肘をついて、指を交互に絡めた。
    開いた双眸は爛々と輝いていた。
    「さて、どうする?君はなにを選ぶんだい?」
    煙草をテーブルに押し付ける。黒い煙がじわりと天井に上がって消えていった。
    どうするべきなのかはよく分からなかった。
    だが、自分がどうしたいかは知っている。もう随分と前から。
    「……ハスク?」
    アラスターのほうに顔を戻し、次の発言を待っているアラスターに手をゆっくりと伸ばし、白い頬に添える。無骨な指がかすかに肌に沈むと、その滑らかさがよく分かった。
    ゆっくりと顔を近づけていけば、アラスターがようやく察したのか慌てた様子で息をのんだのが分かった。だが、もう遅い。
    そのまま唇を重ねてやった。酒で湿った唇同士がぶつかり合って互いの温度を交換すると同じ酒の香りがする。そのまま舌をアラスターの唇の間にねじ込めば、強い酒気が鼻腔をくすぐった。
    奥へと逃げる小さい舌を絡め取る。
    アラスターの息が漏れたが気にも留めなかった。
    「ハスク──ッ……」
    ハスクの手を掴もうと伸ばされた手を掴み返して指を絡ませる。指の間をなぞればぞわりとしたのか身体を揺らしたのが分かった。
    唇を離すと唾液が糸を引き、ぷつんと切れた。
    荒くなった息を懸命に整えようとしているアラスターを開放し、椅子に戻り、酒を飲む。
    テーブルの上に置かれたままの瓶から勝手にグラスに酒を追加する。
    アラスターは少し眉を寄せながら、口元をぐい、と拭った。
    「……これ、は、予想外だったな」
    「これも、だろ」
    にやりと笑ってみせる。
    アラスターはペースを乱されたことが心外だったようで瞼を一度ひくつかせた。
    「君、相当イカれているね。ジャンクだ」
    吐き捨てるようにそう言ってから、アラスターはグラスに残った酒を一気に飲み干した。とびきり高級な酒だろうにもったいない。
    「ああ、俺でもそう思う」
    内心苦笑する。
    ニューオリンズの悪魔──最低最悪のイカれた連続殺人犯。
    そう分かっても、アラスターのことを恐ろしいとは思わなかった。ただ、そうか、と納得した。
    それに、本質はわがままですぐに拗ねるような子どもとそう大きくは変わらない。キス一つで息が上がるようなティーンのお転婆な少女みたいなものだ。
    そして俺の愛すべき友人。
    「だが、俺をイカれさせたのは、お前だろ。アラスター」
    頬杖をついてアラスターのほうを見る。
    そしてゆっくりと目を細めながら口角を釣り上げた。ああ、やはりこいつは悪魔だ。背筋にぞくぞくと快感が走るのが分かった。
    「イカれさせたなんてひどい言いがかりだ。俺に酔った、くらい気の利いたことを言ってくれてもいいんじゃないのかい、ハスク?」
    それとも良酒のせいで頭が回らないのかな、とアラスターが悪戯っぽく笑う。
    「お前は、本当に……」
    ああ言えばこう言う。本当に生意気で、傲慢だ。
    だが、だからこそ、いい。
    この時間は、何ものにも代えがたい。
    たとえ神の教えに背いていたとしても、誘惑には抗えない。
    きっと俺はコイツに出会うべきではなかった。「愉しさ」を知るべきではなかった。そうすればこの世をクソッタレで救いようのないつまらない世界だと吐き捨てながらも、酒とギャンブルをほどほどに楽しんで、くだらない家庭なんぞをもったりして、それでも「正しさ」を誇りに思いながらスキッド・ロウの片隅で野垂れ死ぬことができたのに。

    「俺の口を塞ぐなら、フィンガーフードのピックじゃなくてキスでにしてくれよ」

    蠱惑的な微笑みを浮かべながらの、子どもみたいなおねだり。
    断る理由はない。アラスターの顎を指でくい、と上げると、その唇を再び奪った。





    「どうだった?」

    狭く汚い家。一日の大抵を店で過ごしているので、ここには寝に戻るだけ。
    あるものと言えば固くなったパンとコーヒー豆、そして壊れかけの埃くさいベッドくらい。
    そんな中でベッドに転がりながら先ほどまで気を飛ばしていたアラスターの前髪をさらりと撫でる。
    アラスターはげっそりとしながら、サイドテーブルに置かれた淹れたばかりのとびきり濃いコーヒーを口にした。
    「最悪」
    しわだらけのごわついた毛布は気に入らなかったのかアラスターが床に蹴り落とす。床の上には脱ぎ捨てられた互いの衣服も転がっている。
    イラついた様子のそれを見ておかしくて笑ってしまう。これがニューオリンズの悪魔。これが悪名高き連続殺人犯。アラスターが苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
    「痛いし、気持ちが悪い。死ぬかと思った。君、下手くそなんじゃないか?」
    「言ってくれる。最後は俺に縋って女みたいにイッてたくせに」
    いくらそういうことに興味がないと言っても、人間の肉体の構造など余程のことがなければ大抵の造りは同じ。アラスターの体が感じ入る、油断しきったあばらの浮いた脇をするりと撫でてやれば、大げさなくらい身体が震えていた。
    だが、次の瞬間にはアラスターの小さな手がいたずらをする指を掴んでいた。
    触れただけで折れそうな細腕のくせに見た目に反してアラスターの力はとても強い。どこかで聞いた話だが、人間はその力の幾分も使えていないと言う。幾重にも制限がかけられた状態で生まれ、死ぬ。
    だが、もしかしたらアラスターはその制限のようなものを外すことができる、あるいはもともと制限などないのかもしれなかった。
    「君を殺したら犬のエサにするって今決めたよ」
    先ほどまでの快感に戸惑うかわいらしい顔はどこへやら。
    にこ、と無垢な笑顔でアラスターが指をあらぬ方向に曲げようと力を籠めてくるので慌てて手を離した。
    「君はどうだったんだ?」
    「……最高だった」
    アラスターの小さい体を抱き寄せる。未だに人に触れられることには慣れていないから触れる時は手のひらからゆっくりと触れている。
    いつも整えられている髪は行為のせいでバラついており、もはや見る影はない。
    それを自分こそが乱したという事実に満足しながら栗色の毛の海に唇を落とす。
    「盛りのついた猫だな、これでは」
    「くく、猫は猫でも、クーガーだぞ、俺は」
    きれいに刈り上げられた襟首をべろりと舐めて、そのまま首筋から耳の裏までをたどり、耳たぶを甘く食む。
    アラスターは少し呆れたようにはあ、とため息はついたが、決して逃げてはいかなかった。
    「……では食い殺されないようにしないと」
    アラスターの手が髪に触れるのが分かり、その感触にぞくりとした。
    まるで猫をなだめるように耳の後ろをくすぐられる。猫を愛おしみ、かわいがるようなまろい心など持ち合わせていないだろうに。
    「……だが、クーガーか、見たことがないな。この辺りじゃ見ない」
    確かにアラスターの言うとおりこちらではとんと姿を見かけない。
    元いた西の方ではよく見ていたのだが。こちらはオオカミが多いと聞くので競合しているのかもしれなかった。
    「美しい獣だぞ。生き方に無駄がない。機能的で実にシンプルだ」
    迷いがなく、鋭く、誇り高い。慈しみ深く、それでいて残酷。あのように生きられたら随分と息がしやすいだろうと、ずっと思っている。
    「それは、一度この目で見てみたいね」
    そんなことを言って、仕事も趣味も休むつもりはないことは見え透いている。
    「いつか見せてやるよ。my dear」
    目元にキスをしてやれば、それは悪くなかったのだろう。アラスターは満足したように微笑んだ。
    「……おや、俺を小鹿扱いかい?」
    「……愛してるって言ったんだ。意味、この流れなら分かってんだろ」
    「さあどうだろう。クーガーは確か鹿をよく食うそうだし」
    アラスターの頬を両手で包み、唇を重ねる。ゆっくりと、深く味わうようなキス。
    「……キスって、息が苦しいから好きじゃないんだけど」
    不貞腐れたような、不満の混じった声。
    「じゃあ慣れるしかねえな」
    馬鹿らしいがこんなくだらないやりとりも嫌じゃなかった。



    「さあ、楽しい楽しい後始末の時間だ」
    浴室の中央には無惨な死体。持ち込んだ時点では薬で眠らされていたようだが、その後にアラスターの手により目玉をきれいにくり抜かれ、肉を小さく、サイコロのように切り取られ、ゆっくり殺された。
    昔、警察であったから人の死体には慣れてはいるが、けして気持ちがいいものではない。
    よくもこんな惨い殺し方ができるものだと呆れを通り越して感心してしまった。
    「……厄介ごとばかり俺に押し付けるな」
    「殺し」はしないが死体はもはやごみと同じ。そこに尊ぶべき魂はない。
    きれいに血が抜かれているせいで見た目よりも軽い腕をズタ袋に放り込む。ラジオスターなんて職についているくせに人間の血抜きがうまいとは恐れ入る。
    「君の仕事は死体処理と、酒に酔った俺をベッドに運ぶことさ」
    「後者は俺にも得があるからまあいいが、前者についてはなるべく関わりたくないんだが」
    「口じゃなくて手を動かしたまえ」
    少量の酒で足元がおぼつかなくなるような下戸のくせに偉そうに命令する。
    「しかし、よくこれだけ派手にやってここまで捕まらなかったな」
    「知り合いに腕のいい掃除屋がいてね」
    本当にしみ一つなくきれいに掃除をしてくれるんだ、とアラスターはおかしそうに笑う。
    いてもおかしくはないと思っていたが、俺以外にもアラスターの秘密を知っている者がいる。それはなんだか気に食わなかった。
    俺が拗ねたことにアラスターは気が付いたのかそういう相手ではないよ、と弁明をした。
    「孤児の少女でね。だが掃除の腕前はすばらしい。しかも頭が足りていないから余計なことを言わない」
    「……お前、なあ」
    人でなしだとは思っていたが、ここまでとは。
    今度店の客が食い残した残飯でもやるか、と決めながら、肉片を片付ける。ふと、アラスターは床に転がっていた目玉を一つ拾い上げた。
    死んでなお、美しい紫の色の珍しい瞳の色だった。それを人差し指と親指で転がしながら、アラスターは口を開く。
    「この死体の彼──ヴィクター・アーミテイジは質の悪い資産家の息子でね。弱い人間を痛めつけることで自分というものがいかに優等であるかを確認するような男だった。まあ、そこまではいい。俺のラジオを随分と高く買ってくれていたようだし。まあ、見るに堪えない手紙を送ってくるのだけはよしてほしかったが……だが、ニフティの片目を抉ったのはいただけない」
    アラスターはぷちりと目玉を潰した。
    そして汚いものでも触ったかのように嫌そうに手を布で拭った。
    「コイツ、死ぬときなんと言ったと思う?」
    「……いい声だ、か?」
    「ハハハハッ!ハスク、君がもしも俺に殺されるときの言葉はそれで頼むよ。最高の言葉だ!」
    そう言って、アラスターは手を叩いて大笑いをする。
    「俺の命はあのガキよりも重いのに」
    実に滑稽だったね、と言いながらアラスターは床に転がったもう一つの目玉を踏みつぶした。
    「命に重いも軽いもない。少なくとも、今の技術じゃ測定できない。そして測定できたとして、このクソ野郎の命なんて小さな少女の目玉よりも軽いだろうさ」
    笑ってはいるものの、アラスターの目の奥には底知れない嫌悪のようなものがあった。よほどこの男を忌み嫌っていたのだろう。
    だが、やはりアラスターのことを恐ろしいとは思えないと再確認して切り取った肥え太ったふとももを放り投げる。うっすらと笑みが浮かんでいたのかアラスターがひょこりと下から興味深げに覗き込んでくる。
    「やはり友人というものはいいね。おしゃべりは楽しい」
    これまでの死体の始末はおしゃべりの相手がいなくてつまらなかった、と言いながら鉈で器用に腕を切り分けていくので、悪趣味で吹き出してしまった。
    「今度、そのガキを紹介してくれ。タコスでも作ってやる」
    「おや、俺には飽きてしまったのかな?残念」
    「飽きるわけがねえだろ」
    「それはよかった」
    軽口をたたきあいながら、死体処理をする。
    本当に、アラスターといると退屈する暇もない。毎日が極彩色の地獄のようだった。
    「あと、慈悲深いのは結構だけど、ニフティは君よりも高給取りだ」
    「は?」
    「孤児だろうが、頭が足りてなかろうが、俺は成果には正当な対価を払う」
    そういう点でニフティは実に優秀だ、と鼻歌を歌いながら最後の頭部分を袋に放り込む。
    金の勘定もできないような孤児に連続殺人犯のアラスターは偽ることなく、正当な対価を支払っている。
    別に優しさでもなく、哀れみでもない。ただ平等に、当たり前のように。
    アラスターは残虐で非道な殺人鬼だが、そこに美しさと誇りのようなものを見た。
    気高く、何者にも屈さずに孤高に生きる獣。
    「しかし、ラジオスターってのはそんなに儲かるものなのか?それとも家の金か?」
    「君、リンチバーグの暗号を知っているか?」
    「……詳しくは知らんが、埋蔵金だのなんだの……って話だったか」
    「そう」
    埋蔵金の在り処を指し示すという謎の暗号。
    その暗号を解き明かし、億万長者になるために移り住んだ者までいると聞いた。今回の暗号解読に際して参考にはしたが馬鹿らしいと思って解読しようとすら思わなかった。
    「その暗号だが、実は俺が解読して、数年前に見つけた」
    アラスターはさらりと言う。まるで明日の天気がどうなるのかだとかたわいないことを話すように。
    「…………アンタにしては、つまらねえ冗談だ」
    「冗談ではないさ。まあ、書いてあるよりは金の量は少なかったが、普通に生きていれば使い切れない量の金だったよ。君も興味があるのなら解いてみるといい。君の頭脳があれば解けないこともないさ。少しばかりいただいてあとは手をつけていない。俺は金はどうでもいいからね。あれもエンターテイメント。後世の人々の楽しみを奪うのは俺の本意じゃない。あの暗号解読もまあまあ楽しかった。まあ、殺しよりは劣るけれど!」
    その規格外の頭脳やルックス、人あたりのよい雰囲気と美しい声があるのならばもっと別のものに、大抵の何者かには簡単になれたのだろうに、アラスターはおそらく喜んで殺人鬼となることを選んだ。
    おそらくそこになんの迷いも悲しみもなかったのだろう。
    だが、そこに異常者の息苦しさのようなものを感じた。
    アラスターの本質は「殺し」ではない。「愉しさ」だ。アラスターにとって「殺し」は手段であり、目的ではない。
    いつかアラスターにも「殺し」以外の「愉しさ」に到達できる手段ができるのだろうか、と考え、止めた。
    きっとその日はアラスターの命日であろうから。
    「口じゃなくて手を動かせ、手を」
    デッキブラシで血の付いたタイルを擦りながら、ため息をつく。
    「君ってやつはつまらない男だね、ハスク」
    器用に笑みを浮かべつつもぷくりと膨らませる。三十も過ぎた男がやるような仕草ではないというのに、かわいらしいと思ってしまうのだから本当に参る。
    「……そりゃあどうも」
    「そんなかわいくないことを言ったところで、俺に夢中なんだろう。君は」
    するりとまるで甘えるように脇に入り込まれ、胸元にこてりと頭を置かれる。
    この男、愛だの恋だの性行為だのに興味がないくせに、人の心をもてあそぶのだけは一級品だった。
    そして、ここが一番哀れな部分だが、どうにも俺はこの男に心底惹かれてしまっていた。
    それがからかいだと、俺をあざ笑うためにしている行為だと分かっているのに体は実に正直なもので──
    「……おい、君」
    アラスターの硬い声が浴室に響く。
    「……今のは、アンタが悪いだろうが」
    「信じられない」
    アラスターはわなわなと震えながら、身体を離す。
    「……最悪だな、君は。死体なんかを前にして、興奮しているのか!?」
    「引いてんじゃねえよ!」
    「君は異常者だ!キチガイめ!」
    「アンタにだけは言われたくねえよ!」
    楽しいから、で人を殺す真の異常者に異常者と言われたのは非常に心外だった。




    「あらハスクちゃん、ごきげんよう」
    「アラスターはどこだ」
    話しかけてきた女店主には目もくれずに店内にいるであろう馬鹿野郎の姿を探す。
    陽気な音楽も踊る男女の声も雑音でしかなく、すれ違いざまに肩をぶつけながら店の奥へと進んでいく。
    「そこで伸びてるわ。ホント、子猫ちゃんみたい」
    女店主──ミムジーの指さす先にはカウンターに肘をついてうつらうつらと船をこぐアラスターの姿があった。
    すっかりと油断して、目を瞑って。
    ウチではこんな姿を見せることはない。
    「アンタのとこは余程いい酒を出しているんだな」
    アラスターの飲み残したウィスキーを口に運ぶ。濃くて強いいい酒だ。コイツには強すぎる。
    ミムジーにグラスを返す。
    きらびやかな化粧で飾られたミムジーがにやりと笑う。
    アラスターがよく浮かべる、すべてを見知ったような、その上でこちらを馬鹿にしてくるような笑みだ。
    この女もアラスターの側にいる人間。人を食う側の人間だ。
    アラスターはその中に誇りを感じるからおもしろいが、この女はどうしても好かなかった。
    「コイツがここまで酔うのはここでだけだ」
    「あら……若いわねえ。嫉妬?」
    「アンタこそ、おもしろくないんじゃないか?」
    ミムジーにとってアラスターは都合のいい共犯者だ。
    俺がアラスターに寄せる執着とは別の執着を持っている。
    そこで初めてミムジーは余裕の笑みを不快そうに歪めた。だがすぐに調子を取り戻したのか楽しそうにアラスターの頭を人差し指でつつく。アラスターは嫌そうに眉をしかめる。
    「察しが悪い野良猫のくせによく言うわ。アラスターも苦労してるわね、これじゃあ」
    「……ア?」
    「……う、ん」
    不穏な会話に反応したのか、アラスターが身じろぐ。
    それからゆっくりと瞼を上げた。
    虚ろな目がゆらりと彷徨い、俺へと向く。
    「ん、ああ、ハスカーか……やあ」
    「お前酔い潰れるのはよせ。襲われるぞ」
    それが気に入らず、アラスターの腕を持ち立ち上がらせるとふらついたアラスターが倒れこんでくる。
    「ん……君は、乱暴だな……」
    なにも口の中には入っていないだろうにもぐもぐと唇を動かしながら胸の上で眠そうに目を細める。
    人よりも胸板は厚い自覚はあるが、少なくとも俺の胸はベッドではない。
    「おい、寝るな」
    「……寝ないよ」
    んー、と声を伸ばしながらも確かに眠気には抗っているのか眉間に皺を寄せている。
    その時、店内に流れていた曲が変わった。先ほどまではピアノのバラードだったが、今度は軽快なバンドネオンの音が店内に響き渡る。
    「ウチの一番よ」
    そう言ってミムジーが近くにいた客の手を取りカウンターから狭いフロアに出て、踊る。
    他の客たちもこの瞬間を待っていたかのように手を取り合い、声を上げていた。どこがスピークイージーなのやら。そのあたりは抜け目はないのだろうが。
    しかし、認めたくはないが、いい奏者を雇っている。
    悪魔の楽器とも呼ばれるほどに演奏が難しいバンドネオンをここまで巧みに演奏するとは。
    良質な演奏に眠気が飛んだのか、アラスターは目をきらきらとさせながらバンドネオン奏者のほうを見ている。
    「おい、アラ……」
    「俺たちも踊ろう!」
    「っと……おい、アラスター!」
    手を掴まれフロアに踊り出す。突然の行動によろけた瞬間に腰を取られ、ぐ、とアラスターに顔を近づけられる。明らかな女役。
    お前は俺に支配される側だ、とその目が語っていた。
    腰に回された細腕が離れれば、頭から後ろに転げるような角度で見下ろされる。このまま喉笛に噛みつかれてもおかしくなかった。
    「君は俺にただついてくればいい。リードはまかせて」
    吐息すら感じるような距離で、囁かれる。
    自分は考えるよりも先に手が出る気質だ。
    跳ねあがり、アラスターの足を引っかけて身を引くと、アラスターは口元を歪めながら前のめりになる。
    俺が手を離せばアラスターは膝をついて床に転がる。
    「ふざけんな」
    上から睨みつければ、アラスターは余裕の笑みで立ち上がる。
    そのまま足を絡め合いながらステップを踏む。お前の方が格下だ、とでもお互い言いたげに。
    「やるじゃないか」
    一方的に煽られれば、こちらもそれ相応に返さなければ気が済まない。
    落としたら殺すぞ、という笑みで体重をかけられればその体を掬ってターンをした。
    だから、次には支えろよ、と目で語ってアラスターの腕を思い切り引けば、アラスターは分かっていたかのように小さな体でいとも簡単に体重を支えてくる。
    「酔っ払いが」
    手を取り合い、互いの視線をぶつけ合いながら、店の中を回る。
    「ハハハハ!そうだね、酔っているんだと思う」
    体温も息も上げて、髪を振り乱して互いに食らい合うようにしてステップを踏む。
    曲が盛り上がりをみせれば、自然と手を取り合う力が強くなり二人の距離が縮まる。

    「タンゴはひとりじゃ踊れない」

    もう曲なんか聞こえちゃいないし、周りの客の姿すら見えちゃいない。それでも音楽に合わせて踊っていたことがおかしくて二人で笑いが止まらなくなる。

    「二人でこのクソッタレな世界を踏み潰して馬鹿にして骨の髄まで楽しもうじゃないか、ハスク!」

    あまりにも楽しそうにアラスターが笑うから、ついその顔を直視できない。
    きっと俺も、同じ顔をしているのだろう。
    今まで見たなかで一番のアラスターの笑顔だった。
    「ああ、クソ……」
    だから、アラスターに足を取られたことに気づかず、あっさりと顔面からフロアに崩れ落ちたのだ。酒は飲んでいなかったはずなのだが。
    見上げれば、アラスターの背後に照明が光り、まるで後光でも背負っているように見えた。
    俺を見下ろすその瞳があまりにもまっすぐで、本当に美しい宝石のようだと思った。



    「ハスク、鼻血大丈夫かい?」
    ひょこ、と覗き込んでくるアラスターは本当に心配しているらしく眉が下がっている。
    ダンスで顔面から転んで鼻血を流し、凶悪な連続殺人犯に心配されるなどとんだ喜劇だ。乾いた血をアラスターから借りたハンカチで拭い、ポケットにしまう。
    「……ご心配どうも」
    ミムジーに通されたバルコニーで風を浴びながら先ほどまでの熱を冷ます。夜も随分と深いのだが、背後ではまだ楽し気な音楽が流れている。
    横で同じくバルコニーに背を預けるアラスターは酔いも冷めたようで、いつものように薄い酒に口を付けていた。
    「久しぶりにこんなに踊ったよ」
    「俺もだ」
    「楽しかったな」
    ぽつりと狂乱の後の凪いだ声が零れる。
    アラスターの横顔を眺めれば、穏やかな表情をしていた。
    「アラスター」
    さっきの仕返しにと頬に指を滑らせば、くすぐったそうにアラスターは笑いを零した。
    今はもう、アラスターが警戒を滲ませてくることはない。親愛というよりも、理解からくるある種の信頼のようなものなのかもしれなかった。この場で害してくることはないだろう、という考えに基づいた。ハスクにとってそれは充分すぎるアラスターからの譲歩ではあったが、アラスターは気づいているのだろうか、と思った。
    酒に濡れた唇に自分の唇を重ねれば、アラスターは分かりきっていたのか拒まれることもなく、舌を絡ませればそれに応えるようにおずおずと首に腕を絡めてくる。
    口腔は熱く湿っていて、甘い酒の香りがする。
    「帰るぞ」
    くい、と道の向こうを指せばくすくすとアラスターが笑う。
    「俺の家はそっちじゃないけど?」
    「……分かってるだろ」
    薄い尻を撫ぜればそれはここではアウトのラインだったらしく爪をたてられる。
    「……やれやれ、仕方がないな」
    呆れたような顔をしながらもアラスターは上着を羽織るとミムジーに一言礼を言って外に出た。
    アラスターの隣を歩きながら煙草を吸う。
    空を見上げているアラスターのつむじを横目で見つめていると、ふとアラスターが顔を上げた。
    「そう言えば前から思っていたけれど、君の瞳って月みたいだね。あまり見かけない色だ」
    さっき顔を近づけてまじまじと見て改めて思ったよ、とアラスターは笑う。
    ぼろ、と間抜けなタイミングで大きめの灰が落ちた。
    「……一つ言っておくが、そういう口説き文句はベッドの中で言え」
    「……口説いたつもりではなかった」
    そうだろう。知っていたことだ。もう付き合いもそれなりに長い。アラスターは能天気に今思ったことを口に出しただけだ。
    落ち着くために煙草をひと吸いしてから、吐き出す。
    「だが、そうか、月か。さすがはラジオスターだな、詩的だ」
    「馬鹿にしている?」
    「いや、素直に褒めたつもりだった。オオカミのようだ、と前に言われたからな」
    「卑しい負け犬ってとこかな」
    「その負け犬に半殺しにされて、ソイツはひいひい泣いていたがな」
    「……君、前職はなんと言っていたかな?」
    「警察官」
    「ああ、世も末だな。終末だ。天使のラッパが響く日は近いね」
    アラスターが聖書を語ることが悪趣味で思わず笑う。
    その時、「キャア!」と女性の悲鳴が響いた。
    声の感じからして向こうの通り。アバズレと昂った男の声が聞こえたので、なにかしらの男女の痴情のもつれあたりだろう。
    「悲鳴だね」
    「そうだな」
    吸いかけの煙草を足で揉み消しながら答える。
    「いいのかい?ニューオリンズの悪魔かも」
    どの口が言うのか。試すように見上げてくるアラスターの肩に手をかけ、帰路を促す。
    「……いい。それよりも、早くアンタを抱きたい」
    そう耳元で囁けば、アラスターは薄気味悪く口角を吊り上げる。
    「悪い子になったね、ハスク」
    「だけどアンタ好みだろ?」
    別にアラスターの好みに合わせたわけではないが。
    アラスターと共に、薄暗い路地を二人きりで歩いていく。
    「……それは違うな」
    肩にかかった指の股を、まるで誘うように指先で撫ぜられる。
    「君は最初から俺好みだったよ。ギラついた獣みたいなその目が好ましかった」
    オオカミではなくクーガーだけれど、とアラスターの唇が薄く開き、吐息が漏れる。
    その唇に噛みつくように口づけ、舌を絡ませる。

    アラスターもそれに応えるようにせてくる。
    いつまで経ってもキスが下手くそなせいで、飲み切れなかった唾液が口の端から垂れてアラスターの顎を汚す。それを指で拭ってやり、その細い体を抱き上げた。
    「おいッ、ハスク!」
    「急ぐぞ」
    煽ったのはアラスターのほうだ。ちんたらと歩いていては陽が昇ってしまう。
    途中でくるりとターンをしてやると未知の感覚だったのか一瞬だけアラスターが体を強張らせた。

    「本当、馬鹿みたいに楽しいな」

    全能感に近しいのかもしれない。
    頭がおかしくなった。イカれてしまった。どの言葉にも反論はできまい。
    だが、少なくとも、アラスターと出会ってから毎日が愉快で最悪だった。息がしやすく、騒がしいと同時におかしな安寧すらあった。
    馬鹿な話だが、時々泣きたくなるのだ。精神が弱いほうではないのだが。
    ダンスのようなステップの中で、アラスターも馬鹿みたいに笑っていた。

    目も眩んでしまうようななんて美しい、地獄!
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    wombat_kawaii

    PROGRESS生前ハスアラがひょんなことから山奥の洋館で起きる殺人事件に巻き込まれる話。
    なんでも許せる人向け。ちょっとずつ増えるし修正が入ります。
    悪魔ハスクが悪魔ヴォックスに語る体で話が進みます。
    フリークショー・マーダー!【ハスアラ】その日、ホテルにはアラスターがいなかった。
    元から行き先も告げずにふらりと姿を消すことが多い男だ。しかも自分のことになるとムクドリのごとくよく動く口もぴたりと動きを止める。
    今回も多くは語らずに「仕事で」とだけ言い残して姿を消し、一週間。
    アラスターのことに関してハスクはまったくと言っていいほど心配はしていない。自分よりも強力な悪魔だ。そう簡単には殺されることはないだろうし、今だ強力にアラスターの力を放っている首輪が彼が健在であることを強く誇示していた。
    アラスターがいない間のほんの少しの安寧を享受するため、ホテルを出て昔馴染みの酒場に向かったのが五時間前。
    「七年だぞ!?戻ってきたと思ったら死にかけて、しかもすぐに長期出張とはいい身分だな!本当に死んでないんだろうな!ハスク!死んでないって言ってくれ!もう俺を一人にしないでくれ!寂しいんだアラスター!お前のいない世界で頂点になってもクソ空しいだけだ!死ぬまで互いにNOを突きつけあって、クソッタレで最悪な世の中であったと唾を吐き捨てながら満足して死にたい!」
    29226

    wombat_kawaii

    PROGRESS書きあがるまで時間がかかりそうなので、プロトタイプを掲載。完成したら加筆修正を行って支部へ。後編のさらに後編。ハスク視点。ヴォックスがたくさんしゃべる。(解釈違いになったら書き直すかも)

    ヴォックスが俺が考える最強のアラスターについて本気で語った結果、風が吹けば桶屋が儲かる方式で、ハスアラのキューピッドになっちゃったかもって話。
    タンゴはひとりじゃ踊れない【ハスアラ】酒屋で購入した安酒をボトルごと口に運ぶ。
    味なんてもはや分からない。ただ、酒の刺激とアルコールによる酩酊が心地よかった。
    アラスターに魂を渡して数年。あの時からハスクに自由はない。
    今思えば、生前、アラスターに出会ったあの瞬間から、ハスクに自由はなかったのかもしれないが。
    そうは言いつつ、地獄ではアラスターはハスクに積極的に関わることはしなかった。時折ハスクを呼び出しては殺した相手の死体掃除をさせたり、くだらない用事を言い渡すくらいでアラスター自身は必要事項のみを伝えるとふらりとその場からいなくなってしまう。
    かつてであれば、他愛ない会話をしながら共に死体の始末をしたものだが、今となってはもはや過去ということだろう。アラスターは一人で楽しむことを最終的には選んだ。そして俺はアラスターについていけなくなった。疲れた。枯れ果てた。ただ、それだけのことだ。
    10967

    wombat_kawaii

    PROGRESS書きあがるまで死ぬほど時間がかかりそうなので、プロトタイプを掲載していく。
    完成したら(はちゃめちゃに)加筆修正を行って支部へ。生前アラスターの一人称に悩んでいます。

    謎の連続殺人犯──通称「ニューオリンズの悪魔」が残す暗号を協力して解読する生前ハスアラの話。一体、ニューオリンズの悪魔は誰なのか──!?その目的とは──!?みたいなやつ。
    タンゴはひとりじゃ踊れない【ハスアラ】「おや、新顔だな」

    その日はなんてことない日だった。

    急激な都市化の波に乗り、日雇いの土木仕事を終え、間抜けな金持ちからイカサマポーカーで擦り取ったはした金を握りしめて疲れきった体を酒に漬けて、カウンターで眠りこけて、金を擦り取られる。そんなクソッタレな日が続いていた中で、人手が足りないからと声をかけられてとあるスピークイージーの店長に拾われたのはちょうど一月程前のことであった。
    店長はよく言えばこの狂乱の忙しない時代には珍しい隣人を愛する気質のある男で、その節介にハスクも救われたわけだった。町はずれの小さなスピークイージーではあったが、それでも店長の人柄に惹かれて常連客は多かった。
    大抵のことをそれなりにこなすことができるので、大きな躓きもなく仕事を行うことができた。
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